第4章 人間界にて No.8
黒い服に身に包んだ大勢の人々。その中心にいるのは、見間違えるはずの無い、愛しい父と母の姿。
アロウは咄嗟に父と母を呼ぼうとした。けれど、声が出なかった。
父と母、そして、周囲の人々の服装や表情から、そこが墓地であることは、すぐに解った。そして、アロウは悟る。それが自分の葬儀の風景であることを……。
時が、景色と共に流れていく。
たくさんの花に飾られた小さな墓地の前で泣き崩れる母の姿。それを優しく労る父。二人は寄り添いながら、その場を去っていった。
次の風景は、何処かの部屋の中。微笑むアロウの写真を前に、話し合う父と母。母は時々涙を流し、その度に父は、写真の中のアロウに何かを語り掛けていた。
再び、情景が飛ぶ。
大きなボストンバックを持って、とある家の前に現れた母。扉を開け、現れたのは父だ。バックは母の手から滑り落ち、彼女の指が父のシャツを掴む。母を抱き締める父……。
光の中を流れる景色は、そこで消えた。
アロウの眼の前には、さっきまで彼が走り回っていたままの、雪降る公園が現れた。
リオが、そっとアロウを見る。その瞬間、リオの胸は哀しみに締め付けられた。
真っ直ぐに真正面を凝視したままのアロウの瞳から涙が溢れ、それが頬を伝って、後から後から零れ落ち、膝の上で固く握った掌を濡らしていたのだ。今はもう、何も映さない空間に、幸せな父と母の姿を追い求めるように、暫くの間、アロウは、ただじっと、真正面だけを見つめていた。
やがて、パジャマの袖で何度も何度も涙を拭うと、小さく笑う。その笑顔は、リオが予想したものとは微かに違っていた。
アロウは、雪を舞い散らす天空をじっと見上げた。その顔に、もう笑みは無かった。
「……ありがとう、リオ。君が僕に見せてくれた未来……、素敵だったよ。本当に、こうなったら、……パパとママが、もう一度仲良くなってくれたら、ホントに素敵だよね。でも、……いいんだ。創り話なんて、要らないよ」
「アロウ!」
予想外の言葉。リオは思わず身を乗り出し、アロウを凝視した。
けれど、リオが次の言葉を口にする前に、アロウは静かに言った。彼の言葉は、リオの胸に淋しく響いた。
「人の気持ちが、こんなに簡単に動くはずが無い。一度壊れてしまったものは、こんなに簡単に元に戻ったりはしないんだ。そのくらいのこと、僕だって解ってる。僕を元気付けようとしてくれた君の気持ちは本当に嬉しいけど、でもね、……いいんだ。もう……、いいんだよ」
それは、まるで、自分自身に言い聞かせているように、リオには聞こえた。
アロウは静かに立ち上がり、リオを見下ろした。
「リオ。僕は三つの願い事を言ったよ。さあ、僕を連れていって。もう、充分だよ」
アロウの表情には、何の迷いも、恐れの欠片さえ無かった。
そのことが、リオには無償に悔しかった。そして、心の底から願った。眼の前に佇む、悲しい少年の魂を助けたい。たとえ全ての理に反するとしても、彼を救いたい……、と。
リオは俯き、次いで、小さく言った。
「どうして……?」
「え?」
「……なぜ、君は望まないの?」
「何のこと?」
アロウが訝しむようにリオを見る。
膝の上で握られたリオの拳が、小刻みに震えた。彼は、決して言ってはいけない言葉を、しかし、言わずにはいられなかった。震える声で、叫ぶように言う。
「生きることを、君は、なぜ望まないの? 言っただろう? 今、僕は何でも出来る。君が望みさえすれば、どんなことだって出来るんだ。君が生きたいと、……健康な躰で、このまま生き続けたいと、そう望んでくれさえすれば、僕は、その願いを叶えてあげられるんだよ! なのに、君は望まない。なぜ? どうしてなの?! 望んでよ、お願いだから! 生きたいと、僕にそう言ってよ!」
アロウは、一瞬眼を見開いてリオを凝視したが、やがて、小さく笑った。
「君の方こそ、変なこと言うなぁ。君は僕を天国に連れていくために、此処に来たんでしょう? その君が、僕に『生きろ』だなんて、そんなこと言うの、変だよ」
「変でも何でもいい! 望んでよ! そうすれば、僕は叶えてあげられるんだ! 君を生かすことが出来るんだから!」
※
光さえも呑み込むほどの暗黒の夜空。
その一角に、リオとアロウの遣り取りを凝視する二組の蒼い瞳があった。
その瞳の持ち主達は、リオの突然の言葉を聞くや否や、驚きと共に、怒りも露わに言葉を交し合った。
「彼の者は危険過ぎます。死に逝く者に『生』を望むよう勧めるなど、天上界の理に逆らう行為です」
「あの大馬鹿者が! 堕落者は、所詮、堕落者でしか無いということだ」
「すぐに我々が向かうべきです」
「そうしよう。これ以上、死に逝く者の心を乱してはならない」
彼等は、大きな白い翼を羽ばたかせた。