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第5章 真実 No.8

 リオは、焦点の定まらぬ視線を宙に漂わせた。

「僕は、堕天使なんだ。そうなんですね?」声音が徐々にか細くなる。「……誰にも望まれず、誰にも祝福されず、生れ落ちた瞬間に、その生を否定された。生まれてはいけない存在だった。……そういう、こと、……ですね?」

「リオ! それは違いますよ!」言葉と共に、机の奥から身を乗り出す先生。「生まれしことに意味のない存在など、この世に何一つありはしない。それは、天使とて同じです」

 切羽詰った先生の言葉。

 だが、それは、リオの耳を素通りした。人間界で僅かな時を共に過ごし、心通わせた少年アロウの哀し気な涙が脳裏を過ぎる。

 あの時、確かに自分も彼に同じ言葉を掛けた。だが、今、時を戻すことが出来るのなら、果たして自分は、同じことを彼に言えるのだろうか?

 持つ者が、持たざる者に掛ける哀れみ……。

 あの時、自分が彼に掛けた言葉は、所詮、奢りから生まれた薄っぺらな、軽い言葉でしかなかったのではないか?

 苦悩に、リオの表情が歪む。

 校長先生は、取り乱してしまった己を恥じるように、何度か首を横に振ると、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。白い髭の奥の唇が、言葉を紡ぐ。それは、ともすれば聞き逃してしまうほどに静かな、けれど、強い思いの込もった言葉だった。

「君が何故、今、ルリアに居るのか、居なければならないのか、君が疑問に思うのは当然です。しかし、リオ、その理由について、私は君に答えることが出来ません。なぜなら、私も真実を知らされてはいないからです。私の許を訪れた二人の天使は、その理由を『天上界の手違い』と言っていました。ですが、そんな言葉を鵜呑みにするほど、私は無知では有りませんからね。そして、彼等の様子から、私は一つの解を導き出しました。けれど、それは、……所詮、憶測でしかありません。今は言わない方が良いと思います。君がもっと大人になったら、対等な友人として話をしましょう。その時まで、君と私の二人が、揃って、このルリアに居ることが出来れば……、ですが」

「おっしゃっていることが、よく解りません」

 リオは、何時もの冷静な自分を取り戻していた。少なくとも、先生には、そう見えた。瞳の蒼が、深さを増す。

「君に、秘密にしていたことがあります。そのために、君には、かえって辛い思いをさせてしまいました。どうか、愚かな私を許して下さい」

 小さく肩を竦める。

「正直に話しましょう。今回、君を人間界へ行かせた真の目的は、天使としての君の実力を測ることでした。天上界からの依頼で、私が決めました。そして、与えられた情況下で君が下した判断は……、確かに、君も予想していたように、天上界の一部の者達にとっては受け入れ難いものでしたね。彼等は、決められた手順どおりに、整然と物事が流れていくこと、それのみを『善』としていますから。それは、哀しいことですが、否定しようのない事実です。ですが、私は、先程も言ったとおり、今回の君の判断は正しかったと確信しています。なぜなら、君の判断は、天上界の唯一絶対者である神の御心に近付くものだからです。そして、私と同じように考える者は、天上界にも必ず居ます。ですから、リオ、君は、君が下した判断に自信をお持ちなさい」

