第1章 魔法遣い養成学校 No.6
リオは、嫌がるアルフを無理に引っ張って、教室へ戻った。どんな理由があるにしろ、授業中、教室を飛び出したことは良くない。それを先生に謝るためだ。
二人の後にルーが続く。ニコニコとした彼の表情からは、罪悪感の欠片も感じられない。ルーらしいといえば、らしいのだが、これから叱られに行くことを認識しているのかというと、極めて怪しくなる。
リオが全体重を掛け、教室の重い扉を押し開ける。
案の定、サリバン先生は教室に居た。リオ達の姿を確認すると、ニッコリと笑い、手招きする。
三人が教室に入り、扉が閉まるのを確認してから、リオはペコリと頭を下げた。
「勝手をして、すみませんでした」
「もう、いいわ」溜息が、そのまま言葉になる。「でも、もうやめてね。他の子が真似すると困るから」
「はい」答えて、再び頭を下げる。
不満気なアルフは、リオに頭を無理やり押さえ付けられ、首だけを前に折った。ルーがそれを真似る。
これで何とか、生徒と教師双方の体面は保てた。そのことに安堵し、リオが二人を促して扉に手を掛けた時、サリバン先生の戸惑い気味の声が、彼等を引き止めた。
「ねえ、アルフ、ルー。貴方達、本当は出来るのに、どうして、やる気を出してくれないの?」
振り返るアルフ。呆れた態で唇をへの字に曲げる。答える気は無いようだ。
リオが友の背を軽く押す。
黒髪の少年は、金髪の友に視線を投げると、肩を竦め、気だるげに口を開いた。
「必須履修時間の間は、出来ようが出来まいが、どうせ授業には出なきゃならないんだ。何をしていようと俺の勝手だろう。俺は、寄り道するつもりはないけど、無駄なことをするつもりも無い」
「無駄なことって……」先生の美しい眉が困惑に歪む。「始めから真面目にやってくれれば、リオと同じように、他のお友達に教えてあげることも出来るのよ」
「友達なんかじゃない」
強い怒気をはらんだアルフの声が、彼女の言葉を制した。リオが止めるのも聞かず、アルフの言葉は続く。
「同じ教室にいるから友達だなんて、そんなの、あんた等の勝手な思い込みだ。俺は、他の奴等のこと、友達だと思ったことなんて一度も無い」
気圧され、先生は我知らず一歩後退った。それでも、その場は何とか持ち堪える。
深い溜息を吐きつつ、視線を褐色の髪の少年へと移す。
「……ルーは?」
「理由なんかないよぉ」間延びした声が答える。
「それなら……」
「でも、ボク、リオみたいには出来ないもん」
先生は、ぐったりと椅子に座り込み、頭を抱えた。縋るような視線を金髪の少年に向ける。
「リオ、貴方からも何とか……」
「サリバン先生」
「なあに?」指先で眼鏡を押し上げる。
だが、少年の薄紅色の唇が紡いだ言葉は、彼女の期待とは明らかに違っていた。
深い碧の瞳が、ほんの少し細められる。
「生意気を言うようですが、僕は、自分がそうしたいから、しているだけです。僕がしているということを理由に、僕と同じことをアルフやルーに強要するのはやめてください」
穏やかな口調ではあったが、彼女の口から以後の言葉を奪い去るには充分だった。
再度、ペコリと会釈し、扉を抜けて立ち去る三人の生徒。
彼女は、彼らの背中を無言で見送ることしか出来なかった。
大きな溜息と共に、両手に顔を埋める。
つい先頃、入学したばかりの幼い新入生を嗜めることすら、自分には出来ないのか? 教師としての自信が揺らぐ。
その時、微かな音を伴い、教室の扉が開いた。
顔を上げた彼女の視線の先に、雲のように白く豊かな口髭を蓄えた老人の姿があった。
「校長先生!」
サリバン先生は慌てて席を立った。そのまま深く腰を折る。
「してやられましたな、先生」深く穏やかな声。
サリバン先生は気まずさにカッと頬を紅潮させた。
「見て、いらしたんですか?」
「覗き見は私の主義ではありません。ですが、聞こえてしまいましてね」
彼女の頬が更に紅くなる。
校長先生の白い髭の奥で、口許が僅かに動いた。彼は、ゆっくりと歩を進めながら、右手で彼女に腰を下ろすよう促し、自らも彼女の斜向かいの席に静かに座った。
サリバン先生は、腰掛けるなり、頭を抱えて大きな溜息を吐いた。
「私……、時々、教師としての自信を無くしてしまいそうになります」もう体裁に拘ってなどいられない。そんな口振りだった。「あの三人は、本当に優秀なんです。多分、この学校始まって以来の……。でも、優秀過ぎて、時々怖くなります」
『あの三人』とは、無論、リオ達のことだ。
校長先生は、穏やかな口調のまま先を促した。
「何故ですかな?」
彼女の話は、再度、溜息で始まった。
「ルーは無邪気なだけですし、アルフは反抗的な生徒。あの二人のようなタイプには、よく出会います。苦手ですけど、彼等の気持ちも解らないわけじゃないんです。でも、リオは……」一瞬言い淀み、僅かに声を潜めて続ける。「あの子は、とても良い子です。周りを思い遣り、親切で、本当に良い子なんです。ただ、そういうところが、余計に子供らしくないといいますか……」
校長先生の白い眉の奥で、深い蒼の瞳がスッと細められる。
サリバン先生は、誘われるように言葉を継いだ。素直な思いが、そのまま唇から溢れる。
「決して強い言葉で反抗してくるわけではないのですけれど、その……、あの子の言葉は……」深い溜息。「あの子には、何も言い返せなくなります。時々、解らなくなるんです。あの子が何を考えているのか……」
「サリバン先生。教師は逃げてはいけません」
穏やかな声が、そっと彼女の心を包んだ。
顔を上げた視線の先で、蒼の瞳が優しく微笑んでいた。
校長先生の言葉は、その視線のままに静かだった。
「技を教えるだけが教師の役目ではありません。子供は子供なりに多くの悩みや苦しみを抱え、それと闘いながら成長しているのです。彼等を一個の対等な存在として認め、それでいながら、彼等より僅かに多いであろう人生経験に基づいて導く。それも、教師の大事な役目ですよ」
力なく俯く若い女教師の肩に、大きく温かな手が添えられる。その温もりは、彼女の心深くに染み渡った。
サリバン先生は、一つ大きく頷いた。
「はい……」