滝壺と幽霊
あんなことがあったので心配していたが、夜はゆっくりと眠ることができた。
この世界の夜は長い、動画やゲームがないだけでこんなにも時間が余ってしまうのである。
忍は日の出とともに起床して大量の竹を伐採し、小動物のさばき方を参考にして、なんとかパンダを解体し終わっていた。
これだけの量があれば、竹も食事もしばらくは心配ないであろう。
「うえ…二回も吐いてしまった。」
『おつかれさまです、少し休まれますか?』
「休む。千影、これが魔石ってやつか?」
『はい、大きいですね。』
魔物や魔人と動植物の違いは魔石を持っているかどうかである。
魔石は心臓であり、魔物や魔人は魔力によって生きている。
ようは体の作りが違うのだ。
中には肉体を持たない魔物もいるし、精霊のように魔力を使うが魔石を持っていないものもいる。
魔石は道具の素材になったりするので、獲物からはかならず回収すること。
魔石について忍が知っていることはそんなところであった。
千影は今日も特に変わった様子はない、こちらだけ気にしているのも嫌なので竹茶を煮出している間に昨夜のことを聞いてみることにする。
「【魔力供給】は、成功したか?」
『はい、ありがとうございました。』
成功はしているらしい。
「その、うまくできなかったのではと心配していたのだが。」
『そのようなことはございません。千影のほうこそ、いきなり声を荒らげてしまい申し訳ありませんでした。』
千影は淡々と答えを返してくる、いつもの調子だ。
「ちなみに千影って、女性なの、か?」
『……そうですね、精霊には男女というものはございません。しかし、主が望まれるのであれば、そのように振る舞うことも』
「大丈夫、そのままで大丈夫!」
とりあえずは気にしないでも良いようだ。
私もそれなりに年令を重ねているのだ、オタオタしていてはみっともないじゃないか。
それにここで女性とか発覚しないでよかった、確実に疑心暗鬼になる自信がある。
「とにかく、これで一日クッキー数枚と水の節約生活がパンダ肉と竹茶にランクアップだ。味はともかく、これでお腹いっぱい食べられる。」
作ったお茶を竹筒の水筒に移し、鍋に竹の葉と肉を入れて焼きはじめる。竹の葉は食べられないが、香り付けだ。
味はお世辞にも美味しいとは言えないが、血と獣臭い肉を焼けた端からお腹に詰め込んでいった。
ものを食べられると昨日とは比べ物にならない活力が湧いてくる。
忍は第二陣を焼きながら、竹を使った魚とりを作り始めるのだった。
「さて、いってみますか。」
忍はテントを片付けて上流に向かって歩き始めた。
魚のいそうなところを観察しながら川を登っていく。
小魚の影はちょこちょこ見えるが、夢で見た魚はもう少し大きかった気がする。
夢の中のおぼろげな記憶を頼りに、忍は先を急いだ。
しばらくするといきなり川幅が狭まった、足場は悪くなり、段々と沢登りのような様子になってくる。
石の河原はほとんどなくなって川の両側には木々が並び始めていた。
途中、鹿のような角の生えたうさぎを見つけて数匹を【ファイアブラスト】で仕留めた。
どうやらこの森にはこれがいっぱい住んでいるようだ。
アントラビットというこの魔物は足の肉が美味しいらしい。
昼過ぎに差し掛かった頃、忍のまえに滝が現れた。
「高い、登れそうにないな。」
鬱蒼とした森の中、沢の水はかなり澄んでいるにも関わらず、水が叩きつけられている滝壺の底は見えなかった。どうやらここはかなりの深みらしい。
どうしたものかと滝壺を観察していると、素早く魚の影が通る。
「大きいな。仕掛けてみるか。」
忍は魚とりを取り出し、仕掛けてみることにした。
作ったものはとても単純な罠で、大きめの竹の節を片方抜き、そこに竹の葉で作った返しをつける。
