序章
「わたくし遂に、ワリス様から婚約破棄されそうですわ」
顔をうつ向かせて、シャロン・サーティスは静かに言葉を吐き出した。
「……そうなんだ」
私はページをめくりながら、そっと声を漏らした。
昼の図書館は静まり返り、辺りを神秘的な光が包んでいた。
「どう言葉にしたらいいか……分かりませんわ」
はぁ、とわざとらしくため息をつく。
そんな彼女から相談を持ち掛けられたのは、一か月ほど前。
委員会の活動で一緒するようになって、それなりに仲が良かったからだろうか。
ためらいがちに、彼女はこう話を切り出してきた。
『殿下、相談したいことがありまして……わたくし、実は……』
最初は警戒し、つまらなく思った。彼女も結局は、皆と同じだったのかと。
ところがその次の言葉に、驚かずにはいられなかった。
『婚約破棄をされたいのです!』
近頃、隣国で流行りの婚約破棄。
なんとこの国にも記念すべき第一人者が現れたのだ。
『わたくしの婚約者、ワリス・イマージ様は……救いようのないお人です』
いつも穏やかで余裕のある彼女が、怒りを露わにしている姿は新鮮だった。
ワリス・イマージ、公爵家の令息。女遊びが激しいと耳にしたことがあったが、まさか婚約者がいたとは。
『……女であるわたくしに発言権はありません。ですので、殿下から少しのお言葉添えをいただきたいのです』
つまり、婚約破棄をする口実を作りたいということか。
そこまでして婚約破棄をしたいとは、よほど決意が固そうだ。
『では……見返りは?』
いつもの営業スマイルを浮かべると、彼女はごくりと喉を鳴らした。
『……花舞亭の、未発売スイーツでいかがでしょうか……?』
『契約成立だね』
コンマ0.1秒でそう告げると、彼女は少々得意げな笑みを浮かべた。
私は無類の甘いモノ好きだ。そして花舞亭は、王族の力を持ってしても一年待ちの、超人気お菓子店である。
どうやら彼女の意思は相当硬いらしい。
『では詳細は、追って連絡致しますわ。それでは失礼』
去っていく背を見送りながら、私は本を閉じた。
——さて。
女遊び、浪費、賭博疑惑。材料は十分だ。
問題は、どう“婚約破棄をされる側”に見せるか。
私は静かに笑う。
「君はもう、盤上に乗っているよ」
そして翌日。
ワリス・イマージの不貞現場を、偶然にも目撃することになる。




