力不足と変化
王家の決闘、湖水浴の鮫騒ぎを経て忍は考え込んでいた。
忍の戦闘能力は魔法に偏っている。
メリットがはっきりわからなかった命中やら体の動きに関する能力、これらは役に立たないわけではなかったが便利だなくらいの考えだった。
魔物の攻撃や魔法を受けて、攻撃を受けたときに耐えることができないとマズいということがよくわかった。
忍は風呂に浮かびながら思索を巡らせていた。
完全に一人、千影にも遠慮してもらっている。
ビルと打ちあって身にしみたが、体の動きが正確でも、パワーやスピードが忍以上の相手なら簡単に剣は弾かれてしまう。
懸念したとおりだが体験するとやっぱり不安だ。
忍の剣が正確なことが仇となり早い段階から見切られていたフシもあった。
同じように山吹へのドロップキックも怒りに任せて本気でやってしまったが、簡単に返された挙げ句にこちらほうが痛い思いをした。
身体強化の魔術のようなものが存在するのであれば習得しておきたいところだが現在のところ使い手もそんな魔術の話も聞いたことがない。
毎日地道にトレーニングをするくらいが忍にできる関の山だった。
「トレーニングしても体が壊れないのは嬉しいな。」
体重があると運動は危険な行為だ、怪我をした時のリスクも大きい。
こちらの世界に来てから体重の増減が実感できない、これもなにか理由があるのだろうか。
「下駄にもずいぶん慣れたけど、実際のところどれだけ効果が出ているのかは疑問だな。」
現在は一本下駄にも慣れきってしまって、街で変な顔をされるのも気にならなくなってきていた。
しかしこれ以上のトレーニング法などは忍の頭には残っていなかった。
「それに魔法。魔法は中級以上だとコロっと人が死ぬから使わなかったけど、初級がほぼ通用しない相手がでてくると今みたいに戦ってたら駄目だ。なんだかんだで無詠唱でも武器攻撃の速さにはついていけないし。」
決闘のときに観客がいたのも厄介だった【ファイアボール】などを連続で打ち込めば観客を傷つけそうな距離だったからだ。
やはり魔法攻撃は威力で勝っても攻撃速度という意味では物理攻撃に利があるのは明白だ。
出の早いバリアである亀甲は大きな収穫だった。
しかし亀甲には弱点もある、魔力をかなり消費するのだ。
一瞬でも中級魔法数回分、しばらく出し続けるならおそらくは上級魔法レベルの魔力量が必要である。
普通なら安心して使うことができない魔術だろう、ネレウスの両手の魔術はすべてそのクラスだと考えておくことにする。
「そういえば、シーラさんが深海語とかいって感動してた。手話は水の民の古い言語で伝統芸能のときと一部の漁師くらいしか使わないんだったか。」
興味がありそうだったし、戦闘練習のとき教えてみるか。
ニカの練習にメイドの三人が付き合ってくれていた。
なかなかしっくり来る武器がない……というかニカは攻撃することが苦手らしくうまくいかないので最近は防御の練習ばかりしているらしい。
一番得意なのは盾とか言っていた気がする。
「よく考えたら武器を使う魔物のほうが珍しいのか。ゴブリンとかオークとか聞かないな。」
従魔で武器を使うのも山吹だけだ、そう考えると変なことをやらせているのかもしれない。
忍も実戦で個人の技量をあげておきたい、いくら強いとはいえ千影や山吹に任せっきりでは申し訳ないというのもある。
「ニカと狩りに行こう。」
忍はそう決めて、風呂から上がるのだった。
翌日、朝食後に準備をしてニカと忍で狩りに出かけることにした。
ついて来たがる千影をなんとかなだめ、白雷に足を頼む。
「旦那様、これ渡しとくね。幸運の護符。ニカも変な調子だったら気をつけてね。」
「きぼうさんありがと。」
「調子が悪いのか?」
「ちがうちがう。なんだかさいきんおなかがすくの。きのうはしのぶさんでおなかいっぱいになったからヘーキだよ。」
忍でお腹いっぱいといわれると色々複雑だ、鬼謀も微妙な顔をしていた。
「ユージンたちが来る前に出発しよう。ついてくるとかいわれてしまうとマズい。」
