第1章 魔法遣い養成学校 No.4
程無くして、二人の前にサリバン先生が現れた。いよいよ試験だ。
二人揃って立ち上がる。その間も、羽根ペンと濃紺の文鎮は、くるくると小気味良く二人の周りを回り続けていた。
ルーはニコニコと愛嬌たっぷりに、アルフは上目遣いで挑むように、先生を見上げた。試験開始の掛け声を待つ。
だが、そんな二人の思いに反し、先生は、彼等の周囲を回り続けているものに気付くと、大きな溜息を吐いて腰に手を当てた。
「貴方達は、……いいわ」
それだけ言い、次の生徒へと視線を移す。
咄嗟に、アルフは文鎮を空中で掴み、そのまま身を乗り出すように机に手を付いた。立ち去る先生の背に向かって言葉を投げつける。
「チョッと待てよ。どういうことだよ」声は明らかに不服そうだ。「なんで俺達は試験してくれないんだよ。他の奴等と同じようにやってくれよ」
肩越しに振り返る先生。肩を竦め、首を横に振る。
「……それだけ見れば、充分よ」次いで、気付いたように小首を傾げ、胸の前で腕を組むと、躰ごと振り返る。「そうね。ちゃんと言ってなかったわね。……合格よ。二人とも、第四課題合格です」
その言葉にやっと納得したのか、アルフは不機嫌そうながらも勢いよく椅子に腰を降ろした。
彼の頭上に、先生は少し淋し気な視線を落とす。
「……ねえ、アルフ。君は……」言い掛けたが、上目遣いに見上げる少年の射るように鋭い漆黒の瞳に気圧され、一歩後退る。「いえ、……いいわ。また、後でね」
その時、突然、歓喜の声が教室中に響いた。
「浮いた! 浮いたよ!」
声の主はシューだった。
教室内全員の視線がシューへと注がれる。けれど、当のシューは皆の視線などお構い無し、喜びに顔をほころばせ、次々、周囲の友人達に飛び付いた。
「すげーよ。ホントに出来ちまったぜ。これなら俺、本物の魔法遣いになれるよ! リオの御陰だよ。ホント、すげーよ、あいつ!」
だが、シューの歓喜の言葉は、教室の中央からあがった低い声によって遮られた。
「おい、騙されんなよ」
途端に、それまで喜びに頬を上気させていたシューの表情が強張る。彼は声の主を見付けると、憤慨も露わに言った。
「……今のは、クワイだな。何だよ。俺が嘘吐いてるとでも言いたいのかよ!」
本気で喰って掛かるシュー。
「お前が嘘吐いてなきゃ、そこの金髪坊やが何かしたんじゃねぇのか?」
クワイは、まるで周囲を煽るかのように、教室中に響き渡る大声で続けた。鮮やかな葡萄色の髪に、土器色の肌。灰褐色の瞳が印象的だ。
「考えてもみろよ。そんなチビが、先生まで感心させるような魔法、遣えるなんておかしいんだ。何か裏があるに決まってるじゃねぇか。みんな、そいつの点数稼ぎに利用されてるだけだよ。騙されてるだけなんだよ!」
「そんなこと……」
シューは言いかけたが、先程の勢いは何処へやら、声は弱々しく、それきり黙りこんでしまった。先程、自分に向かって手を翳していたリオの姿を思い出し、確かにクワイの言うとおり、もしかしたら自分一人の力ではないのかもしれないという思いが頭をもたげたのだ。
その時、リオが静かに口を開いた。
「ペンを浮かせたのは、間違いなくシュー本人の力だよ。僕は何もしていない」
「どうだかな」
リオの言葉を、クワイが軽く受け流す。
シューの隣にいた少年が、最後の抵抗を試みた。
「でも、俺、シューの側でずっと見てたけど、今のはシューが自分でやったんだぜ。リオは別の奴の相手をしてたんだから、何か出来るわけないだろう?」
数人が、同意を表し頷く。
だが、クワイは、そんな抗議の言葉すら鼻で笑い飛ばした。机の上に乗せた足を組み替えると、蔑むようにリオを見遣り、口許に意地悪な笑みを浮かべた。
「まあ、いいさ。そいつのこと信じたいなら、そうすればいいよ。でもな、どうせ、そいつは、影でお前らのこと笑ってるんだぜ。せいぜい気を付けるんだな」
「いい加減にしなさい!」腰に両手を添え、サリバン先生がクワイの目の前に立ちはだかった。「それだけ言うからには、クワイ、今回は大丈夫なんでしょうね? 楽しみにしているわよ」
クワイは気まずげに頭を掻いた。
次いで先生は、意気消沈した態のシューに向き直る。
「シュー。何をしょげてるの? 私の前で成功しないと、合格にはならないのよ。さあ、がんばって」
教室内のあちらこちらから小さな笑いが漏れ、場が和んだ。
しかし、そんな和やかな雰囲気に取り残された者が三人……。
クワイとリオ。
そして、アルフである。大切な友人に対する謂れのない中傷を笑って受け流せるほど、彼は大人ではない。
「また、クワイかよ……!」立ち上がりしな、そう悪態を吐くと、人混みを掻き分けた。
いっぽう、シューは怒り心頭、再びペンをじっと凝視し始めた。
そんなシューを心配そうに見つめるリオに、一人の少女が声を掛ける。
「リオ、気にしないほうがいいわよ。クワイが貴方に突っ掛かるのは何時ものことじゃない。出来る子は嫉妬されるものなのよ。私は君のこと、そんなふうには思わないからね」
