黒風のデッドストーム
時は少し遡り、忍はマクロムの中ほどにある大きな渓谷の崖の上で焼き肉の準備をしていた。
この場にいるのは忍と千影ともう一人、切り分けた生肉をつまんで口に運ぶ、黒い角を持ち野性味あふれるおっさんだった。
「人というものはずいぶんと面倒なことをするのだな。こんなにちまちまと。」
「生で食べるとお腹に良くない。」
「おう、ま、人の身では致し方ないこともあるだろう。使徒なんぞと会うのはいつぶりか思い出せんくらいだ。討伐しに来たとか抜かしおったので何人か返り討ちにしてやったが。」
忍が焼き出す前に切りつけた肉をすべて食べきったこのおっさんはドラゴンである。
おっさん二人のバーベキュー、先日までの華やかな絵面とは対極のむさ苦しい食事である。
何となく話のズレ方が白雷や山吹に似ているので忍はなくなってしまった肉を横目に次の肉を切りだした。
話は本日の午後、テントで千影の報告を受けていた時に遡る。
【溶岩雪崩】は噴火口を作る魔術だった。
忍の目の前に現れた切り立った崖は坂の頂点であり、そこから目標方向に向かって放射状に溶岩が流れ、斜めに口を開けた火口から噴石が降り注いだ。
千影の烏で端まで確認できなかったことから、被害範囲は最低でも数キロ単位だ。
異世界モノでは戦争の前に軍が整列して平原に布陣するような絵を見るが、この魔術なら全員を溶岩の海に飲み込んでしまうのではないだろうか。
冒険者が巻き込まれていないか心配になってきて、泣きそうになっていたときだった。
『忍様、黒い竜がこちらに向かってきています。冒険者は竜を見て散り散りに逃げ出していきます。』
「縄張りだったか……竜なら話せるはずだから、謝っといたほうがいいかな。」
そうして忍がテントの外に出ると、しばらくしてごうごうと風が吹き荒れた。
忍が視認したドラゴンはおそらく白雷よりも大きかった。
「あ、ヤバい。」
『忍様、相手もこちらに気づいたようです。口元が光っています。』
そのモーション見たことある。
なんかグラオザームってやつがブレス吐こうとするときのやつ。
狙いを理解した忍は真横に走りはじめた、ブレスは直線のはずなので横によければ回避率が上がる。
しかしそんな忍をあざ笑うかのようにドラゴンの顔は忍の方にきちんと向いていた。
焦る忍を意にも介さずドラゴンの口から吐き出されたのは丸い玉のような魔力だった。
その魔力はビームのような速さはなかったがゆっくりと忍のいる場所に近づいてきている。
忍はとっさに【トンネル】を使った。
攻撃の中心は外したし、これ以上走っても効果範囲から外れるのは困難だったからだ。
真下にかなり深い穴をほった。
飛び降りて足と背中を壁面に摺りながら、なんとか勢いを殺そうとする。
忍が底につくかつかないかのタイミングでドバッというかゴパッというか、形容しがたい音とともに衝撃が周囲を駆け抜けた。
ゴオオオォォォ……
直後から響く風の音。
強風が忍を持ち上げようとするので飛熊を壁に突き刺して持ちこたえる、穴の入口がずいぶんと近くなったように見えた。
音が収まり【ウォーターガッシュ】で穴から飛び出すと、ドラゴンは同じ位置に滞空していたが、周りの景色は一変していた。
木々がなぎ倒されかなり遠くまで見渡せるようになっている。
そして周りに漂っていた焦げ臭いような匂いが全くなくなり空は雲一つなく晴れきっていた。
「竜巻、かな。」
『忍様の魔術と同程度の範囲の攻撃と思われます。影分身は全滅しました。』
流石に次は避けれない。
忍は高をくくり詠唱をはじめた。
「熱より火となり炎に変われ、触れし全ては灰へと帰る。育て育てよ赤から青に、青き炎はの至高の炎。」
両手に青い炎のような魔力が集まりはじめると空を飛ぶドラゴンが険しい顔をした気がした。
「立ちふさがりし愚かな敵を、塵も残さず冥府に送れ。【ブルーカノン】!」
忍のはなったブルーカノンをドラゴンは正面から受け止める。
しかし、その口からは恨み言が漏れ出した。
「あっつぅ?!なにしてくれるこの魔術師!匂いで叩き起こしてわし相手にノーマルが戦う気か?!」
「そっちも殺そうとしてきただろ!勝てなくても黙って殺される気はない!」
「殺すも何ももう魔力がないだろが!よく見ろ三流!」
「熱より火となり炎に変われ、触れし全ては灰へと帰る。育て育てよ赤から青に、青き炎は……」
「わーった!降参、降参だ!撃ち終わる前から詠唱するな!」
下りてきたドラゴンをよく見るとたしかに魔力が殆ど残っていないようだ。
しかし騙し討ちということもありうる、忍はおかしいことが起こればすぐに詠唱が出来るように身構えた。
ドラゴンは鱗がところどころ焦げて火傷もしていたが、命に関わるような傷はなさそうだった。
「あの臭い魔術を使ったのは?」
「私だ。」
「なんでそれでさっきみたいな魔術が打てる?!魔力が足りんだろが?!」
「【ブルーカノン】ならあと四……いや、まだまだ打てそう。」
「なんだその間は。」
また魔力が増えていた。
死線を越えた覚えはなくもないが、それだけでなく【成長限界突破】の影響かもしれない。
「わしは古くからこの地に住まう竜、黒風のデッドストームだ。普段は寝てるんだが、あのひどい匂いで叩き起こされてな。」
「忍。ただの冒険者。あの魔術は私が使った。知らなかったとはいえ申し訳なかった。」
「構えを解いてから言ってくれ。」
デッドストームがため息を付くと大きな体のせいか吹き飛びそうになる、
それでも構えを解かずにいたら筋骨隆々のおっさんの姿に変身した。見たくないが見事な裸である。
「ほれ、武器など持っとらん。だいたいいきなり住処を荒らしたのはそっちだろ。」
「竜は体が武器。住処を荒らしたのはすまないが、こちらはあんたを相手にして気を抜いたら死ぬ。」
「こんだけやっとるんだから少しはわしの話を聞いてくれ。」
「話は聞く、構えは解かない。」
忍の頑なな様子に納得いかなそうなデッドストームだったが、その姿勢のまま話をはじめた。
「わし、寝とるから他が何してても割とどうでもいいんだが、あの匂いはいかん。辛抱たまらず思いっきり吹き飛ばしただけだ。原因っぽい強そうなのがいたから狙ったが、あれを外された時点でわしの負けだ。これ以上やらないというならべつにいい。というかどうやって避けた?」
「秘密。」
「お、おう。」
なんだか寂しそうなデッドストームがその後も話を振ってくるので、忍は他にも魔術の練習をしたいと話してみた。
そしていいところがあると連れてこられたのがこの渓谷である。
「谷底に向かって魔術を使えば匂いも散らないからな。」
「今日は魔力がもうないから無理。」
その後もデッドストームは忍に絡んできた。
少しだけ罪悪感も感じていた忍がとりあえず晩飯を食べようとして、この状態が出来上がった。
忍は準備をしている間に放出疲れで食事どころではなくなり、何故か話しかけてくるデッドストームの分を焼こうとしたものの本人は生肉を切った端から食べている。
「デッドストームがお腹いっぱいになるほど肉がないかもしれない。」
「……デストでいい、長いだろ。名前をつけたやつもすぐに長いからってそう呼んでたぞ。」
「デストと呼ぶから服を着ろ。」
「持ってるわけないだろが。」
そういえばなんでこんな単純作業をしているのだろうか。
忍は取り出した肉を端まで切り終わるとそれ以上の追加をやめて手を洗った。
このままでは一生焼き肉はできない、食欲もないので別にいいのだが。
デストは特に文句を言うこともなく肉をつまんでいた指を舐めて腹にこすりつけていた。
「おまえ、人の神の使徒だろ。」
「そうだ、使徒を知ってるのか?」
「ああ、なんかたまーにわしを殺しに来るぞ。そういう神の紋章の耳飾りした奴だ。」
「ってことはデストは魔王なのか?」
「魔王?わしが魔物を従えてデカい顔してたのはずいぶん昔だぞ?」
具体的な時間はわからなかったが、デストは人の国がいくつも入れ替わっているような話をしている。
