トマトの園のシンデレラ
元いた世界は地球という星の上。
日本という国でごくごくまともと言える環境に生まれ、義務教育、高校、短大、事務系の正社員で就職、寿退職、子育てを終えました。
その後、大手ショッピングモールの事務系パートとして長く働きまして、退職時には『生き字引の貴女が辞めるのは非常な痛手』と当時の店長が惜しんでくれました。
そして大病を患うことも無く、老衰にて天寿を全う。
平々凡々という幸福を欲しいままにした人生でした。
そしてなぜか、あの世には行かず、記憶を維持したまま異世界に転生しました。
どうやら、わたしが生まれたのは童話『シンデレラ』の世界らしいのです。
どこにも世界のタイトルなど書いてありませんから、推定ですけれども。
異世界転生に気付いたのは、物心つく頃。
お陰で何があっても、そんなもんかと受け入れて粛々と生きてこられました。
そこそこ商才のある父と、美しい母の間に一人娘として生まれ、幼くして母を亡くし、その後、二人の娘を連れた義母がやってきました。
そして、しばらくすると父が病気で亡くなりました。
ここまでは、よくあるシンデレラのお話です。
ある時、王城から夜会の招待状が届きましたが、わたしは連れて行ってもらえませんでした。
「エラ、家事の才があるお前と違って、姉様たちは若さがあるうちに片付けなくては始末に負えません。
可愛いお前が側にいては、なおさら姉様たちは霞んでしまいます。
留守番を頼みますよ」
「はい、お義母様。お気をつけていってらっしゃいませ」
義母の言葉に納得したわたしは、大人しくお見送り。
後から考えると、夜会に出ていれば、お金持ちや身分の高い方に見初められた可能性もありました。
ですが、全てはタラレバ、過去のこと。
お金も身分も、それ自体が幸福を運ぶものではないのです。
前夫の商会を社交面で支えていたという義母は、見事な手腕で、二人の義姉の嫁ぎ先を得ました。
上の義姉は気が強く、とにかく何でも口を出す人です。
彼女は、とある名家の、頭は悪くないのに気が弱い嫡男に嫁ぎました。
お金も名声も十分なその家は、ご嫡男の母親が取り仕切っており、義姉は彼女に見初められたのです。
『いつでもしっかりと、夫を励まし、時には叱りつける、そんな気力のある娘でなければ、我が家の嫁は務まりません』
というわけで、歯に衣着せぬ義姉はお眼鏡にかなったのです。
「お前には、もう帰る家はありません。
そう思って、婚家のために励みなさい」
嫁ぐ日の朝、母親の言葉に、義姉は一瞬気弱な顔をしました。
けれども、見送りの家族を見て、次の瞬間にはわたしをキッと睨みつけました。
「お母様のお世話を疎かにしないようにね!」
「畏まりました、お義姉様」
姿勢を正し、迎えの馬車に乗り込んだ義姉の勇姿を、わたしはしっかりと目に焼き付けました。
そして、下の義姉の嫁ぎ先は、大きな商家でした。
そこは商売に成功しており、家族全員が昼間ほとんど仕事で外出しているのです。
おっとりした姉は、ただ『行ってらっしゃいませ』『お帰りなさいませ』と使用人たちの先頭に立ち、送り迎えするのが主な仕事だとか。
ところが、フワフワとして、妙な欲のない様子が家族を癒し、以前より家庭内が円満になったそうです。
すると、ますます商売はうまくいき、義姉は夫のみならず義両親ら皆に大事にされて、幸せだと聞きます。
さて、残った義母とわたしの生活は、といえば。
「おはようさん! 今日は新鮮なイカがあるよ」
「二杯ちょうだい」
「まいど!」
「昨日煮たトマトソースがあるのよ」
「そりゃいい。軽く煮込めばご馳走だ」
今朝市場で上がったばかりの魚を、行商人から買います。
「お義母様、お昼はイカとトマトのパスタにしますね」
「おや、楽しみだこと」
窓際のソファで姿勢よく縫い物をする義母が、笑顔を返してくれました。
魚を捌くのは、ここへ来てから覚えたのですが、やっと慣れてきたところです。
二人の義姉が嫁いだ後、しばらくは王都郊外のわたしが生まれた家で生活していました。
義母の伝手で、家で出来るお針子の仕事をもらい、贅沢をしなければそれなりに暮らしていけそうでした。
そうして堅実に生活しながら、義母はわたしの婿に来てくれる人を探すつもりだったのです。
ところがそのうち義母が身体を悪くし、医師から暖かい土地での療養を勧められました。
女二人の気楽な暮らしですから、誰かにとやかく言われることもありません。
わたしは家と土地を売り、海に近い南のほうに移住することを決意しました。
生前の父と取引のあった商人に連絡を取ると、貸し家を紹介してくれるとのこと。
経済的にも、ここらで家を処分し、田舎で暮らしたほうが余裕が出来ます。
義母も納得してくれたので、早々に南へ向かいました。
借りた家は、大きな農場の離れです。
農場は本当に大きくて、雇い人もたくさん。
広大な畑にぎっしりと、野菜や果物が植えられていました。
そんな場所ですから市場も遠く、必要な物の買い出しはどうするのかと、初めは心配になりました。
わざわざ行商に来てくれるのは、魚を商う人くらいです。
けれど、この農場では、得意先へのまとめての出荷とは別に、十日に一度、大きな街の市場へ作物を売りに行きます。
買い物があれば、その時に、一緒に馬車に乗って行けばいいと言われて助かりました。
しばらくすると気候にも慣れ、義母はすっかり元気になりました。