もう片方の節と竹の側面に水の通り抜ける穴を開け、中にパンダの食べられない部位の肉を入れる、というものだ。
前の世界なら子供がペットボトルで作る仕掛けである。
この魚とりに縄をくくりつけ、滝壺の縁から五つほど仕掛けた。
六つ目を仕掛けようとした時、忍は後ろから声をかけられた。
「そのマント、おぬし、どこでそれを手に入れた?」
びっくりして顔をあげると、滝の上に青白く光る老人が立っていた。
ボロボロのローブを羽織り、顔には深い彫りとシワが無数に刻まれている。
髪の毛がなく、つるりとした頭には鱗のような模様が見え、耳は魚のヒレのようになっていた。
忍はフリーズした頭で必死に考える。
「あ、あの、あ、あ、幽霊?」
「おちつくのじゃ、そのマントのことを」
『主、あれは幽霊です。』
忍は千影の一言で、反射的に【ファイアブラスト】を打ち出していた。
しかし、老人はその魔法をひょいと軽く飛んで避けてしまった。
「ほう、なかなか…狙いも正確じゃがの。」
『主、落ち着いてください。お茶でも飲んでください。』
「あ、お、おう、あ、え?お茶?」
このあと忍が混乱から戻ってくるまで若干の時間がかかった。
「いきなり声をかけてすまなかったのうお若いの。わしはしがない幽霊の爺じゃ、戦ったりする気はないから安心せい。」
「いえ、こちらこそ取り乱してすみませんでした。これ、竹茶です。よかったらどうぞ。」
忍は焚き火を起こして竹茶を煮出し、老人の霊にすすめた。
老人の霊は滝壺の上にふよふよと浮きながらそんな忍を笑った。
「お若いの、わし、幽霊じゃぞ?気持ちはありがたいが飲めんのじゃ。」
「ああ、そうですか。すみません、私の故郷では故人にお供えをする習慣がありまして。」
なんとも奇妙な体験である。
幽霊というのはもっとなんというか恨みつらみや心残りによって現世に留まるというイメージがあったので、この老人の明るさは忍の中で腑に落ちづらかったのだ。
「随分強い精霊を連れておるのう。しかも闇の精霊とはなんとも珍しい。」
「珍しいのですか?」
「珍しいぞ、精霊使いが契約するのは光、闇、地、水、火、風の精霊が一般的じゃが、闇だけは他の五つと違って生活の役に立ちづらいんじゃ。」
言われてみれば納得のいく話だった。
闇以外はどれも便利に力を使えそうなものばかりである。
必要に迫られて契約した経緯があったし、もしも選べたら他の精霊を選んでいたかもしれない。
しかし、千影が人気がないと言われるとちょっと癪に障った。
「私はとても気に入っています。」
「なるほどのう。むくれるでない、すまんかった。」
バレバレだったらしい。
「大切にしておるのじゃな。良いことじゃ。さて、本題じゃ。おぬし、そのマントをどこで手に入れた?」
この質問にどう答えるか。
おそらくこの老人の霊はこのマントを見たことがある、つまり、魔王アーガイルの関係者の可能性がある。
もちろんあの墓室の遺言に従って手に入れたものだから、私が正当な所有者であることに文句はないはず。
逆恨みで襲われるとかの可能性は捨てきれないけれど、ここは正直に話したほうが得策か。
「このマントは、魔王アーガイルの墓で手に入れたものです。壁に書いてあったことに従って持ってきました。おかげですごく助かっています。」
「なるほどのう。ああ、申し遅れたの。わしの名前はネレウスという。」
忍はその名前に覚えがあった。
あの墓室の壁画の登場人物、二万人の人類連合軍の大船団を一人で沈めた宮廷魔術師、影の書でアーガイルに無茶振りをしていた魔術師の師匠。
「……船幽霊のネレウスさんですか?」
「いかにも。わしの名はアーグ賢王国・筆頭魔術師、船幽霊のネレウスじゃ。」