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嵐を呼ぶ男と参戦表明


 水樽を補給し、風呂に入り、徐々に体を動かしながらニカや山吹と修練をし、ヒョロ坊主先生に何度か経過を見てもらいつつ、ボボンガルでの日々は過ぎていく。

 しかし、忍の代わりの水魔法使いが見つからないので逗留は長引いていた。


 「おもいでのとびら以外に木櫛も作ってみた。山吹、髪をまとめるのにどうだ?」


 「おお、この髪留め用のはいいですね。木なら風呂でも使えそうです。」


 それも狙いの一つだが、蝶の髪飾りはやはりなんとなく心配だった、使ってもらえそうでよかった。

 バンバンのように意匠などは彫れないので平凡でシンプルなものだが、普段遣いするにはこういったもののほうがいいかもしれない。

 髪梳き用と髪留め用の小さいものを三つずつ用意した、香りのいい油を染み込ませてあるので温泉なら喜ばれるだろう。


 「売れなかったら山吹が使えばいいしな。」


 売れないことも考えて日用品を商品にする、これも手作りの強みだろう、後ろ向きな気がしないでもないけど。

 細々と準備をし刺繍の旗も出来上がった二週間後、丸天屋台は二度目の行商市に挑んだのである。


 「昼過ぎまでは暇だろうし、市を回ってから開店するか。」


 「しじょうちょうさだね!わたしはさんせい!」


 山吹も立ち上がる、ついてくるということだろう。

 スペースに椅子をおいて準備中と彫られた木札を立てかけておく。

 ちなみに白雷は雲を食べに出かけている、全員が前回の流れからいきなり店が忙しくなることはないと踏んでいた。


 「あの蝶の髪飾り、大元の店はどこなんだろうな。」


 「ひとのあつまってるみせがないから、どこがにんきとかわからないね。」


 市場調査の中心はニカだ。

 明るく人当たりのいいニカは百戦錬磨の行商人に物怖じせずに喋りかけ、色々なことを教えてもらう。

 なにか小さな品物を買ったりするのもミソらしい。

 これが、コミュニケーション強者というものか。ニカ、恐ろしい子。


 「しのぶさん、やまぶきさんのかみかざりって、どこのみせとかないみたい。でんとーこーげーだって。」


 「伝統工芸か。湯着みたいに何かいわれがあるのかもしれないな。」


 「そういえば、ちょうのマークのおみせ、いくつかみかけたよ。ほら。」


 ニカが行商市の開催されている広場に面した服屋を指さした。

 入口の上のところに蝶の意匠が施されている。

 少し気になったので中で聞いてみることにした。


 服屋、織物のホロウはボボンガルで老舗の部類に入る店だった。

 店主の老婆は腰が曲がって、目隠しをしている。

 音を頼りにこちらを向いて穏やかに話しかけてくる。


 「よくきたねぇ。お探しなのは湯着かい、服かい?」


 「おばあちゃん、ちょうのほりものがきになってはいってきちゃった。」


 服屋ではあるようだが店内に服はなく、木の棒に巻かれた布が所狭しと並んでいる。

 ニカが老婆と楽しそうに話しはじめた、ここは任せよう。


 「ああ、布をみるのは構わないけれど、移動させないでおくれ。このとおりだからちょっと大変になってしまうの。」


 「……わかりました。」


 手持ち無沙汰な忍が布に触ろうとすると老婆は目隠しを示してそう言った。

 店全体が見えているかのような反応に忍は少しびっくりした。


 布の入った棚は湯着用、服用と紙が貼られ、長さごとに分けられているようだ。

 服用の布には模様や色がついていたが、それらは全て刺繍であった。

 ベースになっているのは白い布、湯着と同じ蜘蛛の糸のようだったが手触りが違う。


 「柔らかい。」


 山吹もあごにを手を当て何かを考えるように腕を組んでいる。


