第1章 魔法遣い養成学校 No.3
リオ達が交わす会話は、教室の隅にいるアルフとルーのところまでは届かない。だが、何時ものように笑顔で対応しているリオの様子を見て、ルーはニコニコと微笑んだ。
「ねえ、アルフ。リオって凄いね。ホントに先生みたいだよぉ」
「ふん。無理しやがって……」
アルフは、さもつまらなそうに、机の上で組んだ腕の上に顎を乗せ、突っ伏しながら一点をじっと凝視していた。明らかに機嫌が悪い。彼の視線の先では、瑠璃色の文鎮が小さな円を描きながらくるくると宙を舞っていた。それは、リオお気に入りの文鎮で、羽根を休めた小鳥の形をしている。
「アルフってば……」
ルーは少し悪戯っぽく笑うと、アルフに向かって掌を翳した。すると、今までアルフの側で回っていた文鎮が突然動きを止め、吸い寄せられるようにルーの掌の中にすっぽりと納まった。
「もう! ボクの話もちゃんと聞いてよね」文鎮を机の上に置く。「アルフは、いったい何が気に入らないの? リオがみんなと仲良くするの、嫌なの?」
「そ……、そんなことないよ」突然の問いに焦るアルフ。「ただ……」
「ただ?」
問い詰めるが如く顔を寄せるルー。
何時もはボウッとしてるのに、こういう時だけは、めちゃくちゃ勘がいい。アルフは心の中で軽く舌打ちし、観念したとばかりに溜息を吐いた。
「ただ……、あいつ、あんなふうに人前に出るのって、ホントは凄く苦手なんじゃないかなって思ってさ」
大きな丸眼鏡の奥で、トパーズ色の瞳が大きく見開かれる。
「どうして?」
小首を傾げるルーを横目で見遣り、アルフは再度、前よりも深い溜息を吐いた。納得するまでルーは引き下がらない。よく解っていた。
「どうしてって……、何となく、そんな気がするんだよ。無理してるんじゃないかなって」
「そうかなぁ……?」訝しむ態でルーが肩を竦める。「ボクには、そうは見えないけどなぁ。リオは、何時だって、みんなのために何かしたいと思ってるよ。そう出来ること、凄く嬉しいって思ってるよ」
「そうだな」アルフの口許に苦笑いが浮かぶ。「俺が苦手だからって、あいつもそうだって決め付けるのは、良くないよな」
応えて、ルーがクスッと笑う。
「アルフ、変なのぉ」
その時、トパーズの瞳が、教室の隅にいる独りの少年の姿を捉えた。惹き付けられるように視線を向ける。
少年は、たった独り、肩を怒らせながら一心に眼前のインク壺を凝視し続けていた。けれど、彼の意に反し、インク壺が動く気配は無い。少年は、今日何度目かの深い溜息を吐くと、淋し気に肩を落とした。
ルーが椅子から立ち上がる。
それを追ってアルフは顔を上げた。だが、ルーの視線を辿るだけで何も言わなかった。
ルーは小走りで少年に近付くと、明るく声を掛けた。
「ねえ、アース。ボクとアルフね、向こうの席に居るんだよ。一緒にやらない?」
『アース』と呼ばれた少年は、突然頭上から降ってきた声に心底驚いたようで、大きな瞳を更に見開いてルーを見上げた。亜麻色の髪とスミレ色の瞳が印象的だ。後手に腕を組み、小首を傾げて微笑むルーを見つめ、アースは僅かに唇を動かしたが、それは声にはならなかった。
「ごめん……」最初の勢いは何処へやら、ルーは困惑し、表情を曇らせた。「ボク、また驚かしちゃったのかな?」
アースは何度も大きく首を横に振った。けれど、下を向いたきり何も言いはしなかった。
ルーが気まずげに頭を掻く。
「ごめんね。ボク、もっと気を付けないといけないよね。ボクは独りでいるのが嫌いだけど、みんなが同じように思ってるわけじゃないんだもの。今、アルフに言われたばっかりなのに……。ダメだね、ボク」ちょこんと頭を下げる。「ホントにごめんねぇ」
それだけ言い残し、背を向けると、ルーは人込みを縫うように自分の席へ戻っていった。
遠ざかる褐色の髪を、アースは黙って見送った。スミレ色の瞳は眩し気に細められ、口許には微かな笑みすら浮かんでいた。
頭を掻きながら席に戻ったルーに、アルフが素知らぬ振りで声を掛ける。
「また振られたのか?」
「うん……。今日もダメだった」ルーが肩を落とし、力無く首を横に振る。「あの子、何時も独りぼっちだから、友達になりたいなって思ってるんだけど……。ボクのお節介なのかなぁ」
次いで、自分を元気付けるように努めて明るく言う。
「でもね、この間、やっと名前だけ教えてもらえたんだよ。アスナンって言うんだって」
「アスナン?」確認するように繰り返したアルフは、親指を噛み、視線を落とした。
ルーが訝しむ態で問い掛ける。
「なあに? どうかしたの?」
暫し考え込んだ後、アルフは自分の記憶を探るように眉根を寄せ、少し躊躇いながら口を開いた。
「アスナンって……、まさか、アスナン・ポーポレイルじゃ、……ないよな?」
ルーは首を傾げた後、それを横に振った。
「ファミリーネームは知らない。アルフ、あの子のこと知ってるの?」
アルフは首の後で腕を組み、口許を少し歪めた。
「ポーポレイルならな。……って言っても、名前を知ってるってだけだけどさ」
「どうして? ポーポレイルって、有名な人なの?」ルーが問う。
アルフは驚きを隠すこと無く答えた。
「お前、ホントに知らないのか? ポーポレイル家といえば、魔曹界きっての名門だろ?」
「ボク、知らなぁい」首を横に振る。
躰を反らし、アルフは半ば独り言のように呟いた。
「確か、ポーポレイル家の独り息子の名前が『アスナン』だったはずだ。でも……」
「でも?」
「そいつ……、ホントにポーポレイルだとしたら、どうして、この学校にいるんだろう。ここは魔法遣いになるための学校なんだぜ。名門魔法遣い一族の跡取り息子が、養成学校で勉強することなんて、あるわけないよな……」
訳が解らないとばかりに、アルフは乱暴に前髪を掻き上げた。
いっぽう、ルーは素直に驚きを口にする。
「へえ……。あの子、そんなにすごい家の子なんだ。でも……」瞳に微かに困惑の色を浮かべ、首を傾げる。「……家の名前、言いたくなさそうだった。なぜだろう」
「まあ、名門には名門の事情ってもんがあるんだろう。詮索するのは、やめようぜ」アルフが頬杖をつきつつ言う。
ルーは不満そうな声を上げた。
「解ってるよぉ、そんなこと。ただ……」
「ただ? 何だよ」先を促すアルフ。
ルーは照れくさそうに笑った。
「あの子ってね、ボクに、……リオと出逢ったばかりの頃のボクに、何となく似てるんだ。何時もおどおどしてて、自信無さそうで……。だから、放っとけないっていうか……。友達にね、なれるかと思ったんだ。君達にも紹介したいな。綺麗なスミレ色の瞳をしてるんだよ」
「そうか……」
アルフは、それ以上訊かなかった。
ルーも、それきり黙り込み、所在な気に自分の羽根ペンを宙に飛ばし始めた。
その横では、瑠璃色の文鎮がくるくると回っている。アルフがやっているのだ。
そんな二人に、周囲が感嘆の眼差しを向けていることに、アルフもルーも全く気付いてはいなかった。