三つ目の大魔術ともつ煮モドキ
忍は懐中時計で午後九時を確かめて連絡のため鬼謀に【同化】をした。
「白雷とニカは順調にビリジアンに向かってる。そっちはどうだ?」
鬼謀から報告が返ってくる、どうやらどんどん噂に尾ひれがついて行っているようだ。
「なんだろ、わかってたつもりだったけどこの世界の噂って尾ひれのつき方が大きくない?」
『どんな噂が流れているのですか?』
「私の噂に魔神の信徒というのが追加されたらしい。」
聞くだけで疲れる、ニカのマッサージが恋しい。
「ふむ、で、調べたところに踏み込むまで数日かかると。」
そこでやり合っている最中は数日連絡をしないでくれとのことだ、忍は踏み込むなら街に帰ることを提案したが即却下された。
スキップを殺した犯人が確実にいるわけではないので最後まで信じて待っていろということらしい。
「まさか、私抜きで全部を済ませようとしてないですよね?」
地獄の底から響くような誰かの声がした。
鬼謀からの緊張が伝わる。
もちろんそんなことはないと鬼謀は否定した。
『忍様、落ち着いてください。千影でもそのように言葉をかけられれば何も言えなくなってしまいます。』
「ああ、いや、当たってしまってすまない。二人に任せるよ。」
自分でも認識できなかった自分の声、反射的に出てしまった負の感情を抑える。
責めるべき相手は別にいるし、この怒りは忍だけのものではない。
「こっちは魔石が大量に手に入ったから、あと、フェリスを保護した。ちょっと話を聞いてみる。」
忍が目を覚ますと最初に千影の扇情的な湯着姿に驚いた。
押し付けられた胸から顔を上げると血なまぐさい、数種の鳥がまわり中に墜落しており小さな獲物を中心に烏がせっせと血抜きをしていた。
どうやら氷が溶けだした昼過ぎに最初にスノースワローという小さな鳥が谷からバタバタと飛び出してきたらしい、睡眠中の忍のために千影がうるさいそれらを倒すと、落ちたスノースワローを狙ってバルーンホークが群がり、同じ流れでストライクバードという体当たりをしてくる巨鳥が数体つっこんできたようだ。
千影に耳をふさがれていたとはいえ全く気づかずに熟睡していたことに少しビビる。
同じ調子で千影の烏は少数の冒険者も気絶させていたらしく、その中に見知った顔、フェリスがいたのだった。
単独のようだったので焚き火のもとにつれてきたのだが、忍が起きた時点で辺りの気温は少し肌寒い程度まで回復しており、渓谷の向こうの氷も半分くらいは溶けてしまっていた。
おそらく気絶している冒険者も風邪をひく程度で死ぬことはないだろう。
「こちらは大丈夫だ。なるほど、魔術の続報はなかったんだな。」
【逆さ氷山】のことは街にバレていないようだ。
時間の問題であるなら冒険者が起きる前に最後の大魔術を使ってしまおう。
そしてフェリスを連れてまた別の場所へ身を隠す、これだ。
「次の連絡は三日後の同じ時間に。気をつけてな。」
忍は鬼謀との通信を終わらせるとため息をひとつついて鳥を回収していった。
その後、フェリス以外の冒険者を渓谷から十分に離れたところに集めて大魔術に巻き込まれないように配慮する。
「千影、安全確認が終わったら影分身をこっちに呼んでくれ。」
『仰せのままに。』
「うわ、空が黒い。どんな量の影分身出したんだよ。」
真っ黒な集団が空の一部を覆った、思わず自分にツッコミを入れるほどの数の烏がこちらに向かってきている。
圧巻の光景だった、というかむしろ怖かった。
『千影の索敵範囲での安全確認、準備ができました。』
「魔力も大丈夫。魔法陣よし。光るっぽいから千影は心してくれ。いくぞ!【風雷玉】!」
魔力が抜けていく感覚がする。
やはり他の二つと同じくらいの魔力量だが、この魔術には詠唱がなかった。
代わりに魔法陣が異様に複雑で書き写すのに他の大魔術の倍くらいかかった記憶がある。
