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一般人が異世界に!?  作者: グリーン・シールド


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第一章

 僕の名前は藤原大那ふじわら だいな

 どこにでもいる、ごく普通の高校二年生だ。

家からほど近い地元の高校に通い、バスケットボール部に所属している。

 実力は……正直に言って、まだレギュラーには遠い。ベンチ入りすら危うい瀬戸際だ。

 それでも、いつかあのコートに立って胸を張るために、泥臭い練習を繰り返している。特に行き場のない体力を削る外周十周は、僕の譲れない日課だ。地味で退屈だが、ここで足を止めたら、天才たちとの距離は永遠に縮まらない。

 土曜日の今日も、そんな「いつも通り」が続くはずだった。

 少なくとも、あの夕暮れ時までは。

 部活を終えて帰宅すると、家の中には案の定、人の気配がなかった。

 共働きの両親はまだ仕事の最中で、リビングには窓から差し込む斜陽が、長く、オレンジ色の影を落としている。

 静まり返った家。

「……はぁ、疲れた」

 独り言と共に、汗の染み込んだバッグを床に放り出す。

 ふと、手に持っている水筒を振ってみたが、空虚な音を立てるだけだった。

 喉が焼けるように渇いている。

 何か冷たいものでも飲もう。

 僕は机に水筒を置いた後、無意識に、キッチンの奥に鎮座する冷蔵庫へと足を向けた。

 ブゥン……。

 年季の入った冷蔵庫が、重苦しい機械音を響かせている。

 家が静かすぎるせいか、その振動音が妙に耳につく。

(明日の自主練、メニューどうしようかな……)

 冷蔵庫の前に立ち、ぼんやりとそんなことを考える。

 シュートフォームの修正に時間を割くか、それともダッシュのセット数を増やすべきか。

 そんな、明日も当たり前にやってくるはずの日常を疑いもしなかった。

 冷蔵庫のドアポケットに指をかける。

 その瞬間だった。

 ――ゴォッ!!

「……え?」

 冷蔵庫が、猛烈に空気を吸い込んだ。

 いや、そんな生易しいものじゃない。

 まるで巨大な掃除機のノズルが目の前に現れたかのように、リビング中の大気が一斉に、その「隙間」へと引き寄せられていく。

 バタバタとカーテンが狂ったように暴れ、テーブルの上のチラシが嵐に舞う木の葉のように宙を舞った。

「ちょ、ちょっと待てっ……!」

 僕の体まで、見えない巨大な手に掴まれたような勢いで前方へ引きずられる。

「なっ……!? なんだこれ、壊れたのか!?」

 冷蔵庫の内部には、光を歪ませるほどの巨大な「渦」が巻いていた。

 冷気ではない。荒れ狂う風の塊だ。それが凄まじい吸引力をもって、僕のすべてを飲み込もうとしている。

「一体、何がどうなって――!」

 思考が追いつかない。

 暴風のような吸引力に抗えず、足が滑る。

「――っ!」

 とっさに冷蔵庫の側面に両手でしがみつき、必死に踏ん張った。

 だが、重力そのものが変化したかのような圧力に、腕の筋肉が悲鳴を上げる。

「う、嘘だろ……吸い込まれるッ!!」

 ぐいっ、と不自然な力が加わり、右手が強引に引き剥がされた。

「待て、待てって! 離せ!」

 抗う叫びも虚しく、左手の指先もあっさりとその冷たい金属体から剥ぎ取られる。

「助け――」

 声を上げきる前に、両足が宙に浮いた。

 そのまま僕の体は、丸ごと「冷蔵庫」という名の深淵へと吸い込まれていった。

 バタン。

 主を飲み込んだ冷蔵庫の扉が、静かに、独りでに閉じる。

 まるで、獲物を仕留めた食虫植物が静かに口を閉ざすように。

 リビングには、再び元の静寂が戻っていた。

 さっきまでの嵐が、悪い夢だったのではないかと思えるほどに。

 ただ、床には束になっていたはずのチラシが無惨に散乱している。

 そして、部活帰りのスポーツバッグだけが、ぽつんと主を待ち続けていた。

 この時、僕はまだ知る由もなかった。

 まさか家の冷蔵庫が、名前も知らない異世界の運命を書き換える「特異点」になるだなんて。



 冷蔵庫の中というのは本来、生活感に満ちた場所のはずだった。

 親が安売りで買い込んだ食材や、使いかけの調味料がぎゅうぎゅうに詰まっている場所。

 牛乳、卵のパック、昨日作りすぎたカレーの鍋。

 そんな、見慣れた光景が広がっているはずなのに――。

 僕の体は、物理法則を無視してどんどん「奥」へと吸い込まれていく。

 ありえない。冷蔵庫の奥行きなんて、せいぜい数十センチ。すぐに行き止まりの壁にぶつかるはずだ。

 それなのに。

 進んでも、進んでも、底知れない闇が続いている。

 上下左右の感覚が消失し、まるで宇宙の深淵に放り出されたような錯覚に陥る。

(……ここ、どこだよ)

 声を出そうとしたが、空気がないのか、それとも恐怖で喉が震えているのか、音にならない。

 ただ、どこまでも続く闇に翻弄されるだけだ。

(もしかして……僕、このまま一生、ここで……?)

