王様の娘は魔女になりたい
「私は魔女になる」
庭を二人で歩いている途中で、ネフティがとんでもないことを言いだした。
「魔女になるって、じゃあ王妃になるのはやめるの?」
僕は尋ねた。すると、彼女は首を横に振った。
「王妃にはなる。でも、王妃というのはすごく忙しいでしょ? それに、暗殺者に命を狙われたり、呪いをかけられたりもする。そんなとき、魔法が使えたら便利だと思わない?」
そりゃ、魔法が使えれば便利だろうけれど。
「別に魔法を覚えなくても、魔女を雇えばいいだけじゃないかな」
ついこのあいだも、魔女が王宮に来ていた。ああいう風に呼び寄せれば、なにも魔法を使えるようになる必要はないんじゃないか。
「何を言ってるの。自分で魔法を使えたほうが、どう考えたっていいでしょ。めんどうくさい書類仕事だって、小人を召喚して全部やらせればいいんだから」
「魔女って小人を召喚できるの?」
「知らない」
じゃあ、できないかもしれないってことじゃないか。それに、問題はほかにもある。
「そもそも、魔女になるってことは魔女の弟子になるってことだろ? そんなことしたら、王様に怒られるんじゃないかな」
「そっか、うーん。じゃあ、オーリスが魔法を覚えて、私のために魔法を使って」
「やだよ、そしたら僕が怒られるじゃないか」
「じゃあ私にどうしろって言うの?」
諦めろ、とは言いにくい。この前のことがあるから。13歳にもなって木に登ろうとしていたのでやめさせたら、「もうついてくるな」なんて言われてしまった。
そのあと、なんとかなだめたから今もこうして一緒にいられるが、あの時はひやひやした。ここでネフティに嫌われるのだけはまずい。なんとか、それとなく彼女の気を変えないといけない。
「あ、そうか。お父様には内緒で魔女のところへ行けばいいのね」
僕が何も言えないでいる間に、ネフティが自分で勝手に答えを出してしまった。
「しかし、見つかったときに私だけが怒られるならまだしも、オーリスまで怒られてしまったら悪いし。やっぱり私一人で行ってくるね」
「だめだめだめだめだめ!」
僕は走り出そうとするネフティの手をとっさにつかんだ。つかんでしまってから、恥ずかしくなってぱっと放した。幸い、ネフティは手を引っ張ったことで立ち止まってくれた。
「なにが不満なの?」
「一人で魔女のところに行くなんて危険だ。僕もついていく」
ネフティが僕の目をじっと見た。
「お父様に告げ口しない?」
「し、しない」
「わかった、信じる。じゃあ、一緒に行こう。幸いあんたは、剣を持ってるからね。いざというときはよろしく頼むね」
僕はうなずきながら、不安を感じた。僕は剣を扱うのが苦手だ。そもそも、喧嘩自体、あまり好きじゃない。歳だって、ネフティの一つ上、というだけで、僕よりも年上で力強い人なんていっぱいいる。もっとも、今はそういう手練れを呼ぶわけにもいかないのだ。
僕らは、街へ行く用の質素な服装に着替えると(普段着で行くと、身分がばれる)城の庭に数多くある抜け道の一つを通って、城を抜け出した。ネフティは城を抜け出してから、迷いのない足取りで進んでいく。
「魔女の家のある場所を知ってるの?」
「ええ。この前、城に来た魔女を家までつけていったの。その魔女のことは覚えてる?」
覚えている。城に来る前から、死者をよみがえることができるとか火を吹くとかいう噂で場内が盛り上がっていた。
だが実際に本人を見てみると、ちっちゃくて、いかにもうさんくさそうな顔をした老婆だった。王様に、「未来を知ることができるというのは真か」と聞かれたときには、無理だとはっきり答えていた。魔法使いも大したことないんだな、と思った記憶がある。
なぜ気づかなかったんだろう。ネフティはあのばあさんに弟子入りするつもりなんだ。
「ねえ、やっぱりやめよう。いくらなんでもあのばあさんはうさんくさすぎる」
