にゃーとうさーと蛇
建物は近くで見るとかなり大きく、ショッピングモールくらいの広さがあった。
忍たちが建物の前の広場にに入るとなにかぬるっとした違和感を感じる。
山吹が忍の肩に手をおいた。
『結界があります。弱い魔物は入ってこれないのでしょう。』
『忍様、この広場に烏は入れないようです。』
御者台を見るとニカも変な顔をしている。
結界で守られているからこの場所は大丈夫ということなのか。
「忍さんここまでくれば大丈夫です。ビリジアン国内の街や要所には結界があり、従魔などの特別な魔法がかかったもの以外は魔物も精霊も街に入れなくなっています。魔術師の腕にもよりますが、フォールスパイダー程度なら街の外に寄ってくることも叶わないでしょう。」
カントが忍に説明してくれた。
街は魔物相手なら安全ということか、しかし裏を返せばあの勢いでフォールスパイダーが増えているのにビリジアンでは結界以外に何の対策もしていないということだろう。
この大きな森全体で蜘蛛が飽和しているならいくら駆除してもなんとかなる気がしないな。
「ビリジアンに入った後は街道の護衛だけで済むはずですので、ずいぶんと楽になるはずです。しかし、評判以上の腕前ですね。ぜひお仲間とともにうちの商隊に入りませんか?」
「ありがたいお話ですが、うちは行商の屋号も持っていますので。申し訳ありません。」
「残念です。そうすると蜘蛛が落ち着くまでは国内から出られないかもしれないですね。あの数は我々としても想定外でした、パーティを四つくらい雇わないとジョーヒルには戻れそうにないですよ。」
なるほど、帰るに帰れないからもう少し残ってほしいという話か。
しかしせっかくなら国内も観光したいし、護衛任務は性に合っていない。
ここは適当にやり過ごそう。
「湖の観光をしたいと思っていましてね。夏が終わるまでに蜘蛛が落ち着くといいのですが。」
「あそこはいい所ですよ。イフナ様に祈るのを忘れずに。」
「イフナ様…ですか?」
「湖の大精霊様です、泳いだり漁をするものは安全を願ってイフナ様に祈るのですよ。」
湖、水の精霊がいるのか。
結界の説明のときにも精霊に言及していたな、もしかして精霊が多いのかもしれない。
『この建物の中にもかなりの数の精霊がいますが、どれも千影ほど強くはありません。ご安心ください。』
結界といい精霊といい、ビリジアンは魔術の発達した国なのか。
アサリンドでは精霊自体が珍しい存在だったようだし、あまり魔術は世界に残っていないものだろうと勝手に解釈していた。
カントに促されて受付で身分証を提示する。
ニカは身分証がないのだが、行商人の忍が保証人になることで国内に入れるようだった。
こういうこともあるなら、ニカも冒険者ギルドに入れておけばよかった。
この関所はさしずめ市役所のようで、いくつかの窓口に入出国の手続き、従魔車の荷物のチェックなども行われている。
「禁制品やらなにやら、入国は大変ですね。」
「そうですか?危険な薬品などいろいろとありますが、冒険者の方は使うこともあるでしょうし、税金と所持理由を申請すれば通れます。それよりも密入国を取り締まっているのです。ビリジアンは食品の豊富な土地ですから他国のものが亡命しようとして問題を起こすことがあるのですよ。」
国境を超えるのは初めてではないが正規の手続きだと面倒くさいものなのだろう。
うちの荷物も特に問題なかったようで、あっさりと入国の許可がでた。
ビリジアンが滅びているかもしれないなどという的はずれなことを考えていたが、この国はかなり繁栄しているらしい。
「では、審査が終わった方々はこちらのゲートにお進みくださいにゃー!」
案内係のお姉さんに猫耳がついている。
ほんとに語尾ににゃーってつけるんだ、本物の猫耳なのだろうか。
「忍さん、モリビトははじめてですか?彼らは獣の特徴を持っていますが魔人ではありません。魔物ではなく人に近い種族なのですよ。」
よく見ると室内なのに帽子をつけていたり、ゆったりとした服を着た人が多い。
もしかしたら耳や尻尾を隠しているのだろうか。
「国内では隠さないのが普通です。ああ、入る前につけ耳かつけ尻尾を買っておくといいですよ。」