 誰にも見つからず、どこにも辿り着けず、この無音の空間を漂い続けるのか。

 絶望が心に冷たく広がりかけた、その時だった。

 進んでいる先に、針の穴ほどの光が見えた。

(出口……か!?)

 加速する。僕の体は磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、その一点へと一直線に突き進んでいった。

 光は瞬く間に巨大化し、網膜を焼き切らんばかりのまばゆさを放つ。

 そして――。

 世界が、白一色に塗りつぶされた。

 次に意識が戻った時、僕は「空中」にいた。

「え?」

 一瞬、思考が停止した。

 次の瞬間、肺が冷たい空気を吸い込み、重力が容赦なく僕を地上へと引きずり下ろした。

「うわあああああああ!?」

 自由落下。空中で手足をジタバタともがくが、虚空を掴むばかりだ。

 僕の体は放物線を描き、無慈悲に硬い床へと一直線に叩きつけられた。

 ドンッ!!

 腹の底に響く、鈍い衝撃。

「ぐはっ……!!」

 肺の中の空気が無理やり押し出され、視界に火花が散る。

 床はコンクリートのように硬く、冷たい。膝も腕も、全身の神経がジンジンと痛みを訴えている。

「いっててて……。なんだよ、もう……」

 よろよろと、生まれたての小鹿のように立ち上がる。

 そして、恐る恐る顔を上げた。

 そこには、僕の知る「日常」の欠片もない光景が広がっていた。

 暗闇に包まれた、巨大で禍々しい広間。

 そして何より異様なのは、目の前にそびえ立つ「巨大な氷像」だった。

 青白く不気味に輝く、氷の彫像。

 咆哮する悪魔をそのまま凝固させたようなその姿は、あまりにも精巧で、今にも氷を砕いて動き出しそうな圧迫感を放っている。

(……なんだ、これ。映画の小道具か?)

 圧倒され、立ち尽くす。

 だが、ふと足元に視線を移した瞬間、僕の体は氷像以上に硬直した。

 床に――「何か」が転がっている。

 人の形をしている。けれど、それは僕の知る「人間」の姿ではなかった。

 銀色の鎧は紙細工のように砕け、そこから覗く肉は無惨に抉れている。

 どす黒い血が床に広がり、鉄錆のような臭いが鼻を突いた。

(うそだろ……)

 映画でも、ゲームのグラフィックでもない。

 「死」そのものが、生々しい質感を持ってそこに横たわっていた。

(ここは、どこなんだ。僕は、何を――)

 震える声を出そうとした、その時だ。

 死体の山だと思っていたものの一つが、僅かに動いた。

「……お前……は……何だ……っ!」

 低く、けれど刃物のように鋭い声。

 心臓が跳ね上がり、僕は反射的にそちらを振り向いた。

 そこには、一人の少女がいた。

 致命傷を負っているのは明らかだが、彼女は執念で体を起こしていた。

 震える肩。それでも、その瞳だけは衰えることなく、僕を敵として明確に射抜いている。

(生きてる……!)

 この異常事態の中で出会った、唯一の生存者。

「……えっと」

 僕は混乱のあまり、日本語で話しかけてしまった。

「ここ、どこ? 撮影スタジオ……とかじゃないよね?」

 あまりの現実味のなさに、脳が「これはセットだ」と思い込もうとしている。

 だが、彼女の姿を見れば見るほど、その希望的観測は打ち砕かれた。

 濡れ羽色の黒い長髪。

 意志の強そうな黄金色の瞳。

 泥に汚れたとんがり帽子に、胸元の金色の蝶のチャーム。

 どう見ても、日本人じゃない。

 というか――物語の中から抜け出してきた「魔法使い」そのものだ。

「お前……こそ……っ!」

 彼女は荒い呼吸と共に僕を睨みつけ、横に転がった杖へと震える手を伸ばした。

(まずい、攻撃される――!?)

