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第7章


 わたしは学園の中庭に立って、小さな手鏡で身だしなみを整えている。今日は早朝から王都に出向いているファンドのスタッフから、嬉しい知らせが届く予定だ。


「リリアーナ、今ちょうど連絡が来たよ!」

 クラリスが走り寄り、興奮気味に小さな紙切れを見せる。

「王都の株式取引所でクレスター商会の株が急落を始めたって!」

「やっぱり動いたのね。偽情報……というか、噂の誇張が効いてるんでしょう」

 わたしは鏡をしまい、周囲の視線を感じながらクラリスと視線を合わせる。学園の生徒たちは朝から落ち着かない様子で、「クレスター商会が暴落しているらしい」「王太子がピンチじゃない?」と囁いている。

 クラリスは小声で笑う。

「記事を読んだ投資家が売りを仕掛け、そこにわたしたちが空売りを追加した形だって。昨日までは小幅な下落だったのが、今日は本格的に売りが殺到してるみたい」

「想定以上の早さね。これなら王太子が取り繕う余裕もないかもしれない」

 そう言いながら、わたしは中庭の花壇を横目に見ている。大勢の生徒が登校してきて、あちこちでクレスター商会の話題をしている。王都の噂が学園にもすぐに伝わるくらい、皆が興味津々ということだ。中には「商会の株を買っていた人はヤバいんじゃない?」と不安そうに言う者もいる。



 講義前の教室に入ると、クラスメイトたちがわたしの顔をのぞき込むように質問を投げてくる。

「リリアーナ、本当にクレスター商会が潰れそうなの?」「あれってやっぱりあなたが裏で仕掛けてるの?」

 わたしは笑顔で応じる。

「さあ、どうかしら。ただ、学園での独占が失敗して在庫を抱え、王太子への融資が回収できなければ財務が悪化するのは自然な話よね。投資家がそう判断するなら、株価が下がるのは仕方ない」

 クラスメイトが目を丸くして、「それが本当なら大変な事件だよ。王太子と商会がこんな形で追い詰められるなんて、誰も想像してなかったもん」と驚いている。

「婚約破棄されたときは、わたしも想像してなかったけど、経済はどこで転ぶかわからないわ。資本を甘く見ると痛い目に遭うのよ」


 授業が始まっても、学生たちの落ち着きは戻らない。皆、クレスター商会の株価がどうなっているか気になっている。王太子エドワルドは姿を見せず、取り巻きだけがそわそわしている。ミレイユの姿も見当たらず、彼女はクレスター商会の危機に対応するため欠席しているのかもしれない。

 講義が終わり、廊下に出たところでクラリスが新聞部のメンバーを捕まえる。

「ねえ、続報を出すなら今よ! 『王都でクレスター株が急落』『投資家がパニック売りか』みたいな見出しで速報を打って!」

 新聞部は「了解!」と飛び出していく。わたしは心の中で“ここからが本番”とつぶやく。株価が下がり出した今、わたしたちは空売りポジションを増やして一気に暴落を加速させる。投資家心理は不安が高まれば高まるほど、売り圧力が膨れ上がるからだ。

 もうひとつ、大事なのは“買い戻し”のタイミング。わたしは王都にいるスタッフからの連絡を待ち構え、ベストなポイントで買い戻して利益を確定させる算段を立てている。うまくいけば大きなリターンを得られるし、さらに株が底を打ったところで大量取得に走れるかもしれない。



 昼休みが始まるころ、わたしの手元にスタッフからの魔石通信でメッセージが届く。

「株価、急落。大口投資家も売りに参戦。そろそろ買い戻し時を検討すべきでは」という内容だ。

 クラリスが身を乗り出して、「来たね。どうする?」と訊く。

「もう少し待つ。大口投資家が売ってるということは、まだ底が見えない可能性が高い。焦って買い戻すと、あとでさらに下がって取り逃すかもしれないし」

「賭けだね。でも、クレスター商会が何らかの対策を打ち出す前に仕掛けるのが肝心か」

「そう。王太子派閥やミレイユが『あれはデマだ』と必死で宣伝しても、具体的な数字を出せなければ投資家は信じない。だからもうしばらく放置して、株価をもっと下げた後で一気に買い戻すのがベスト」

 わたしは心を落ち着け、何人かのスタッフに指示を飛ばす。

「まだ買い戻さないで。大口売りが続くなら、もう少し空売りポジションを維持して。わたしが合図するまで決済は待って」



 午後の経済講義中、わたしの鞄の中に忍ばせてある魔石通信が微かな振動を伝える。教授が話をしている最中だけど、気になって仕方ない。小声でクラリスに「ちょっと資料を見るふりをするわ」と言い、鞄を少し開いて通信の内容を確認する。

