プロローグ&第1話 魔法遣い養成学校 No.1
気が付くと
何時も空を見上げていた
雲の行方を追っていた
あの雲は蒼い空を渡る船
舵取りは誰なのか
何処へ向かうのか
あれこれ想って
ふと淋しくなった
あの澄んだ蒼は
何処までも深く澄んだ蒼は
いったい何を隠しているのだろう
眼を凝らし
じっと見つめても
凛と透き通った蒼は何も映しはしない
それなのに何故だろう
胸を締め付けるこの淋しさは何故だろう
何故僕は泣きたくなるのだろう
何故『帰りたい』と想うのだろう
その答えは何時か見付かるのだろうか
時が教えてくれるのか
解らない
今はまだ何も解らないけれど……
≪===== プロローグ =====≫
この世は、三つの世界によって形創られる。
混沌から全ての生を生み出した創造主『神』と、その下僕達の世界『天上界』
創造主によって創り出された儚い命に縋り付く人間達の世界『人間界』
そして、もう一つ……。
『人間界』が創られる遥か昔、同じように創造主の指先が生み出した世界があった。
それは、人間界の裏側に位置しならが、忘れ去られた世界。
神の加護から離れ、人知れず、ひっそりと存在する世界。
神の力の微かな残り香『夢幻』を司ることを認められた、御伽の者の息衝く世界。
そこに住む人々は、己が世界を『夢幻界』、あるいは『ルリア』と呼ぶ……。
≪===== 第一章 魔法遣い養成学校 =====≫
< 1 >
早朝の爽やかな陽射しが朝靄を引き裂くように森の奥深くまで射し込む。すると、それまで夜の闇の中で眠るように身を潜めていた木々の枝葉は、生き生きと息を吹き返し、朝露に濡れたその姿は、まるで星屑を鏤めた薄布を纏ったかのようにキラキラと輝き出した。
夢幻界『ルリア』の朝は、虹色に輝く雲と、柔らかな陽の光を反射した露の煌きで、宝石を嵌め込まれた絵画のように輝きに満ちている。その美しさは、神と天使のお住まいになる天上界にも決して引けを取るものではないと、ルリアの民は皆、口には出さずとも心の奥で誇りに思っているのだった。
巨大なアーチ状の建造物の上に覆い被さるように伸ばされた欅の大枝。それにしっかりと支えられた小枝造りの巣の中では、小鳥達が寄り添って暖を取りながら眠りを貪っていた。しかし、枝の隙間から差し込む初夏の陽の光と、巣の遥か下方から聞こえてくる草を踏む軽い音が、彼等を目覚めさせた。羽毛に包まれた首を伸ばすと、巣を支える枝の間から、足音の主の姿が垣間見える。足音の主は皆、アーチをくぐり、足早に先へと急いでいく。
アーチ状の建造物。それは、巨大な門である。
蔦の絡まる門の中央には、古代ルリア文字で、こう書かれていた。
『求めよ さらば与えられん 大いなる夢幻の力』
しかし、美しい装飾のようなその文字を解読出来る者は、今では極一握りの長老達だけとなっていた。
門を通り抜けた先には、朝露がキラキラと輝く広大な森と、それらを照らし出す眩い朝陽を背にし、赤煉瓦造りの城が、燃え上がるように聳えていた。
門をくぐる者達は、陽が高くなるにつれて、その数を増し、陽の出から一時間程経つ頃には、城へと続く石張りの細い道は人で満ちた。
「おはようございます!」
「やあ、おはよう」
「ねえ、課題出来た? あたし、全然ダメ!」
足早に歩を進める者達は、声を掛け合いながら、次々に門の中へと吸い込まれていく。彼等の年格好は様々だったが、ただ一つだけ共通点があった。それは、皆が一様に、フードの着いた墨色の長衣に身を包んでいるということだった。
城へと急ぐ人々に、次々に追い越されながら、一人の少年が門の前で足を止め、眼前に聳える城を見上げた。彼の瞳は、朝陽を受けて深い碧にキラキラと輝いていた。少年も他の者達と同じ墨色の長衣を身に纏っていたが、それは、まだ真新しくみえた。
少年の眼差しの先にある赤煉瓦造りの城、それこそは、夢幻界『ルリア』の力の象徴といわれる『魔法遣い養成学校』であった。
ルリアに生きる者であれば誰でも、一生に一度は魔法遣いに憧れるものだ。自然の力を自在に司り、風を起こし、雲を呼び、望みの物を瞬時に眼の前に創り出す能力『魔法』は、それに憧れるなという方が、どだい無理という程に魅力的な能力だ。しかし、生まれながらにその能力を有するのは、ほんの一握りの種族のみ。哀しいかな、他種族に生まれてしまった者が『魔法』の能力を手に入れるためには、能力者に教えを請いながら、何十年、何百年という気の遠くなるような歳月を費やして、一つ一つ技を学び、身に付ける以外に方法は無いのだ。だが、それでも、それがどんなに険しく、長い道程であろうとも、魔法遣いへの憧れを棄て切れない、そんなルリアの民の願いによって、魔法遣い養成学校は創られた。