「なに言ってるの、あの胡散臭さがいいんじゃない。魔法そのものがうさんくさいんだから、胡散臭い人でなきゃ魔法が使えないのは当たり前でしょう」
一瞬、納得しかけたけれどよく考えたらおかしい話だ。魔法もばばあもうさんくさいんだったら、両方信用できないってことじゃないか。と、そんなことを思っていたら、ネフティが立ち止まった。
「ここよ」
どうやら、魔女の家に着いてしまったらしい。それはイメージの中にあった、へんてこりんでまがまがしいものからは程遠く、ちょっと小さくてぼろいこと以外は、特に普通の家と変わりなかった。
「すみません、どなたかいらっしゃいますか?」
ネフティが入口の前から呼びかけた。
「入んなさい」
奥から、しわがれた声が聞こえてきた。僕たちは、声の指示に従った。
家の中の暗がりの奥に、老婆があぐらをかいて座っていた。家の中が薄暗くてよく見えなかったが、魔女だということはわかった。体の小ささも記憶の中のそれと合致している。
「どういう用事でやってきたんだい?」
「私たちに魔法を教えてほしいんです」
私たちって。さりげなく、僕まで魔法を教わることにされている。僕は別に、魔法なんかに興味はないのに。でも、ここで魔法を学ばないと言って、仲間外れにされたりしたら彼女と一緒にいられなくなってしまうので、黙っておいた。
魔女は何も言わなかった。ネフティは、さらに続けた。
「あなたのことを人から聞いて知りました。私もあなたのように魔法を使えるようになりたいのです。どうか、魔法を教えてはくださいませんでしょうか?」
魔女はまだ何も言わない。耳が遠くて話が聞けてないんじゃないか、と思って僕は顔を覗き込んだ。すると、彼女がネフティの顔をじっと見ているのが見えた。僕は急に恐ろしくなった。
「ふぇふぇふぇ」
魔女が笑い声をあげた。
「何か、私の言ったことでおかしいことがございましたか?」
ネフティは尋ねた。
「魔法使いになりたいのなら、試練を受ける必要があるのよ。大人だったら誰でも魔法使いになれるってわけじゃないのさ」
「試練とは、どのようなものなんですか?」
僕は尋ねた。ちょっとでも危険なものなら、たとえネフティを引っ張ってでも連れて帰らなくてはならない。
「この家に一日い続けること」
「え、それだけでいいんですか?」
魔女はうなずいた。
ネフティを諦めさせられるほど、難しいことじゃないみたいなので、僕は残念に思った。
「わかりました。じゃあ、家に帰って親に話をしてくるので」
「待ちな。もう試練は始まってるよ。今、家を出たらもう魔法使いにはなれないからね」
それはさすがに困る。僕らが二人そろって城に帰らないとなったら、国中が大騒ぎになる。あげく、得体のしれない魔女の家に無断で泊まっていたと知られたら、三人ともただでは済まない。
「ネフティ、帰ろう」
「え、いやよ」
「でも、このまま家に帰らなかったら、親が心配するよ?」
「道に迷ったところを、このおばあさんに助けてもらったとか言えばいいじゃない。一日あればそれらしい話なんていくらでも思いつくわ」
「そんなに困っているんなら、三時間に減らしてあげたっていいんだけどねえ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
ネフティはうれしそうに言った。
「時間なんてどうだっていいのさ。どうせ、駄目な子は一時間もしないうちに逃げ出すし、平気な子は一週間でも居座り続けられるからねえ」
魔女は立ち上がると、燭台を二つ持ってくると、僕とネフティの前に置いて、ろうそくに火をつけた。目の前が少しだけ明るくなり、魔女の顔がよりいっそう、はっきりと見えるようになった。
魔女は座り込むと、それきり動くことも、話すこともしなくなった。静寂が部屋を満たした。僕は揺れる火を見つめた。風がないにもかかわらず、火はときおり、左右に揺れていた。オレンジ色の光が、暗闇の中で舞っているみたいだった。背後からわずかに差し込む光がなければ、夕暮れを過ぎた頃だと勘違いしそうな雰囲気だった。
