第2章
わたしは朝の陽光が差し込む学園の石畳を歩きながら、周囲の視線をひしひしと感じている。
以前は王太子の婚約者として注目を集めていたが、今は“悪役令嬢”として見られている。婚約破棄を宣言された翌日から、一気に空気が変わった気がする。
「リリアーナ・ファンドって、やっぱり怪しいよね?」
「でも、投資で利益が出たらしいから、ただの詐欺とも言えないし……」
生徒たちがひそひそ話を交わす。わたしはあえて耳を澄まし、どんな噂が出回っているのか探ろうとする。王太子派閥はわたしを封じ込めるために、さまざまな中傷を仕掛けているようだけど、ファンドの運用実績が少しでもプラスになれば、その中傷が全て通るわけではない。
購買部の前に行くと、店頭にクラリスが貼り紙をしている。
「リリアーナ・ファンド説明会 今夕、学園広場にて開催!」と大きく書かれた手書きのポスターが目を引く。通りがかった学生が驚き混じりに呟く。
「今日なのか。どんな話が聞けるんだろう?」
クラリスは学生たちに微笑みかけ、「興味がある人はぜひ来てね。投資の仕組みは意外と簡単よ」と声をかけている。
わたしは彼女のそばに近寄った。
「ポスター、大胆ね。王太子派閥が文句を言ってきたりしない?」
クラリスは肩をすくめてみせる。
「言ってくるだろうけど、新聞部の独立性と“学生の知る権利”を盾にできるから平気。わたしたちは公式の場で公正な情報を発信しているだけって言い張ればいいわ」
「さすが、頼りになる」
クラリスは得意げに笑顔を浮かべてみせた。
「じゃあ今のうちに仕込みをしておく。夕方の説明会、楽しみにしてるよ」
そのまま学園のメインストリートを進むと、大きな張り紙が目に入る。「王太子派商会、緊急バーゲンセール!」——どうやら半額以下の値下げに踏み切るらしい。生徒たちが「すごい安い」「王太子派が本気で攻めてる」と盛り上がっている。
「これは露骨な価格競争の始まりかしら」
わたしは呟き、張り紙を眺める。「王太子派閥商会の全面協力により、一部商品を50%オフで提供します」と書かれている。徹底した値下げ作戦で、わたしのファンドに対抗しようとしているのだろう。資金力は向こうが上かもしれないが、これは意外とリスクが大きいはず。
「リリアーナ・アルセイド、こんなところで何をしている?」
唐突に冷たい声をかけられ、わたしは振り向く。そこには王太子派閥の一員らしき男子学生が腕組みをして立っている。金髪を短く切り揃え、王太子に心酔していることが表情からわかる。
「別に、ポスターを見てただけよ。やけに大きく書いてあるから目立つわね」
「当たり前だ。お前の怪しい投資話に惑わされる学生がいると困るから、このバーゲンで正々堂々と勝負するんだ。お前のファンドなんぞ、どうせ長続きしないだろう」
「そうかしら」
わたしは平然と返し、彼の挑発を正面から受け止める。
「価格を半額にするって、大丈夫なの? 赤字になったら困るのはそっちなんじゃない?」
「王太子殿下に意見するつもりか? 俺たちが後ろ盾だ。お前のちっぽけなファンドなんか、踏み潰すのは簡単だぞ」
わたしは動じず首を傾げる。
「後ろ盾ね……でも、その後ろ盾が本当に強固なら、わざわざこんなバーゲンをやる必要ある? 隙があるからこそ、価格を下げて客を集めようとしてるように見えるけど」
男子学生の表情が険しくなる。
「お前、本当に口が達者だな。まあいい。どうせ学園中が半額セールに飛びつく。お前のファンドなんか誰も見向きもしなくなるさ」
彼は捨て台詞を残して去っていく。わたしは軽くため息をついた。
「価格で勝負……やっぱりやってきたわね。大資本を持つ商会は一時的に赤字を出してでも、わたしを潰すつもりなのね」
地面に視線を落としつつ、頭の中で対策をシミュレーションする。こちらが価格競争に乗れば、消耗戦になる。わたしのファンドは王太子派閥に比べれば規模が小さいから、長期戦では不利かもしれない。だからこそ、別の価値を提供する必要がある。
昼休み、学園のカフェテラスでクラリスと合流する。陽射しがやわらかく、風が心地よい。店先にはすでに「半額セール」の話題で盛り上がっている生徒も見える。
「リリアーナ、バーゲンの話は聞いた?」
「ええ、バッチリ。どうするか考え中」
クラリスはテーブルに書類を広げた。
「こっちも新聞部で動いてみる。『リリアーナ・ファンド』がただの価格勝負じゃなくて、ポイント還元や配当を重視してる点をアピールするつもり。たとえば、食堂や購買部で長期的に得になるよって部分を強調してみたら?」
