千影の温度と魔人の信徒
「六割か、七割くらいかな?」
『忍様、もう少しお休みになられてはいかがでしょう。』
「休みたいが、こう頻繁に起きてしまうとな……。」
きちんと休まないと魔力も回復しきらないようだ。
体調は最悪、せっかく千影がポヨポヨの狼状態で添い寝してくれても楽しむ余裕すらなく三十分から一時間に一回のペースで起きては時計を見るというのを繰り返してしまった。
大魔術をやらないでおくことも考えたが、何処かでやらなければ影の書の理解は深まらないので今のうちに済ましたほうがいいと思い直す。
というか、後回しにしたらまた騒ぎになるということを考えてしまい、我慢したまま忘れるというのはできなかったのだ。
「よし、やるぞ。」
『まだ夜も明けておりません。』
「魔力的には大丈夫だし、終わらせないと安心して眠れない。」
終わってしまえば開き直れるが、やらないでいるといつまでも考えてしまう。
悩みがちな人あるあるである。
無理にでも事を進めてしまったほうが楽なのだ、まして今なら混乱に乗じて有耶無耶にしてしまえるかもしれないし。
起き上がるとテントの外に出た、午前三時ひやりとした風が熱を持った体に気持ちよかった。
魔法陣の布を確認し、ちょっとだけ発声練習をした。
さっさと済ませてしまおう。
「影を纏いし雹の花、凍てつき集い咲き誇れ。【逆さ氷山】」
持っていかれた魔力は【溶岩雪崩】と同じ程度、魔法陣もぐにゃりと歪んだ。
しかし、発動はしたはずなのだが、特に変化はない。
頭痛と吐き気がひどい、失敗だろうか。
まあ歪んだ魔法陣の情報のほうが重要そうなのでこれが手に入れば最低限は大丈夫なのだが。
しばらくして急に空気が冷たくなった。
忍がふと見上げると空に逆さに浮かぶ黒い山ができていた、そこから落ちてくるこぶし大のなにか。
真っ黒なそれは氷のようだが、ひどく視認しづらい。
月明かりの中、【暗視】持ちの忍でこれならば気づくことが出来るのはよっぽど集中して警戒しているか魔力を感じ取れるものくらいではないだろうか。
氷は地面に当たるとパキンパキンと硬質な音を立てて、次々に置物の水晶のような氷の花が咲かせる。
ズゴゴゴゴゴゴゴ…、ズズン。
最後に上空に待機していた黒い塊が谷の向こう側に落ち、ものすごい音と衝撃で忍は吹き飛ばされそうになった。
千影の影分身が吹き飛ばないように体をおさえてくれてなんとかその場に留まる。
衝撃がおさまると辺りの温度は体が震えだすほどに下がり、谷の向こうには岩のような氷塊が点在する氷原の光景が広がっていた。
「はー、千影、範囲を調べてくれ。」
『承知しました。吹き飛んでしまったテントも回収して立て直します。』
とにかく寒いのでレンガを積み、焚き火をつける。
ついでに寸胴鍋を用意したら手が一瞬だけ鉄製の取っ手に張り付いた。
どうやら周りの温度が氷点下のようだ、それでも我慢出来ないほどの寒さでないと感じているのは明らかにまずい兆候だった。
鍋に水と筋っぽい肉を次々に放り込み火にあたりながら沸騰を待った。
歪んだ魔法陣の解読は沸騰する前に終わっていた。
毛布を取り出しても温度は下がるばかりで、忍は追加で火鉢を取り出して日が昇るまで凍えて過ごす羽目になったのだった。
『今回も千影が確認できる範囲を超えていました。魔術の影響で周囲の環境が凍りついてしまっています。氷に触った影分身が弾けたことから内部の探索は危険と判断いたしました。』
「わかった。」
『烏ならば空から確認することができます。』
「ああ、そうだったな、頼む。」
忍は影分身をかけ直すが、頭痛がひどくなった気がする。
調整を考えずかなりの魔力を注ぎ込んでしまったらしい、周りを埋め尽くすほど烏が生まれていた。
『忍様、影分身で体を囲います。寒さも多少和らぐでしょう。』
忍は声を出すのもだるくなってしまっていたので首を縦に振った、神社で鳩に餌をやるとこんなになるよなと関係ないことを考えながら沸騰を待つ。