 「さらに大幅に下落。王都取引所、臨時の売買停止の噂あり」と書かれている。

 一気に下がりすぎると、取引所がパニック防止で売買を一時停止する措置を取る可能性がある。この世界の株式市場は未成熟とはいえ、過去にも類似の例があったと聞いている。そこで停止になると、一度狙った買い戻しのタイミングが狂う可能性がある。

 クラリスが小声で「どうする?」と聞いてくる。わたしはノートに走り書きしながら、「教授の話が終わったら、すぐに対応策を考える」と伝える。


 講義終了後、わたしは廊下へ出てスタッフに指示を送る。

「今から王都の取引所で売買停止が発動しそうなら、その前に一部だけ買い戻して利益を確定させて。残りは様子を見て、再開後に底値を狙う。完全な買い戻しタイミングはあくまでこちらで指示を出すから」

 スタッフは「了解しました!」と返事し、すぐに動いてくれる。クラリスが横で「ここで慌てず、上手く分割するんだね。さすが」と感心する。

「うん、一気に全部決済してしまうと、株価が少し持ち直す可能性があるし、完全に売買停止になったら予定が狂う。最善は『今すぐ利益を確定しつつ、まださらなる下落があると信じる分は残す』というやり方ね」

「これが成功したら、ファンドの資産はかなり増える?」

「そう思う。大暴落を仕掛けるのはリスクも大きいけど、何とかうまくいきそうでよかった」


 夕方、購買部へ行くと店長が「リリアーナ様、大変です! クレスター商会の動きが怪しいですよ」と声を上げる。

「怪しいって、具体的には?」

 店長は棚を指差す。

「先ほどまで『クレスター商会製品を一押しで売れ』と厳命していたのに、今になって『在庫を減らせ』とか『返品できるものは返品しろ』とか、言うことがコロコロ変わってるんですよ。きっと商会の中で混乱が起きてるんだと思います」

「混乱が起きてるのはやっぱり本当なのね。株価が急落して、商会の資金繰りも悪化してるはず」

 店長は少し不安そうに声をおとした。

「もし商会が経営不安で物流を止めたりしたらどうなるんでしょう。わたしたちはリリアーナ様の裏ルートでしばらくは凌げるかもしれないけど、学園全体としては……」

「そこは心配しないで。もうわたしたちは裏ルートだけで大半の商品を回せる。商会が完全に止まったとしても、なんとかなります。むしろ、商会が止まれば、王太子派閥はさらに打撃を受けるでしょうね」

 店長はほっとして、「なら良かった。引き続き、よろしくお願いします」と頭を下げる。

「こちらこそ、よろしく」

 わたしは軽く会釈をし、購買部を後にする。

 クラリスが隣で「本当に順調だね。王太子も焦ってるだろうけど、ミレイユはどう動くんだろう」と呟く。

「聖女を名乗るからには、あまり強引な手段は使えないはず。でも、商会を救わないと王太子との関係も危うい。さすがに王太子派閥の破綻は彼女にも都合が悪いでしょうしね」



 夜、ファンド事務局で緊迫した空気が漂う。王都からの連絡によると、クレスター商会の株価は大暴落の末に一時取引停止がかかったらしい。しかし再開後も売りが止まらず、まるで底が見えないような急落を続けているという。

 わたしはスタッフに魔石通信で話しかける。

「買い戻しの準備はできてる?」

「はい。再開後、さらに下がっているので、今が底に近いという意見もあります。いつ買い戻すか、リリアーナ様の合図を待ってます」

「わかった。あと少し様子見。そろそろ王太子派閥や商会が何か声明を出して株価を支えようとする可能性がある。そこがタイミングかもしれない。焦らずタイミングを計って」

 通信を切り、わたしは深呼吸する。

 クラリスが「大丈夫? さすがに大勝負だけど」と優しく声をかける。

「大丈夫。ここまでは順調。あとは最後の決断を間違えなければいい」


 しばらくして、王都の取引所で「クレスター商会が声明を出すかもしれない」という情報が入る。わたしたちは“その声明”に反応して株価が一時的に戻るか、さらに下がるかを見極める計画だ。もし株価が瞬間的に持ち直したら、その少し前に買い戻して利益を確定できるし、逆に混乱が続けば底値で買い付けるチャンスが伸びるというわけだ。


 夜更け近く、遂に「クレスター商会は『財務に問題なし』という公表をしたが、具体的な数値を示せず、投資家の不安を拭えない」という速報が届く。その結果、株価はさらに下へ落ち込んでいるらしい。

