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第3章 白の訪問者 No.10


     ☆  ☆  ☆



 窓から、斜めに夕陽が差し込み、大きなテーブルの奥の椅子に凭れ掛かる校長先生の顔を照らした。その光は、真っ白な髭と髪を燃え立つように紅く染めあげ、深い皺を、より深く浮き立たせた。

 リオが出ていった後の校長室の中。

 独り残った校長先生は、大きく溜息を吐き、更に深く椅子に躰を沈めた。

 大切な教え子に、たった今、自分が指示したことは、本当に正しかったのか、判断しかねていた。こんな困惑は、初めてだった。

 暫くの間、じっと天井を凝視する。彼の脳裏には、昨日、この部屋で起こった出来事が、今、眼前で展開されているかの如く、まざまざと浮かんでいた。一つ一つの会話を租借し、全てを反芻する。その作業を終えた時、彼の決心は固まった。これから先、何が起ころうと、自身の責任として、最後までリオを護り通すことを。それが、たとえ、天上界に、……あまつさえ、神に逆らうことになろうとも……。

 

 昨日の出来事……。

 それは、異界の住人の突然の訪問で始まった。

 校長室は薄暗かった。

 何時ものように椅子に座り、じっと前方を見つめているのは校長先生。彼は灯りを付けようとはしなかった。

 夕暮れ時の柔らかな光が、側面の壁に配された三つの大きな窓から差し込み、その部屋の中央付近、先生の視線の先にじっと佇む二つのシルエットを形作っていた。

 影の主の長い金色の髪と空色の瞳は、薄暗がりの中で色を無くしかけていたが、特有の美しい、しかし、何処か無機質な風貌と、何より、夕陽に紅く染めあげられた大きな翼が、彼等が何者であるかを如実に物語っていた。

 ……天使。

 神の庇護の許を離れて以来、ルリアの地を天使が訪れることなど、殆ど無いに等しい。ましてや、魔法遣い養成学校の校長室に天使が足を踏み入れたのは、創立三千年の歴史の中で初めてのことだ。

 陽は消えていく。

 部屋は紅から次第に色を失い、やがて灰色へと色を変えた。その灰色さえも闇に染め変えられるまで、長い沈黙が続いた。

 遂に業を煮やし、校長先生が口を開く。

「いったい、何時まで、だんまりを決め込まれるおつもりかな? 貴方達が天の花園を出で、このような遠方まで足を運ばれるには、それ相応の理由が御有りのはず。ご用件をお伺いしましょう」

 その言葉を待っていたかのように、年若い天使が話の口火を切る。彼の口調は、天使としての自信に満ち溢れていた。

「では、問う。ここに『リオ』という名の子供が居るだろう。その者の力量を教えてもらいたい」

 校長先生の口許が微かに歪む。天使の、特に歳若い天使の口調は、何時、何処で聞いても耳障りの良いものではない。けれど、そんな思いを億尾にも出さず、机の上に肘をついて、その上に顎を載せると、瞳を閉じた。

「これは異なこと。なぜ、そのようなことをお尋ねになる? 魔法遣いになろうという一生徒のことなど、天上界の皆様のお耳に入るとも思われませぬが」

 若い天使は、小さく肩を竦めた。

「その者に、もしも素質があるのであれば、天上界に連れていこうと考えている」

 校長先生は眉を顰め、身を乗り出した。

「……これは、これは、何とも奇怪なことを申されまするな。天上界が人手不足ということなど、有り得ぬでしょう。そのような嘘を吐かれてまで、なぜ、リオを欲されるのですかな?」

「お前には関わりのないこと。知る必要は無い」

 若い天使は、明らかに見下した態度で、短く答えた。

 校長先生の顔から、何時もの柔和な笑みが消え去った。生徒達には決して見せたことのない厳しい表情で、若い天使を見据える。

「この学校の生徒は、全員が私の子供も同然。しかも、リオは親のいない子。私がポラリスの森で拾い、知人夫妻に預けて、育てて戴いた子です。彼は、そのことを知らないが、私は彼の父親同然と思っています。子供を預けなければならないかもしれぬというのに、親が、その理由さえ知る必要はないと言われるのか。話せないような理由なら、今すぐお引き取り戴くしかありませんな」

「貴様、天上界の決め事に逆らうか?」

 高飛車な言葉と口調。

 先生の瞳が更に厳しいものに変わる。両の手で机を強く叩くと、若い天使を見据えたまま、ゆっくりと椅子から立ち上がった。発せられたのは静かな声音。しかし、裏には、明らかに強い怒気が込もっていた。

「我々は、夢幻界ルリアに住まう者。ルリアは、天上界の庇護無くしては生きられぬ人間界とは違う。遠い昔、天上界の支配を拒否し、神がそれを認められたはず。いわば、その存在をして、天上界と同等の立場にある。お主等、若い天使どもは、過去の歴史さえ知らぬとみえる。天上界の決め事など、ここでは一切通用せぬ。さあ、帰られよ!」

「なに!」

 見下していた世界の、くたびれた老人から浴びせ掛けられた予想外の反抗の言葉。若い天使は驚き以上の怒りに身を震わせ、一歩足を踏み出した。

「よせ……」

 それまで無言で二人の遣り取りを聞いていた歳嵩さの天使が、若い天使に背を向けた状態で、彼等の間に割って入った。

 若い天使は、あからさまに不満気な表情で、年嵩の天使に訴えた。

「お止め下さるな! このような無礼者には、我等天上界の偉大さを再認識させなければなりませぬ!」

「お前は黙っていろ!」

 年嵩の天使の強い口調。

 若い天使は一瞬で萎縮し、次いで、渋々引き下がった。


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