 身構えた。

 だが、彼女の手が杖に触れることはなかった。

 限界を迎えた腕は、目的を達する前に力を失い、無力に床へと落ちた。

 ぱたん、と。

「え、ちょっと……!」

 彼女の体から糸が切れたように力が抜け、そのまま動かなくなった。

「大丈夫ですか!? しっかりして!」

 僕は我を忘れて駆け寄った。

 少女の体を壊れ物を扱うようにそっと抱き起こし、震える指をその細い手首に当てる。

 脈を測る――。

 ドクン……ドクン……。

 あった。微かだが、指先に確かな生命の鼓動が伝わってくる。

 けれど、その拍動はあまりに弱々しい。今この瞬間に、ふっと消えてしまってもおかしくないほどに。

(このまま放っておいたら……間違いなく、助からない)

 焦燥感が背中を駆け抜ける。

「えっと……こういう時は、どうすれば……」

 パニックになりそうな頭を必死に叩き、記憶の引き出しをひっくり返す。

「そうだ、回復体位かいふくたいい!」

 高校の保健体育の授業が、これほど切実に役に立つ日が来るとは思わなかった。意識のない人間を放置せず、呼吸を確保するための姿勢。

 ここがどんなに危険な場所でも、目の前の命を見捨てる理由にはならない。

(まず横向きにして……それから上側の腕を顎の下に……)

 慎重に、けれど迅速に体勢を変えていく。

 少女の体は、驚くほど軽かった。そして、氷像の近くにいたせいか、信じられないほど冷え切っている。

(最後に上側の足を直角に曲げて固定して……よし、これでいいはずだ)

 なんとか気道を確保し、嘔吐物での窒息を防ぐ形に整えた。

「ふぅ……」

 額の汗を拭い、小さく息を吐く。

 次に僕は、羽織っていた部活のジャージを脱いだ。汗の匂いが少し気になるけれど、背に腹は変えられない。それを少女の体にそっと掛けた。

 この広間は凍えるような寒さではないが、失血している人間にとって体温の低下は致命傷になる。

(これくらいしか……今の僕には、してあげられないけど)

 できる限りの処置を終え、僕は祈るような心地で彼女を見守った。

 脈はまだある。けれど予断は許さない。もし止まれば、次は心臓マッサージだ。そんな物騒な単語が頭の中をぐるぐると回り続ける。

 時間の感覚が麻痺していた。数分だったのか、それとも一時間経ったのか。

 人生で初めての人命救助。目の前で人が死ぬなんて、絶対に嫌だ。

 僕は一秒たりとも、彼女の青白い顔から目を離せなかった。

 その時だった。

 ふっと、なぎのような穏やかな空気が僕の頬を撫でた。

「……ん……っ」

 微かな、掠れた声。

「……!」

 少女の瞼が、ぴくりと動く。

「大丈夫ですか!?」

 思わず声が上ずった。

「自分が誰だか分かりますか? 気分はどうですか!?」

 目が覚めた。その事実だけで、泣きそうになるほど嬉しかった。

 少女の瞳が、ゆっくりと焦点を結んでいく。最初は焦点が定まらず虚ろだった金色の瞳が、周囲の惨状を、そして――僕の顔を捉えた。

「――っ!」

 刹那、彼女の表情が恐怖と敵意に一変した。

「お前は――ッ!!」

 火を吹くような勢いで飛び退こうとする彼女。だが、傷口がそれを許さない。

「いっ……!」

 激痛に顔を歪め、彼女は胸を押さえてうずくまった。

「まだ無理しちゃダメだ」

 僕は努めて落ち着いたトーンで制した。

「動かないで、安静にしててください。呼吸を楽にして」

 しかし、彼女の瞳には依然として激しい警戒の炎が燃えていた。

「……お前、は……何だ……っ! お前も、私の……敵か……!」

 言葉が通じている。その事実に安堵しながら、僕は両手を上げて敵意がないことを示した。

「敵じゃない。……というか、僕自身も混乱してるんです」

 なるべく刺激しないよう、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「家で冷蔵庫を開けたら、突然吸い込まれて。……信じられないだろうけど、気づいたらここに落ちてたんです」

 自分でも失笑してしまうほど荒唐無稽な説明だ。

「そしたら、あなたが倒れてて……。一応、介抱したのは僕なんですよ?」

 少しだけ場を和ませようと、おどけたように肩をすくめた。

「むしろ、感謝してほしいくらいです」

 僕は彼女の肩に掛けられた自分のジャージを指さした。

 少女は戸惑ったように視線を落とし、見慣れぬ生地の上着を見つめた。

 そして、記憶の断片を繋ぎ合わせるように目を細める。

 さっきまでこの「異邦人」が着ていた服だ。その温もりが自分の命を繋いでいたことに、彼女は気づいたようだった。

 それでも。

「……信用、ならない……」

 絞り出すような声だった。彼女の瞳には、多くの仲間を失った者特有の、深い不信感が沈んでいる。

(うーん、手厳しいな……)

