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忍のスイッチ

 「そういうわけでして、長逗留は難しそうです。できるだけ早く代わりの人を探していただきたいです。」


 忍はお湯が肌に合わなかった仲間がいることをマダムに報告していた。

 水の魔法で治療したが湯気などでまた症状が出てしまうかもしれない。


 「それは困りました。でも、仕方ないことですものね。」


 「これだけ宿があるんです、他の宿の水魔法使いに助けてもらうことはできないんですか?」


 それができないから忍に頼んでいることは明白だが、一応は聞いてみる。

 マダムも困った顔をして首を横に振る。


 「とりあえず数日かけて桶を満杯にしますね。」


 「わかりました。水桶の部屋は鍵がかかっていませんの、ご自由に出入りしていただいてかまいませんわ。少し雨が振りましたのでその分も溜まっているでしょうし。」


 マダムの話ではボボンガル周辺は温泉が出るものの、真水の沢のようなものがまったくない。

 雨水と魔法使いや精霊の産み出す水が生命線のようだ。


 「そうそう、昨夜は如何でしたか?すこし激しかったかもしれませんが……」


 「なにもしてません。……マダム、わかっててポポンさんよこしましたね。」


 「なんのことかしら?でも、お連れのみなさんとはそういう仲でもないんでしょう?」


 「ガーさんかポポンさんから聞いたんですか?」


 「これでも人を見る目には自信がありますの。鎧の中もお客様が求めているものも、わかりますわ。」


 本当ならマダムの観察眼恐るべし、山吹はマダムの前で鎧を脱いでいないし、忍が色々と我慢をしているのも見抜かれているようだ。

 やりづらさを感じる人だ、気をつけよう。


 「そうそう、マッサージの予約が取れました、今夜来てくれますわ。」


 「それは楽しみです。」


 「ボボンガルでは昔から無理して腰を痛める方が多いのですわ。ポッキンが出来る先生は大人気ですの。」


 「宝石が名産なんでしたっけ、たしかに腰をいためそうですね。」


 マダムの目が、カマトトぶるなと攻めてきている気がするが、チベットスナギツネの顔で対抗した。

 なんとか宿に残ってもらおうといろんな手段を使ってくる、油断できない人だ。


 「わたくしの知り合いにはあらかた手紙を送っていますし、おそらくもう数人くらいは来ていただけるでしょう。忍さん以上の方は難しいでしょうけれど……大銀貨七枚で残っていただけません?」