 「しのぶさん、おはなしきけたよ。」


 「ニカ、ありがとう。お婆さんもありがとうございます、明日もこの店は開いていますか?」


 「ああ、ああ。また四人でいらっしゃい。」


 四人、千影のことも把握されているようだ。

 五感の一つが使えないと他の感覚が鋭くなるというが、これも人体の神秘なのだろうか。

 不思議な老婆のいる服のない服屋、織物のホロウは忍の記憶に残る店だった。


 店のスペースに戻ると、ちょうどポポンが男性を連れてきていた。


 「あ、すみませんすぐにじゅんびしますね。」


 「ごめんなさいねぇ。おもいでのとびらの評判を聞いてきたのよぉ。」


 「では、先に商品の説明をいたしますね。おまたせして申し訳ありません。」


 まだ午前中だったので、他の店もほとんど客がいない。

 男性は買う気満々のようで忍は椅子を取り出して、似顔絵を描きはじめた。


 準備中の札をひっくり返して商い中にする。

 こうして本日の丸天屋台の営業はなしくずしにはじまったのだった。


 この日の営業は想定外のことの連続だった。


 まず、正午までの間におもいでのとびらが三十個も売れた。

 ポポンだけではなくカップルで来る客ばかりで忍の似顔絵が追いつかず、一旦注文を止めて似顔絵を描いている。


 次におもいでのとびらを求めてきた客の中に、ニカや山吹を描いてほしいという要望が出た。断っているが、アイドルの生写真とかのノリなのだろうか。

 山吹が街の子供に彷徨う鎧と認知されていたのには吹き出してしまった。


 そして最大の予想外が似顔絵が終わりかけた昼下がりに訪れた。


 「ああ、やっと見つけましたお嬢さん!」


 遠くからジャラジャラとアクセサリーを付けて二つの壺を腰につけた男がくねくねと丸天屋台の方に歩いてきていた。


 『精霊の壺、気配に覚えがあります。パーミスルで追ってきた精霊ですね。』


 「ってことは私達に向かってきてるのか、あの派手なの。」


 「絵描きさん?」


 「ああ、すみません、変なのがこっちに歩いてきてるんで気になってしまって。」


 見た目のインパクトがヤバすぎて思わず千影と喋ってしまった、ツッコミを入れたお客さんも男の姿に気づいてギョッとしている。 

 並の相手なら山吹で十分だろうし、客は彼女で一段落なのだ、集中集中。

 最後の一筆を入れてドアに似顔絵を貼る。


 「はい、ではあちらでお好きなパーツを付けていただいて……」


 「ン~ムッ。」


 忍が指し示した先で、いきなり男がニカの手を取り、その手の甲にキスをした。

 登場からここまでのインパクトで、やられた本人であるニカも、控えていた山吹も、千影や忍さえも反応できなかった。


 「い、いやぁーーーー!!!!!!」


 ニカの悲痛な叫びに反応したのは忍と山吹だった。

 忍はニカを男から引き剥がし、山吹は男に拳を打ち込む。

 しかし男は山吹の攻撃をひらりとかわし、どこからか取り出した櫛で乱れた髪をセットしなおした。


 「おみず、おみず!!!」


 「なんだあれ!山吹、捕まえろ!」


 忍は【ウォーターガッシュ】で水を出すとニカはこれでもかと手を洗った。

 顔が青ざめものすごく取り乱している。

 そんなニカをお客さんも慰めてくれている、店の前では山吹が男を捕まえようとしているが、男の動きが早くてうまくいかないでいた。


 男は茶髪のポンパドールに青ひげで顎が割れている、西部劇にいそうな顔立ちだ。

 ギラギラしたアクセサリーを大量に身に付けておりセンスが最悪だった、物凄く趣味が悪く見える。

 派手な音と土埃で店の周りに人だかりができはじめていた。


 「ロレックス三本くらい腕に巻いてそう。ニカ、知り合いか?」


 ニカは可哀想なくらい左右に首を振っている。

 ということはこれまでの流れなら美人の弊害か。


