第7章 秘められし力 No.16
その頃、校長室では……。
「君と二人きりで会うのは、初めてですね、アルフ」
厚みのある低音の声が、柔らかな陽射し差し込む校長室に静かに響いた。机の上で指を組み、初雪のように真っ白で豊かな口髭を携えた口許には穏やかな笑みが浮かんでいる。
窓の外、逸早く朱に色を変えた木葉が一片、風も無いのにヒラリと枝を離れ、緩やかな風に舞い飛んでいく。穏やかな風景。
しかし、今のアルフには、それすら勘に触った。机に両手を付き、身を乗り出し、眼前の老人をじっと見据える。シンと静まり、冴え渡る星空を切り取ったかのような漆黒の瞳。
その視線を真正面から受け止めつつ、先生は、一瞬だけ、微かな胸騒ぎを覚えた。
(私は、どうしたというのだ? この感覚は……、恐れ?)心の中で自問する。(バカな……。この場で、いったい何を恐れる必要があるというのだ?)
その答えに辿り着く前に、胸騒ぎは掻き消えた。変わって、深い安堵感に包まれる。
(気の、せいか……?)
口許に微かに自嘲気味の笑みを浮かべる。その変化に、黒髪の少年は気付いていないようだ。
先生方の制止を振り切り、勢い込んで、この部屋に乗り込んできた少年。僅か一年生でしかない彼。しかし、その瞳の奥に煌く光は、安易に気を弛めれば喰い付かれる、野生の獣の危うさをはらんでいた。
そして、彼は、じっと押し黙ったまま……。
先生は、今度ははっきりと微笑んだ。
「先程から、ずっと黙ったままですね。君が私に、わざわざ会いに来てくれたのは、何か話があるからだろうと思い、先生方にも引き取って戴いたのですけれど……」
それでも、アルフは何も答えない。
校長先生は、色濃い自嘲を含んだ笑みと共に、深い溜息を吐いた。
「どうやら、私は君に嫌われているようですね」
「別に……」
初めてアルフが口を開く。変声期を終えた声は、酷く大人びて聞こえた。考えを読まれることを嫌うかのようにスッと視線を逸らす。
「嫌ってるわけじゃない」
動作すら大人びている。
先生が小さく微笑む。
「無理をする必要はありませんよ。人誰しも、好き嫌いがあるのは、やむを得ぬこと。私は、それを悪いとは思いません。嫌われている人に好かれたいと思うのであれば、嫌われる理由を探し出し、それを正せばいい。それだけのことですからね」
「あんた、リオと同じこと、言うんだな」
眼前の少年の口を吐いて出た、別の少年の名。
先生は納得の態で頷いた。
「君が私を訪ねてきた理由、……察しが付きましたよ。リオの、ことですね」
「ああ……」意外なほど、あっさりと認める。「あんた、リオに何をさせた? 夏休みの前日、リオは、あんたに頼まれた用事とやらのために、いったい、何処へ行ったんだ?」
堂々とした口調。
それは一見、世間知らずで向こう見ずな生意気さとしか見えない。けれど、校長先生は別の感覚で彼を見た。権力や征服欲になど決して屈することのない、強い信念と正義感。自分が正しいと信じるもののためならば、相手が誰であろうと真正面から闘いを挑む、真っ直ぐな清々しい強さ。彼は、僅か十歳の少年だが、その信念は、老齢な先生方に勝るとも劣らぬものであると感じられた。
新米のサリバン先生手を焼くのも無理は無い。心の中で思う。
先生は、敬意の念を込めて言った。
「お尋ねの件ですが、……それは、私の口からはお話出来ません」
「何だと!」テーブルを間に挟み、詰め寄るアルフ。「あんたのせいで、あいつは、何か重いものを抱え込んじまったんだぞ。それで、酷く悩んでる。眠れないほどだ。今日なんか、授業中に倒れた。あんた、それでも平気なのか?」
「リオ自身に関わることですから、私が口にすべきではないと言っているのです」
柔らかく、しかし、鞭のように鋭い言葉。