ざわざわ、とどこからか人の話し声が聞こえた気がした。僕は顔をあげた。話し声がさらに大きくなった。話し声が聞こえてくるのは、ちょうど魔女の後ろあたりからだった。そう思ったころには、広場に民衆が集まっている時みたいにがやがやと騒ぐ声が聞こえてきた。
でも、この家の裏に広い場所なんてなかったはずだ。あったとしても、細い道ぐらいのものだ。
外で何が起きているのか、確かめたいけれどもそれはできない。外に出てしまったら失格になってしまう。
そのうち、話し声に混じって、音楽が聞こえてくるようになった。明るく、踊りだしたくなるような音楽だったが、暗くて不気味なこの家の中では、とても場違いな音楽のように思えた。
音楽が、だんだんと大きくなってきた。それは次第に、人の騒ぐ声よりも大きくなった。その時になって僕は、音楽が大きくなっているわけではないことに気づいた。音楽の聞こえる場所が、僕のほうに近づいてきているのだ。
しかし奏者は誰一人見えなかった。奏者のいない音楽がひとりでに移動するはずがない。それなのに現実では移動していた。
音楽が僕の目の前で鳴り響いていた。そして音楽が、僕の中へ入り込んできて、体の内側で鳴っていた。それから、音楽が通り過ぎていって、後ろへと遠ざかっていった。
ここには、見えない何かがいる。とっさにそう思った。きっと、見えない化け物か何かがこの家に集まっているのだ。あの騒いでいる声の正体もそれかもしれない。そう考えるようになると、急に怖くなってきて、今すぐこの家から出たくなった。
隣にいるネフティを見た。ネフティは前をじっと見つめていた。顔には、怯えも驚きもなかった。ただ、魔女のほう、あるいは騒いでいるやつらのほうをまっすぐ見ていた。
「ネフティ、今の聞こえた?」
「オーリスも聞こえてたの?」
僕はうなずいた。
「怖い?」
「いいや、全然」
僕は嘘をついた。ネフティが怖がっていないのに、僕だけ怯えているというのはいくらなんでもダサすぎる。
「よかった。てっきり、怖いから出ようとか言い出すかと思った。あなたには立派な魔法使いになってもらわないといけないんだもの」
「まあ、うん」
「そろそろ慣れてきたころかい。じゃあ、あんたたちのどっちか、お茶を淹れておくれ」
魔女が言った。
「私がやります!」
ネフティは勢いよく立ち上がった。
「お茶の葉はどこにありますか?」
「茶葉はそこ。鍋がそこ。水はそこの甕に入ってるよ」
ネフティは慣れた手つきでお茶を淹れ始めた。王様の娘で、お茶が淹れるのに慣れている人なんて、ネフティぐらいだろう。召使が淹れてくれるのだから覚える必要がない。
やがて、ネフティは紅茶を運んできた。ちゃんと三人分ある。僕はネフティの淹れた紅茶を飲んだ。いつも飲むお茶とは違う風味だが、それは茶葉が違うからだろう。ネフティの淹れ方は間違っていないのだろうが、茶葉が悪いのか変な匂いがする。
魔女は、そんなお茶でも平気な顔をして飲んでいた。魔女は紅茶を一口含んだ後、それきり口をつけず、黙って目をつむっていた。
やがて、魔女が口を開いた。
「ふうむ、あなたは王様の娘だったのですね」
「え?」
ネフティが、呆けたような声をあげた。
僕は、声こそあげなかったが驚いていることに変わりはなかった。僕もネフティも、この魔女とは一度も顔を合わせたことがない。第一、魔女が僕たちのことを見たことがあるなら、最初に僕らを見たときにそう言っていたはずだ。
「魔法を学びたいのは国政に役立てるため。で、隣の男の子は異国の王子様というわけですか。この国へは、教育のために留学しているというわけでしたか。ああ、それと母親の服を着て遊ばないことです。あなたのお母さまは気づいているし、いい顔はなさっておりませんよ」
「なんで、わかるんですか?」
