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第7章 秘められし力 No.15

 クワイは、ふと、故郷の村にいる両親や友人の許に帰ったような懐かしさを覚えた。そして、思った。自分は、何時から、こんな笑顔を忘れていたんだろう。肉親を想い、友を想い、自分の生を慈しむ心を失っていたんだろう。

 その瞬間、思い出す。魔法遣い養成学校へと旅立つ日の朝、村の掟により、ただ独り見送って下さった大僧正様のお言葉を……。

『心して聞け。彼の地には、様々な念が渦巻いておる。清浄なる思いもあれば、邪悪な念もある。しかしな、クワイよ。お前はヤナイの心を、……一族の誇りを、決して失ってはならぬぞ。森に生きる全ての命あるものに対する労わりと感謝の念。それこそが、ヤナイの心ぞ。それを失った時、ヤナイは滅びる。お前は決して心を蝕まれるなよ。お前の両肩に懸かる我等ヤナイの未来を、蝕むでないぞ。』

 その時のクワイには、大僧正様のお言葉の意味は理解出来なかった。しかし、今は、……自分の弱さに負け、嫉妬心から相手を思い遣る心を失い、そして、そのことにやっと気付いた今は、あの日の大僧正様のお心が、ほんの少し解ったような気がした。

 クワイは唇を噛み締め、真っ直ぐに顔を上げた。彼の顔から、迷いや戸惑いは完全に消え失せていた。

「なあ、リオ。魔法、教えてくれないか。俺、立派な神官になりたいんだ」

 リオが大きく頷く。

「うん。じゃあ、僕にも教えてよ、弓の使い方。ヤナイの戦士は、雲の中の鳥さえ射落とす弓の名手なんでしょう?」

 クワイは口の両端を上げ、ニヤリと笑った。

「ああ。俺達は皆、弓を抱えて生まれてきたんだ。弓は、もう一本の腕みたいなもんさ。任せとけよ」

 そう言い、窓に向かって弓を射る素振りをしてみせる。誇らし気なクワイ。ニコニコと笑うリオにつられるように、小さく声を立てて笑った。

 暫く笑った後、フッと表情を曇らせる。ぼんやりと窓の外を見遣る、その横顔は、妙に神妙だった。

 訝しんだリオが声をかけようとした瞬間、クワイが小声で呟く。

「俺も、……出逢えるかな。お前にとってのアルフやルーみたいな、本当の友達に……」

 リオの満面に、輝く笑みが零れる。

「勿論さ。きっと出逢えるよ。僕等を隔てている『種族』という壁は、ここでは何の意味も持たない。人と人が、一対一で正面から向き合えば、嫌いな人より好きな人の方が、きっと多いはずだもの。それに……」

 リオの言葉は、室内に突然響いた扉を開ける音と、パタパタという足音によって遮られた。

 振り返った視線の先、開いたカーテンの向こうから現れた艶やかな褐色の髪。それが、クワイの横を擦り抜け、リオのベッドの上に飛び込む。

「どうしたの、ルー?」

 何時もの癖で、柔らかな髪に手を掛けつつ、リオが問う。

 顔を上げたルー。

「リオぉ、起きてたぁ?」大きな丸眼鏡は、見事に鼻からずり落ち、片耳が外れている。

「うん、ごめんね、心配掛けて」眼鏡を掛け直してやりながら、ニッコリと笑う。「もう大丈夫だよ」

 それに笑みで答えたルー。掛け直した眼鏡の隅に映る葡萄色の髪に、視線が吸い寄せられる。

「……クワイ」自然と表情が強張る。「どうして、此処に……?」

「仲直りをしに来てくれたんだよ」リオが説明する。

 ルーは意識して何時もの笑みを創った。

「そう。……良かったぁ」

「それより、ルー、そんなに息を切らして、どうしたの? 何かあったの?」何時も隣にいる黒髪の友の姿がない。不安が胸を過ぎる。それをそのまま言葉にする。「……アルフは?」

「そうだよ! リオ、大変なんだ。アルフを止めて!」

 指先がリオの袖を強く掴んだ。

 碧の瞳が問い掛けるように顰められる。

 リオが口を開くのを待たず、ルーは言った。

「アルフがね、……アルフが、リオが倒れたのは、夏休み前に出掛けていった場所で何かがあったせいで、何があったかを知ってるのは校長先生だけだって言って、一人で校長室に乗り込んで行っちゃったんだ。どうしたらいいの? ボクじゃ止められないんだよ、リオぉ」

 不安に溢れそうになる涙を必死に堪える。それでも、喉は詰まり、鼻声になる。

「リオが大変なのは解ってる。解ってるけど、でも……」

 ルーは、それ以上、言葉に出来なかった。そして、する必要も無かった。既に、リオは掛け布団を跳ね除け、飛び起きていたから……。

「僕なら平気! 行こう!」

 その時になって、傍らに佇む葡萄色の髪の少年のことを思い出す。リオは気まずげに唇を歪めた。

「クワイ、ごめん。今から起きることは見なかったことにして」

 短く言うと、ルーの手を握る。

 その瞬間、二人の姿が、その場から掻き消えた。

 さっきまで、確かに二人が居たはずの場所に、今は何も無い。僅かにベッドに残る皺が、今までそこに人がいたことを物語るだけだ。

 クワイは、暫し呆然と、その場に立ち尽くした。

 丁度その時、所用で席を外していた保健室の主、エリザベート先生が戻ってきた。葡萄色の髪を認めると、明るく声を掛ける。

「あら、クワイ。こんにちは」次いで、殻になったベッドが眼に留まる。「リオは?」

「……帰りました」やっと、それだけ答えた。

「そう。元気になったのね。なら、いいわ」

 彼女は、一向にその場から動こうとしないクワイに訝しげな視線を向けた。

「何をしてるの、クワイ。貴方も教室に戻りなさい」

「……はい」

 素直に頷き、扉に向かう。

 廊下に出たところで振り返り、再度、さっきまで確かにリオがいたベッドを一瞥したが、そのまま黙って扉を閉じた。

 顔を上げた彼の瞳は、清々しさに輝き、口許には満足気な笑みが宿っていた。けれど、それが誰かの眼に映ることは無かった。


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