 僕は困ったように頭をかいた。

「じゃあ、どうすれば信じてくれます? 右に三回回ってワン、って鳴けばいいですか?」

 半分自棄やけ気味に言ったが、言った直後に猛烈に恥ずかしくなる。

「……いや、まあ……やらないこともない……ですけど……」

 声が小さくなる僕を、少女は「こいつは何を言っているんだ」というような、底知れない怪訝な顔で見つめた。

 重苦しい沈黙が広間を支配する。

 やがて。

 彼女は苦しげに、けれど決然と口を開いた。

「……なら」

 掠れた声が、広間の壁に反響する。

「回復薬を……探してきて。……誰かの……仲間の遺体に……入っている、はず……」

 言い終えると同時に、彼女は顔を伏せた。

 その肩が、痛みとは別の理由で震えているのが分かった。

 生き延びるために、共に戦った仲間の亡骸を暴けと、見ず知らずの他人に命じる。それが彼女にとって、どれほど屈辱的で、心を引き裂かれる選択だったか。

 僕は、その言葉の重みに息を呑んだ。

 彼女が背負っている絶望。この場所で起きた、壮絶な戦いの結末。

 そして、自分が今まさに、その地獄の只中に立たされているのだという事実。

「……わかりました」

 僕は小さく、けれど力強く頷いた。

「探してきます。待っていてください」

 恐怖はあった。遺体に触れることへの躊躇いも。

 けれど、僕は彼女から目を逸らさずに立ち上がった。

 回復薬とは、小瓶に入った鮮やかな緑色の液体だという。

 その情報を命綱にして、僕は意を決して最初の遺体へと足を進めた。

 比較的近くに横たわっていた、大柄な男の亡骸。白銀の甲冑を纏い、傍らには半ばから叩き折られた長柄の剣が、主の無念を象徴するように転がっている。

 どこからどう見ても、誇り高き騎士の末路だった。

 僕はその遺体の傍らに膝をつこうとした。

 その時――。

「それは――!」

 背後から、風に消え入りそうな微かな声が聞こえた気がした。

 けれど、今の僕にはそれを拾い上げる余裕はなかった。

(回復薬……どんな形なんだ? )

 ゲームや映画の知識はある。けれど、実物を手にするのはこれが初めてだ。焦りと緊張で、彼女の声は意味をなさない音の波として、僕の耳を右から左へと通り過ぎていった。

 僕は震える手で、騎士の腰帯に結わえられた革ポーチを解いた。

 袋の口を開け、中を探る。

 ――カラン。

 硬いガラス同士がぶつかり合う、冷ややかな音がした。

(瓶だ……!)

 中身を確かめようと、強引に右手を突っ込む。

 その瞬間。

「いてっ……!」

 指先に鋭い痛みが走った。

 袋の中には、戦闘の衝撃で砕けたガラス片が散らばっていたらしい。引き抜いた指の腹から、一筋の赤い雫がぽたりと零れ落ちた。

 それでも僕は手を止めなかった。破片を避けながら、さらに深く手繰る。

 やがて、指先がいくつもの硬い感触に触れた。

 取り出してみる。

 ほとんどは空になったか、あるいは砕け散った小瓶の残骸だった。

 けれど、その中に一つだけ、周囲の闇を吸い込んで鈍く輝く小瓶があった。

 透き通ったガラスの中に、濃い緑色の液体が揺れている。

(これだ。間違いない……!)

 僕はそれを握りしめて振り返り、彼女のもとへと駆け寄った。

「たぶん、見つけました」

 彼女の視線の高さに合わせてしゃがみ込み、掌の上の小瓶を差し出した。

「回復薬……これで合ってますか?」

 小瓶を目にした瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。

「……うん。……合ってる」

 絞り出すような声。

 そして、彼女の頬を、一筋の涙が静かに伝い落ちた。

「……え?」

 僕は思わず狼狽した。

「な、なんで泣いてるんですか? 僕、何か失礼なことしましたか!?」

 慌てて問いかける僕から、彼女は拒絶するように顔を背けた。

「……お前には、関係ない。……貸して」

 震える声。彼女は僕の手からひったくるように回復薬を奪い取った。

 乱暴というよりは、一刻も早くその「仲間の遺品」を体内に取り込まなければならないという、強迫観念に近い必死さだった。

 栓を引き抜き、一気に喉へと流し込む。

 ほんの数口で飲み干せる量。空になった小瓶を、彼女は供え物でも置くかのように床へ置いた。

 僕は黙って、彼女の変化を見守った。

 魔法のような閃光が走るわけでも、傷口がみるみる塞がるわけでもない。

(あれ、何も起きない……?)