否定しないあたり、本当らしい。ネフティがそんなことをしているなんて、僕ですら知らなかった。
「ふぇふぇふぇ、人に淹れてもらった紅茶を飲むと、その人のことが自然と頭の中に入ってくるのですよ。しかし、畏れながら申し上げますが、あなたたち二人に魔法を教えることはできなくなりましたな」
「それはなぜですか?」
ネフティは尋ねた。
「魔法使いにはルールがいくつかございます。そのうちの一つに、魔法使いになったら、人生のすべてを魔法に捧げなければならないというものがございます。それは王族であっても例外でなく、今までの立場を捨てて魔法使いにならなければならないのです」
「そんなルールがあったのですか」
「困ったことを魔法で解決したくなったら、私を呼べばいいのです。私にできることなら、解決してあげましょう」
「わかりました。今日はありがとうございました。帰ろう、ネフティ」
僕は言った。
魔法使いになるのは不可能だとわかってよかった。こんな変なところ、一刻も早く出たいと思っていたのだ。声や音楽には慣れてしまったとはいえ、これから他にどんなことが起こるかわからない。さっさと出たほうがいい。
「待ってよ」
しかしネフティは出て行こうとしなかった。
「どうしたの? 魔女にはなれないって言われたじゃないか」
「別に、魔女になれないと決まったわけではないでしょ? 私が、王妃になるのを諦めればいいだけじゃない」
「何言ってるの?」
「私は、今まで立場を捨てて」
「ちょっと待って。王妃になるのが夢だったんじゃないの?」
僕はネフティの言葉をさえぎって言った。
ネフティが王妃になることは、王様だって望んでいるはずだ。もちろん、僕も。
「私、王妃よりも魔女になりたかったの。さすがにみんな怒ると思ってたから黙ってたけど」
「なんで?」
「あなただってわかってるでしょ? 王妃になったら偉くはなれるかもしれないけれど、そんなのみんな、大したことないのよ。どんなにおいしいものを食べても、きれいな服を着ても、うれしいのはその時だけ。老いて死んだら、何もなくなっちゃうでしょ。そんなものにしがみついて、何の意味があるというの?」
ネフティの言っていることは正しいかもしれない。しかし、死ぬまでに貧困にあえぎながら死ぬのと、豊かな暮らしをして安穏に死ぬのとでは全然違う。
「それだけの理由で、豊かな暮らしを捨てるっていうの?」
「豊かな暮らしが大事みたいに言うけど、その豊かな暮らしは貧しい人たちの苦しみの上に成り立っているのよ」
自分さえよければ庶民のことはどうでもいいのか、そう言われているような気がした。僕は胸をナイフでぐさりとやられたような気分だった。
「王妃の椅子なんて、針の筵の上に置かれた椅子みたいなものよ。いい気分なのは椅子に座っていられるうちだけよ。私は人から与えられた椅子に座るんじゃなくて、自分の手で居場所を手に入れたいの」
僕は驚愕した。どれもこれも、今日初めて聞くようなことばかりだった。いつも、とんでもない行動ばかりしていると思ったら、これほど真剣に将来について考えていたなんて。
そう気づいた途端、僕は自分がとても卑しくて、愚かな人間になったような気がした。王族でいられれば何も苦労せずに生きていけると思っていた自分が恥ずかしくなった。
「だから、私を止めないで。私は魔女になる。オーリス、あなたは好きにすればいいわ」
「いや、僕も魔法を学ぶよ」
僕は危うく、二つのものを失うところだった。ネフティともう一つ、強さだ。ネフティがいなければ生きていけないが、強さがなければ何も守れない。王族であるというだけでは、不十分だったのだ。
「あんたたち、本当にそれでいいのかい? 一度そうと決めたら、後戻りはできないよ」
魔女は言った。しかし、僕の中ではすでに覚悟が決まっていた。
「よろしくお願いします」
こうしてネフティと僕は、魔法使いになる道を進むことになった。