第4章 人間界にて No.3
街の混雑を抜けたBMWが、高速道路へと滑らかに滑り込んだ、丁度その頃、病院では、真っ白な長い廊下を、年輩の看護婦が一人、足早に歩いていた。
両腕には、緑色の包装紙に真っ赤なリボンが掛けられた大きな箱を抱えていた。包装紙のデザインから、大手百貨店で購入されたものであることが容易に解ったが、中身については推し量りかねた。ただ、両手で抱えるほどの大きさにも拘わらす、それほど重さを感じないことから、ぬいぐるみかしら、と想像していた。
彼女の脇を、何人もの子供達が、次々と笑いながら通り過ぎていく。
ニッコリと笑い掛ける子、手を振る子、背後からしがみ付いてくる子と、その表現は様々であるが、子供達の誰もが、彼女に深い信頼と好意を寄せていることは明らかだ。
そこは小児科病棟。
小さな躰で、病気と闘いながら暮らす子供達にとって、彼女は第二の母親でもあり、姉でもあった。
子供達の一団が去った後、前方を見ると、両脇を両親に護られるように、両手を繋ぎ、満面に笑みを浮かべた少女が、こちらに向かって歩いてきた。少女は長い髪を二つに編み、先端を赤いリボンで結んでいた。そのリボンと、胸許に大きな雪だるまのマスコットが揺れるセータの明るいコントラストが、嬉しさに弾む少女の心情をそのままに現しているようで、看護婦は微笑みが漏れるのを抑えられなかった。
両親は、正面から近付いてくる顔馴染みの看護婦に気付き、ニッコリと微笑んだ。握手を求めようと差し出された手は、しかし、彼女の両手が荷物で塞がっていることに気付くと、然り気なく下ろされた。
「こんにちは、婦長さん。本当に、何時も娘がお世話なって……」
「こんにちは、モーガンさん」
看護婦が笑みを返す。彼女は、少し膝を折り、両親の手をしっかりと握っている少女の目線まで屈み込むと、優しく言った。
「外泊許可が下りて、良かったわね、メアリー。クリスマス、お家に帰れるように、嫌な注射も我慢したんですものね。パパとママに思いっきり甘えてらっしゃいね」
「うん。ありがとう、婦長さん」
行儀良く答える娘に優しい視線を送り、父親は、掌の中にすっぽりと収まる小さな手を握る指先に力を込めた。
「娘が、こんなに元気になれたのも、貴女や、この病院の先生方の御陰です。本当に感謝しています」
看護婦は真っ直ぐに背筋を伸ばし、小首を傾げた。
「いいえ。私達は何もしていませんわ。メアリーが頑張ったからですよ。ねえ、メアリー、偉かったのよね?」
再び少女へと向けられた看護婦の視線。
少女は、少しはにかむように笑った。
少女の笑みにつられるように微笑み、看護婦は、再び、彼女の両親に視線を戻した。
「モーガンさん。病気をやっつける一番の特効薬は何か、ご存知ですか? 薬じゃないですよ」
突然の問い掛け。
少女の両親は戸惑うように顔を見合わせた。
「さあ……」
「何でしょうか?」
看護婦は小さく笑い、真面目な顔で言った。
「それはね、笑うことです。心から笑うことで、難しい病気を克服した患者さんは、たくさん居られます。ですから、モーガンさん、メアリーにも、たくさんの特効薬をあげて下さいね。退院は間に合いませんでしたが、家族水入らずでの楽しいクリスマスを過ごされるよう、お祈りしていますわ」
少女と、その両親を見送った後、看護婦は真っ直ぐに、病棟一番奥の病室へと歩を進めた。
ドアをノックすると、微かな声で返事が返ってきた。看護婦は、ドアの前でにこやかな笑みを創り、勢いよくドアを開けた。
「メリー・クリスマス、アロウ!」
そして、窓辺に置かれているベッドにツカツカと近付き、サイドテーブルの上に、持ってきた大きな包みを置こうとした。しかし、そこは先客に占領されていた。それは、一時間ほど前、別の看護婦が、この部屋に届けたはずの包みだ。開けられた痕跡は見当たらない。それを見て、看護婦は少し哀しくなった。けれど、そんな感情は胸の奥に仕舞い込み、明るく声を掛けた。
「今度は、お母様からのプレゼントよ。すごいわね。お父様とお母様、お二人から別々にプレゼントを戴けるなんて、アロウが羨ましいわ」
部屋の主である少年は、じっと窓の外を見ていたが、看護婦の声にゆっくりと振り返ると、彼女が高々と掲げたプレゼントに一瞬だけ視線を注いだ。しかし、それは、直ぐに窓の外へと戻っていく。
透き通るほど白い肌の、ほっそりとした少年。サラサラとした明るい栗色の髪と、深いブルーグレイの瞳。だが、その瞳には、同年代の少年達に見られる快活さは微塵もなかった。
「……いらない」
アロウの返事。