 「ありがたいお話ですが、辞退させていただきます。」


 「仕方ありませんわね…。」


 マダムはもう一度言ってため息をつくと仕事に戻っていった。

 スキップと湖池庵の支配人にも詫び状を送っておこう、もしかしたら代わりの人を探してくれるかもしれない。


 水桶の部屋に来ると、いっぱいにした桶の水は四分の一ほど減っていた。

 桶は六つ、一日二つずついっぱいにしていこう。


 「【インクリ】【マルチ】【ウォーターガッシュ】」


 魔力的な問題は全く無いので、両手から力いっぱい水を放出する。

 ここまですれば桶にも水がみるみるたまっていった。

 ほどなくして桶一つが満杯になり、これをもう一度夜にやることとする。


 ニカは部屋で休んでいたがもうすっかり痛みも引いているようだ。

 山吹は露天風呂から出てきたところだった、今朝の会議では岩風呂に行けなくてちょっとすねていた。


 「主殿、千影から聞きました。岩風呂に行く際は我をお連れください。寝てしまったときにはきちんと起こすゆえ。」


 山吹は濡れた髪を白い布で拭きながらそう言ってきた。

 しかし湯着はすでにほとんど乾いている、髪を拭いた布も水を吸った先から乾いてしまっていた。


 「すごいな、蜘蛛の糸の布。欲しくなってきた。」


 「風呂上がりの我より布ですか。」


 「私が帰ってくるまで待って出てきたな。体から湯気が出てない。」


 山吹がちょっと悔しい顔をした。

 普段だったら引っかかっていた、マダムと話してきたから過敏になっているのかもしれない。


 「山吹は体に大事はないか?何かあったらすぐに言うんだぞ。」


 「なにもないです。むしろこんなに贅沢に水を使えるのは珍しいゆえ、堪能しております。」


 たしかに、そういう見方もあるのか。

 山吹は砂漠の生活が長かったからそういう考えなのだろう。


 「すまないが岩風呂は夜までお預けだ、手紙を出しに行商人ギルドの出張所にいってくる。」


 「あ、わたしもいきたい。あしたいちがたつんだって。」


 明日か、ちょうどいいかもしれない。

 木彫り細工のドアを黙々と量産してしまったからな。


 「我は気になることがあるゆえ、山に行ってきてもよろしいですか?」


 「いいけど、夜にはちゃんと帰ってこいよ。」


 「はい、つまらないことで罰は受けたくないゆえ、きちんと帰ります。」


 山吹はそう言うと露天風呂の岩の部分から地面に潜っていく。

 人の状態でもできるのかアレ。


 「もしかすると一番忍者っぽいかもしれない、頑張らねば。」


 変なところで対抗意識に火がつく忍であった。



 ボボンガルの行商人ギルドはこじんまりしたもので、冒険者ギルドも兼任しているようだった。

 従魔車が渋滞しており、大量の荷物が運び込まれている。


 「これ、時間かかりそうだな。」


 「おじさん、これ、なんのにもつなんですか?」


 ニカが近くにいた行商人に聞いた。

 男は鼻の下を伸ばして話をしてくれる、ニカはうんうんと相槌を打ちながら宿などを聞き出そうとする質問をいなしていった。

 はっきりと理解した、ニカのコミュニケーション能力は忍のはるか上を行っている。


 「しのぶさん、あれ、くものいとだって。たぶん、たおしたやつ。」


 「自らの行いは自らに返ってくる。仕方ない、ゆっくり待たせてもらうか。」


 忍は悲しげに番号札を受け取った。良いことをしたはずだったのだが。

 ギルドの待合室で座っていてもニカは色々な人に声をかけられていた。

 なかには忍に直接どこの店の子かなんて失礼な質問をするやつもいた。


 「私の店の子です。明日の市で店を出しますので、よろしくおねがいします。」


 「しのぶさん、こわいよ。えがお、えがお。」


 そうは言われても気が気ではない、どうしても仏頂面で対応してしまう。

 むしろ口調が崩れないのを褒めてほしいくらいだ。

 男どもの質問の意味を、ニカはどこまで理解しているのだろうか。


 「さすがですね。すごいです。知りませんでした、いいものなんですね。」


 この年でキャバ嬢のさしすせそを使いこなしている、ニカ、恐ろしい子。

 忍がニカを観察して勝手に戦慄していると、受付から番号を呼ばれた。


 「ニカ、呼ばれました。」


 「はーい。ごめんなさい、明日来てくださいね!」


 後ろの席から話しかけていた男に手を振っている、ちゃっかり宣伝もしてる。

 ニカがこっちを振り向くと男が睨んできた、余計な恨みを買っている気がする。

 この世界では身長の高さは気にならないのだろうか、まあ、高さを差し引いても美人だというのもあるのだろうが。


 行商市のスペースは滞りなく確保できる、商品も問題なさそうだ。

 ついでに千影が集めてくれた収集品なども売りに出したが、問題が一つ。


 「商店名か。決めてなかったな。」


 「あと、しょうひんにもなまえがあったほうがいいって。」


 行商人ギルドの受付さんは忙しくても丁寧に対応してくれる、ついでにアドバイスもしてくれていた。


 「商品の名前はいいんだけど、店の名前はどうしようか。」


 「ぎょうしょうのおみせは、やたいとか、ぼうえきとかなまえをつけるみたい。」


 屋台や貿易であってるかな。

 しかし、せっかくだからやりたいこともある。


 「ニカは名前の案はあるか?」


 「え、うーん。おじいちゃんはじぶんのなまえだったから、しのぶさんのなまえがいいんじゃないかな?」


 「よし、決まりだ。」


 忍は申請用紙に丸天屋台と書きこんだ。


 「まるてん?なまえは?」