それどころか地形の成り立ちの話までしている、これは千影並みなのではないだろうか。
「デストを殺しに来たわけじゃないけど、敵になる可能性はある、かな。」
「まあ、わしはやられたらやり返すくらいだ。痛いのも嫌だしな。お主に喧嘩売るのは絶対痛いし馬鹿らしい。しかし、これでも人に比べれば強いはずなんだが。ほんとに人か?」
「一応。」
デストが微妙な顔をした、微妙な受け答えをしているから仕方ない。
「事情がある。」
「そうか。」
「デストは、もしかして話し相手が欲しかったのか?」
「あー、ま、そんなとこだ。昔は同族が訪ねてきたりもしたが、この島は秘境でな。もうずいぶんと同族の姿も見ていない。」
「そんなものか。」
明日あたり山吹に知り合いか聞いてみよう。
デストがまた引っかかることを言った気がする。
「ここは島なのか?」
「小島だ。ここから砂漠をこえてその先の海をまっすぐに行くと、もっと大きい島がある。そこにはわしの知り合いが何匹も住んでいたぞ。大地も水も山ほどあった、空飛ぶ島もこの小島の周りにはよりつかないのか、ずいぶん長い間見ていないな。」
「マジか。」
ぜひともバルスと言うためだけに空飛ぶ島に行ってみたい。
というかこれはここ以外に大陸があるということだろうか、もうこの大陸を半周したのに神の使徒がユージンしか見つからないのはそういうことか。
いや、ガスト王国でひとり死んだかもしれないみたいな話もあったか、それでも二人だ。
「さみしいならその大きな島に行けばいいじゃないか。」
「起こされるのが嫌いなんでな、近所付き合いって面倒だと思わんか?」
「わかる。」
「人をやるから猪よこせみたいなやつの反対側で人食うな木を食えとか言われてもわし、肉食だし。」
「わからなくなった。人の前で人を食う話を例にするな。」
「ん、弱ければ誰かに食われることもある、同族も死んだらただの肉だろう。食わんのか?」
忍は首を横に振った、野性味が強い。
デストは共食い上等らしいことがわかった。
「まあ魔術はほどほどにしてくれ。わし、食い足りないからなんか食ってくるわ。」
「人っぽいのとか珍しいのはやめろよ。仲間がいるんだ。」
「街には行かん。それに人は食いでがないからな、めったに食わん。腹が膨れたらまた眠ることにするさ。」
デストはそう言ってドラゴンの姿に戻って飛び去っていった。
たしか日本の有名な特撮怪獣は身長が五十メートルだったはずだが、デストはなんとなくそれより大きく見える。
あの大きさのドラゴンの背中を滑り台にして滑ったら、勢いがつきすぎてぽんと投げ出されそうだ。
馬鹿なことを考えているうちにデストが見えなくなると千影が話しかけてきた。
『忍様、あの竜はかなり強いのではないですか?』
「ああ、それで黙ってたのか?」
『千影に気づいていたかはわかりませんが、手や口を出すのは危ないと判断しました。』
「賛成だ。【ブルーカノン】が直撃してほとんど傷がなかった。魔力も使っていないのに恐ろしい防御力だよ。続けてたら私が先に死んでいた。」
大魔術をもう一度使えれば可能性はあったが、【溶岩雪崩】は忍の魔力を半分も持っていった大技、しかも飛ぶ相手に効きそうにない。
【ブルーカノン】を連発したとしてあの防御力で押し込まれて爪をひとふりされれば人の体なんてグチャグチャだろう。
圧倒的な肉体能力の差で忍は負けると踏んだ。
『万が一の場合は、千影が盾となります。その間にお逃げください。』
「それは、まあ、なしの方向で。」
絶対やるなと言いたいところだが、可能性がある以上、絶対はない。
千影は先に逃げろと命令しないと心中しそうだ、自惚れかもしれないが。
デストとはすぐに戦うようなことにはならなそうだが味方と決まったわけではない。
忍は少しでも寝て回復するため、急いで準備をした。
このあとニカと鬼謀に連絡を取った忍は街で大変な騒ぎになっていることを知り、結局は眠れない夜を過ごしたのだった。




