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アグラートという女

 アグラートは緊張しているのか話しかけられると喋るものの、それ以外では姿勢良く従魔車の椅子に座っていた。

 乗り降りは山吹が抱えて、普段は例の車輪付きの椅子で誰かに押されないと移動ができないらしい。

 やはり左手もなく足が動かないというのはものすごいハンデだが、忍も全くの考え無しで引き受けたわけではない。

 アグラートは人としては異常な量の魔力を持っていた、なにせ近づいただけで違和感を感じるくらいなのだ、魔法使いならば上級は確実だろう。

 闇の魔法ということは使える魔法の内容もかなりトリッキーなものだし、有用だ。

 まあ、千影がいなければという一言がつくわけだが。


 次に足の感覚がまったくないわけではないということ、さわればわかるし指先が動くこともある。

 これはつまり神経がつながっているということだ、それならば回復の目があるとどこかで聞いた気がする。

 義手をつけるにしても肘が残っているのでフック船長的なものをつければ日常生活だって出来るかもしれない。

 無論大変な根気とリハビリが必要なのだが、そこは本人のやる気次第だろう。

 鬼謀に魔導具の作り方を教われば魔法屋をやることもできるかもしれない、魔力があるというのはそれだけで有利なのだ。


 従魔車に揺られながら車椅子を作る算段をしながら宿に帰ってきた忍は、恒例のアレをアグラートにおこなった。

 そして新たな問題が浮上したのである。


 恒例のアレ、千影の精神攻撃による敵意の見極めを行なおうとすると千影の闇がアグラートの体に弾かれた。

 ベッドに寝かせて騒ぐな、抵抗するなという命令をしているのでこれは何らかの魔術がかかっているということになり、忍が【抗魔相殺】で魔術を打ち消す。

 そして再びの千影の精神攻撃が成功しアグラートがどのような人物かがわかってきた。


 『忍様、この娘は魔人です。年齢は二十一、オリオン家の娘というのも本当のようですが、母親はメイドではありません。暗殺者サラマンドラ、ガスト王国の諜報工作員です。そしてこの娘は十二でガスト王国の諜報工作員、暗殺者としての訓練を終了し、実際に人も殺しています。魔法の適性は闇と火、そして、足が動かないのは自ら毒を飲んでいるからです。偽装工作ですね。』


 「……スパイかよー……。」


 これが頭を抱えずにいられようか、千影を拒んだ魔術、師匠である母親が名の通った暗殺者、複数属性持ちの魔法使いの現役スパイ女子ってどれだけてんこ盛りなんだ。


 『左手と顔の火傷は実際の怪我ですが、フォンテーヌに激昂させるように仕向けたのはアグラート自身です。忍様の奴隷になったのは隠れ蓑にして暗殺や諜報を繰り返すつもりだったようで奴隷契約に干渉するための魔術も使っていたようです。』


 「げ、この契約はなにか不備がある状態なのか?!」


 『いえ、命令に逆らえていないのできちんと契約は結ばれております。アグラートが一番ビックリしていますね。殺さないのであれば忍様を害さない命令を与えることをおすすめします。それと、国に対する忠義などは薄いようですので千影に少し考えがございます。ぜひお任せください。』


 「お任せくださいって言われても……」


 『山吹と鬼謀には仕事をお任せになったと聞きましたので、ぜひ千影にも機会をお与えいただきたいです。それにアグラートは千影の知る悪人という種類の人です。必ず忍様のお役に立つ結果を出してみせましょう。』