 少しだけ派手な変化を期待していた自分に気づき、場違いな期待を恥じた。

 けれど、彼女の表情は確実に緩んでいた。

 先ほどまで荒かった呼吸が整い、顔にわずかな赤みが戻ってくる。

「……少し、楽になった」

 彼女は小さく吐息を漏らした。

「ありがとう」

 そして、彼女は僕を真っ直ぐに見据えた。

「……お前のことも、一旦は『敵ではない』としておく」

 どうやら、命を懸けて届けた「信頼の証」は受理されたらしい。

「よかった……」

 緊張が解け、思わず笑みがこぼれた。

「信じてもらえたなら、何よりです。やっと少し、話ができそうですね」

 僕は姿勢を正し、初対面の礼儀として、少しだけフランクに切り出した。

「まずは自己紹介からいきましょうか。僕の名前は『大那だいな』。藤原大那です」

 この世界には馴染みのない響きかもしれない。

 そう思いながら、友好の証として名乗った――その時だった。

「…………なっ」

 彼女の表情が、凍りついた。

 見開かれた瞳。驚愕で震える唇。

「今……お前……なんて言った……?」

「え? だから、僕の名前は大那だいなだと……」

 言い終えるか否か。

 彼女の叫びが、広間にこだました。

「『ダイナー』だと……っ!?」

 彼女の瞳に、先ほどとは比較にならないほどの激しい怒りと憎悪が灯る。

 薬の効能か。彼女は凄まじい気迫で傍らの杖を掴み取り、僕の喉元へ突きつけた。

「やはりお前は……魔王の一族だったか!!」

「え、ちょ、ちょっと待って! ストップ!!」

 僕は慌てて両手を振り、後ろに倒れそうになりながら後ずさった。

「なんで!? なんで名前を言っただけで怒ってるの!?」

「今、自ら名乗っただろう!」

 彼女は杖を震わせ、今にも魔法を放たんばかりの勢いで叫ぶ。

「お前は『ダイナー』だと! 」

(だいなー……?)

 音は似ているけれど、明らかに僕の名前とは違う何かを指している。

「違う、違うんだ! 聞いて!」

 僕は必死に首を振り、自分の胸を指さした。

「ダイナーじゃない! 『大那だいな』! 大きいに、刹那の那って書いて、大那(DAINA)!!」

 漢字の説明なんて通じないのは分かっていたが、僕の必死さが功を奏したのか、彼女は僅かに杖を引いた。

「……違うのか? 」

「違います! 全然違います!!」

 僕は全力で首を縦に振り、逆に食い気味に問い返した。

「ていうか、その『ダイナー』って何なんですか!? 一体何と間違われたのか、はっきり説明してください!!」

 僕の剣幕に圧されたのか、彼女は杖を微かに引き、警戒を解かぬまま語り始めた。

「……ダイナーとは、魔王の一族が代々継承する呪われた名だ。そこに眠る現魔王も――『トラズダイナー』という名を持っている」

 彼女の細い指が、僕の背後を指し示した。

 青白く凍てつく、あの巨大な像。

 僕は弾かれたように振り返った。

 改めて見据えると、氷の層越しでもその存在感は圧倒的だった。隆起する凶悪な筋肉、背中から這い出す漆黒の翼。

 最初に見た時、僕は「精巧な氷像」だと思った。

 けれど、それは間違いだった。

 あれは彫刻などではない。数瞬前まで命を刈り取っていた、災厄そのものが封印された姿なのだ。

「私たち五人は『勇者パーティ』として奴に挑んだ」

 彼女の言葉が、一瞬だけ湿り気を帯びて途切れる。

「……でも、敗れた」

 その声には、もはや悔しさや怒りすら残っていなかった。ただ、動かしようのない事実を突きつけられた者の、乾いた諦観だけが漂っている。

「私が言うのも何だが、戦いというよりは一方的な蹂躙だった。あんな化け物、最初から勝てるはずがなかったんだ」

 ぽつりと、彼女は呪いのように呟いた。

「だから……私は最後の命を削って、奴をこの『封印の檻』に閉じ込めた」

 その直後だったらしい。

「すると突然、虚空に穴が生まれた。そしてそこから――お前が転がり落ちてきた」

 キッ、と鋭い眼差しが僕を射抜く。

「魔王を封印した直後に現れた、得体の知れない男。しかも魔王と同じ名を持つ者。……疑うなと言うほうが無理な話だ」

 事情を聞き終え、僕は重い溜息と共に頷いた。

「……なるほど。そういうことでしたか」

 僕は困惑を隠せず、頭を掻いた。

「でも、僕にも本当にわけがわからないんです。どうしてここに飛ばされたのか……」

 周囲を改めて見渡す。不気味な壁、魔法の灯火。

「というか、ここってどこなんですか? 間違っても、日本じゃないですよね?」

 すると彼女は、怪訝そうに眉をひそめた。

「ニホン……? 」

「ああ、日本っていうのは……僕がここに飛ばされる直前までいた国です。景色があまりに違いすぎるから、ここは地球ですらないんじゃないかと思って」

 僕は混乱しながら言葉を続ける。

「でも、日本語は通じてるみたいですけどね?」

 彼女は少し考え込むように目を伏せた。

「『ニホンゴ』とやらは知らないが、意思疎通には支障ないようだ。……お前が『異界の人』だというのは理解した」

 そして、淡々と現実を突きつけた。

「ここはラスタル大陸の『魔国』。魔国とは、魔王が統べる地」

 彼女は自嘲気味に口角を上げた。

「そして私たちが今いるのは、魔王城の最深部。……文字通り、奴の喉元というわけ」

「えええええええっ!?」

 思わず絶叫が漏れた。

 ラスタル大陸、魔国、魔王城。次々と提示される非現実的な単語が、僕の脳を激しく揺さぶる。

(ここは地球じゃない。異世界……本当に、ファンタジーの世界なのか!?)