それで、何か少しでも仕事が出来ないかとそわそわし出したのです。
この農場は、数年前に亡くなられた先代の奥さんが仕切っています。
ご長男が後を継がれているのですが、まだ修行中の身。
ご長男の奥様も、お子さんが小さくてまだまだ手が離せないとか。
母屋へ行って農場の奥さんに相談すると、作業着を繕う仕事を頼まれました。
それから、わたしには他に、収穫の忙しい時に手伝って欲しいと。
手間賃はきちんともらえるのに、他に、熟れすぎて出荷できないような作物なども、もらえました。
やがて、作業着の繕いに慣れて、義母一人でも手が回るようになりました。
それで、わたしは毎日、何かしらの農作業を手伝うようになったのです。
農場の仕事というのは様々です。
畑も広く、作業する人も多い。
当然、事務仕事も雑多で、それをまとめているのは、農場の次男の方でした。
「エラさん、この収穫量の控えを、事務室に持って行ってくれるかい?」
「はい、奥さん」
わたしは言いつけ通り書類を持って事務室を訪ねました。
その時、チラリと見えた場所の計算が違っているのに気付いたのです。
「あら、ここ、計算ミスですね」
「え? どこ? ああ、本当だ。母さんも目が悪くなってきたかな」
次男のオルランドさんが苦笑しました。
「エラさん、見つけてくれてありがとう」
「いいえ、たまたま気付いただけですから」
「母さんだけでなく、畑や倉庫から上がって来る数字は間違いが多いんだ。
収穫が重なる時期には、それを見つけるだけでも天手古舞さ」
「まあ、大変そうですね」
「もし面倒でなければ、収穫期には書類の確認を手伝ってもらえないか?」
「面倒ではありませんが、大事な事務仕事に、わたしのような部外者が入っても大丈夫なのですか?」
「大丈夫、大丈夫。
うちは今のところ、裏帳簿を作る必要が無いくらい順調だ。
見られて困るものは無いよ」
オルランドさんはスマートな体型なのに、笑うとえくぼが出るのでした。
それからしばらく後、奥さんが上機嫌でわたしに言いました。
「エラさん、オルランドの書類仕事を手伝ってくれるのだって?
収穫期と言わず、毎日、そっちを優先してくれないかい?
専門の事務員を雇うほどではないけれど、少し手が足りないのも本当だから」
「構いませんが、手隙の時は畑を手伝ってもいいでしょうか?」
「おや、そんなに畑仕事が好きかい?」
「仕事はもちろん好きですけれど、その……はねたものや、熟れ過ぎたもののおすそ分けをいただけるのが助かりますので」
「しっかりした娘だね! いいことだよ。
もちろん、畑の手伝いも助かるが……そうだね、無理に兼業しなくてもいいようにしておくから、任せておくれ」
なんと、翌日から、離れに野菜と果物のセットが届くようになりました。
「おやおや、事務仕事の手伝いで、こんな高待遇をもらってくるとは、お前もたいしたものだわね」
「ええ、ちょっと頂き過ぎかもしれません」
「その分、しっかり働けばいいでしょう」
義母はどこか意味深に笑います。
事務仕事のお手伝いは、実のところ、前世の記憶のお陰で、あまり不安はありません。
オルランドさんは、よく気を遣ってくださるので、わたしはついつい甘えてしまい、余計なことを口にしてしまいます。
けれども、彼はそれをアドバイスとして素直に受け入れ、自分の仕事に活かせるかどうか真面目に検討してくれました。
尊敬に値する、なかなか立派な上司です。
農場の仕事は、基本一年間で一区切りです。
丸一年が経過して、全体像がわかったわたしは、更に事務を効率化するために思い切った提案をしました。
「……しかし、それを実現させたら、君の仕事が無くなってしまわないかい?」
「そうしたら、また、畑の方をお手伝いします」
「うーん、君がいてくれるだけでも気分良く仕事が出来るんだが、お茶くみとして居てもらうのでは、もったいないしな」
「お仕事なら、お茶くみでも何でも構いませんが」
「いやもう、その真面目と言うか仕事に前向きなところが実に好もしい。
いっそ……」
オルランドさんは言い淀みました。
「いっそ?」
「その……嫁に来てくれないか?」
「それは、随分と突然ですね」
「うん、自分でも言ってから驚いた」
わたしたちは顔を見合わせて笑いました。
オルランドさんもわたしも、結婚相手を探すには、薹が立ったと言われる年齢です。
農場のご家族や、わたしの義母が賛成してくれるなら悪い話ではありません。
善は急げと、仕事を切り上げて、オルランドさんと共に離れへ向かいました。
「おやおや、今日は随分早じまいだったんだね」
「あら、お二人お揃いで」
離れの居間では、長年の大親友のような雰囲気になった、奥さんと義母がお茶をしていました。
「母さん、どうしてここへ?」
「今日の野菜セットを届けに来たついでに、お茶に誘っていただいて」
「あまり外出する機会がないものだから、奥さんが来てくださると、つい引き留めてしまって。ごめんなさいね」
「あ、いえ。責めているわけでは……」
「気の利かない息子ですいませんね。
こんな歳になって、新しい茶飲み友達ができるなんてありがたいことに決まってます。
……ところで、二人そろって何か話でもあるのかい?」
オルランドさんとわたしは顔を見合わせました。
「……実は、エラさんと結婚を前提にしたお付き合いをしたいので、許可を……」
「あんたって子は、一年も経ったのに、まだそんなことを言ってるのかい?