 「照れ屋のお嬢さんに朗報ですッ!この僕、ゴードン・パルミジャーノのお嫁さんにして差し上げましょうッ!!」


 「いやぁー!!しのぶさん、わたしやだよ!!およめさんならしのぶさんがいい!!なにあれ!!きもちわるい!!こわい!!しね!!てがくさっちゃう!!」


 ものすごい勢いで叫ぶニカがすがりついてくる。

 ニカを怖がらせるあいつは敵だ。忍はニカを優しく抱いて背中をポンポンと叩いて落ち着かせようとした。


 「大丈夫、なんとかする。」


 「ふっ、お嬢さんはまだ真実の愛に気づいてないだけさッ!」


 「いやぁー!!!へんたい!!くたばれ!!しかいにはいるな!!いきするな!!」


 またも紙一重で避けられて山吹の拳が土煙をあげた。

 ニカはボキャブラリーが豊富だ。どこでそんな言葉を覚えたんだろうか。

 感心している場合ではない、あのケツアゴードンをなんとかしなければ。

 忍はニカを抱えながら右手でゴードンを止めにかかる。

 ネレウス式、足が引っ付く魔術。

 しかし、ゴードンの足は地面に引っ付かず、そのまま山吹の攻撃を避け続けた。


 「うわ、なんで?」


 下手に攻撃魔法を打てば殺してしまいかねない、ショーの実の爆弾は野次馬を巻き込んでしまう。

 よく見るとゴードンの周りには風が渦巻いていて、こちらの魔力が届きづらいような雰囲気がある。

 【ウィンドウォール】を体にまとっているような感じか。


 『忍様、おそらく風の精霊の仕業です。火の精霊の気配も、千影はお役に立てそうにありません。』


 昼間なのだ、それも仕方ないのだろう。

 仕方ない、人らしく言葉で交渉するとしようか。


 「山吹、戻って。ゴードンさんですか、あなたはいったいなんなんです?」


 「君こそ邪魔をしないでくれたまえッ!関係ないものが口を挟む話ではないッ!」


 「本人が嫌がってます!!それに私はこの子の主人です!!関係ないのはそちらでしょう!!」


 ゴードンの顔がひきつった。

 忍の胸の中でニカがゴードンを睨んでいる、山吹も護衛としてハンマーを構えた。


 「これ以上うちの子を怖がらせるなら、命の保証はないものと考えなさい!!」


 「卑劣な男めッ!何で彼女の自由を縛っているッ!!金かッ脅しかッ!!あなたの騎士が助けだしますよお嬢さんッ!!」


 意味が分からず、忍たちはポカンとしてしまった。

 こいつは騎士などではない、おそらくは狂戦士だ。言葉が通じない。

 山吹が睨みを効かせている間にニカにマントを着せる。


 「ニカ、千影、行ってくる。」


 忍は赫狼牙を抜き、山吹の肩を叩いた。

 山吹は首を振ったが、強引に入れかわり前に出て、叫んだ。

 

 「野次馬の皆さんには、ご退場願います!!」


 「いい度胸だッ!正義の鉄槌を喰らうがいいッ!!」


 野次馬が十分に離れる前にゴードンが風を放った、忍は【ロックウォール】を立てて防ぐ。

 感覚的に魔力が飛んでくるのがわかる、風の刃は見えづらいが、対応はできた。

 しかしそんなことより関係のない人が逃げ切っていない状況でこちらに攻撃魔法を飛ばしてくる神経がわからない。

 もはや遠慮は無用、忍は赫狼牙に魔力を流し切っ先から【ファイアボール】を放った。


 ゴードンはニヤついて動かない、【ファイアボール】は弾けるが風の壁に遮られてダメージは通っていない。

 余裕で前髪に櫛を通している、よほど自信があるのだろう。

 その自信がどれほどのものか、忍は確かめてみることにした。


 「【ロックバイト】!」


 忍がそう叫ぶとゴードンは後ろに飛ぶ、しかしそのタイミングで忍が発動した魔法は【ロックスタブ】だった。

 ゴードンの真後ろに岩の棘が出現するが、腹を貫くはずだった棘は左の太ももを少し削っただけで終わった。

 

 「ぐあぁッ!卑怯な手をッ!」

 