 頭の中は完全にパニックだった。

 けれど、一つだけ、何よりも優先して確認すべきことがあった。

「そ、そうだ! あの、僕、元の世界に戻りたいんです!」

 僕は身を乗り出し、必死に訴えた。

「何か方法はありませんか!? 家族が心配するし、明日も予定があるんです!」

 僕は先ほど自分が落ちてきたはずの天井を見上げた。

 けれど、そこにはただ暗い石造りの天井があるだけで、あの「次元の穴」は忽然と消え失せていた。

 唯一の頼みの綱である彼女に視線を戻すが、彼女は困惑したように目を伏せる。

「……私にも、あの現象の正体はわからない。勝手に開き、勝手に閉じたんだ」

 だが、彼女は必死に記憶を辿り、ある一点に思い当たったようだ。

「……あっ。そういえば」

 彼女が氷像を指差す。

「あの穴が開く直前、奴の首元に下がっていた『銀の鍵』が異常な光を放っていた。もしあの穴を再び開く手段があるとするなら――あの鍵が、文字通りの『鍵』になるのかもしれない」

 僕は希望を見出し、声を弾ませた。

「なるほど、だったら簡単だ! その氷を溶かして、鍵を取り出しましょう! 今すぐに!」

 時間はかなり経っている。もし元の世界と同じ時間が流れているのなら、もうすぐ夜になる。家族が心配するだろう。

 しかし。

 僕の浅はかな訴えに対し、彼女は冷たく、残酷なほど静かに首を振った。

「無理だ」

 きっぱりとした否定。

「あの氷を溶かすということは――」

 彼女は氷像を見た。

「魔王の封印を解くことになる」

 そして続ける。

「あの鍵を奪うには、奴を斃さなければならない」

 少しの間が空いた。

 彼女は視線を落とし、ぽつりと呟いた。

「……我々人類には、到底敵わない相手なんだ」

 その声は、ひどく脆く、震えていた。

 彼女の視線の先にあるのは、先ほど僕が回復薬を探したあの騎士の亡骸だ。

「彼は……」

 僕の言葉は途中で止まってしまう。

 代わりに彼女が答えた。

「……彼はアレグス」

 慈しむような、けれど深い悲しみに満ちた響き。

「私たちパーティのリーダーであり――」

 ほんの少しだけ、声が震えた。

「……私の、勇者だった」

 彼女の頬を、一筋の涙が静かに伝った。

 その背中は、広い広間の中で途方もなく小さく、寂しげに見えた。


 僕は、しばらく言葉を発することができなかった。

 元の世界へ戻るための、唯一の手がかり。

その手段は見つかった。けれど、それは「魔王を斃す」という、あまりにも非現実的な関門の先にあった。

 僕は、ただの高校生だ。

 放課後にバスケの練習をして、家に帰れば夕飯がある。そんな日常を生きてきた僕が、魔王の喉元に手をかける未来なんて、逆立ちしても想像できない。

 それに、僕よりはるかに強く、命を懸けて戦ったはずの「勇者」たちでさえ、敗れたのだ。

 沈黙が落ちた。

 石造りの冷たい空間そのものが、「諦めろ」と重圧をかけてくるかのような沈黙。

 抗う手段なんて、最初から存在しなかったのではないか。そんな暗い影が胸をよぎる。

(……いや、違う)