 クラリスが通信内容を見て「問題なし、ですって。数字を出さなければ誰も信じないよね」と苦笑する。

「本当に数字を出せないくらい追いつめられているんだと思う。なら、今こそ底を狙うタイミングかもしれない」


 わたしはスタッフに通信をつなぎ、「もう一段下がりそうだけど、念のため空売りポジションの一部を買い戻して利益を確定させて。残りは、さらに下がってから買い戻す。混乱が続いているうちに急反発する可能性は低いと思うけど、一応注意して」と指示する。

 スタッフは「了解です!」と応じ、まさに決戦の場へ突入していく。


 深夜に近い時間、再び連絡が入り「株価がまさに暴落の底を這っている」と伝えられる。ここで大きく買い戻しを仕掛けると同時に、一部の超安値株を現物で取得する計画だ。

 わたしは最後の決断を下す。

「よし、ここで大量に買い戻して空売りポジションを決済して。そのあと、株を買い集められるだけ買って。資金はすべて使い切らなくていいから、ある程度のシェアを確保しておいて」


 スタッフは即答する。

「わかりました。配分は事前の指示通りにやります。大口株主の一角を狙います!」

 通信を切り、わたしは息をつめてクラリスを振り返る。

「これでファンドの勝利がほぼ確定する。うまくいけばクレスター商会の大株主になれるかもしれないわ」

 クラリスは満面の笑みで、興奮を隠せない。

「すごい、まさかここまでやるとは。王太子派閥に婚約破棄を宣言された公爵令嬢が、大商会を支配する流れになるなんて誰が想像した?」

 わたしは胸の奥でじんとした感情を覚える。この一手は婚約破棄のときの悔しさが原動力となった面も大きい。資産をなめてかかる王太子を見返してやりたい気持ちが、ここまでわたしを突き動かしてきた。


 翌朝、学園は大騒ぎになっている。

「クレスター商会、株価暴落」「投資家が大損失を出し、一部が倒産か?」などの衝撃的な見出しが学園新聞に載っている。

 わたしとクラリスは校舎に足を踏み入れ、周囲の喧騒を静かに味わう。誰もが「これから王太子派閥はどうするんだ?」とヒソヒソ話し、悪役令嬢リリアーナの名を何度も口にしている。


 クラリスが指差す先に、王太子エドワルドが立っている。顔は青ざめており、取り巻きに囲まれながらも一人で激怒しているように見える。わたしはあえて近づかず、その動向を見守る。

 すると、エドワルドがわたしを見つけ、荒々しい足取りで迫ってくる。

「リリアーナ、話がある。来い」

 周囲が息を呑む。クラリスは警戒しながら「行く?」と聞いてくるが、わたしは構わないと頷く。ここで逃げる理由はない。



 校舎の陰へ連れて行かれたわたしは、エドワルドと向かい合う。取り巻きは少し離れて待機し、ミレイユの姿はない。王太子の目は血走っていて、怒りを抑えきれない様子だ。


「クレスター商会の株が暴落した。貴様が裏で噂を流し、王都の投資家を煽ったのだな?」

 エドワルドの声は震えている。わたしは淡々と返す。

「わたしが何かしたという証拠は? ただ、商会が学園での独占を失敗し、在庫を抱え、王太子への融資を回収できない可能性があるという噂が広がっただけよ」

「言い逃れをするな。お前が前世の知識とやらを使って、偽情報を操作しているのは知っている。こんな急落、普通じゃあり得ない!」

「偽情報? そもそも学園では実際にクレスター商会の在庫が売れ残って、王太子派閥との癒着で苦労していたじゃない。そこに投資家が恐怖を感じただけ」

わたしは一歩も引かずに言い放つ。エドワルドは激昂し、拳を震わせる。「お前、婚約破棄されたのがそんなに悔しかったのか? ここまで俺を追い詰めるとは!」

「悔しかった? そうね、最初は。でも、今はそれだけが理由じゃない。学園の生徒を苦しめた王太子派閥と商会を経済で正したいと思ったの。わたしは悪役令嬢として、自分のやり方で行動するだけよ」


 エドワルドの目には焦りと怒り、そしてわずかな恐怖が混ざっているように見える。

「クレスター商会は王室の財政を支えている。これが崩れれば、王国全体が危うくなる可能性だってあるんだぞ。お前はそんなことも考えないのか?」

「考えてるわ。でも、王室が財政難なのを理由に、学園や学生を犠牲にしていいわけがない。わたしは自分の信じる道を歩む。あなたたちが“経済を甘く見た”代償を今払っているだけでしょ?」


 エドワルドは返す言葉を失い、唇を噛む。取り巻きが「殿下、これ以上は……」と控えめに声をかけるが、王太子は無視してわたしを睨みつける。

「リリアーナ……お前は本当に、何者なんだ?」

 わたしは静かに微笑む。

「ただの投資家よ。もし負けたくないなら、資本主義のルールを学ぶべきだったわね」

 エドワルドは唇を震わせながら何かを言おうとするが、結局言葉が出てこない。そして踵を返し、取り巻きを従えて去っていく。彼の背中には王太子の威厳など感じられず、ただの打ちひしがれた青年に見える。



 学園のあちこちで「クレスター商会、信用崩壊か」「王太子が敗北宣言?」などの噂が広まり、わたしのファンドは揺るぎない存在感を得る。空売り成功の報告も相次ぎ、ファンドの資産は飛躍的に増えているようだ。クラリスは「リリアーナ、ついにやったよ!」と興奮しきりだ。


「買い戻しと同時に、商会の株をどのくらい取得できた?」

 スタッフの報告によると、まだ正確な数字は出ていないが、かなりの割合を押さえられそうとのこと。わたしは胸の奥で歓喜を噛みしめる。

「なら、大株主として商会の経営に口を出せるかもしれないわね」

 クラリスが笑みを浮かべる。

「それが実現すれば、王太子がもはや逆らえなくなるかも。学園経済どころか、クレスター商会まで掌握するなんて……すごすぎる」

「全部、あの婚約破棄がきっかけよ。悪役令嬢だからこそ、わたしは容赦なくやれた」


 窓の外を見ると、夕陽が学園の校舎を赤く染めている。あの日、舞踏会で婚約破棄を言い渡されたときの光景が脳裏に蘇る。あの瞬間、わたしは悲しさよりも“やってやる”という闘志を燃やしていた。今その決意が結実し、商会をも呑み込む流れになっている。




 数日後、王都の取引所が落ち着きを取り戻すころには、クレスター商会の株価は底を打ったまま大きく回復せず、投資家の多くが手放した株をわたしのファンドが買い集めた形になっているという。ファンドメンバーが学園に戻ってきて、「大成功です! 空売り利益と、大量取得の両方で二重にリターンを得ました」と報告してくれる。

 わたしは握手を交わし、「お疲れさま。これで商会はどうなる? 経営陣が動揺してるって話は?」と尋ねる。

「はい、かなり動揺しているみたいです。大株主が突然入れ替わったので、商会の取締役会が混乱していると聞きました。しかも王太子との融資話も不透明になっていて、支援を求めても応じられる状況じゃないかも」

 わたしは深呼吸して、それから冷静な指示を出す。

「つまり、わたしたちが正式に主導権を握る可能性があるってことね。さらに詳しい報告を聞きたいけど、ここじゃ人目がある。後で事務所に来てちょうだい」



 夕刻、学園の隅でクラリスやスタッフと共に集まる。王都から帰還した担当者が書類を広げ、「現段階でわたしたちのファンドがクレスター商会の株式のおよそ過半数近くを押さえられました。正確な数字は追って判明しますが、どのみち大口株主の一角に入るのは確実です」と説明する。


 スタッフが興奮ぎみに続ける。

「こんな急展開、普通あり得ませんが、暴落があまりにも激しかったため、大口投資家も投げ売りしてしまい、わたしたちが安値で拾えたんです。まさに歴史的瞬間ですよ!」

 クラリスも感嘆の声を上げる。

「信じられない……リリアーナ、本当に商会そのものを握る可能性があるよ!」

 わたしも冷静を装いながら、内心では高揚感が込み上げる。

「ここからが本当の勝負よ。商会に乗り込んで、実権を押さえるなり、学園側にとって有利な条件を提示するなり、選択肢はいろいろある。でも、その前に王太子派閥の出方を見たい。彼らが何をするか楽しみだわ」



 その日の夜、学園の寮に戻る途中、エドワルドが廊下の先に立っているのが見える。取り巻きはおらず、一人で佇んでいる。わたしと目が合うと、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。


「リリアーナ、少し話せないか?」

 わたしは意外そうに眉を寄せる。

「また怒鳴りたいだけなら、遠慮しておくけど」

 エドワルドはうなだれるように首を振る。

「そんなつもりじゃない。……実は、王城からも連絡があった。クレスター商会の急落で王室の財政が危機的状況だと。父王にどう説明するか頭を抱えている。お前のことを罵っても、何も解決しない」

