第5章 真実 No.3
しかし、アルフは続けた。
「人の心の中に、感情なんて扱い難いモノ創っといて、今更、自分の言うことだけが正しい、俺の意見に従えなんて、そんな虫のいい話があってたまるもんか。それこそ、過ちだ。違うか?」
「アルフ、お願い。もう、やめて……」
俯くリオの頼り無げな姿と、悲鳴に似たか細い声が哀しくて、罪悪感に苛まれる。唇を噛み締め、けれど、アルフはやめなかった。そうすることが、今、なぜか自信を失っている友を救うことの出来る最良の方法だと信じたから……。
「神の存在なんて、俺は信じちゃいない。だが、本当にいるんだとしても、神の意志だって、多くの意志の中の一つでしかない。正しいこともあれば、正しくないことだってある。それは、神が創った俺達を見れば明らかじゃないか? 俺達は過ちを犯さないか? 人間界の奴等は、奢り高ぶり、自らの力量を見誤ったがために、神の怒りに触れたんじゃなかったか?」
「それは……」
「違うか?」
言いかけたリオの言葉を、アルフの声音が遮る。
それは、穏やかな問い。だが、リオは即答出来ない。散々悩んだ挙句、言葉になった思いは短かった。
「……解らない」力なく首を横に振る。
「いいや、解っているはずだぞ、リオ。解っているくせに、お前は頼ろうとしてる。神という名の見えない絶対者に」アルフの声は優しく、そして強かった。「でも、そんなの、お前らしくないよ。頼るなよ。何かに頼ろうとなんかするなよ。会ったこともない奴等、何を考えてるかも解らない奴等を、どうやって信じるんだ? どうやって頼れっていうんだよ? そんな、なんだか解んないものを信じなくたって、俺は……、俺達は生きていける。二本の脚で立って、二本の腕を使って、生きていける」
再び、柔らかな金色の髪を腕の中に抱き寄せる。
「何でもいいから信じたい、頼りたい、頼らなければ生きていけない、なんて思うのは、弱虫のすることだ。俺達は、弱虫じゃない」
抵抗の欠片すらみせず、友の肩に頭を載せたリオは、キラキラ輝く水面を見つめ、呟いた。それは、アルフに答えるというよりは、むしろ独り言に近かった。
「でも……、神様は、いるよ……。そして、この世界をお創りになられたのは、間違い無く神だ。たとえ眼に見えなくても、自分を越えた力を崇める心、創造主を敬う心を持つことは、とても尊いことだよ」
アルフが独り言で返す。
「敬うことと、頼ることとは違う」
「頼らなければ……、何かに縋らなければ生きていけない人だっているんだ。人間は弱いから、神に縋る。でも、それも一つの生き方。良いとか悪いとか、評価すべきことじゃない」
自分自身に言い聞かせるかのようなリオの言葉。
何故、急に人間の話になるのか、アルフには、その理由が解らなかった。だた、今、自分に答えられることを答えよう。そう思った。
「弱い奴等のことなんか、俺達が考える必要は無い。そんなの、お節介な天上界の奴等が考えればいいことさ」ホウッと一つ、深い溜息を吐く。「お前が、なぜ、急にそんなことを言い出したのか、俺には、その理由が解らないし、お前が自分から話さないなら、無理に訊こうとも思わない。でも、自分が正しいと信じることをしようとする、お前の考えは、絶対に間違ってはいないと思う」
リオの肩が小さく震えた。
その細い肩ごと、リオの戸惑い全てを包み込んでやりたくて、アルフはリオの肩を強く抱き締めた。そのまま、暫くの間、ボンヤリと空を見上げた。
耳に風が森を吹き抜ける音が聞こえた。サラサラと葉を揺らす木々のざわめきが聞こえた。此処には、何時もと同じ時間が流れている。アルフは、そのことを全身で感じた。リオが何処へ行き、何を見、何を聞き、そして、何故こんな疑問を抱いてしまったのか、その理由は全く解らない。けれど、リオが今、自分の腕の中に戻ってきたこと、それだけは、この温もりが確かに教えてくれている。それだけでいい。今は、それだけで。素直に、そう思えた。
アルフは、少し大袈裟なほど首を左右に振り、さも困ったという態を装った。何時もの自分に戻ろう。片意地張らずに。そうすることが、今は一番良いはずだ。その思いを、そのまま言葉にする。
「やめ、やめ。俺、難しいことって、やっぱ、あんまり良く解んないや。」リオを支えているのとは反対側の手で、前髪を掻き上げた。「だから、お前の疑問に答えてやれてるかどうかも、ホントは自信なんか全然無いんだけどな、『正しいこと』なんて、難しく考えずに、『幸せ』って考えれば、答えは、案外簡単に見付かるんじゃないかな。正しいことなんてのは、判断する人によって違うし、時間が経たなきゃ解らないもんだ」少しふざけた口調で言葉を継ぐ。「たとえば、……ほら、お前、よく言ってるだろ? 風が気持ち良かったり、空が澄んで蒼かったりするだけで『嬉しい』って。そんなちっぽけなことだって、お前が『嬉しい』って思えることは、お前にとっての『幸せ』なんだろう? 『幸せ』って、案外、そんなもんなんじゃないか? お前は何時も物事を難しく考えすぎなんだよ。もっと単純に考えてみろよ」
アルフは小さく息を吐き、腕の中に抱き寄せたリオの顔を覗き込んだ。碧の瞳の奥深くに潜む彼の心に届けと、それだけを祈って。
「お前が誰かを幸せにしたいと思うなら、その相手が笑ってくれることをすればいい」
「……笑って……?」
「ああ」大きく頷く。「幸せって感じる基準は、人それぞれ違うし、幸せだと感じてる時の反応も色々だけど、でも、一つだけ、解る方法がある……と、俺は思ってるんだ」
リオが視線で問い掛ける。
紅味の戻ったその頬に、突然、アルフが手を添えた。
「笑顔だよ」言葉と共に、両の親指でリオの唇の両端を持ち上げる。「幸せな時って、誰だって、本当に幸せそうに笑うだろ。……な?」
不恰好なリオの笑み。アルフがプッと噴き出す。
「お前は欲張りだから、お前の周りにいる全員に、そんなふうに笑っていて欲しいと思うんだろうな。でも、それはちょっと欲張り過ぎだよ。上手くいかなくて当たり前さ。でも、お前が本当に大切だと思う相手が笑ってくれることなら、きっと、すぐに見付かるはずさ」
リオは、何が何だか解らないという態で眼を見開いた。