 「ちゃんと入ってるんだ。商品名は、おもいでのとびら、っと。」 

 店名を書き込んで、忍は用紙を提出した。

 忍とニカは手続きを終えた後、服屋で蜘蛛糸の布を見て回り、ついでに厚手の黒い布と針、刺繍糸を買った。

 宿に帰り着いたのはもう夕方にさしかかった頃だった。

 マッサージの先生は夕食の時間よりあとに来るらしい、そういえば今日は食事をしていなかった。

 しかし、風呂とマッサージを考えるとそのまま寝てしまうので、気にせず水樽を満たすために岩風呂へおもむいた。

 その後、スキマ時間にニカに刺繍の下書きを見せて丸天の意味を説明する。

 天原の天を丸で囲んだマークを、作ったドアの内側に彫りつけていくのだった。


 「なんとか全部終わったな、旗の刺繍は気長に続けていくとして、温泉入ってマッサージだ。」


 「いってらっしゃい、わたしはねふだとかかくにんしておくね!」


 このタイミングではたと気づく、やつがいない。


 「今日は予定が詰まってるのに。白雷、千影、山吹は?」


 『まだ帰っていないのではないでしょうか?』


 白雷も首を振っている。

 探しに行こうか、しかし、前のときは寝ていたくらいだし心配しすぎか。

 地図で位置を確認してみると、どうやら岩風呂にいるようだ。


 「岩風呂みたいだ、我慢できなかったのかもな。よくわかる。」


 『千影もお供します。山吹が何を気にしていたかも聞いておきたいです。』


 かくして、忍は湯着に着替えて壺を持ち、上機嫌で岩風呂に出向くのだった。



 脱衣所に入った時点で岩風呂が騒がしかった。

 数人の男性の声と聞き慣れた声が話しているようだ。


 『山吹が岩に座って男性二人と話しております。他にも数人入っているようですね、女性が三名、ポポンもいます。』


 「いま、夕食の時間だったよね?なんでそんなに人がいる?」


 色々と疑問だったが、山吹にも声をかけておきたいし、マッサージの前に温まっておきたい。

 忍は脱衣所で靴を脱ぐとそっと浴室に入っていった。


 「我はすでに今夜の相手が決まっているゆえ、悩んでしまいます。」


 「そんな事言わずに、大銀貨三枚でどうだい?」


 「お、俺は大銀貨五枚出すぞ!」


 あ、これだめなやつだ。

 聞いただけで嫌になる交渉だった、そのうえ、山吹は楽しんでいるようだ。

 こういうところが苦手だ、他人にからかわれてきた忍にとって、他人をからかって遊ぶ山吹はとても嫌なものに見える。


 『忍様、岩の死角から反対側に回り込めます。そちらならばゆっくり浸かれるかと。』


 千影の助言に従って大きな岩の後ろを通り抜け、山吹の反対側の桶のある岩風呂の縁へたどり着いた。

 変な顔になっているのがわかる、行商人ギルドの仏頂面がやっと戻せた矢先にこれである。

 かけ湯をして岩風呂に入ると、近くにいたポポンに手招きをされた。

 しかし、忍はそちらには行かず、岩に背を預けて温まりはじめた。


 『ポポンが近づいてきています。』


 「ふぅー……なんでしょう?」


 ため息混じりに息を吐きながら、静かに目を開けてポポンに聞いてみる。


 「きがついてましたぁ。無視はぁひどいですぅ。」


 「……えー、なんでしょう?」


 ポポンはマダムから忍をこの宿にとどまらせるよう指示を受けているはずだ。

 忍は警戒しながらポポンの発言を待った。


 「そのぉ、山吹さんをぉ止めていただけませんかぁ?」


 「山吹を止める?」


 どういうことだろうか、山吹は男たちを手玉に取って遊んでいるようにしか見えないが。

 ポポンが他に聞こえないように耳打ちしてくる。


 「あれじゃぁ、私達もぉ、お客さんにぃ恨まれちゃいますぅ。」


 『忍様、岩風呂はポポンたちが客を取る場所でもあるのです。そこで客を転がして遊んだなどと噂が立っては、ポポンたちは困るのです。』


 千影に言われて理解する、あれは商売屋の前で悪い評判を流しているようなものなのだ。

 さっさと逃げたかったが、そうもいかなくなった。


 「そういうことですか、うちの連れがすみません。」


 ゆっくりと立ち上がって山吹に向かって歩く、こっちを見つけた山吹に手招きをした。


 「あ、主殿!すみません、失礼いたします!」


 そう言って男たちを振り切ってきた山吹を忍は抱きすくめ、音が目一杯出るように尻を思いっきりひっぱたいた。

 バッチィンと痛そうな音がする。


 「すみません、うちの露店のものが粗相を働いたようで、きっちり叱っておきますので、どうかお許しください。」


 首に回した左手で山吹の口をふさぐ、手がめっちゃ痛い、何が悲しくて竜の防御力に素手で挑んでいるのか。


 「露店?そいつは娼婦じゃ…。」


 「いいえ、丸天屋台、うちの店員でございます。娼婦と間違われて意地悪したくなったのでしょう。ここには宿泊客も入れること、お忘れですか?」


 男たちはなんだか納得の行かないような顔をしている。


 「私達もみなさんも、問題を起こしたらこの宿に泊めてもらえなくなってしまいます。あやまりなさい。」


 「…すみませんでした。」


 この宿を使えなくなると匂わせたことと山吹がしぶしぶ頭を下げたことで、なんとか引き下がってくれた。

 ポポンと一緒にいた二人の女性が男たちに声をかけ、それぞれに岩風呂を出ていく。


 「おみごとぉ。」


 「うちの山吹が本当にすみません。よく言っておきます。」


 「主殿、いまいちよくわからないのですが。我は何かやらかしましたか?」


 「このとおり本人も気づいてないようなので、大目に見てもらえると助かります。」


 「そんなにぃ頭を下げたらぁつけこまれるわよぉ。サービスