宝物庫とロンダート
毎日降り続いている雨によってぬかるみはさらにひどくなっている。
ウシャの街の少し手前あたりの森で、鬼謀が忍を起こした。
「ここらへんだよ。道からは離れてるから、旦那様と僕で行く?」
『千影もお供します。』
「んー、いや。山吹と私と鬼謀で行こうか。停めてもらってくれ。」
『仰せのままに。』
千影には悪いが、アーティファクトに関して使えるかどうかの判断をするなら千影と鬼謀だろう。忍は底なしの指輪で荷物運びだ。
「ニカと白雷と千影は夜営の準備を頼む。うまく指輪が手に入ったら荷物の分配とかもしたいから。終わったらゆっくりしててくれ。」
「はーい。」
野営用の道具を従魔車に出して、魔術師三人は森の中に分け入るのだった。
鬼謀はうさぎになって忍の頭に乗っかっている、山吹に教わった【ウォータースクリーン】の雨よけはかなり快適で、雨の森を進むのに気分も軽い。
ただ、忍が見る限り、ここはほとんど変化がない、ずっと森だ。
しばらく歩いたところで鬼謀が忍に話しかけた。
『次の木を左に入ってね。』
「次の木を左?これか?」
『それ。』
忍が手近な木を触ると正解だったらしい。
山吹の方を見るが、山吹も肩をすくめている、基準がわからない。
その後も鬼謀の案内で右に左に歩いていく。
前後左右全てが森、なんだか迷っているようにも感じる。
白雷の背に乗って先が見通せる偉大さや、千影の案内の安心感に比べて鬼謀は仲間になったばかりのこともありちょっと不安になってしまう。
いや、仲間に引き入れたからには信じねば、この不安は山吹の紹介というところから来ていることにしておこう。
…いや、人のせいにするのはよくないな。人間不信のなせる技だ。
『次の木を通り抜けたら宝物庫だよ。』
「次の木を通り抜けるんだって。」
「やっと終わりですね。」
忍たちが木の脇を通り過ぎようとすると鬼謀に頭をたしたしと叩かれた。
「な、何?」
『木を通り抜けるの。避けたら入れない。』
「山吹、止まれ。鬼謀、ちゃんと説明して。木の先へ行くんじゃないのか?」
『木を通り抜けるの。木に頭突きすればいい。そうすると木の中に入れるから。』
忍が言われたとおりにやってみると、頭がすっぽりと木の中に入ってしまった。
中には小さな山小屋が立っている。顔を抜いてみると元の場所だ、山吹が焦っていた。
「幻影のようなものみたいだ、入ろう。」
「いきなりだと心臓に悪いですね。お先にどうぞ。」
ここで先を譲ってくるあたり、山吹はなんというか図太い。
しかし気にしても仕方がない、忍は鬼謀とともに謎空間に足を踏み入れた。
『ここは結界で仕切られてる。やみくもに入口を見つけようとすると森の中で一生を終えるよ。』
鬼謀がお腹の袋……性格には袋の中の指輪からローブをとりだして人の姿に変身した。
前世の青いタヌキのことを思い出す、懐かしい。
「そのやりかた、白雷や千影もできないものか。」
「これは僕の練習の成果だよ。それに、白雷は裸派でしょ。」
派閥なのか。魔物の着衣派はさぞ少数なのだろう。
裸族じゃなくて裸派というのもなんとなく語感が新しい気がする。こんなところで新しさを発見したくなかった。
「早く中に入ろう。ゆっくりしてると日が暮れるよ。」
「ああ、山吹がまだ来ないんだ。」
「先生?」
山吹がまだ入ってきていない。
なんとなくオチの予想がつくが、外に顔を出してみる。
「あれ?」
入るのに尻込みして、外でサボる気になっているようなものかと思っていたのだが。
先ほどまで一緒にいた山吹は、影も形もなくなっていた。
忍と鬼謀が木に吸い込まれた後、山吹は何気なく後ろを振り向いた。
そして気づいてしまった、立ち並ぶ木々の中の違和感、こちらを見据える視線に。
魔力、音、痕跡は何も無い、しかし、歴戦のカンが警鐘を鳴らす。
なにかに狙われていると。
出入り口の木を背に山吹は虚空に話しかけた。
「このままにらみ合いでもいいのですが、主殿を待たせているゆえ。一騎打ちというのはどうです?」
静かな森に言葉が吸い込まれていく、山吹は動かない。
カンが鈍っていたのだろうか、しかしこの感覚を無視すれば戦場では死ぬことだってありうる。