そして、魔術は無事に起動しているはずなのだが、変化が現れない。
魔法陣は起動中には光るので、かろうじて発動しているのはわかる。
「なにもおこらないな。」
『いえ、氷山と同じところに魔力が集まっています。』
「上か?」
忍が魔力を意識するとたしかに前方上空の魔力が濃くなっている。
【逆さ氷山】【風雷玉】どちらも谷底に向かって使うことを意識したが、どうやら関係なく空中からの攻撃になることもわかった。
もしかしたら谷が狭すぎて魔術が展開できないのかもしれない。
しばらくして魔力の濃い範囲の真ん中になにか竜巻のように渦巻く丸い風が形成された。螺旋なんちゃら的なやつである。
塵が高速で渦巻いているようで風なのに意外と視える。
「なにかできたな。」
『風の塊のようですね。』
塊は少しづつ大きくなっているようだが、その成長速度がとても遅い。
時計を取り出して時間を見て大きくなるまでのタイムを確認できるくらい遅い。
あの玉が大きくなっていくならデストが使ったような広範囲の風魔術だろうか。
脇に【トンネル】で深めの穴をほってフェリスを入れ、すぐに忍も退避できるように備える。
「………まだか。」
『長いですね。』
発動から十分ほどたった時、氷山の半分ほどの大きさになった風はバチバチと帯電しはじめた。
忍はそれを確認し急いで穴に隠れる、しかし衝撃も何も無い。
「………まだだったか。」
『まだのようです。』
とはいえ穴は深めに掘ってしまったため、上がれないほどではないが上がるのは手間だ。
魔法陣の布を眺めてもまだまだ発動は終わりそうになかった。
『忍様、影分身で見張っておきますのでフェリスとともにお待ち下さい。テントも片付けておきます。』
「あ、ああ、頼む。」
穴の中でテントを受け取ってもまだ衝撃は来ない、忍は時計で時間を確認しながら魔術が効果を表すのを待った。
発動してから約二十分、そのときは訪れた。
ゴバッ、ゴオオォォ………
衝撃音がした、体が浮かぶような感覚はなかったが風が渦巻く音がする。
長く待った割に想像したよりもかなり短い時間で衝撃音はおさまった。
『忍様、穴の外にいた影分身の大半がかき消されてしまいました。魔術は風の玉を中心に雷を帯びた突風を吹かせるようです。範囲を調べます。』
「ああ、気をつけてな。」
何も言わないでもやることをわかってくれる、うちの精霊有能すぎる。
……有能すぎて心配になるんだよな。無理してないだろうか。
穴の外に出てみると谷の向こう側にはクレーターのようなものが出来上がっていた。
木々やら岩やらが中心部から外側に押し広げられており、クレーターの縁で木々が赤々と燃えて夜空の雲を照らしていた。
「……千影、なんか範囲もわかったから逃げようか。」
『仰せのままに。』
威力に関しては他の二つと同じようなもの、というか手段が違うだけで破壊後が大きすぎて差が伺いしれない。
千影の影分身を狼に変え、フェリスをくわえて一行はそそくさとその場を離れた。
絵面はほぼ完璧に誘拐犯であった。
『フェリスは暗殺者ではなく、もともとスワンと知り合いのようです。カシオペア家の孤児院の出身のようですね。』
「孤児院か、スワンが子供を助けようとした理由だったな。」
『はい、孤児院出身の冒険者が第五練習場まわりから帰ってこず、一番の手練れであるフェリスが出てきたようです。』
「なるほ……まてまてまて、それ千影が気絶させた冒険者か?」
仕方のないこととはいえ、何もしてない知り合いの知り合いを巻き込み事故でやってしまったことになるが。
『そうですね。気絶させた後に何が起こったかはわかりませんが。デストの息吹に巻き込まれた可能性もあるかと。』
「うーあー、気にしてる場合ではないんだけど……。」
忍はそのままゾンビのように声にならない声を上げてトボトボと歩く。
後悔のない選択なんて簡単に言うが、そんなものは存在しない。