 「わ、わかった。任せる。」


 自信満々で詰め寄ってきているような気がする千影の圧に負け、任せることにした。

 すると千影の水のような闇が転がっているアグラートの全身を覆い、微動だにしなくなった。


 「主殿、これ、大丈夫なのですか?」


 「昔こうなってビクンビクン跳ねてた子がいたけど生きてたから……。千影には二度と逆らわなかったけど。」


 『旦那様ってこういうのが好きなの?』


 「無表情なウサギがドン引きしてる気がする?!」


 この日はアグラートのことでドタバタして、予定していたニカへの連絡の時間を過ぎてしまったのでまた明日改めて連絡することにした。

 とりあえずはやることをやりつつ寝て起きるとアグラートは荒い息が聞こえたりなんだかいろいろな液体が染み出したりしていたが、朝になってもまだ真っ黒な塊のままだった。


 『部屋を暗くしておいていただきたいです。少々念入りに調教しておりますのでもうしばらくお待ち下さい。ふふふ……』


 「なんか変な笑い漏れてるんですけど…。」


 『旦那様、部屋がちょっとすごいにおいしてるから今日は外いこう。会計係の行動も大体わかったから。』


 「お、おう。じゃあ今日は冒険者ギルドに行くか。」


 調教って言ってたが怖すぎるので突っ込まないことにする、部屋の匂いが少しまずいことになっていた。

 千影に程々にするように言って部屋を出るが、帰ってきた時にどうなっているか……お金がないのでクリーニング代がかかるような状況にならないといいのだが。

 あ、カシオペア邸で山吹がバラバラにした机も弁償しなければいけないか、挨拶に行くとき一緒に謝ろう。


 一つ何かが片付くと新しい問題が浮上してくる。

 終わりの見えない作業が延々と続くのが人生というものだ。

 冒険者ギルドにはその究極系にも思える書類の山を延々と処理し続ける男がいた。


 「プレパラートさん、おはようございます。」


 ノックにも声掛けにも返事はなく、男は鬼気迫る表情で書類の処理をしている。

 昨日はフェリスが心無い言葉で作業を中断させていたが忍は絶対やりたくなかったので、とりあえずソファに座ってプレパラートを観察することにした。

 両手はせわしなく動いているもののプレパラートの目は机の一点を凝視している、そこに一枚づつ紙をセットして目を通し、サインをしているのだ。

 一定の動きでガラスペンにインクを浸し、サインをして判子を押す。


 忍はプレパラートの脇に立ち、タイミングを見計らってインク壺を取り上げた。

 プレパラートはそれに気づかないまま同じ動作を繰り返す、数枚書いたところでペンが書けなくなりプレパラートは異変に気づいた。


 「インク!どこだ?!壺が消えただと?!」


 「プレパラートさん、おはようございます。」


 「あ、ああ、忍さんか。なんの用だ?」


 「スワンさんから聞いたのですが、賞金首の討伐も上級以上なら受けられるとのことでしたので。」


 「ふむ、クラゲでいいか?」


 プレパラートに目的の相手を言い当てられて驚く。

 山吹も武器に手を掛けるがプレパラートが話をつづけた。


 「無駄は嫌いでな。忍さんの奴隷がクラゲにやられたって話はギルドにも入ってきてる。スカーレット商会の商会主なんだろう?」


 「……他言無用にしてくれると嬉しいのですが。」


 「くっくっく、素直すぎるな。カマをかけただけだ。本当にスキップ・ミリオンだったか。安心しろ、秘密は守る。特級は特別待遇というところに偽りはない。敵対しても勝てないからな。」


 プレパラートの笑いは悪役のそれだった。

 立ち上がったプレパラートは鍵のかかった本棚を開け、その中から一冊の本を取り出した。

 紐で綴じられたファイルのようなもののようで、そこをパラパラとめくると忍の前に開いて置いた。


 「暗殺者クラゲ、本名や外見は不明だが女らしくツキカゲモドキの毒を使う。この毒自体も解毒剤も希少でもし受けてしまったら魔法で解毒するしか無い。また、布と針を使って戦うようで、ふわふわと空中に浮いた布で視界を遮られて逃げられたっていう証言がある。つまり魔術を使うってことだ。詳しくはその報告書を読んでくれ。終わったらそこにおいたまま出ていってくれていい。」