 「やっぱこれ有効だなぁ。」


 闘技場で戦った魔術師、ヨーダお得意の誘導戦術だ。

 足を負傷した以上、回避中心の戦い方はできないだろう。


 「降伏勧告です、ギブアップしたほうがいいですよ。」


 「何を言っているの、だッ!まだ我が正義は折れてはいッないッ!!エン!フー!【魔力供給】【熱風炎嵐】ッ!!!」


 ゴードンが両手を前に突き出してそう叫ぶと、姿を見せていなかった風と炎の精霊が実体化した。

 上半身は女性のようだが、下半身は風や炎になっている。

 二体の精霊は大きく息を吸うと忍に向かってブレスを吐き出した。

 二つのブレスが混ざりあい、炎をまとった竜巻が唸りを上げて忍に襲いかかった。


 「僕のすべてをこの一撃にッ!!!」


 ゴードンのすべてをかけた一撃は、忍の感覚では【ブルーカノン】に匹敵する威力だ。

 まともに受ければタダではすまないだろう、まともに受ければであるが。

 忍はポケットに手を入れると木札を取り出して魔力をこめた。

 地面がえぐれ、土が溶け、熱風で周りの布が瞬時に燃え上がったほどの魔術だが、忍の目の前でかき消えていく。

 【抗魔相殺】、覚えていなければ忍だけではなくボボンガルが吹っ飛んでいたかもしれない。

 炎と風が消えた、忍は早足で膝をついたゴードンの目の前に歩いていく。


 「くっ殺せッ!」


 アホなことを言っているゴードンのテンプルを蹴り飛ばし、吹っ飛んだゴードンを容赦なくスタンピングする。

 ゴードンは魔力切れで気絶していたが、衛兵に止められるまで忍はゴードンを蹴り続けた。

 これが忍の従魔達によって後に語り継がれるケツアゴードン襲来事件である。


 「衛兵さん、死刑か刑務所送りを進言しておきます。厳罰に処してください。」


 「げんばつをのぞみます。」


 「いやぁ、なんかもう罰受けてるくらいボコボコじゃないですか。」


 忍は衛兵に事情を説明し、ゴードンを引き渡した。

 その後、ニカとともに詰め所で事情を聞かれているのだが、ゴードンに対して衛兵の歯切れが悪い。


 「最後にあいつがつかった魔術は上級魔法に匹敵するレベル、ボボンガル一つくらい吹っ飛ばせる威力だったんですよ。そんなものを平時に街中でぶっ放す魔術師なんて危険以外の何物でもないでしょう。」


 「実際に被害が出てないし、上級魔法なんてものが分かる人はこのボボンガルにいないんですよ。判断がつかなくてですね。」


 「しのぶさんがうそついてるっていうの!」


 「嘘ついて一撃入れたって魔法使いさんから複数証言が出てましてね。もちろんあなた方が被害者って証言も複数出てますので捕まえたりはしませんが、刑務所送りはお約束できませんね。」


 ニカは納得いっていないようだが、魔法が使えない上にあの場にいなかった衛兵さんにはこういうしか無いのも仕方ない。

 あの傷なら復活にも時間がかかるだろうし、今回はこれでよしとするしかないようだ。

 ニカの手へのキスはまだ暴走ですむかもしれないが、あの精霊の合体攻撃はまったくもって洒落にならない、忍がいなければ何人死んでいたかわからないからだ。

 力をふるうものはきちんとふるいかたを考えなければならない、忍にも心当たりがあることなので改めて意識しなければならない事件だった。



 「しのぶさん、わたし、しのぶさんのおよめさんになる!いいよね?!」


 詰め所からの帰り道、ニカが忍にそう迫った。


 「き、気持ちは嬉しいけど、ヤケクソ気味に言ってないか?」


 「ぜったいやだ!あいつだけじゃない、しのぶさんいがいにあんなことされるの、もうぜったいやだもん!いいでしょ、ニカ、しのぶさんのためならなんでもするよ!あのひにいったこと、うそじゃないもん!」


 ニカは何でもするから連れて行ってと忍に契約を迫った。

 しかし忍には自信がない、みんなの人生を背負うことになっているのにそれを幸せにする自信が。

 つい最近もストレスで皆に心配をかけた、この先もいつ心が折れてしまうかわからない。


 忍の情けない顔を無理矢理持ち上げて、ニカが唇を奪った。

 まっすぐに目を合わせてニカが告白する。


 「いちばんじゃなくても、しのぶさんがニカのこときらいでも、ぜったいしのぶさんをしあわせにするから。おねがい。」


 「……負けました、わかりました。千影と白雷と同じ条件です。今後一緒にいる中で私がその気になったら、それでもいいですか?」

 