 僕がこの世界に呼ばれたのには、理由があるはずだ。

 冷蔵庫の奥の闇を通り、この絶望の只中に放り出されたことに、意味がないはずがない。

 僕は考えた。

 脳細胞のすべてを燃焼させる勢いで、必死に思考の糸を編み上げる。

 テストの最中でも、バスケの試合の勝負所でも、これほど頭を回転させたことはない。

 人生で一番、僕という人間が「答え」を求めてもがいた瞬間だった。

 そして。

 泥濘でいねいのような思考の先で、一つの仮説に辿り着いた。

「……たぶん」

 僕は、乾いた喉を震わせて口を開いた。

「おそらくですけど――勇者の皆さんの攻撃は、魔王に『かすりもしなかった』んじゃないですか?」

 その一言で、彼女の黄金色の瞳が鋭く細められた。

 逃げ場のない視線が、ナイフのように突き刺さる。

「……だったら、何だ」

 その声には、隠しきれない苛立ちと痛みが混じっていた。

 誇り高き敗北を、何も知らない異邦人に土足で踏みにじられた。そう受け取られても仕方ない。

 けれど、僕は真っ直ぐに彼女を見つめ返した。

「違います。魔王は、それほどまでに強かった。この世界のあらゆることわりを超越するほどに」

 僕は床に転がる、アレグスさんの折れた剣に視線を落とした。続いて彼女の杖へと視線を移す。

「物理攻撃も、魔法攻撃も。この世界の法則に基づいた力では、奴を傷つけることすら叶わなかった。……ですよね?」

 一呼吸置き、核心を突く。

「でも、奴に通じる可能性が、二つだけあると思うんです」

 彼女の眉が、微かに跳ねた。

「……二つ?」

「一つは、魔王自身の力です」

 僕は一気に畳み掛ける。

「もし自分の力さえ無効化してしまうなら、奴は自分自身の魔法を発動することさえできない。奴の理の『外』にある力ではなく、奴と同じ『内』にある力なら、届くはず」

 彼女の目が見開かれた。

「……!」

 だが、すぐに彼女は悲痛な声を上げた。

「でも、そんなの――どうやって……!」

 その問いは、あまりにも正しい。

 僕は少しだけ苦笑した。

「具体的な方法は、まだ僕にも分かりません」

 正直に首を振る。

「魔界の性質や、魔王の力の源を調べないことには……」

 彼女の瞳から、灯りかけた希望がふっと消えかかる。

 けれど、僕はそれを許さなかった。

「でも、もう一つあります。――二つ目の可能性」

 僕は、あやすように、けれど強く拳を握りしめた。

「それは、僕自身の力です」

 彼女が、呆気に取られたように目を瞬かせる。

 僕は言葉のすべてに魂を乗せるつもりで、力を込めた。

「魔王は、この世界のあらゆる干渉を拒絶するのかもしれない。でも、僕はここの人間じゃない。僕の力の根源は、僕が生まれた異世界の――『日本』のものです」

 突き出した右拳を、さらに強く握り込む。

「この世界の理が通用しない怪物なら、この世界の理に縛られない僕の力が、唯一の特効薬になるかもしれない。……だから」

 僕は彼女に向かって、魂で叫んだ。

「まだ、諦めないでください! 諦めなければ、可能性はゼロじゃない。……無限大なんだ!」

「――っ!」

 彼女の肩が、激しく震えた。

 そして。

 ダムが決壊したように、彼女の目から大粒の涙が溢れ出した。

 一筋ではない。ボロボロと、止まることを知らない雫が彼女の頬を濡らしていく。

「……う、っ……ぁ……」

 嗚咽が、静寂に消えていたはずの広間に響き渡る。

「……バカ……!根拠なんて、どこにも……ないじゃん……っ」

 顔を両手で覆いながらも、彼女は泣き続けた。

 その言葉とは裏腹に、彼女の心にこびりついていた絶望の氷が、僕の無鉄砲な言葉によって、今、激しく揺れ動いていた。

 僕はゆっくりと歩み寄り、震える彼女の肩をそっと抱き寄せた。

 小刻みに震えるその体は、あまりに小さく、弱々しかった。

「……僕は、あなたの勇者にはなれないかもしれない」

 耳元で、一言ずつ、確かな体温を届ける。

「でも。あなたの傍で、あなたの未来をこじ開ける――『友達』にはなりたい」

 彼女の涙は止まらなかった。

 それが仲間を失った悲しみなのか、絶望に身を浸していた自分への悔恨なのか。

 あるいは――ようやく掴んだ、藁をも掴むような希望への歓喜なのか。

 その本当の答えは、彼女の涙だけが知っている。

 静寂に包まれた広間に、彼女の嗚咽だけが波紋のように広がっていた。

 それはすぐには止まらなかった。けれど、僕は決して急かそうとはしなかった。

 彼女が自ら涙を拭い、顔を上げるまで、ただ隣に寄り添って待つ。

 今の僕にできるのは、それだけだった。

 やがて、肩の震えが少しずつ収まっていく。

 そっと、彼女が僕の胸から離れた。

 顔を上げた彼女と、視線が重なる。

 黄金色の瞳は赤く充血し、長い睫毛にはまだ涙の粒が残っていた。彼女はそれを、指先で静かに、そして力強く拭い去った。

「……深呼吸して。落ち着くまで、ゆっくりでいいから」

 背中を優しく撫でながら言うと、彼女は小さく頷き、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。

 そして――。

 フーッと、胸の奥に溜まったおりをすべて吐き出すように、長く息を漏らした。

「……ありがとう。もう、大丈夫」

 彼女は凛として姿勢を正した。背筋を伸ばし、まっすぐに僕と向き合う。

 その横顔には、もう先ほどまでの脆さはなかった。

「……名乗っていなかったわね」

 彼女はわずかに口元を引き締め、名誉ある騎士のように告げた。

「私の名前はリーブ」

 そして、一瞬の沈黙を置いて続けた。

「これから、よろしく。……私も、仲間たちの仇を討つ決心がついた。お前の、その『根拠のない自信』に乗ってみることにする」

 その瞳に宿る光は、かつて勇者パーティの一員として戦場を駆けた者だけが持つ、不屈の輝きだった。

 僕は自然と笑みをこぼした。

「……うん。リーブさん! 僕の方こそ、よろしく!」

 僕は手を差し出した。リーブも戸惑いを見せながらも、右手を伸ばす。

 二人の手が、固く握り合わされた。

(……リーブさん、か)