 空中にふわふわと浮かぶマントや布、忍としては幽霊のほうがしっくり来るがたしかにクラゲにも見えるかもしれない。


 「おい、壺を返してくれ。」


 「あ、失礼しました。」


 インク壺を返すとプレパラートは机の寸分たがわぬ位置にインク壺をおいて書類整理を再開した。

 忍と山吹と鬼謀の三人は出してもらった資料を机において三人で読みはじめる。


 『活動はここ数年、マクロムの中でのみのようですね。』


 『貴族や豪商を中心に六人、スキップで七人目かな。』


 三人とも黙って資料を読んでいるがすべての声が聞こえているのは忍だけである、いないとよく分かる千影のありがたみ、念話の魔術がほしい。


 そもそも忍の従僕たちはあまり協力行動をしない。

 鬼謀と山吹やニカのような例外はあるがだいたい個人の力で色々とすまそうとする、忍が手伝うのも嫌がることが多い。

 気持ちはわかるのでうるさく言う気はないが、このままだと変な意地を張って死んだりしそうなのがいる。

 報連相は集団の基本、お互いを補い合えるような体制になっておきたい。


 『ん?補う?補う、か?』


 『旦那様、なにか思いついた?』

 『主殿、なにか思いつきましたか?』


 念話にも疲れてきたので忍は思いついたことを独り言に見せかけて説明する。


 「被害者はなにか特別な日に死んでる。舞踏会、会食、パーティー、開店式、女性はドレス、男性は礼服。で、一度取り逃がした時に見つかったクラゲは屋敷のメイドと入れ変わってた。こいつ、着替えを狙うんじゃないか?」


 貴族は服を着替える際にメイドや執事に手伝わせることがある、特にドレスを着る時のコルセットはメイド数人がかりでぎゅうぎゅう締める女性もいるくらいだ。

 晴れの日なら絶対に成功させたいものだ、いつも以上に気合を入れて失敗のないようにするだろう。

 動員される使用人も増えるし紛れるチャンスもあるということだ。


 根拠はもう一つ、スキップの服だ。

 ツキカゲモドキの毒は青い色をしている、服の上から毒針を刺された場合、小さな青い染みができるはずなのだ。

 しかし、よくよく思い出してみるとスキップの服には青い毒のシミがなかった。

 注射のようなものを使えばそういう事もできるかもしれないが、この世界に注射があるという話は聞かない。

 つまりスキップはドレスを着る前に毒針を刺されたということになるのだ。

 この手口ならこっそり近づく必要もないので鬼謀の耳でも察知できない。


 忍の予想が正しければクラゲは標的を調べて行動をきちんと把握してから暗殺する計画犯だ。

 ならば、スキップがこの街に来た初日に狙われて殺されるというのはいささか出来すぎている。

 スキップは宿を決めていた、問題はそれがどこから漏れたのかだ。


 『あの日の着替えは宿の用意した人が三人ついてくれてたよ。顔も分かる。』


 『よし、会計係を済ませたらあの宿を調べよう。』


 方針は決まった、追える糸口が増えたのは良かったかもしれない。

 昨日はあんな感じで分かれてしまったが、特級の話を持ってきてくれたフェリスにもお礼を言おう。


 『二人はなにか気がついたか?』


 『とりあえず内容だけは目を通したけど、気がついたことは旦那様も気づいてるからね。』


 山吹からは返答がなかった、どうやら読み込んでいる間に寝たらしい。

 パコンと兜を叩いて中身を起こすと寝てないと言い張っていたが、言い訳を聞かずそのままギルドマスターの部屋を後にした。


 階段を降りて待合の椅子のところまで来るとフェリスが長椅子を占領して寝転がっていた。

 こちらを見つけて不機嫌そうに睨んでくる。

 ものすごく声をかけづらいがお礼を言おうと決めたばかりだ、声をかけよう。


 「おふぁようフェリス。」


 声が裏返った。これだからコミュ障ってやつは。


 フェリスは怪訝そうにこちらを睨んだまま微動だにしない。

 嫌な汗が吹き出す、すでにお腹が痛くて吐きそうだ。


 「おじさん、アグラートさんをどうするつもり?」


 忍は声をかけた自分を呪った

 これはどう答えても地雷である。

 正直に答えれば大騒動は免れないし、嘘はつきたくない。嘘が下手すぎてバレバレだし。

 このまま黙っているくらいしか出来ることがない。


 「すまない。それ、何も言えない。」


 「はああぁ?!あんたはそこらの成金とは違うと思ってたのに!あたいが馬鹿だったわ!出てけこの変態!!」


 誤解だと叫ぼうとしてはたと気づく、千影のやっていること如何では誤解でもなんでもないのではなかろうかと。

 馬鹿なことを考えている間にフェリスが弓に手をかける、同時に山吹が弓をはたき落とそうと前に出た。

 しかしフェリスは横っ飛びに回避し、つがえた矢を忍に放つ。

 忍の頭の上から飛び降りざまに鬼謀がその矢をはたき落としたが鬼謀が着地をするより前にフェリスは次の矢を放っていた。

 忍は咄嗟に反応したが素手ではどうにもならず左手のひらを矢が貫通した。


 「やめろ!命令!」


 「偉そうに言うな!」


 追撃しようとした山吹と鬼謀に命じた内容がフェリスの神経を逆なでしたようで、フェリスは一気に三本の矢をつがえ忍に向けて放つ。

 しかし少々溜めが長いその技のお陰で忍の右手が間に合った。


 「矢をそらす!」

 「【束ね矢】三撃!」


 フェリスの撃った矢は忍からそれて壁にボウリングの玉ほどの穴を開けた。

 三本の矢がひとかたまりになって打ち出されたようで、魔力を少し帯びていたようだった。


 「はあぁ?!なんで外れるの?!」


 「ここまでにしないか?ギルドに人がいないとはいえまずいだろう?」


 机の下に隠れていた受付のお姉さんがそっとこちらの様子をうかがっている。

 忍の汗が止まらない、左手の痛みとフェリスの冷たい視線と受付のお姉さんの怯えた……あれ、なんかニヤついてる。

 取り乱した他人がいると冷静になるというのはよくある話だが、忍もそういう類の精神構造をしていた。


 「バカーラ!何ニヤついてるのよ!」


 「え、派手な痴話喧嘩だなーって。」


 「は、はああぁぁ?!!」


 バカーラ、図太い。

 言い争いをはじめるフェリスとバカーラを横目に鬼謀を拾い上げてナデナデしながら成り行きを見守った。

 さまようヨロイ、ウサギ、チベットスナギツネの虚無表情三人組が見守る中二人の言い争いはヒートアップしていくが、どうやらバカーラの中では忍はフェリスのパトロンということになっているらしい。