「……アネさん、カンがいいでやすね。珍しいお客人だったもんでご挨拶でもというやつでやす。」
フードを目深に被ったギラギラとした目が印象的な男、ロンダートが木々の間からゆらめくように姿を表した。
「警戒を解いてもらえやせんか。あっし、闘うのは専門外でやす。」
「嘘ですね。主殿の護衛ゆえ、我としてはおぬしを捨て置くことはできぬ!」
山吹が一気に距離を詰めようと突進するが、ロンダートは軽々と躱し森の中を走り抜けていく。
「逃がすか!」
「やれやれ、割に合わない仕事でやすね。」
雨の降り続く森の中、人知れず強者同士の追いかけっこがはじまった。
「いない、探しに行ったほうがいいか?」
「先生は結界もできるはず、気にしないでも大丈夫さ。この森なら敵が入ってくることもないだろうし。」
鬼謀は軽くそう言って、小屋の扉を開けて中に入ってしまった。
忍としても山吹が単独行動に強いのはわかっている。わかってはいるのだが。
「私が心配性なだけ、か。」
「旦那様、早くこっち来て荷物しまってよ。」
「わかったわかった。全くどこ行ったんだか。」
山吹の行方が気になりつつも、忍は小屋の中に足を踏み入れた。
壁には武器をかけるためであろう突起がまばらにあり、いくつかの武器が飾られている。
四段の引き出しのタンスのような収納が壁いっぱいにあり、それぞれの引き出しには鍵がかかるようになっていた。
しかし、そのうちいくつかの引き出しは壊されている。
中はホコリまみれだったが、小屋の中には数人分の足跡があった。
「指輪、指輪…」
「ちょっとまて。」
鬼謀が気にせず奥に進もうとするのをローブの首元を掴んで止める。
足跡がくっきりしてて新しい。
「足元。ここに来るやつに心当たりは?」
「……いや、僕以外にはないな。存在を知ってるやつもほとんどいないはず。」
鬼謀も足元を見て忍の言いたいことを理解したらしい。
現在、小屋の中には人の気配はない。
「品物を確認したい。手をはなして貰えるかな?」
「……あ、そうか。ゲソ痕やら指紋やらが取れるわけでもないのか。」
刑事モノでは現場保存は第一だ。
しかしこの世界には科学捜査などというものはおそらくない。
つまり、現場を保存するよりも現場から痕跡を探したほうがいいということだ。
忍が鬼謀を離すと、鬼謀は一冊の本をとりだした。
部屋を歩き回って本をペラペラめくっている、どうやら目録のようなものらしい。
「旦那様の欲しがってた底なしの指輪は七つ残ってるね。記録では一三あるはずだけど、ずいぶん減ってる。どっちにしろここにある魔導具は全部回収したい、一緒に来てもらって正解だったね。」
「なんでそんなにあるんだよ。荒らされてるんだろ。」
「僕に聞かれても。呪われてるやつとかは残ってそうなものだけれど。」
呪われている魔導具なんか持っていって大丈夫なのだろうか。
鬼謀は全ての引き出しを開けたあと御札のようなものが張り付いた一つの箱を持ってきた。
「僕の武器はこれ一つしか残ってないかな。ほかのは僕以外でも使い道があったし仕方ないか。」
鬼謀が箱を開けると中には首掛け鎖と手持ち装飾のついた片眼鏡が入っていた。
よく観察するとなんとなくプレッシャーを感じる。
「武器…なのか?」
「武器なのさ。触ると危ないから気をつけて。これにも僕の呪いがこびりついているからね。特別なアーティファクトはほとんど持ってかれてるけど、泥棒っていうより知ってる奴が持っていった感じ。中身のない引き出しが壊されてなくてよかったよ。」
鬼謀はチェックした引き出しをまばらに閉めはじめる。
しばらく続けているとカチという音がした。
今度は部屋の中央あたりの床板を触り始めて、板を外しはじめた。
しかし、板は外れているはずなのに床板はそこに存在しているように見える。
「驚いた。全然気づかなかった。」
「隠蔽魔術はずっと昔から研究されてる。今では失われてしまったものも少なくないからね。古い遺跡でも時間がたった後に通路が見つかったりするのさ。迷路の結界の中だから魔力は感じにくいし、見抜かれてたら僕のほうが驚いたところだよ。よっと。」
鬼謀が床の穴からとりだしたのはボロボロの布に包まれた三〇センチほどの長方形のものと、五十センチほどの棒状で御札がベタベタ張られた包み。