 校長先生は、瞳を閉じ、一つ、深く息を吐いた。今の言葉がリオの心に収まるのを待つように、そして、己自信の心を静めようとするかのように……。

 窓の外で囀る小鳥の声が、耳に心地良く響く。それほどに、室内は静かであった。

 校長先生の瞼がゆっくりと開く。蒼の瞳は、凛とした強さをはらんでいた。

「さあ、リオ。君は今、二つの路の分岐点に立っています。どちらの道へ足を踏み出すか、決めるのは君です。君は天上界に戻り、永久の時を生きますか? それとも、この地で魔法遣いとして、限りある命を生きますか? もし、君が、本来在るべき姿に戻ることを望むのであれば、私は君を、今すぐにでも天上界へ戻しましょう。そこで君は、様々な困難にぶつかることでしょう。けれど、それがどんなに険しい壁であっても、君は必ず乗り越えられる。その強さと勇気を充分に身に付けている。私は、そう信じています。しかし、もしも君がルリアに留まることを願うのなら、その時は私が、なんとしても君を護りましょう。決して天上界へなど連れて行かせはしません。さあ、リオ、どちらを選びますか? 難しい決断ですが、これから先は、君が決断しなければなりません。よく考えて、返事をして下さい」

 明らかに困惑の表情を浮かべるリオ。縋るような瞳で先生を見つめる。

 先生は、ニッコリと笑い、優しく言った。

「私としたことが、言葉が足りず、また、君を困らせてしまいましたね。今すぐ答えを出す必要はありません。ゆっくりと考えなさい。君の一生を左右する重要な問題なのですから。君が答えを見い出すまで、私は何時まででも待ちますよ。さあ、疲れたでしょう。今日は、もう、お帰りなさい」

 言うべきこと、話さなければならないことは、全て伝えた。後は、リオ次第。任せるしかない。

 先生は机に手をつき、椅子から立ち上がりかけた。けれど、その動きが止まる。

 リオが動かない。立ち尽くしたまま考え込んでいた。

 先生は、何か言葉を掛けようとしたが、小さく息を吐くと、再び椅子に深く腰掛けた。

 リオは、暫くの間、微動だにしなかったが、やがて何かを振り切ったように顔を上げた。彼の口調は、ゆっくりと、しかし、はっきりとしていた。

「先生。僕は、この旅の中で、何度も考えました。何度も何度も、考えました。神は、……全てを創造する御力を持っておられるはずの神は、なぜ、お手ずからお創りになられた人間達に、こんなにも多くの哀しみや苦しみをお与えになるのだろうか。神の御力を持ってすれば、人間界の全ての哀しみを消し去ることなど容易いはずなのに、なぜ、そうされないのだろうか、と……」

 リオが小さく笑う。ぎこちなさの残る笑みだったが、そこには、もう、微塵の迷いも無かった。そして、その声からは、何時もの明るさすら感じられた。

「天上界の唯一絶対者である神に対して、こんな疑問を抱いてしまった僕が、天使になどなれるはずがありませんよね。だから、……決めました。僕は、この世界に、ルリアに居ます。この地で、友と一緒に暮らし、一人前の魔法遣いになり、限りある生命を精一杯に生きること、それが僕の願いです」

「……解りました」校長先生は、大きく頷き、にっこりと微笑んだ。「良い判断です。それでは、私も君に約束しましょう。どんなことがあっても、君を天上界に渡しはしないと。君と、そして、君の友人達に約束しますよ」

 ゆっくりと椅子から立ち上がる。

「さあ、もうお帰りなさい。お友達が心配していますよ」

「はい」

 ペコリとお辞儀をし、部屋を出ていきかけたリオ。だが、その足が動きを止める。

 校長先生が訝し気に眉を顰める。

 リオは、ゆっくりと振り返り、小さな声で言った。彼の深い碧の瞳は、心の躊躇いそのままに揺れていた。

「……先生」

「どうしました、リオ?」

「最後に、もう一つだけ、お訊きしても良いですか?」

「はて、どんなことでしょう?」

「……神は……、今、天上界に……、神は、いらっしゃるのですか?」

 先生の顔が、一瞬強張る。リオの発した問いに、明らかに深く動揺したのだ。それを隠すことさえ出来ないほどに……。

 思い掛けない反応。リオは慌てて首を横に振った。

「ごめんなさい! 僕、帰ります!」

 慌てて扉に手を掛けたリオ。その背中を、優しい声が引き止める。

「……いや、リオ、お待ちなさい」

 躊躇いながら、リオが振り返る。



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