 この間の魔導書の依頼に気を良くしたフェリスが口を滑らせて、このギルドの中で忍はフェリスのパパ扱いになっているようだ。


 『主殿、傷を直しますゆえ。』


 「ああ、自分でやるよ。フェリスの怒りもわかるから二人とも許してやってくれ。さっきの命令解除するけど攻撃はなし。いいね。」


 『旦那様、あの最後のやつ当たってたら死んでたよ?穴ちゃんと見た?』


 忍が穴を見てみると冒険者ギルドの壁を貫通して、隣の建物も貫通して、その二つ先の建物の壁まで同じ大きさのきれいな穴が空いていた。

 冷静になって一度止まっていた汗が再度滝のように流れ出す。容赦がなさすぎませんか。

 矢を抜いて【ウォーターリジェネレーション】をかけると血が止まったのですぐに治るだろう。

 取り出した布を巻くと受付で言い争っていた二人がいつの間にかこちらを観察していた。


 「あのー、身動きできない女の子を奴隷にしたって本当ですか?」


 「それ提案してきたの取引先ですからね?!だいたい取引の場にフェリスがいたのになんでそんな一部だけの話になってる?!」


 「事実よね。」


 「魔術書をもらっただけです。そこ説明しといてください。あとさっきの当たってたら殺されてたよね。」


 「変態は死ね!」


 とりあえずフェリスには法律も何も通用しなさそうなのはわかった。

 これが清く正しい荒くれ者というやつか。


 「ずいぶんな物言いではないか。力を振るうのを止められていなければこの場ですりつぶしてやるものを、調子に乗っていると早死するぞ、小娘。」


 「山吹!」


 「え、うそ!中身女性なんですか?!え、でも従魔って?!」


 我慢できずに山吹がフェリスに物申した。

 バカーラには兜で声がくぐもっていてもきちんと判断がついたらしい。

 フェリスも山吹に挑発されたことより従魔が喋ったことに、さらにそれよりも中身が女らしいということの方に驚いたようで叫ぶのも忘れてフリーズしたようだ。


 「取り敢えず帰ります!フェリスさん昨日はギルドマスターのところにつれてきてもらって助かりました!それでは!」


 もはや口調に気を使う余裕もなくその場の勢いに任せて山吹を押しながら冒険者ギルドから逃げ出す。

 山吹は最後までフェリスの方を向いていた。

 兜の中ではかなりの形相で睨んでいるのだろうことは容易に想像ができた。


 『主殿の言いつけを守りうっかり殺さないように気をつけてきましたが、うっかり殺してしまうくらいには力を振るっても良いようですね。』


 「いや、フェリスが特殊なんだ。これからもうっかり殺さないように頼む。鬼謀もな。」


 「チッ。」


 ウサギの状態での舌打ちはギャップがあるなぁ。

 時刻は午前十一時、もう少し時間を潰さなければ部屋の中に変化はないだろう。

 忍は街を歩きながらたっぷりと悩んだ後、冷え切った体を温める風呂がないことに絶望しつつ宿に帰るのだった。


 忍たちが宿の部屋に帰ると、部屋はきれいに掃除されて今朝のひどい匂いは欠片も残っていなかった。

 窓は開け放たれており部屋の中央に置かれた車輪付きの椅子には精霊の壺を膝に抱えた仮面の女が座っていた。


 「ただい、ま?」


 「おかえりを心待ちにしておりました、偉大なる王。王の名もなき道具としてこの身をいかようにもお使いください。王の望みはこの魂の望み、王の喜びは道具の喜び、王の命令は必ず来たる運命でございます。」


 忍はダッシュで部屋の鎧戸を締めると山吹と鬼謀を部屋に引っ張り込んだ。


 「山吹、今すぐ部屋に【サイレンス】を頼む。」


 「……使いました。」


 「ちかげえぇぇぇ!!!正座ああァァァ!!」


 この段階で忍が理解していたことは一つだけ、千影が明らかにヤバい何かをやらかしたということだけであった。

 忍の叫びに真っ黒い影が人の形を作り、床に正座した。


 「千影、説明。」


 『申し訳ございま』


 「千影、皆に聞こえるように声を出して説明しろ。」


 「申し訳ございません。」


 千影は変身すると声を出せるが、慣れた方法のほうが喋りやすいのか普段は思念を飛ばしてくる。

 しかしこの状況で思念を飛ばされると全員に聞こえているかどうかわからない、千影はたまーに特定の者にしか念話を飛ばさないことがあるからな。


 「ああ、千影お姉様にあのような態度をとることを許されるとは、やはり王は偉大なのですね。」


 アグラートが呟いている内容が聞こえてしまった。

 いつから千影はお姉様になったんだろう。


 「アグラートには諜報工作員、暗殺者の教育を受けた記憶がありましたので、その教育が間違いだと根気強く説得しました。」


 「なんでそれで昨日までオドオドしてた子が、偉大なる王、とか言い出すの?!」


 「教育の目的が王族に絶対の忠誠を誓わせるというものでしたので、仕えるべき素晴らしき王がガストの王族などではなく忍様だと懇切丁寧に再教育したということです。」


 「洗脳教育かい?!」


 偉大なる王のところだけアグラートの口調を真似てみるがいまいちだった。

 つまりはアグラートが受けた洗脳教育を再度体験させて洗脳をやり直したということなのだろう。

 それ、悪役が違う悪役に吸収される時のパターンだからね。


 「王侯貴族から町娘、盗賊まで完璧に演じ分けられます。ガスト王国で最も厳しい基準の訓練とオリオン家による魔法と魔術の高等教育、魔人でありながらノーマルの容姿であること、全ては偉大なる王にお仕えするために必要なことでした。お気に召しましたでしょうか?」