「旦那様、もう一つ重いのがあるので、よろしく。」
「よろしくって……。いや、まあ、いいけども。」
なんだかあの先生にしてこの弟子ありみたいな気がしてきたな。
少し怖いが仕方ない。
忍は手を差し入れて中を探ってみる、底の方で紙や布のようなものを触った感触がした。
握ってみると棒のようだ、運良く持ち手っぽいところをつかめた。
「う、おっもいっ。」
片手では先のほうが上がらなかったので、両手で引っ張り上げる。
やはり布にくるまれて御札をベタベタ張られたものが出てきた、なんとか引き上げたがかなりの重さだ。
布の上から伺い知る形としては一メートルほどの棍棒のような、メイスのような形をしていた。
これは鬼謀では引っ張り上げられなかっただろう、忍はすぐに禍々しい見た目のなにかを指輪に仕舞った。
「残ってる武器はいいものだけど。持っていって売っても置いていってもいいんじゃないかな。」
「せっかくだし、全部持っていこう。私の指輪の許容量があるならそれも知りたい。」
それに、ここで持っていけるものを置いていったなんて知れたらしっかりもののニカに怒られてしまう。
すべてしまい込んで外に出たところで、鬼謀が片眼鏡をかけて小屋を睨んだ。
小屋は紫色の炎で燃え上がり、塵のようになって森の中を舞う。
炎は周りの木にあたっても燃え広がることはなく、小屋だけを燃やし尽くした。
気がつくと周りの森の雰囲気が変わっていた。
「これで迷路の結界も解けたし、道までは三十分もかからないはずだよ。先生はどこにいるのかな?」
「あ、山吹!耳飾りさん、地図!」
山吹のマークは道とは反対方向の森の中だった。
歩き回っているようだが、何をやってるのか。
鬼謀はいつのまにか変身を解いていた、マントを被ったうさぎが忍の足を前足でたしたしと叩いている。
「きゅ。」
「お、おう。距離が短くなっても歩く気ないのはわかった。」
鬼謀の足を拭って頭に乗せる。
雨よけの魔法を使って忍は山吹を探しに歩き始めるのだった。
山吹はロンダートを追いかけて森の中を走っていた。
足には自信があったが、ロンダートは木々を障害物に小回りを利かせ、巧みに山吹の追走を躱していた。
しばらく走った後、突然ロンダートが立ち止まる。
山吹は飛び込んで一撃を入れようとして、急ブレーキをかけた。
「危ないな。おぬし、蜘蛛か?」
「これだけ視界が悪くても引っかかってくれないでやすか。流石は砂漠の女王でやす。」
目の前に、細い糸が光っていた、このまま突っ込んでいけば絡め取られていたに違いない。。
山吹が眉根を寄せる。そのことを知っている者はほとんどいないはずだ。
少なくとも仲間内以外には漏らせるはずがない、忍の命令が効いているのだから。
「我は山吹、主殿に仕えるものよ。名を名乗れ、賊め。」
「賊と来たでやすか。忍さんとも面識があるでやすが。あっし、ロンダートといいやす。しがない情報屋でやすよ。まあ、アネさんはあっしに覚えがない様子、それだけでも収穫でやす。」
ロンダートが急に右上に飛んだ。
そのまま空中で方向を変えて、先ほどよりも数段速いスピードで森の奥へ遠ざかっていく。
網越しに会話していた山吹はとっさに動けず、ロンダートを取り逃がしてしまった。
「……あれほどの手練れ、覚えていそうなものだが。」
しかし、相手の実力が想像以上であることがわかったのは収穫だった。
本気で闘えば、勝率は四割くらいだろうか、今の山吹には厳しいものがあるだろう。
鬼謀が忍に気に入られたのも山吹としては追い風だ、おかげで探し回ることなくアレを手に入れることができる。
「手に入っていれば、捕らえられたか。ままならないものですな、主殿。」
迷路の結界の中で迷うと、なんとか外には出られても手順を知らずに目的地にはたどり着けない。
山吹は外を目指して歩きはじめる、怪しい暗殺者の存在を知らせ、忍を守るために。
「お、いた、山吹ー!」
忍は山吹の姿を見つけて駆け寄ろうとしたが、その体がいきなり動かなくなった。
「あ、主殿!蜘蛛の巣があるゆえ!」
「きゅ!」
「……すまん、一足遅かった。」
鬼謀と仲良く蜘蛛の巣に囚われて、間抜けな感じになる忍なのであった。