カントの指さした売店ではつけ耳やつけ尻尾が売っている。
種類も数もかなりのもので耳と尻尾のセットもある、獣の皮から作られているらしく一点ものばかりだ。
「店員さん、セットの耳と尻尾ここからここまで全部ください。あとこれも。」
「ええっ?!ぎ、銀貨一九枚になりますにゃ!」
犬、猫、兎、豚、鼠、牛、竜、虎、狐、などなど即決した。
おそらくニカはどれをつけてもかわいいだろう、ちなみに忍がつけるものはじゃまにならなそうな小さめの鹿っぽい角を購入した。
動物は可愛い、可愛いは正義なのだ。
決してニカに色々つけて楽しもうなどという邪な考えではないのである。
そういえばウッドメンやミストガイズの面々も着けるのだろうか。
もともと獣耳が生えているというのはわかるのだが、おっさんがつけ耳してにゃーとかいうのはすごく恥ずかしい気がする。
忍も語尾は御免被りたい。
店員はニコニコしながら商品を大きな麻袋に入れてくれた、戻ると麻袋を見たカントが苦笑いをしている。
このくらい普通だという顔をしてニカにつけ耳と尻尾を渡した。
「好きなのを着けるように。国内では着けるのが普通らしい。」
「しのぶさん、なんでこんなにかってきたの?もったいないよ?」
痛いところを突かれてしまった。
いや、けして無駄遣いではない、予備も必要なのはいままでの経験で身にしみているのだ。
「すまない。気に入ったのがなければ好きなのを買ってきてもいいぞ。」
「えー、もったいないよ。しのぶさんどれがいいとおもう?」
「どれも可愛いが、そうだな。兎がおすすめかな。」
「じゃあうさぎにする!」
あまりこだわりはなかったらしい。可愛いからいいか。
白いウサギの耳とカールした尻尾のセットだが、ニカにはよく似合っていた。
「ニカうさぎうさー。よろしくうさー。」
「なにそれ。」
「にもつけんさのモリビトさんはうさーっていってたよ。」
兎の語尾、ぴょんとかじゃないんだ。
『忍様、モリビトの語尾は観光客へのサービスのようです。普段は普通に喋っているようですよ。』
千影の進言により忍のファンタジー脳は通常に戻った。
猫耳の語尾がにゃーというところから、かなり混乱していた気がする。自重せねば。
やっぱにゃーって言わないよな、すこしがっかりしたが物語と現実を混同してはいけないのだ。
まるで物語のような現実だったとしても。
「ああ、髪はおろしておけ、耳を隠すように。耳が四つあるのは偽物っぽいからな。」
「わかったうさー。しのぶさんのいうとおりうさー。」
気に入ったのかそれ。
耳が四つは獣人を描くときに絵師がやりやすいミスだ、獣耳と人の耳を両方描いてしまう。
職員の中にもそういう人がいるが、よく見ると獣耳はヘアバンドのようだった。
偽モリビトでも語尾をつけている、涙ぐましい努力だ。
「この先は従魔車が減りますのでちょっと楽になりますよ。まあ、忍さんがいればあまり変わらない気もしますが。」
準備を終わらせてゲートを潜ると、ウッドメンの従魔車が二つになっていた。
カントはニコニコしているが、忍としては微妙な顔になる。
そしてミストガイズの面々はさらに微妙な顔になっていた、毎日蜘蛛の魔石をとるためにドロドロになっているのだから。
それにバツが悪いのか、この五日間まったくこちらに話しかけてこない。
こちらからもどう話しかけていいかわからない、困った。
まあ出来ないものはしょうがないので、思考の隅に追いやっておこう。魔石は山分けとなっているが、ミストガイズの取り分が多めになるように進言しておこう。
外に出ると関所の中の賑わいが嘘のように森は静かにそこにある。
忍は【影分身の霊獣】をかけ直そうとした時、千影がそれを止めた。
『この先もところどころに結界があるのなら何度もかけ直すことになってしまいます。蜘蛛は魔力を発していますので、忍様が感知されたほうがよろしいかと。』
たしかに、何度もかけ直せばバレるリスクも高まるし、烏に気がつく人も出てくるだろう。
手遅れな雰囲気でも隠すと決めたら隠している方がいい。
意識して魔力を感知しようとすると蜘蛛の居場所はよくわかった。
最初からこうしておけばよかったかもしれない。
『忍様の手を煩わせることとなり申し訳ございません。』