 わたしは言葉を失いそうになる。王太子がこんなに弱気な口調になるなんて想像もしなかった。

「それで? わたしに何を求めるの?」

 エドワルドは一瞬視線をそらし、意を決したように話す。

「クレスター商会が大きく株を手放し、その多くをお前のファンドが握っていると聞いた。もし本当なら……お願いだ、商会を潰さないでくれ。王室が頼れる大商会が消えれば、国全体が揺らぐ」

 わたしは苦い笑みを浮かべる。

「商会を潰す気はない。わたしはあくまで経済を正常化したいだけ。独占で学生を苦しめるような体制はやめてほしいとずっと言ってきたわ。そっちが聞かなかっただけ」

 エドワルドは視線を落とし、唇を震わせる。

「わかってる。俺が悪かった。だけど……俺だって王室を救うために必死だったんだ。ミレイユとも利害が一致していた。お前を悪役に仕立てたのも、わたしが婚約破棄を決断したのも、全部国のためだと思っていた」

「国のために学園の学生を犠牲にしていい理由にはならない。あなたはわたしを悪役令嬢に仕立てて追放しようとした。だからわたしは経済で反撃した。それだけ」


 わたしの言葉にエドワルドは何も言えず、俯いたまま。

「……お前は……本当に何者なんだ? 俺の知っていたリリアーナと違う。でも、あのときの婚約破棄がなければ……」

 そう小さく呟く。

「そうね、なければわたしはこんな形で学園を変えることもなかった。でも、もう過去を悔やんでも仕方ないわよね。わたしは商会を壊すつもりはないし、むしろ生かしたい。経営を正せば、学園だけじゃなく王室にとってもプラスになるかもしれない」


 エドワルドは安堵の色を浮かべたように顔を上げる。しかし、その瞳には敗北感が混ざっている。「リリアーナ、ありがとう……いや、そうじゃないな。俺は婚約者を失い、全てを失った気分だ。お前がこんなに大きな存在になるなんて、思ってもみなかった」

 わたしは肩をすくめる。

「全てを失ったかどうかは知らない。あなた次第で、まだ取り返せるものがあるんじゃない? その代わり、今度はわたしと学園を甘く見ないでほしい。経済を支配する力こそが、現代では何よりも強い」


 エドワルドは微かにうなずき、「わかった。俺はお前に勝てないと悟ったよ」と呟いて、そのまま背を向けて歩き去った。

 わたしは見送ることもせずに寮の扉を開く。



 部屋に戻ると、クラリスが待っていて「どうだった?」とすぐに聞いてくる。

「王太子、完全に折れた感じ。商会を潰さないでくれと懇願してきた」

 クラリスは目を丸くする。

「えっ、あのエドワルドが? すごい変化ね。リリアーナ、大勝利じゃない?」

「勝ち負けはわからないけど、少なくとも婚約破棄された日からずっと煽られていたわたしが逆転したのは確か。学園と学生を利用してた王太子派閥が崩れ、商会の株もわたしの手中にある。悪役令嬢の面目躍如かしらね」

 クラリスは微笑み、嬉しそうだ。

「そうだね。だれがどう言おうと、王太子が『お前に勝てない』って認めちゃったわけだし」


 わたしは窓辺に立ち、夜空を見上げる。

「婚約破棄で始まったこの戦いが、まさかここまで大きくなるなんて思わなかったけど、資産は本当に嘘をつかない。これからはクレスター商会を再建し、学園にも還元する方法を考えたい。あくまでわたしは学園のために動いてきたつもりだから」

 クラリスが身を寄せてきて笑う。

「じゃあ次は『悪役令嬢が大商会を握って学園改革』って感じかな? わたしも最大限サポートするよ」


 わたしは小さく頷きながら、心の内で決意を新たにする。王太子を打ち負かしただけじゃなく、クレスター商会の大株主となった今、学園を変えるどころか、王国の経済構造すら変え得る立場に立ったのかもしれない。

「婚約破棄をしてくれて、ある意味ありがとう、王太子。あなたがいなかったら、わたしはただの貴族令嬢として生きるしかなかった。でも、悪役令嬢でいる方が、わたしには性に合ってるわ」


 そう呟いて、わたしは窓を閉じる。次に動くのは大商会の再生か、それとももっと大きな仕掛けか。いずれにせよ、もう誰も“悪役令嬢”を甘く見ることはないと思う。

 扉の外ではメイドが「お茶をお持ちしましたよ、リリアーナ様」と遠慮がちに声をかけている。わたしは微笑みで応え、「ありがとう、今行くわ」と返事をする。


 今夜はぐっすり眠れそうだ。明日からは“支配者”としての次の一手を考えるとしよう。



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