「千影がずっとブツブツ言ってるから早く無事で帰ってきてね。」
『大丈夫なの。いざとなったら本気出すの。』
「が、がんばるね!いってきます!」
なんだか千影の相手は鬼謀と山吹がしてくれているらしい。
忍とニカと白雷、珍しい組み合わせの三人組の狩りがはじまった。
「しのぶさん、きょうはどうするの?」
「ちょっと気になってることがあって、ニカは変身を解いてくれるか。」
広大な森の中、ニカが変身を解くと肌が緑色になった。
やっぱりニカは変身前と変身後の見た目があまり変わらない。
茂みの中に入り込めば見つかりづらいこと請け合いのカラーリングだ。
「武器を使うんじゃなくて、魔物としてのほうが戦いやすいのかと思ってな。やってみないか?」
「たしかにこのほうがわかりやすいかも。えいっ!」
ニカは近くの木に髪の毛のツタを伸ばして絡ませるとスルスルと木の上に体を引き上げた。
そこからツタを器用に扱って近くの木についていた夏みかんのような実をもぎ取る。
「これならうまくできるよ!そうこせいりでよくやってたから!」
「他には何かできるか?」
「ほかに……ないかも。いろいろのびるだけかな。」
「いろいろ?」
ニカの人差し指がシュルシュルシュルっと伸びた。
自由に動くようだが強度はしなりのある枝ほどのようだ。
「あとは、うでとか。」
「伸ばした指で実をはたき落とせるか?」
「こう?」
パシンパシンとニカがリズミカルに実を落としていく。
驚くことにその精度は百発百中だった、その姿を見て忍が思いついた。
「よし、下りてきてくれ。」
「はーい!」
「この武器を使ってみてくれるか?」
忍が指輪から取り出したのは、柄に魔石の埋め込まれた鞭だった。
鬼謀の宝物庫にあったもので、蛇の皮でできており、この鞭に宿っている魔力は赫狼牙に近しい。
「ムチって、ぶきなの?つかったことないけどできるかな?」
「まずはさっき落とした実を地面で弾いて。」
「えいっ!」
パシンといい音がして鞭の先が実をとらえた。
すると黄色かった実がどろりと腐ったように崩れる。
「は?」
「し、しのぶさん!なんかどろっとしたよ?!」
「そ、そうだな、ちょっとまってくれ。」
忍は実の状態を確認するが、匂いは腐った感じではないが実はやはり溶けたようになってしまっていた。
「いくつかその鞭でうってみてくれ。観察する。」
「う、うん。えいっ!えいっ!」
ニカは連続で鞭を振ってもすべてを実に当ててみせた。
全ての一撃で実はどろっととける。
忍が気がついたのは鞭に魔力が流れていることだった。
「魔力を押さえられるか?」
「うん、スキップさんに教わったからできるよ。」
「じゃあそれでやってみてくれ。」
最後の木の実はパシンっといい音を立てて丸いまま転がった。
間違いない、魔剣だ。いや、魔鞭というべきだろうか。
「ニカ、今度は逆にあの木を狙って鞭に魔力をこめてみてくれ。少しづつやるんだぞ。」
忍と白雷がニカから離れるとニカが魔力を込めだした。
鞭のまわりに黄色い魔力がにじみ出てボコボコと泡立ち、魔力が蛇の形をかたどった。
ニカがムチを振ると黄色い蛇が不規則な軌道で伸びて狙った木に噛みつく。
そして噛みつかれた場所から木は溶けてズズンと倒れた。
「しのぶさん、これ、こわいよ。」
「そうだな、危ないから預かっとくか。」
忍が預かろうとすると、鞭が黄色の魔力を纏った。
ポケットの中の護符が熱を持って燃える。
「うお?!いった?!」
鞭を持った手がめっちゃ痛かった、手のひらが真っ赤になっている。
しかし鞭を渡そうとしたニカはなんともないようだった。
「溶かされた…?すまない、とりあえずその鞭はニカが持っておいてくれ。帰ったら鬼謀に聞こう。」
「うん、しのぶさん、てをだして。」
ニカが【ライトヒール】をかけてくれて忍の手はすぐになおった。
そして燃えたのは呪いよけの護符、どうやらこの鞭は呪われているらしい。
「おお、無詠唱。成長したなニカ。」
「えへへ。ムチもゆびわにはいったよ。よかった。」
「それは、本当に良かった。鞭は他にないから今日はツタで狩りをしよう。狙うのはゲコラップという小型の魔物だ。頭に草の生えたカエルだな。強くはないが川に潜って逃げられるとすぐに見失ってしまうらしい。」
「よーし、かるぞー!おー!」
ニカはやる気だ。
最初は自信がなさげだったが攻撃が当たることが分かるとテンションも上がったようだった。
白雷が上空を一廻りしてすぐに思念を飛ばしてくる。
『右の方にいるの。上からだとすぐに見つかるの。』
「よし、右にいるって。ここからは静かにな。」
「あ、ごめんなさい。にげちゃうもんね。」
ニカはそーっと歩き出す、忍もそれに習って後ろをついて行った。
【体操術】を持っている忍と違い、ニカには突然足音を殺すことなどできるはずもなく、ゲコラップとの追いかけっこがはじまるのであった。
ニカはこの狩りでものすごく成長した。
足音で逃げられることに気がついたニカは木と木の間にツタで捕まり、ロープウェイのようにゆっくりと体を移動させることでほとんど音がしない移動法を編み出した。
ゲコラップが波で気がついてニカのツタを避けるので、真上まで伸ばしたツタを真下に垂らして素早く巻きつける釣りのような捕獲法も身に着けた。
忍と白雷は見守っていたが手を出さず、ニカは自分で考えながら次々と問題をクリアしていった。
そして休憩中に、ニカが忍に話しかけてきた。
「しのぶさん、じつはね、かくしてたことがあるんだ。」
「何だいきなり。」
「わたし、しんじゃうかもしれない。」
「……え?」
なんでもないことのように言うので忍は一瞬耳を疑った。
ニカが話を続ける。
「ネイルさんにきいたの。しょくぶつがまっしろになっちゃうびょうきがあるんだって。」
忍の方を向いたニカの頭のてっぺんから、だんだんと色が抜けていく。
髪の毛が半分ほど白くなって、きれいな深緑だったニカの片目は赤くなっていた。
「へんしんってべんりだよね。しのぶさんぜんぜんきづかなかったでしょ?」
「ああ、すまない。気が付かなかった。」
「いたくもくるしくもないからへいきだよ。でも、おなかがすくの。いまもしのぶさんがほしくて、でも、がまんしてる。もらってたおみずもぜんぶのんじゃった。」
ニカには忍の作った水を渡していた。
それが美味しいと言うので大樽三つはあったはずだ。
「病気を治す魔法をかけてみる、毒でも呪いでもなおせるぞ。」
「うん、きぼうさんとやまぶきさんにね、そうだんしたの。やってもらったけど、だめなんだ。」
「いや、私のは特別だから。【解呪】」
ニカの色は戻らない。
「【シェッドシックネス】!【リムーブポイズン】!」
ニカの色は戻らない。
理由はわからないが毒でも病気でも呪いでもないのかもしれない。
「しのぶさん、へいきだよ。わたしはつよいしのぶさんのおよめさんだから。ふたりもまったくのけんこうたいだっていってたし、りゆうがわからないんだ。」
「全くの健康体?」
「うん。」
ニカが本気で思い詰めているところ悪いが、忍は他の可能性に気付いた。
しかしそんなことがあり得るのだろうか、鬼謀も白雷も生まれつきだったはずだ。
後天的に白魔になるなんて。
「ニカ、とりあえず水を出すから、お腹いっぱいになってから話をしよう。お腹が空いていると悪いことばっかり考えてしまうから。」
「そうだね。でも、きいてしのぶさん、ニカをここにすてていってほしいんだ。ニカのびょうき、しのぶさんにうつしたくない。」
忍はニカが泣けないのを知っている。
しかしニカは本当に悲しそうに忍にそう言った。
「ニカは、強いな。でも今回は間違いだ。私はニカを捨てない。」
「でも、びょうきが…」
「病気じゃない。ニカは白魔になるんだ。白雷や鬼謀と同じやつ。」
「ちがうよ、わたしはくまじゃなかったもん。だからたぶんびょうきなんだよ!」
「病気だったら、ニカと一緒にかかってやる。で、治す方法を探す。」
「やまぶきさんときぼうさんでわからないんだよ!」
「じゃ、白雷に命令してここで私が死のう。」