そんなできないことを平然とできるのは物語の主人公に慣れるような才能を持ったやつだけだ。
『忍様。』
「……わかってるー、わかってるけどー感情がグチャグチャなんだー。」
喉から声を絞り出していても何の解決もしないが、これからフェリスになんと言えばいいのやら。
まあ素直に話すしかないな、腹を括ろう。
『忍様、そこの林に開けた場所があります。』
「今夜はそこにしよう。野営地作ったらフェリスも起こす。」
テントを取り出すと千影が狼の姿で器用に設営する。
完了するとだらだらとかまどを作っている忍のところにおすわりをした。
狼をポヨる。
わしゃるのではない、ポヨるのだ。
千影は嬉しそうに尻尾を振っている、かわいい、もうこのままわんわんパラダイスで一生ポヨポヨしていたい。
しかしそういうわけにもいかず、忍は昨日仕込んだスジ肉の入った寸胴を取り出してかまどに置いた。
水を満たして味噌仕立てのもつ煮に似た味をつける。
「このなんかしましまのゴボウみたいなやつがミットレイで甘い生姜、黄色いカラスウリみたいなのがにんにくと砂糖を足したような味のマカマカ……みりんはないし砂糖を抜けばイケるか。」
人参は存在したし、肉も二度ほど茹でこぼしたらなんとか食べられる匂いになった。
それでもまだかなり獣臭いのだがこれ以上やると本当に味のない肉になってしまう。
昆布や鰹節もないのだが、すべての食材を寸胴に入れてまた一時間ほど煮込んで冷やせば一応の完成だ。
肉と野菜の出汁だけでもある程度は美味しくなるはず。
「そういえばデストは戻ってこなかったな。」
『そうですね、幸運でした。』
幸運だったのかもしれないが、ちょっとアレに料理を食わせてみたい気もする。
事前に作っておいたものなら切りつけた端から消えるなんてこともないだろうし。
『忍様、フェリスが目を覚ましました。』
「わか」
忍が返事をしかけたところでものすごい速さで走ってきた影が鍋を覗き込んでいる。
目で追えなかった、なんという速さ。
「おはよう。」
「にゃっ!おじさん挨拶はいいよ、早く食べよう!」
「お、おう。まだ味がしみてないから待て。」
「待てない!はやくはやく!」
フェリスの中ではこのもつ煮モドキを食べることは確定のようだ。
お腹がぐぅと鳴っている、よっぽど腹ペコらしい。
忍がもつ煮モドキを器によそるとひったくって食べはじめる。
人参がゴリゴリと生の音をしている気がするが、フェリスは気にしていないようだった。
「にゃはは!あたいお腹が空きすぎて死ぬかと思ったよ!ありがとおじさん!」
「いや、ただ、今のそれよりはこっちの干し肉のほうがうまいと思うぞ。」
「食べる!」
忍が次々に出すパンや干し肉などの食料をフェリスはどんどん食べていく。
しばらくすると落ち着いたようだったが毛皮の隙間からおなかがぽっこりと出っ張っていた。
いっぱい食べると腹が出るのは漫画の中だけではないようだ。
「そうそう聞いたよ。おじさん大変だったね。」
「いきなり暗殺犯にされたからな。おかげでゆっくり図書館に入り浸る予定が出来なくなってしまった。」
あまりにも遠慮のない要求と食べっぷりに動転した気を落ち着かせる。
人参は生でも大丈夫、生でも大丈夫、よし。
「落ち着いたなら真面目な話をするぞ。フェリスは何をしに来たんだ?」
「魔神の寝床の調査だよ。色々まずいことが起こってるみたいだし……あ!荷物!」
フェリスは突然慌てはじめた。
『千影が見つけた際には荷物は持っていませんでした。』
「荷物は持ってなかったぞ。」
「うん、大荷物だったから離れたところにおいて身軽に索敵してたんだ。アレがないと今夜あたりヤバいの!」
「落ち着け、何がヤバいんだ?」
「ドカドカ雪!」
冷凍庫を開けたようなひんやりとした風が吹き、鬼謀の言っていた正体不明の現象が忍たちの身に降りかかるのだった。