「遠慮してたのか。大丈夫だ、たまには働かないとな。ありがとう、千影。」
なんとなくそれっぽいところを回っていく。
たまに鳥のような魔物を見つけるようになった、国内は蜘蛛だけということもないようだ。
アリアンテ到着まで、予定ではあと十日ほどだった。
ビリジアン国内の林道はいくつかに枝分かれしており、分かれ道のたびにウッドメンの指示を仰いでいた。
旅の速度はその分落ちて、山吹はテントの中でスピードが遅いと愚痴をいうくらいだった。
三日ほど経った頃、いつも通り蜘蛛を狩っていると道の先に壊れた従魔車が見えた。
周りの森に目を凝らす、弱々しい魔力の反応が三つ木の上に見つかった。
商隊に上空からハンドサインを送り、少し待つように伝える。
周りの蜘蛛を撃ってから、弱々しい反応の場所を白雷と回った。
「これが繭ってやつか。」
白い糸でぐるぐる巻になったものが、木の幹に貼り付けられている。
蜘蛛はすでに処理したので、なんだか道端で踏まれたガムのようにも見えるそれを、飛熊で切り開いた。
中には犬耳の若い男が入っていた、とても苦しそうだ。
「白雷、商隊に連れて行こう。たぶんあと二人だ。」
『わかった。』
彼を正体に預けて忍は木の上を往復した。
ついでにこの先で従魔車が壊れていることも知らせる。
「ケネスさん、すみませんが回復魔法をお願いします。あと二人ほどいるようなので。」
「了解っす!」
どうやらケネスは無詠唱で魔法が使えないらしい、任せた後に後ろで詠唱の声が聞こえる。
追加で助け出した二人は筋肉質な虎耳の男とスレンダーな豚耳の女だった。
忍たちが通りかからなければ三人とも蜘蛛にすすられて死んでしまっていただろう。
「助かりそうですか?」
「うっす、麻痺消しも余り気味だったんで問題ないっす。忍さん全部倒しちゃうから買いすぎて後悔してたんすよ。」
「すみません、少し蜘蛛を残したほうが」
「いえ、全部倒してくださいっす。きっちり魔石は回収するんで。従魔車はビターズさんたちが見に行ってくれてるっす。」
食い気味に倒してくれと言われてしまった。
三人は装備からして冒険者、武器は持っていないが革鎧と鎖帷子だ。
「運ぼうにも従魔車にスペースがないので、誰か起きるまで夜営ってことになるみたいっす。忍さんは休んでください、連日あんな量の魔法打ってるんすから。」
「ああ、すまない。ありがとう。」
【アイシクル】は初級魔法、百回撃っても余裕なのだがここは楽をさせてもらうか。
山吹とニカに後を任せ、従魔車の中で座って仮眠を取ることにした。
忍が起き出した時、ニカは炊き出しの真っ最中で山吹は寝かされたモリビトの近くで焚き火の番をしていた。モリビトの三人はまだ起きていないらしい。
日は傾きかけており、森の中は薄暗かった。
忍はカントとビターズを見つけて話しかけた。
「お疲れ様です。従魔車の方は如何でしたか?」
「ああ、忍さん。実は困ったことになりまして。」
カントが眉間にシワを寄せている、しかし商人のクセで笑顔を作ろうとしているのか非常にアンバランスな表情になっていた。
口が笑って眉毛が困っている。
「パーカッションバイパーだ。この一年でほとんど駆逐されたはずの魔物さ。」
ビターズが険しい顔で腕を組んでいた、しかし忍には心あたりのない名前だ。
「魔物、ですか?」
「そうだ、大型で丸太ほどの太さ、二十メートルくらいには育つな。だが普通は人を襲ったりはしない。戦えば甚大な被害が出る。従魔車で蛇の尾でも踏んだのかもしれんが。」
ヒルボアのような生態を持つ魔物だろうか、こちらから手を出さなければ襲われづらいが、決して温和というわけではないといった印象だ。
「すみません、知らない魔物です。あと、駆逐ってどういうことですか?」
「ビリジアンの王位が一年前に継承されたのですが、新たな王が大のヘビ嫌いだそうで、ビリジアン中にヘビを狩る命令を出したんです。パーカッションバイパーは特に大きいので見つかりやすく、そのたびに王宮の近衛兵が出動してヘビを狩っていったんだとか。」
「その頃からフォールスパイダーが増えだしたんだ。パーカッションバイパーの餌だったんだろ。俺達だって……」