「プオッ?!」
いきなり話を振られて白雷がびっくりしている。
ニカも面食らったようだ、目を見開いて固まっていた。
「命令には逆らえないからな。全力で私を攻撃しろっていえばすぐ死ぬぞ。」
「やだよ!それじゃいみないもん!!!」
『やだやだやだやだやだやだ!!』
「じゃ、ちゃんと死ぬまで私のそばにいること。どっちが先に死んだとしてもね。白雷もだぞ!」
「えー!むぐっ」
忍がニカの唇を奪った。
従魔術の【生育】が本当に従魔を成長させる効果のあるものなら、ニカが白魔に成長することもあるかもしれない、それにお腹が空いているなら主人の忍が餌を与える、当然のことだ。
ましてやこんな忍を慕ってくれているニカを捨てるなんてできるはずがない、忍は自覚がなかったが怒っていた。
ニカの顔ををがっしりと掴んで目を合わせる。
「ニカ、お腹いっぱいまで飲んでいい。その代わり今日はとことん付き合ってもらうからね。」
普段の忍なら事案発生という言葉が頭にちらついていただろう。
しかし怒りで鈍った思考が不器用な二人を後押しした。途中から三人になったがもう気にならなかった。
「事案発生だ。最低だ。」
『忍、素敵だったの。』
「えへへ、にやけちゃって顔が戻らないもん。忍さん大好き。」
ニカはかなり我慢をしていたらしく、忍の魔力を大量に吸収していった。
コトが終わる頃には完全に髪も肌も白くなり、瞳は真っ赤になっていた。
忍は魔力を三分の一ほどニカに分け与えたと感じていた、忍のこういう感覚はかなり正確だ。
上級魔法を数回は打ててしまう魔力量を吸収し、ニカは完全に白魔になった。
「忍さんみんながおめでとうっていってくれてるよ!」
「みんな?」
「木とか草とか。」
「え、なにそれ。」
ニカは木や草の声が聞こえるようになったらしい。
時刻はそろそろ夕方に差し掛かり、忍は一旦家に帰ることにした。
ニカは今まで通り人に変身して過ごすことになった。
髪や目の色も深緑色である。
「忍さん色に染められちゃったから、忍さんの見たいときに見せてあげるね。」
目線を伏せてそんな事言われたらまた理性が吹き飛びそうである。
だめだ、ニカは忍のストライクゾーンに的確に球を投げ込んでくる。
理性のブレーキが壊れかけていたので、ニカが汗を流している間に鬼謀にあの鞭の詳細を聞くことにした。
『え、アレに認められたの?!ミスティックバイパーの鞭に?!』
鬼謀によるとあの鞭は使い手を選ぶタイプで一度使い手が決まると他人が触れなくなるらしい。
効果は溶解液の呪い、ミスティックバイパーは小型の魔物だが、強力な消化液を持っており、それは魔物特有の呪いなのだそうだ。
数が少なく危険な魔物で返り討ちにあった者は骨も残さずとけてしまう。
謎の多い魔物なのだ。
『下手なやつが使っても目標に当てることさえ難しくて、制御できずに自分に当たって溶けてしまうこともあるんだよ。認められてればそんなこと無いらしいけどさ。』
「まあ、ニカに危険はないんだな。ならいいんだ。」
『ニカに危険はないけど、ニカが危険な存在になっちゃうかもね。下手な鎧くらいなら溶けちゃうし。』
「大層な武器じゃないか。」
『普通は使えないのさ。それによっぽど魔力をこめないと一撃必殺になるわけじゃないし。ただ、ノーコンのニカがそんなの振り回したら…考えただけで身震いするね。』
「その点は大丈夫。鞭なら百発百中だ。」
鬼謀が何を言ってるんだこいつといった目で忍を見上げている。
「鞭なら百発百中だ。九割九分。」
「どっちなのさ。」
天原忍、圧力に弱いおっさんである。
「そういえば、ファロが探してたよ。」
「え、なんだろう。」
ファロはユージンから言伝を預かっていた。
忍に報奨を渡したいので王城に来てほしいらしい、ついでにいくつか情報交換をしたい、と。
すでにユージンは王城に向かったらしい。
「またロンダートと一緒か。シーラさんにもついてきてもらわないと。」
こうして忍はあくまで非公式に王城にお呼ばれすることになったのだった。