 「色々すごいね!アグラートさんはちょっと黙っててくれます?!」


 千影に助け舟を出そうとしたのかアグラートが自己アピールをしてくるが今はそれを聞く時間ではない。

 なんかこの熱狂的な感じが千影のストーカーが発動したときに似ていてちょっとした恐怖を感じる。


 「確実に忍様を害するアグラートを殺さないために千影は全力を尽くしました。何が問題なのでしょうか?」


 そう言われてはたと気づく、そうだ、殺されるかもしれなかったんだった。

 忍の倫理観で千影を責めるのはお門違いも良いところである、フェリスに激昂されてすっかり忘れてしまっていた。

 千影は忍の意を汲み、アグラートを殺さないで事態を収拾したのだ。

 もちろん心境としては針の筵でタップダンスをするくらいの思いだが。


 「うー……あーもう!問題ない!私が馬鹿だった!千影はよくやってくれた!声を荒げてすまなかった!」


 「忍様?!そんな、全ては千影の至らなさです!」


 忍は千影に土下座をした。

 千影は理不尽に責め立てられたにもかかわらず忍の頭をあげさせようと必死になっている。


 「主殿、千影殿、そのあたりにいたしましょう。アグラートは主殿に忠誠を誓い、仕えるということでよろしいですか?」


 アグラートは山吹の質問に首を縦に振った。

 その後の質問にもなぜか首を縦横に振ることで答えていく。


 「忍様、アグラートに発言の許可を与えていただけますか?」


 「いいよ。あ、さっき黙れって言ったから?!」


 発言に気をつけないとちょっとしたことでも命令と取られて問題が起きそうだ。

 しかもその感度というか命令と感じる範囲がかなり敏感な気がする、眠いと言った瞬間に布団でも用意しそうな勢いだ。


 「許可をいただきありがとうございます、偉大なる王。」


 『主殿、アグラートを殺すにしろ手放すにしろ問題は起きます。主殿には【真の支配者】があるゆえ、縛りをかけて手元に置いておくのが寛容かと。』


 『そうだよな、そうなるよな。』


 「偉大なる王。恐れながら、念話は魔術を通すことをおすすめします。」


 「え?!」


 「魔術を通さない念話は盗み聞きが出来るのです。手段は限られますが気をつけたほうがよろしいかと。」


 「まて、まずなんで念話だと?」


 「様子でなんとなくわかります。それに相手と視線を交わせば話した相手を教えているようなものです。」


 たしかに話しかけられた時、山吹と視線を合わせた。

 しかし警戒した山吹の陣取った位置はアグラートの後ろだ、死角である以上忍の行動だけを見て把握したということだろう。

 スパイ、怖い。

 

 「私達は国に所属する気はない。ガスト王国にも良い印象がない。場合によっては敵対することもあるだろう。それでも祖国のために死を選ぶのではなく、私に仕えると。」


 「偉大なる王の負担になるので何が何でも生き抜くよう千影お姉様に申し付けられております。ガスト王国の教えであれば死を選ぶ状況ですが、お姉様に自害を全て止められてしまいました。わたくしは己の未熟と世界の広さを知り、偉大なる王の素晴らしさを理解するに至ったのです。」


 なんか色々言われたので忍も混乱している。

 必要な情報はなんだ?