わたしはそれに頷く。
「そうね。半額セールに惹かれるのは短期的な魅力よね。長期的に見れば、わたしのファンドに出資してポイントや配当をもらった方がトータルで得かもしれない」
「なら、わたしたちも『期間限定のポイントアップ』をやればいいんじゃない? セールに対抗して、ファンド出資者に特典を増やすの。短期間でもポイントが2倍貯まるとか。どう?」
「悪くないかも。じゃあわたしは購買部と交渉してみる。元々、わたしと組むことに前向きな店長だし、学生が増えれば売り上げも伸びるって理解してくれてるから」
クラリスは嬉しそうにメモを取る。
「OK、決まり。わたしは学園新聞に『半額セール vs ポイント還元』みたいな特集記事を組んでもらう。互いの主張を並べる形にすると面白いから」
「おかげで学園内の経済が活性化すれば、それはそれでいいわね」
わたしはコーヒーを一口飲み、前世のマーケティング論を思い返す。価格だけで勝負すると、体力のある大資本が有利。でも、付加価値やロイヤルティを高めれば、長期的にユーザーは離れない。これこそ、王太子派閥にはあまり理解されない“戦略”かもしれない。
午後の講義が終わり、廊下を歩いていると複数の生徒がわたしに近づいてくる。
「あの、リリアーナ・ファンドに興味あるんですけど、出資したら本当にポイントがつくんですか?」
わたしは笑顔で返す。
「もちろん。まだまだ規模は小さいけど、購買部や食堂での優待があるわ。出資金はそこまで大きな額じゃなくてもいいの」
「王太子派閥の半額セールとどっちが得なのかな……」
「そこは考え方次第。今すぐ安く買いたいなら向こうへ行くのもアリ。でも、わたしは継続的な利点を提供するつもり。短期的に見るか、長期的に見るかって話ね」
学生たちは真剣な顔で聞いている。わたしの話し方が説得力を持つのは、前世の企業説明会などで学んだプレゼン力のおかげかもしれない。
「わかった。じゃあ、今夕の説明会に行って詳しく聞くよ」「わたしも行きます」と言って、彼らは去っていく。
わたしは心の中でガッツポーズをして、クラリスに報告しようと思う。セールのインパクトは大きくても、一部の学生は冷静に“長期的メリット”を求めていると感じる。まさにそこが勝機だ。
夕方になり、学園広場で「リリアーナ・ファンド説明会」を開く。わたしとクラリスが用意した即席の演台と簡易の看板しかないが、想定以上に多くの学生が集まっている。
「みなさん、わざわざ集まってくれてありがとう。わたしはリリアーナ・アルセイド。最近、婚約破棄された公爵令嬢と呼ばれているけど、今は投資家としてこの学園で活動しようと考えてる」
話し始めると、会場のあちこちからクスクスとした笑い声や、「やっぱり悪役令嬢だ」などの呟きが漏れる。でも、わたしは気にせず続ける。
「リリアーナ・ファンドは“学生の資金で学生の生活を豊かにする”のが目的。具体的には、皆さんから少額の出資を募り、その運用益を配当やポイントで還元したいの」
「運用って、どうやって?」と誰かが質問する。
わたしはすかさず答える。
「株式の売買や商会との交渉、購買部や食堂への投資、それから空売りなどの金融技術を使うわ。今のところ、偽暴落情報で利益を出した実績もある」
「偽暴落情報……それって王太子派閥が流した噂?」
「そこははっきり言えないけど、噂を逆手に取って儲けることは可能。学園の市場はまだ未熟だけど、投資で利益を狙う余地は十分にあると考えてる」
学生たちがどよめく中、クラリスが補佐に回り、新聞部で作った資料を配る。
「こちらに簡単な説明を載せています。たとえば、購買部での利用金額に応じてポイントが貯まり、それを食堂の割引チケットに交換できるようにする予定です。配当はその時々の運用実績次第だけど、出資した学生は普通の利用者よりもずっとお得になるわ」
「じゃあ、王太子派閥の半額セールとどっちがいいんだ?」と声が飛ぶ。
わたしはすぐに言葉を選ぶ。
「半額セールは強力。でも、一時的だと思う。長く続けるには商会側の負担が大きいから、いずれ価格が戻る可能性が高い。一方、わたしのファンドは安売りじゃなくて、継続的にお得さを味わえるように制度設計を考えているの」
人々があれこれ囁く。「確かに、半額がずっと続くわけないよな」「じゃあ、長期で見ればこっちの方が得かも」と。