そこは、魔法遣いを夢見る者が、その夢を叶えるために集う場所であり、個々人の持つ潜在能力を最大限に引き出す方法を基礎の基礎から教えてくれるルリア唯一の学校であった。それ故、大陸ルリウスを覆うポラリスの森の東隅に、森に抱かれるようにひっそりと佇む五塔造りの赤煉瓦の城は、ルリアの民の憧れなのだ。
しかし、魔法遣い養成学校に入学すれば、即、魔法遣い、……というわけにはいかないのも事実である。魔法とは理論だけで修得出来るものではなく、個々人の潜在能力に依るところが大きい。従って、魔法遣いとして養成学校を卒業出来るのは、毎年、極一握りの、極めて優秀な者達だけなのだ。卒業生がいない年も珍しくない。だからこそ、養成学校の卒業生は、生粋の魔法遣いによって組織される『魔曹界』からも一目置かれる、魔法遣いのエリート中のエリートとしてルリア中で認められていた。
「リオ、何してるんだ。遅れるぞ」
『リオ』と呼ばれた少年は、聞き慣れた声と共に髪をクシャクシャと撫でる優しい手の温もりに応えるように振り返った。
そこには、小麦色の肌に濡羽色の髪と漆黒の瞳、十歳になったばかりという年齢よりも遥かに大人びた、彫りの深いハッキリとした目鼻立ちの少年が立っていた。
自分より頭半分背の高い黒髪の少年に、リオがニコニコと微笑み掛ける。
「おはよう、アルフ。今日も良い天気になりそうだね」
リオは、アルフとは対照的な、月の光に似た柔らかな金色の髪、透き通る白い肌に、シェルピンクの頬と薄紅色の唇をしていた。そして、彼の瞳の色は、ポラリスの森の深緑をそのまま切り取ったような深い翡翠色だったが、陽に透けると深い蒼にも見えた。
不思議な瞳だ、と、アルフは思った。その碧の瞳で真っ直ぐに見つめられ、少し照れくさそうに長めの前髪を掻き上げながら、視線を空へと向ける。朝の陽射しが眩しくて、スッと眼を細めた。
「ああ、そうだな」
口下手なアルフは、何時もボソボソと話す。だが、無愛想な言葉とは対照的に、早い変声期を終えたその声は、しっとりと優しい。
「ねえねえ、二人とも、何やってるのぉ? 早く学校行こうよ」アルフとは正反対、高めの声、少し間延びした口調と共に、リオとアルフの両肩に別の腕が絡み付く。「また遅刻しちゃうよぉ」
柔らかな褐色の髪とトパーズ色の瞳、そばかすだらけの健康そうなローズピンクの頬に、鼻からずり落ちそうに大きな丸眼鏡を掛けた少年が、二人の肩口からチョコンと顔を出した。のんびりとした話し方が、彼にはよく似合っている。
リオは嬉し気に微笑み、褐色の髪の少年に視線を移した。
「ごめんね、ルー。そうだよね。昨日も僕に付き合わせて、君達まで授業に遅刻させちゃったんだものね」
「俺は別に構わないぜ。どうせ、授業なんて退屈なだけだしな」
アルフは前髪を掻き上げながら、少し悪戯っぽく笑った。
ルーが無邪気な笑みを満面に浮かべ、アルフの正面に立つ。
「そんなこと言って、アルフ、またサリバン先生と喧嘩しないでよねぇ。課題が出来た、出来ないに拘わらず、最短必須履修時間の間は授業に出なきゃならないっていうのは、この学校の決まり。サリバン先生が悪いわけじゃ無いんだからさぁ」
窘めるような言葉。
アルフはウンザリした態で僅かに眉を顰めた。
「お前、今日は、やけに優等生振るな」
「えへへ」ルーがチョコンと舌を出す。「リオの受け売りなんだけどねぇ」
「チェッ……」小さく舌打ちすると、アルフは、自分より頭半分背の低いルーの頭を片腕に抱え込み、彼の柔らかな髪をクシャクシャと掻き回した。
話下手なアルフにとって、それが飛びっ切り上等の愛情表現であることをよく知っているルーは、くすぐったそうに首を竦めながらも、ニコニコしながら、されるがままになっている。
そんな二人の様子を、リオは幸せそうに見つめた。
今年度の入学式から、既に二ヶ月余りが過ぎていた。
新入生の中でも極めて仲の良い三人は、何時でも何処でも、人目を気にすること無く、こんなふうにじゃれ合っている。その微笑ましい姿は、養成学校では既にすっかりお馴染みだ。彼等を追い越し、学校へと急ぐ者達の多くが、暫し足を止め、好意的な視線を彼等に送っていた。
その時、時計塔の鐘の音が高らかに響き渡る。始業十分前を告げる予鈴だ。
「大変! 急がないと、また遅刻だ。走ろう!」リオが二人を急かす。
アルフとルーは、やれやれという態で顔を見合わせ、小さく肩を竦めた後、リオの後を追って駆け出した。
少年達の小さな背中は、生徒の波に呑み込まれ、すぐに見えなくなった。