 僕は握った手の感触を確かめながら、少し考えてから言った。

「あのさ、リーブさん。……ちょっと言いづらいんだけど」

 彼女が不思議そうに首を傾げる。

「……?」

「急で悪いんだけど、君のこと『先輩』って呼んでもいいかな?」

 リーブが目を瞬かせた。

「……せ、先輩?」

「そう。魔王を斃すっていう旅に関しては、僕よりずっと先を行ってる人でしょ。それに、こっちは体育会系だからさ、その方がしっくりくるんだ」

 部活で染み付いた習慣のせいか、あるいは彼女との距離を、対等でありながら敬意を持てるものにしたかったのか。

 「先輩」という響きが、今の僕らには一番呼びやすい気がしたのだ。

「先輩……。なんだか馴れ馴れしいような気もするけど……」

 リーブは一度視線を逸らし、頬を僅かに朱に染めた。

「……まあいい。今日のお礼だ。特別に許そう」

「やった! ありがとうございます、先輩!」

 さっそく調子よく使ってみると、彼女は誤魔化すように軽く咳払いをした。

「……それより。いつまでもここに留まってはいられない。まずはこの城を脱出しよう」

「城を出て、どこへ行くんですか?」

 リーブは懐から、煤けた羊皮紙の地図を取り出した。

 広大な大陸に描かれた三つの勢力。――魔国、帝国、そして王国。

(文字が、読める――?)

 なぜか、読めないはずの文字が、不思議と頭に入ってきた。

 しかし、そんなことに言及している時間はない。

「『帝国』へ向かう。私の故郷であり、対魔王の最前線基地でもある場所だ。私が先導する、ついてきて」

 彼女が立ち上がろうとするが、僕はそれを手で制した。

「待ってください、先輩」

「なに? まだ何か――」

「先輩はまだ万全じゃない。歩くのもやっとなはずです」

 僕は彼女の前に背中を向け、片膝を立ててしゃがみ込んだ。

「おんぶしていきます。さあ、遠慮しないでどうぞ!」

 手でクイクイと合図する。

「えっ……!?」

 彼女が呆然と僕を見下ろす。この世界には「おんぶ」という文化がないのかと一瞬焦ったが、彼女は顔を真っ赤にして叫んだ。

「いや、さすがに二十歳を過ぎておんぶなんて恥ずか――というか、大那! お前、靴はどうしたんだ!」

 言われて自分の足元を見る。

 ……そうだった。リビングで寛いでいた時に吸い込まれたから、靴すら履いていなかった。

「あ、本当だ。……まあ、靴なら現地調達します」

 僕は近くに転がっていた男の死体から、鉄製の具足を拝借した。サイズはガバガバだが、裸足よりはマシだ。

(必ず、返しに戻ってきますから)

 心の中で返却を約束する。

 そして、もう一度背中を向ける。

「先輩。怪我をしているのは恥じゃありませんよ。それに――」

 僕は振り返り、彼女の瞳を真っ直ぐに見据えた。

「僕に示させてください。魔王を斃せるだけの素質が、僕にあるのかを!」

 根拠なんてどこにもない。けれど、言葉には確かな熱がこもっていた。

 リーブは少しの間、沈黙した。

 そして――。

「……う、うん。わかった。それじゃあ……」

 彼女はゆっくりと立ち上がり、恐る恐る僕の背中に体重を預けてきた。

 右手に魔法の杖、左手に地図。その細い腕が僕の首に回される。

「さあ、行きますよ! 気合い入れていきましょう!」

 僕は勢いよく立ち上がった。案の定、彼女は驚くほど軽かった。

「機関車ダイナ、出発進行!」

「ちょっと、変な名前で呼ぶな!」

 彼女の恥ずかしそうな声を背に、僕は走り出した。

 あるじが冷たい氷像と化した王座の間を後にする。

 静まり返った魔王城を抜け、僕らは暗い夜の闇へと飛び出した。

 この闇の先に、どんな怪物や試練が待ち受けているのか。

 けれど、背中に伝わる彼女の温もりと、二人で踏み出したこの一歩は、確かに希望へと続いていると信じられた。

藤原大那(ふじわらだいな)。17歳。172cm。71kg。

リーブ。23歳。165cm。49kg。

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