「もちろん、どちらを選ぶかは自由。今すぐ安く買いたいなら王太子派閥がいいかもしれない。でも、出資してみんなで利益をシェアして、学園生活全体を便利にしたいなら、ぜひリリアーナ・ファンドへ」
最後にそう締めくくった。
説明会が終わると、多くの学生が質問に押し寄せてきて、思った以上に賑わう。わたしは一人ひとりとやり取りをし、出資申込書を手渡す。想像していたより反応が好意的で驚いている。
夜になり、クラリスと二人で人気のない食堂の片隅に座って、その日の成果をチェックする。
「出資申し込み、けっこう集まったよ。まだみんなすごく少額だけど、数が多いから馬鹿にならない」「ええ。嬉しい誤算だわ。しばらくはこの勢いで“ファンド参加者”を増やして、王太子派閥のシェアを奪う」
「大丈夫? 相手は大資本を持ってるから、さらに値下げをエスカレートさせるかもしれない」
「覚悟はしてる。でも、どこかで必ず限界が来る。赤字を出し続けるわけにはいかないもの。わたしはポイント制や配当で利益を再投資しながら、参加者を囲い込む。彼らがいきなり価格を上げ始めたら、そっちに失望した客が一気にこっちに流れてくるでしょ」
クラリスは納得したように笑みを浮かべた。
「要は長期戦ね。じゃあ、わたしたちは冷静に構えてればいい」
「そう、焦る必要はない。第一、王太子派閥はわたしを追放できていない時点で失敗してる。そっちがやることは値下げくらいだし、ミレイユが動くとしても当面は商会からの融資を維持するだけかもしれない」
窓の外を見ると、夜の闇が学園を包み始めている。食堂に残っている学生はまばらで、明日の授業に備えて帰宅する者が多い。わたしは深呼吸をし、静かに椅子から立ち上がる。
「そろそろ寮に戻りましょう。明日から本格的に価格競争が激化するだろうし、体力を整えておきたいわ」
「そうだね。明日は午前中に記者会見っぽいものも開くんだっけ?」
「ええ、新聞部の取材を正式に受ける。ファンドの目的や今後の展望を話すつもり。王太子派閥がどう反応するか楽しみ」
ふたりで食堂を出て、静まりかけた廊下を歩いていると、遠くに数名の学生がわたしを指さしながら話しているのが見える。「あいつが悪役令嬢? でも、話が分かりやすかったな」「ちょっと出資してみようかな」などと聞こえる。
クラリスが「いい感じね」と笑う。わたしは声を潜めて小さく笑い返す。
「ええ。これまで『悪役令嬢』として排除されていたぶん、逆に開き直って堂々とビジネスができる。婚約破棄がむしろ好都合だったってことかしら」
そう言うと、クラリスは悪戯っぽくウインクをする。
「最強の悪役令嬢、万歳ね」
わたしは肩をすくめた。
「まあ、そう名乗られるなら受けて立つわ。資本であの王太子すら凌駕してみせる」
部屋に戻り、机に向かってあれこれと紙に書き出す。ファンドの収支予測や配当計画、購買部や食堂へのポイント負担など、考えることは山積みだ。前世の知識がなければ、こんなに短期間で組織を動かすなんて到底無理だったかもしれない。
「王太子とミレイユが何を仕掛けてくるかわからないけど、いずれ大きな商会を巻き込むはず。クレスター商会……きっとそこが鍵になる」
部屋に控えているメイドが不安そうに声をかける。
「リリアーナ様、大変そうですね。すぐにお休みにならなくて大丈夫でしょうか」
「あと少しだけ。明日の準備を整えておきたいから」
メイドはわたしの決意を汲み取り、「承知しました」と頭を下げる。
わたしはペンを握り直し、資金の流れをシミュレーションする。バーゲンセールに対して、わたしは短期的な値下げはしない。その代わり、ポイント制度やファンド配当でリピーターを増やす。王太子派閥がどれだけ価格を下げても、耐えられるのはそう長くないはず。むしろ、焦ってセールを拡大すればするほど、向こうの資金負担は膨らむ。
翌朝、学園へ向かうと、予想通り王太子派閥の半額セールは大盛況だ。購買部で一部の商品が破格の値段になっていて、わたしのファンドに興味を持ちそうな学生さえも「今は半額に飛びつこう」という考えがあるようだ。
「リリアーナ様、ちょっと客足が落ちてるみたいです」
購買部の店長が心配そうに報告してくる。わたしは笑顔で励ます。
「大丈夫。むしろ今は向こうに行きたい学生は行かせましょう。そのうち相手が耐えられなくなる時が来る。それまでに、わたしたちはファンドの価値をきちんと周知しておけばいい」