しばらくしてグツグツと煮えたのを確認して寸胴鍋の中の肉を別の寸胴鍋に移し、お湯を捨てる。
凍るようなことにはならないものの湯気はすぐにおさまった。
肉を入れた鍋に水を入れてさらに煮る、数時間もすれば柔らかくなるだろう。
『火の番は千影にお任せください。忍様は少しでもお休みを。』
「この寒さで寝るのは逆に死ぬから。もう少ししたら気温も上がるだろうし。」
そんな事をいうと千影が人になって忍の正面から抱きついてきた。
丸太に腰掛けていた忍の頭を胸に抱き、膝の上に載って全身を密着させてくる。
目の前が真っ暗だ、闇の精霊が目の前にいるのだから当然なのだが。
男なら大半が羨ましく感じるだろう美女との抱擁のさなか、忍が考えたのは千影が裸ということだった。
素早く指輪から取り出した湯着をはおらせて、その上から毛布をもう一枚かけた。
というか裸は恥ずかしいって学習したんじゃなかったのかこの精霊。
『人の身であれば烏よりも忍様を覆えます。忍様は無理をなさっているのを理解してください。』
「わかった、わかったから服を着てくれ。」
『……承知いたしました。しかし、体温の維持のために抱擁は続けさせていただきます。』
忍は夜明けから烏と千影に埋もれて眠る。
すり減った精神のせいか、寒さに疲れ切った体のせいか、人肌の安心感か。
目を覚ました時、太陽は赤く燃えて山裾に沈みかけていた。
心配していた夢は見なかったが、スッキリ起きて自分の置かれた状況に違う意味で慌てふためいた。
千影の胸から顔を上げて周りに倒れ伏した大量の鳥の魔物にさらに慌てふためいた。
鬼謀の予想通り街の通りには人がまばらに出歩いていた。
山吹は時計を買い求めた後、鬼謀の指示で街を散策し、質屋の下見に来ていた。
無難にフード付きローブで歩き回っているが、山吹を尾行しようとするやつがいるのでそのたびにまいていた。
質屋は路地裏の看板のない店であきらかに非合法の品を扱う店であり、夜のほうが客入りがいいようだった。
もちろん脛に傷持つ雰囲気の方々が出入りしており、入店に合言葉もある。
外から見るとぼろぼろなのだが二重扉の内側は鉄製の格子で筋骨隆々の用心棒もついているとなかなか警戒している。
「地面は土と、いけそうか。」
山吹たちは魔石を盗みに入ることを考えていた、結界を張っている様子はない。
失敗する可能性があるとすれば土の精霊のような知覚できない存在に守られている場合だ。
今のところそんな気配はないが、騎士団のこともある、念には念を入れておかねばならない。
鬼謀に預かった札を建物の四方の壁、目立たないところに貼り付ける。
これは精霊の召喚を阻害するもので囲んだ範囲が狭いほど効果が強くなるらしい、四枚も貼れば並の魔術師ならその範囲内で召喚ができなくなる。
最初から召喚されている場合は効果はないが、その可能性は薄かった。
精霊は気まぐれで性格も千差万別である。
下位、中位の精霊は意思を持たない、つまり命令は実行するが命令が途切れれば無差別に力を使いはじめ、肝心な時に力が使えないほど消耗しているというようなことも起こり得る。
中位精霊も力をつければ意思をもちはじめ、気に入らない術師の命令をきかなくなったり、寝首をかく場合さえある。
契約するための技量、潤沢な魔力の供給、精霊の機嫌を損ねないこと。
精霊を召喚し続けられる術師などそうはいない、すべてを満たしていなければ精霊は術師の隣に立ちつづけてはくれないのだ。
「早いところ、主殿と合流したいものだ。」
ここの客の中には街の裏側に通じるものが多くいるだろう、居場所の割れたものから少しづつ話を聞いていくとしよう。
そのためにも山吹は街を歩き回らねばならない。
鬼謀は宿の一室で二つの呪いを同時に扱っていた。
山吹に持って歩いてもらっている【ノゾキ魔】、魔力を覚えた相手を追いかけ、位置を知らせる【ウシロ魔】だ。
手持ちの魔石はこれで打ち止め、【ウシロ魔】が追っているのは質屋の客で足音が静かなもの数名である。