そこまで奥手だったとは……」
「まあまあ、オルランドさんは紳士なのですわ。
一年間じっくり近くで見て、うちの娘を良いと思ってくださったのでしょう?」
「そう言われると、僕にはもったいないお嬢さんなのですが……」
「何を弱気になってるんだい?
ここで進まなきゃ、どうにもならないよ!」
奥さんが威勢よく発破をかけるので、わたしは思わず笑ってしまいました。
「エラさん、未だに母親に叱られる僕のこと情けないと思うだろう?」
「……いいえ。オルランドさんは、とびきり活きのいいお母様に育てられた、素敵な男性です」
「まあ、エラさん、ありがとうね。息子をよろしく頼むよ」
「はい、喜んで」
奥さんと義母と、オルランドさんと、そしてわたしもそんな調子なので、すぐに婚約がまとまり、繁忙期を避けて結婚することになりました。
結婚式は街の教会で挙げるのかと思っていたのですが、司祭様が農場まで出張してくださることになりました。
「式をするだけだと、ご馳走を食べそびれるからね」
と、披露宴への参加を希望されたのです。
気前のいい奥さんは、ついでに司祭様が世話をされている孤児院の子供たちも招待しました。
母屋の前で誓いの儀式を終え、荷馬車の御者席に二人で並んで、農場の中を一周します。
孤児院の子供たちが何人か荷台に乗って、祝福の花を撒いてくれました。
荷馬車に揺られながら、わたしはふと、シンデレラのお話を思い出して、吹き出してしまいました。
「エラ、どうしたの?」
「昔読んだおとぎ話にね、カボチャの馬車でお城に行くお話があったのよ」
「すると、これはいつもトマトを運んでる荷馬車だから、トマトの馬車かな?」
「そうね。そして、あなたはトマトの園の王子様ね」
「王子様か。お姫様のように美しい君をお嫁に貰ったんだから、志高く頑張るよ」
「頼もしいわ」
「ああ、このまま君とどっかにしけこみたい」
「あら、王子様らしくないわよ。
それに、荷台で頑張ってくれた子供たちにご馳走を食べさせる使命があるわ」
「そうだった。司祭様に怒られるところだ」
披露宴も無事に終わり、新しい義母となった奥さんにしみじみと言われました。
「長男には畑を任せてるから、事務の方はこの子頼りでね。
忙しいせいで、いい人を見つける機会を逃させたかもと思ってたんだよ。
だから、エラさんが来てくれた時、もしかして、って期待してたんだ」
義母も、この際だから、と口を開きます。
「私もお前に頼りっぱなしで、悪いことをしたと反省してましたよ。
あの夜会に、どうして連れて行ってやらなかったんだろうと後悔したこともあります」
「いいえ、わたしはこれまで楽しく生きて来られました。
それはみんな、奥さんやお義母様を始め、先達の皆様のお陰ですわ。
ここまで導いてくださって、ありがとうございます」
上手くまとめたつもりでしたが、義母が訝しむような顔をしました。
「お前は時々、出来過ぎと言うか、少し老練な雰囲気を出すわね」
確かに、家事だけが取り柄の箱入り娘にしては、いろいろと小回りが利き過ぎている気もします。
まさか、ここで実は前世の記憶が、とは言いだせるはずも無く……。
「お義母さん、その見通せないほど懐の深いところがまた、エラの魅力なんですよ」
「おやまあ、これはご馳走様だこと」
夫があまりに真剣に言うので、二人の義母は大笑い。
フォローしてもらったはずのわたしまで笑うので、少しむっとした彼でしたが仕舞いには一緒に笑い出しました。
とにもかくにも、皆の小さな期待や希望は無事に実を結びました。
トマトの園のシンデレラは、末永く幸せに暮らせるよう、精進することといたします。