 「うん、ぜったいそのきにさせる!」


 太陽のような笑顔だ、押し切られてしまった。

 いざという時、ニカが何かを言い出したら止められない。

 かつてこんなに想われていたことがあっただろうか、この告白をしてもらえただけで忍は幸せを感じていた。

 それでもひとおもいに首を縦に振ることができないのは、本当に情けなかったが、ニカと忍は幸せそうに抱き合った。


 『千影の目の前で、忍様の唇を奪うとは、いい度胸です、ニカ。』


 「え、ちかげさん?!」


 「あー、まあ、全部聞き終わるまで待っててくれただけ、ありがたかったかな。」


 忍がマントをニカに預けたのは防具としてという意味ももちろんあったが、マントの下に千影がいるからだった。

 決してゴードンを侮っていなかった忍は山吹も含めて全員を下がらせて単身で戦うことを選んだ。

 結果的にあの隠し玉を見てしまうと正解だった気がする、千影と山吹は果たしてあれを止められるのだろうか。


 『この時間帯なら撃たれる前に勝負が決していたでしょう。本来なら千影があの程度の精霊に遅れをとる道理はございません。』


 「ちょ、ちょっとまって、ちかげさんぜんぶきいて、え、わたし、わたし?!」


 「千影はほとんど常に皆を見ている。私が注意しなきゃ、未だにトイレも監視されていたはずだ。」


 『忍様の安全が第一だというのに目を離すことなどできないと懇切丁寧に説明したのですが、どうしてもということでしたので。』


 「ち、ちかげさんって、すごいへんたいさんだった?」


 『忍様の安全の為ならどんなに誹られようと構いません。』


 「ニカ、精霊と人の常識は違う。千影はどこまでも真面目なんだ、ちょっと怖いくらいに。」


 『忍様のお望みにゃら、奇妙にゃ言葉遣いでも対応してみせますにゃん。』


 「やめろぉっ?!この話はおしまいっ!!」


 千影は本当に極稀に忍を追い詰める一撃を放ってくる。

 おそらくニカに忍の好みを教えて間接的に忍を喜ばせようとしたのだろうが、それを知られると忍の心がえぐれるということが理解できていないのだ。

 ニカと忍は恥ずかしさで真っ赤になって、薬湯の妖精亭へ帰ってきたのだった。



 「主殿、一騎打ちの方は見事なお手並みでした。それはそれとして、ニカと何があったのですか?」


 寝る前に岩風呂で疲れを癒そうと山吹と温まりにきたのだが、帰ってきた二人の様子になにか思うところがあったらしい。

 山吹はニヤつきながらそんなことを聞いてきた。


 「…なにかあったけど、内容は言えない。」


 「…なるほど。我は今夜、山で遊んできたほうがよろしいですか?」


 「変な気使わないで?!」


 山吹はわかってやっているのだ、やはり質が悪い、そしてわかりやすい自分が恨めしい。


 「この前の件があるゆえ、話をするのですが。もし、そういうことを主殿が我慢されているのであれば、それはいらぬ気遣いというものです。主殿に従い印を得るということはそういうことです。夜伽の命を下されたとて、嫌がるものはおらぬでしょう。」


 唐突に真面目な顔で山吹がそんな事を言ってきた。

 山吹も白雷に似た考えを持っているのだろうか。

 岩に頭をあずけて目をつぶる。


 「あまり縛るのは好きじゃないんだ。ホントは罰を与えるのも好きじゃない。上の我儘に付き合わされるなんて最悪だ。だからできるだけ皆にはそういうことはしたくない。こんな力を持ってしまったからこそ、使い方はきちんとしなきゃダメだろう。」


 「では、ポポンはどうです。」


 ザブン。


 忍の頭が岩からずり落ちた、ゆっくりと水面に顔をあげて山吹を睨む。


 「そういう商売の娘ゆえ、後腐れは無いです。見てくれはいいですし、胸もあります。技術も申し分ないでしょう。」


 「……無理。」


 「主殿、我は邪魔になっていませんか、主殿に心労をかけてしまっているのなら、その心労を軽くするために我を使ってくれればよいのです。伽でなくとも気に入らぬ相手を吹き飛ばすことでも、贅の限りを尽くすために金品をかき集めることでも構わないのです。我の望みは主殿の望み、我の考える忠義とはそういうものです。」