店長はほっとした表情になった。
「わかりました。こちらは粛々とポイント制度を続けます。もし追加のサービスがあれば教えてください」
わたしは廊下を歩きながら、クラリスと合流した。
「予想通り、短期的には向こうが優勢よ」
クラリスはノートを開いてパラパラとめくる。
「新聞部で記事を書いてもらったけど、やっぱり“安いほうが正義”と考える学生も多い。どうする?」
「想定内。無理に対抗値下げはしない。わたしは今のうちに裏ルートで仕入れを確保しておく。王太子派閥が物流を抑えてるけど、完全独占は難しいでしょ? もし向こうが極端な値下げを続けたら、仕入れ先にも圧力がかかるから、そこを逆手に取れるかもしれない」
「裏ルートか……そういうことも考えてるのね」
「もちろん。全ては計画の一部。わたしはあくまで長期戦で勝つつもりだから」
クラリスはそれに顔をほころばせた。
「王太子派閥は、まさかリリアーナがこんなに冷静に動いてるとは思っていないかも。婚約破棄されたショックで立ち直れない、と勝手に思ってる人が多いわ」
「それならありがたい。相手が油断してるうちに地固めを進める」
広場の一角で小さな会見を開き、学園新聞の取材を受ける。記者部員がまじめな顔で「リリアーナさんのファンドが今後どう成長していくのか、展望をお聞かせください」と問う。
わたしは迷いなく答える。
「学園内の購買や食堂だけでなく、外部の小規模店舗とも提携を進めるつもり。わたしのポイントカードやファンドの配当を利用すれば、学生が学外で買い物する際もお得になる可能性があるわ。そうやって経済の輪を広げていきたい」
記者部員が感心したようにペンを走らせる。
「まるで学園の新しい通貨経済を作ろうとしているみたいですね。それって王太子派閥や既存の商会とぶつかりませんか?」
「ぶつかるでしょうね。でも、経済は自由競争が基本。もし既存の仕組みが不当な独占や高価格で学生を苦しめているなら、違う選択肢を示すのがわたしの役目だと思う」
取材を終えたところで、ふと視線を感じて振り向くと、遠くにエドワルドの姿が見える。彼は取り巻きに囲まれながら、わたしを睨むような目を向けている。わたしはあえて視線を外さない。彼の表情には、わずかな苛立ちが混ざっているように見える。
「リリアーナ、どうやら王太子がこっちを意識し始めてるみたい」
クラリスが小声で囁く。わたしは唇をゆるめた。
「なら上等ね。今のところ、あちらは値下げ攻勢のみ。わたしたちはファンドの広報とポイント制度で丁寧にユーザーを増やす。最後に笑うのはどちらかしら」
こうして、わたしと王太子派閥の価格競争が本格的に動き出す。学園のあちこちで「リリアーナ・ファンド」が話題に上り、新聞部が新しい経済派閥の誕生を面白おかしく書き立てる。半額セールで目先の安さに飛びつく生徒がいる一方で、将来的なメリットを見込んでファンドに参加する生徒も増えている。
夕刻、寮に戻るまでの間、購買部や食堂の売り上げを確認しながら、わたしは確かな手応えを感じている。王太子派閥が思いのほか早く価格競争に踏み切った分、こちらは差別化しやすい。値段を下げない代わりに、特典を拡大してユーザーを取り込む。わたしの視界にあるのは、相手との長期戦。その間に彼らがどれだけ体力を削るかを見極めればいい。
最後にクラリスが嬉しそうに言う。
「リリアーナ、このままいけば、学内で“王太子派閥”と“リリアーナ派閥”みたいな構図ができるかもしれないわ。経済派閥……ってなんだかワクワクする」
「そうね。わたしに加勢してくれる学生が増えれば、もう悪役呼ばわりされても怖くない。資産があれば、社会構造そのものを変えられると信じてる」
わたしはそのまま寮の玄関へ向かい、扉に手をかける。部屋の中で待っているのは山積みの計算書類だろうけど、嫌な気はしない。むしろ、これこそがわたしの戦いだと思う。婚約破棄されたからこそ自由に振る舞えるし、失うものはない。王太子がいくら値引きで牽制してきても、わたしは譲るつもりはない。
「悪役令嬢にふさわしい経済戦を見せてあげる」
その言葉を胸の中で呟きながら、わたしはドアを開ける。
台本なんてもう必要ない。前世の知識を駆使して、学園の市場を好きに動かすだけ。間違っていようと、わたしはわたしのやり方で勝ちに行く。
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