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第7章 秘められし力 No.4

 次の瞬間、彼の中で、今まで沸々と沸き上がっていた怒りが爆発した。これ以上、抑えることなど出来なかった。乱暴に級友を掻き分け、ツカツカとクワイへ近付く。人影の向こうに、鮮やかな葡萄色の巻き毛が見えた。クワイだ。両掌を硬く握り締め、壁となる最後の一人の躰を後方に押し退ける。

 しかし、伸びたアルフの手が、クワイの襟首を捻り上げる直前、教室の前方で、突如、女生徒の甲高い悲鳴が上がった。

 皆が一斉に顔を上げ、振り返り、そして、息を呑んだ。

 教卓の上に置かれていたサリバン先生の教科書の中から、一頭の巨大な獅子が、頭から腰のあたりまで飛び出していたのだ。獅子は教室中を睨め付けるように見回し、低く咆哮した。

「みんな、落ち着いて! 授業用の霊獣よ! 大丈夫、大丈夫だから!」

 サリバン先生は、周囲を宥めようと何度も叫んだ。だが、突然の出来事に自らも混乱し、パニックに陥った生徒達を静めるどころではなかった。

 生徒達、特に女生徒達は、我先にと先生に縋り付く。泣き出す者すらいた。先生は、その子達の相手に忙殺され、獅子を消し去る呪文を唱えることも出来なかった。

 アルフは、じっと獅子を凝視するリオの姿を眼の端に捉え、彼を庇おうと腕を伸ばした。けれど、教室の後方へと逃げる生徒達の波に押され、引きずられ、後退を余儀なくされた。

 いっぽう、獅子は、徐々に本の中から躰を引きずり出し、遂には、全身を完全に実体化させた。教卓に四肢の爪を食い込ませ、混乱し泣き叫ぶ生徒達を蔑むように教室中をゆっくりと見渡す。

 その時、突然、教室の中央付近から、奇妙な声が上がった。

 口笛に似た鋭い声音。

 何人かは、逃げる足を止め、きょろきょろと周囲を見回した。

 けれど、それが、狩猟の際に発するヤナイ族の雄叫びであると気付く者は誰もいなかった。

 その声が、獅子を興奮させた。獅子は生徒達の頭上を軽々と飛び越え、クワイの眼前に降り立った。

 再び悲鳴が上がる。周辺の生徒達は、我先に、その場から少しでも遠ざかろうと、這いつくばるようにして四方へと散った。

 そんな生徒達の波の中、クワイの側にいたリオは、何を思ったのか、一歩前に進み出ると、クワイを背に庇うように獅子の前に立ちはだかった。

「バカ野郎! リオ、逃げろ! 早く逃げろ!」

 遠くから、アルフの叫ぶ声が聞こえた。

 獅子は低く咆吼しながら、クワイとリオににじり寄る。

 リオは、獅子の行く手を阻もうと両手を広げた。だが、急な目眩に襲われ、その場に膝を付いた。

 獅子は、蹲るリオには目もくれず、彼を押し退けるように前に出ると、眼前の赤毛の獲物へと躍り掛かった。

 クワイは、咄嗟に懐から短剣を取り出し、振りかざそうとした。けれど、短剣の切っ先が煌くより早く、獅子に両肩を踏み付けられ、動きを封じられた。今にも襲い掛かろうと高く咆哮する獅子の躰の下、クワイが必死にもがく。

 その時、額に脂汗を滲ませ、壊れた机に縋るように、リオが立ちあがった。彼はフラフラと歩を進め、無言のまま獅子の傍らに立つと、その首筋に触れた。

 汗がリオの頬を伝い、顎から滴り落ちた。

 それまでクワイに集中していた獅子が、邪魔者を確認するように首を擡げた。

「何やってんだよ! 邪魔だよ!」

 クワイが叫ぶ。

 しかし、何を考えているのやら、リオはクワイに微かに微笑み掛けると、獅子をじっと凝視した。獅子の首筋に添えた手は、決して離れなかった。

 遂に、獅子は、獲物の狙いを変えた。躰ごとリオに向き直り、咆吼と共に、鋭い牙に縁取られた真っ赤な口を開けた。そのまま、リオに襲い掛かる……、かと思われた、次の瞬間、獅子の姿がスウッと薄くなり、次いで、掻き消すように、その場からいなくなった。

 眼前で繰り広げられた光景に、教室中が一瞬、言葉を失った。

 訳が解らず、キョロキョロと周囲を見回す者がいた。夢を見ていたのかと、頬っぺたを抓る者がいた。自分が無事であることを確認するように、両手で躰中を撫で回す者がいた。

 全員が、狐に摘ままれたような表情で、今、この場で起きたことが夢では無く、しかし、その恐怖は既に完全に消え去ったのだということを確認し合う。そして、皆の心が安堵感で満たされた途端、誰からともなく歓声が上がり、それは瞬く間に教室中を包み込んだ。

 沸き上がる歓声の中、暫し呆然としていたクワイが、自力で躰を起こし、今まで眼前にいた獅子の姿を探すように周囲を見回した。何もいなくなったことを確認し、ホッと胸を撫で下ろした途端、握り締めている短剣に気付き、慌てて懐に仕舞い込む。

「大丈夫?」

 声を掛けられ、顔を上げたクワイの眼に映る、差し出された小さな手。クワイは、その手を掴もうと無意識に腕を伸ばしたが、その手の主がリオであることを認めた瞬間、それをピシリと払い退けた。

「何だよ。俺は助けて欲しいなんて一言も言ってない。余計なこと、すんなよ」片腕を軸にして立ち上がり、服に付いた埃を払いながら、リオを睨み付ける。「それとも、何か? 俺に礼を言えってのか? 生憎だったな。俺は、お前に助けてもらう必要なんか無かった。だから、礼なんか、絶対に言わない。言って欲しけりゃ、他の奴等に頼むんだな」

 投げ付けられた言葉。

 リオは腕をぶらりと垂らし、淋し気にクワイを見つめた。


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