 まず、アグラートの安全性だ。

 これは千影がアグラートを自由にさせたことで間接的に保証されている。

 裏切りなども千影が心を覗いてわからないのなら考えるだけ無駄だ、よって無いと仮定する。

 あとはアグラートがどのくらいキレているか、狂っているか。

 ここは少し探らなければならない。


 「祖国を裏切ったわたくしのことは信用に値しないでしょう。もちろんどんな手段でお確かめになってもらっても構いません。」


 「私は裏切りが最も嫌いだ、私を裏切る事があれば身内でも殺してしまうかもしれない。アグラートは私を裏切らないと誓えるか?」


 「お姉様とフォールン様にかけて誓わせていただきます。」


 フォールンはガスト王国では邪神だったはずだ、答えを事前に用意していたのか。

 ものすごく信用ならない、が、受け入れるしか選択肢がないのが実情だ。

 そして受け入れる以上は他のものの持っている権利と同じものを与えなければ不公平だろう。

 忍はため息を付いて覚悟を決めた。


 「最後に一つ、正直に答えてくれ。アグラートはスキップの暗殺犯か?」


 「わたくしはスキップ・ミリオンの暗殺犯ではありません。」


 「わかった。仕えることを許可する。命令は私と私の仲間……従魔や奴隷の情報を漏らさないこと。以上だ。」


 「主殿?!」


 山吹が取り乱す。

 これだけでは暗殺の抑止力どころか山吹の進言した縛りなどまったくない。

 鬼謀も抗議をしたが忍は条件を追加しようとはしなかった。


 「奴隷としてそばに置くなら条件は一緒だ。最終決定権は私にあるが基本的には好きに過ごしていい。殺しや犯罪はできるかぎりやめてほしいが、命令すると緊急時に一方的にやられるかもしれないからな。意見は積極的に教えてくれ。」


 山吹と鬼謀はまだやいやい言っているが忍の決意は頑なだった。

 忍はもともと殺しにかなりの抵抗があり、自分たちの身だけを考えるのであればここで殺してしまったほうがいいことはわかっていても、ギリギリまではそうしたくなかった。

 念話と発言を同時に飛ばされ続けると放出酔いのような気持ち悪さが襲ってくることがわかった。

 しばらくして抗議がおさまると山吹と鬼謀が忍にベッタリでアグラートを警戒しはじめた。

 そのあたりでアグラートが半笑いになり千影に対して声をかけた。


 「千影お姉様、どうやら賭けはわたくしの負けのようです。お姉様の言ったとおりでした。」


 「賭け?!」


 千影が、忍の知らないところで何かを賭けた?

 賭けが好きとか聞いたことがないしアグラートのほうの趣味か?

 賭けにあまりいい思い出がない忍はまた肝を冷やす。


 「ど、どんな賭けだったんだ?」


 「偉大なる王が命令を三つ以上追加するか、というものです。お姉様がこの提案をお受けになった時、王は一つしか命令をしないだろうと自信満々におっしゃったので、そのとおりになればお姉様にも全身全霊で尽くすとのお約束です。」


 「千影が命じることなど無いと再三述べたのですが、アグラートを死なせずこちらに引き込むにはこの賭けを受け入れるしかなかったのです。頑なに死のうとするので。」


 「肘より先を失い捨て置かれガスト王国への忠誠などは毛ほども感じておりませんので、裏切るのはやぶさかではなかったのです。しかしあれだけの多種多様な責め苦を与えてくるお姉様が提示する内容が…その…ゆるすぎて、何一つ信じられませんでしたので…。」


 千影は一体どんなことをやったんだろうか。

 あと、祖国を捨てて絶対服従の奴隷になることはぜったいゆるくない。


 「……賭けに負けたらどうなっていたんだ?」


 「追加が三つ以下なら王に忠誠を誓う、三つ以上追加をしていたなら予定通りに命令をかいくぐりガスト王国の暗殺者として皆様に挑むことになっていました。賭けに勝った瞬間にお姉様か鬼謀に討ち取られていたでしょうね。」


 鬼謀は忍の頭の上にいたが、どうやらずっとなにか準備をして待機していたらしい。

 忍は普通のおっさんなのでそんなことには全く気づいていなかった。


 「なんにしても、奴隷の条件が緩すぎるので五十ほど条項を追加いたしましょう。貴族のお側付きになるような奴隷は最も緩い条件でも二十はくだらない条件付けがあるものです。」


 「多い多い多い。提案なら考える。あと、偉大なる王というのをやめようか。偉大でも王でもないし。」


 「演じろとおっしゃるならば如何様にも。しかし、わたくしにとって王は王、忠誠を誓うのは偉大なる王にのみでございます。」


 困った顔で山吹の方を向くとサムズアップされた。

 次に千影に視線を送ると説明をしてくれる。


 「ガスト王国の出身者は王に偉大なるとつける教育を受けるようです。」


 求めたのはそういうことじゃないんだ。


 『旦那様、僕のときも好きに呼んでいいって言ってたし、偉大なる王でいいんじゃない?』


 鬼謀のやる気のなさそうな念話が決定打となり、忍は偉大なる王となった。


 「では今後のことですが、偉大なる王、わたくしは一度死んでおきます。」


 偉大なる王の前途は多難だった。


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