 「……邪魔なんかじゃないんだが、私はからかわれたり遊ばれたりするのが苦手だ。そこで怒りをぶつけるのは大人げないやつがやることだと刷り込まれてきてしまったから、どうしていいのかわからなくなる。嫌で嫌でたまらない。他にもそんな事が山程あるんだ。」


 ストレスが爆発する前に発散しろというのが通説だが、溜まったストレスというのは何をすれば発散できるのだろう。

 遊んでいるとやるべきことを後回しにしている気がする、吐くほど運動してもそれ自体が嫌なことだし、人と話せば顔色と心の内をずっと探っている。


 食事と一緒に心を飲み込む。

 風呂で頭が働かなくなるまで浮かび続ける。

 眠ることですべての感覚を遮断する。


 この三つは多少マシだがストレスがキープされるだけで減りはしない。

 今だって山吹に正直に話しているようで、打ち明けたことで山吹にストレスを与えているのかが気になって仕方がないのだ。


 「すみません、責めているわけではないのです。主殿は我の予想がつかない判断をするゆえ。あのゴードンなるものも捕まえろではなく殺せとの命ならば討ち取ることも容易だったでしょう。」


 「私が、手加減を頼んでいるから、か。」


 「いえ、主殿の望みが我の望み、手加減しろというのならばそれが全てです。しかし我は戦争を知るゆえ、命が残るだけでも手加減ですし、その、主殿のいうことがわからない事があるのです。」


 山吹は人の中で生活していた経験があるのであまり気にしていなかったが、平和ないまを生きているニカや忍に比べるとちょっと感覚が違うところがあるということか。


 「わかった、私の配慮が足りないところだ、すまないな。心労は起こってしまうこと、回避できないことと考えてくれ。起こったときに正しく対処してくれるのが一番良い。」


 そう、忍の思いつく限りではどうにもならないことなのだ。

 そして、山吹がどう思うかはわからないが、忍が山吹ならこう言ってもらいたい。


 「私は山吹がいてくれてありがたい。こうして相談ができるし仲間の守りも任せられて、従魔車だって引いてくれている。長風呂に付き合ってくれるのも嬉しいんだ。」


 「…主殿はもっと皆を便利使いするべきです。従者の扱いが丁寧すぎるゆえ。」


 なんか前にもだれかに言われた気がする。

 でもいいんだ、目を瞑って意識が溶けるまで湯に浸かろう。

 嫌われたかもしれないなんて考えを、頭の隅にしまい込め。


 「山吹。」


 「なんです、主殿。」


 「胸は控えめのほうが、美しいんだぞ。」


 「主殿、仕返しは大人げないゆえ。」


 「ちがう、真剣な話だ。」


 頭がからになると、ふと見えなかったことが見えることがある。

 山吹がボボンガルに来て強い失言や失敗をした時、近くにポポンがいた。

 対抗意識はむき出しで、挙げ句の果てにわざわざ胸に言及している。


 「申し訳ありません、主殿はそういったことには疎いと侮っておりました。」


 「疎いんだよ。気づいたのが今なんだ。」


 「主殿は、よく胸に目を奪われているゆえ、お好きなものと。」


 「…仕返しは大人げないぞ。」


 「真剣な話です。」


 たしかに胸は好きだが、本能的なものだ。

 いや、これ真剣に論じている事自体が色々と問題あるような。しかし、山吹いわく真剣な話、真剣に返してやらねばなるまい。


 「和服というものがある。ボボンガルの湯着に似ているのだが、この服を着る場合、胸を小さくするために布を巻いたりするんだ。そのほうが着崩れしにくくなるし、スッキリと着こなして美人になる。少なくとも湯着を着ている時、一番美しいのは山吹だ。見せ方や考え方で魅力なんてどうにでもなってしまう。山吹には山吹の魅力があるんだよ。」


 「主殿……。」


 「胸が好きなのは否定しないけど。」


 山吹がふくれっ面をして、忍の頬を尻尾でグイグイと押す。

 今なら言えると早口で挟んだ一言だが、見事に補足されてしまったようだ。

 胸のことは正直なところだ、きちんと伝えておかねばならない。

 山吹の鼈甲色の角が好きだが、それは面と向かってでは素直に言いづらかった。


 「ストレス発散……皆に頼みたいこと……。」


 忍は風呂に浮かびながら、少しだけ思索を巡らせるのだった。


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