机に広げられた円の描かれた紙の上を【ウシロ魔】と連動した小さな炭が移動すると真っ白な円の中に黒い道が引かれる。
この円はスーパーノヴァの街を表している【ウシロ魔】が移動している線を大体の地図と照らし合わせ、炭が止まったところに印をつけていくとそれぞれの炭が一日になんども出入りする場所がわかるのだ。
一つはおそらく冒険者ギルド、残りの二つは見当もつかないが術者である鬼謀からの距離はわかるし、【ウシロ魔】を回収できれば案内させることもできる。
小さな呪いは吹けば飛ぶ程度の微弱な魔力だ、魔剣や魔術をあてられればひとたまりもない。
「むー。全部生き残ってるのはおかしいよね。泳がされてるかな。順調すぎて心配になってきちゃったよ。」
鬼謀は知らなかったが呪いはビリジアンで発展した魔力利用法であり、魔物の魔力利用を研究して作られた珍しい術系統であった。
このあたりの国で主流になっている魔石の利用方法は魔石の魔力のみを使うという方法だが、魔術師の呪いは魔石の持ち主の性格や習性までも利用する。
よって結果や効果にムラがあるので一部の地域と一部の魔導具以外では使われずに廃れていった、マイナー手法の中のマイナー手法。
ど・マイナーな術系統なのである。
もちろんかけ方も対策も一般的な魔術師からすれば未知の世界であり、この状況は当然と言えた。
加えて鬼謀は孤独ではあったが魔物の中で育った生粋の魔物である。
仲間の声を聞く機会もほとんどなく死体ばかりと出会う生活であったが、それらの生物がどう生きているのかに長い間思いを馳せた。
そんな経験から鬼謀は呪いを使う上で考慮しなければならない、最適な魔石を選び最適な術を選択する能力にも長けていた。
魔石を見ただけで魔物の名前や特徴、どんなことに長けているかを判別することが出来るのだ。
「ここ、三人立ち寄ってるね。冒険者ギルドでもない、か。」
また一つならず者が集まる候補地が増えた。
鬼謀はこの地味で集中力がいる作業を朝から続けていた。
山吹の視界に入った時計は午後二時を指している、疲れるわけだ。
休憩がてら忍が切って渡してくれた美味しい肉を食べていると、宿の食堂から飲んだくれの話し声が聞こえる。
「酒!つまみも適当に持ってきてくれ!」
「なんだおまえ、こんな昼間からクダ巻いてていいのか。」
「おやじ、俺らは冒険者だが死にたがりじゃねぇ!今はマクロム全体がヤベェのよ!」
「ヤベェ?」
どうやら宿の主人とソロの冒険者のようだ、確か魔神の寝床を案内しているとか言っていた気がする。
「魔神の寝床に上級魔法より威力のある魔術の痕跡が二発分、調査に向かった冒険者が九割方戻ってこねぇ。今じゃ調査の依頼を受けるやつ以外は街の外にもでられねぇと来た。」
「店のことしかやってねえから外のことはなんとも。受けるだけ受けて逃げ出すやつとかもいそうなもんだが。」
「それがよ、魔術の痕跡の一つは竜の息吹なんじゃないかって話だ、魔神が復活したって話もある。そのうえ魔物の異常発生、トライホーンリザードやらバルーンホークやら中型以上が騒ぎ出してる。極めつけにそろそろだろ。」
「ああ、いつもいきなり来るから気にしてなかったな。ドカドカ雪か。」
「ドカドカ雪?」
鬼謀は初めて聞く単語を声に出して繰り返す、しかし店主も冒険者の男も共通認識があるせいか話を進めていってしまう。
「暗殺騒ぎで街も安全じゃねぇ、最悪だよ。これでこの国は陸の孤島だ。」
「暗殺は貴族やおえらいさんの話だろ?」
「それが奴隷が殺された事件があるらしいんだよ!貴族暗殺のほうが大事になっちまって忘れられてるけどこっちもきな臭すぎる!なんせ死体が消えたんだからな!魔神の生贄になったかもしれねぇ!」
「はぁ?なんだそりゃ?」
スキップの死体は忍が持っている、そのせいでまたも新しい噂が出回りはじめたようだ。
ドカドカ雪というものも気になる、鬼謀はさらに情報を得るため、脳みそをフル活用して情報を集めていくのだった。