リオは笑顔で少女に応えようとした。けれど、その笑みは微妙に歪んでいた。
その時、誰かがリオの腕を掴んだ。振り返る。そこには、顰められた一対の漆黒の瞳があった。
「リオ、行くぞ」
「アルフ……」
「あんなこと言われてまで、お前が、こいつ等に教えてやる必要なんかないんだよ」
アルフはリオの腕を引っ張り、ルーの待つ席へと向かう。
だが、二人が中央の席を横切ろうとした瞬間、背に投げ付けられた、先程と同じ声を耳にするや、アルフの足はピタリと止まった。
「そう、そう。お坊ちゃま達は、そうやって連んで逃げてりゃいいんだ。先生の真似事なんて、余計なお世話なんだよ」
振り返るアルフ。その眼に、挑発的に笑うクワイと、彼の周囲にたむろする数人の若者のニヤついた笑みが映った。
にわかに、アルフの表情が厳しいものに変わる。
「何だと……」噛み締めた奥歯の隙間から言葉が漏れた瞬間、黒髪が踊った。軽々と机を飛び越え、掴み掛からんばかりにクワイに詰め寄る。「てめぇ……、大人しくしてりゃ、図に乗りやがって……!」
同時に、リオがアルフを追った。
「ダメ、アルフ!」友の腕にしがみ付くと、それがクワイに伸ばされるのを必死で制した。「お願いだから、やめて!」
「こら、クワイ! アルフも! 今は授業中よ。いい加減にしなさい!」
教室中にサリバン先生の甲高い怒声が響く。
一瞬、皆の動きが止まった。
先生は、さも困ったという態でクワイとアルフに駆け寄ると、腰に両手を添えて彼等の正面に立った。思い切り厳しい表情で二人の生徒を見下ろす。
「クワイ。リオは私がお願いして授業のお手伝いをしてもらっているの。不満があるなら私に言いなさい。それから、……アルフ!」
唇を噛み、上目遣いで睨み付けてくる漆黒の瞳に、一瞬気圧されつつも、彼女は何とか教師としての威厳を保った。
「どんな理由があろうと、喧嘩はいけませんよ。全てを力で解決しようだなんて、人間と同じ発想です。慎みなさい」
アルフの唇が不満気に歪み、何か言い掛ける。
その瞬間、彼の唇をリオが横から掌で押さえ付けた。そのままペコリと頭を下げる。
「すみませんでした、先生」
先生の表情に困惑の色が浮かぶ。
「貴方はいいのよ。貴方を叱ったんじゃないんだから」
「でも、原因は僕ですから」リオは引かない。
逆に、口を塞がれたアルフの方が、眉間に皺を寄せて先生を睨んでいる。
先生は一つ大きく溜息を吐くと、頭を軽く横に振った。
まただ……。
もう、何度目だろう。何時も、自分は何も言えなくなる。理由は明確だ。リオの言葉が正論なのだから、反論の余地はない。
確かに、クワイとの関係が、……それが、たとえ、クワイの一方的な嫉みの感情によるものだとしても……拗れているのはリオの方だ。アルフは、それを庇っているだけ。
それくらいのこと、解っている。だが、自分が頼んでリオに助手をしてもらっている以上、この場でリオを叱ることは出来ない。彼女のそんな心理を見抜くように、教師としての未熟さを無言で指摘するように、リオは、原因を曖昧にすることを決して是とはしない。
リオは良い生徒だ。優秀で、素直で、文句の付けようが無い。
しかし……。
サリバン先生は小さく肩を竦めた。
「ごめんなさいね、リオ。今日は、もういいわ。ご苦労様」
ぎこちない笑みを浮かべると、くるりと背を向け、次の生徒達の指導へと意識を集中する。
その時になって、アルフは、ようやくリオの拘束の手から逃れた。言い足りない文句を、せめて、もう一言なりと投げ付けてやろうと、人込みの中、相手を探す。
鮮やかな葡萄色の髪は直ぐに見付かった。リオのことなど忘れたかのように談笑する仲間達の中、クワイだけは、先程と変わらぬ苦々し気な視線をリオに投げ付けていた。
アルフが僅かに眉間に皺を寄せ、視線を細める。
リオに無理やり腕を引っ張られ、渋々席へと戻る間中、アルフはクワイを睨み続けた。そして、席に戻った途端、急に口許を笑みの形に歪め、声高に言い放った。
「言いたい奴には言わせておくさ。負け犬の遠吼なんか、痛くも痒くもない」
瞬間、クワイの頬が怒りでカッと紅潮する。
それを確認し、更にクワイの気持ちを逆撫でするように、アルフは、わざと楽し気に声を上げて笑った。クワイの嫉妬の矛先を、リオでは無く、自分へ向けさせたかった。これ以上、リオを傷付けたく無かった。そのためなら、いくらでも憎まれ役に徹してやる。笑みを浮かべるアルフの漆黒の瞳の奥に、堅い決心が漲っていた。
笑い声を上げたまま、アルフは蹴るように席を立つと、扉を開けて教室を後にした。
「アルフ!」
彼を追って、ルーが部屋から出ていく。
その様子に、周囲がざわめき始めた。
「先生! すみません!」囁き交わす声を遮るように、リオの澄んだ声が響いた。
振り返る先生の眼に、揺れる金色の髪が映った。
「退室します!」
直後、リオも教室を飛び出した。