ビターズが何かをいいかけて口を押さえた。
カントの表情も一瞬強張った気がする。
「秘密は誰にでもあります。いまはパーカッションバイパーの対処の方を決めましょう。」
「……わかった。従魔車に噛み跡があった。見たことのない大きさだ、下手するとかなりデカくてな、倍くらいはあってもおかしくない。それと、これだ。」
ビターズが腰元から引っ張り出したのは真っ白な鱗だった。
「白魔ですか。」
「なっ?!白魔って作り話じゃないんですか?!」
「ああ、だが実際にこんな物を見ちまうとそうも言ってられん。」
みなさんごめんなさい、従魔車の中にもう一匹います。
ただ、本当に白魔だった場合、戦ったらこの商隊どころか街が無くなりそうなんだが。
これは白雷のように交渉できる知能を持ってることに賭けて先に見つけて交渉したほうがいいだろうか。あとで相談してみよう。
「とりあえず、パーカッションバイパーの特徴とかってありますか?戦うにしろ逃げるにしろどんな魔物か知りたいです。」
「魔力や気配での察知は困難だ。森の中で気配を消すことに長けた魔物でな。襲ってくる前に太鼓の音に似た警戒音を出すくらいか。討伐するなら初撃を従魔車を盾にしてしのぎ、逃げられる前に倒しきるってのが定番だ。今回は先にモリビトが襲われてるからな、ここらが縄張りだとして戻ってくるかもしれない。」
「ん、そういえば従魔車を引いてた従魔はどうなったんでしょう?」
「逃げ出したとしても蜘蛛の餌ですかね。」
三人でウンウン唸っていると、白雷が忍の頬を角でつついた。
忍はとりあえず白雷をなでてみるが、言いたいことがよくわからない。
『しのぶ、あぶない、なつかしい、つよい、へんなの、しんぱい。』
なにか複雑なことを考えているのだろうか、いまいち言葉がつながらない。
『どこどこ、木、ドンドン、しつこい、およぐ。』
「すみません、白雷が落ち着かないのでちょっと席を外しますね。失礼します。」
忍はそういって白雷を連れて従魔車に戻った。
「千影、翻訳を頼む。白雷も落ち着いて一つづつ教えてくれ。こんなにわからないのははじめてだ。」
『承知しました、白雷、ちょっと失礼しますね。』
「プオッ!」
大人しくなった白雷に黒い物が纏わりつく。
作業はすぐに終わって千影が話しだした。
『忍様、白い蛇は白雷の古い知り合いのようです。強くて泳げるようで、普段は木に擬態して森に隠れているようですね。話をすることもできる相手のようです。』
「おぉ、それなら平和的に解決もできるか、良かった。」
『いえ、それが一度傷をつけられると執念深く追ってくるようで、さっきの鱗を見た白雷が慌てたようです。』
「……い、一応、話をしてみるか?それとも問答無用で退治するか、逃げるか?」
『鱗をはいだモリビトがいるのですから逃げても追ってくるでしょう。もしくは白雷を追ってくるかもしれません。』
『かみなり、落とした。しつこい。』
白雷も標的だったか。悲しい。
同時に驚愕の事実として、白蛇は白雷の雷に耐えるということがわかってしまった。
「山吹にも聞いてみるが話し合いか退治だな。千影、影分身を作る。烏で周囲の警戒をしてくれ、魔力も気配もわからないらしいから気をつけて。」
『仰せのままに。』
千影を影分身させて、白雷とともに炊き出しのところに行くと、ニカがウッドメンの面々に絡まれていた。
一緒に食事をしないかというお誘いらしい。
「あ、しのぶさん。みなさんしつれいしますね。」
ニカがこちらに小走りでかけてくる。
なんだろう、男性陣に睨まれている気がする。
気にしない気にしない、美人の弊害にも慣れなければ。
山吹もミストガイズに一礼するとこちらに歩いてきた。
テントの中で状況を伝えると、山吹もなにか悩んでいる様子だったが、最終的には話してみることになった。
『白い大蛇というのを何処かで聞いたことがある気がするのですが。思い出せぬゆえ、捨て置いてください。』
「わかった。ニカはいつも通りでいい。本当に襲ってきたら山吹と私で対処することになる。怪我しないように気をつけてくれ。白雷と千影はやばくなったら頼む。」
しかし、この日から蛇らしき魔物は現れず、忍たちはアリアンテまで到着してしまった。




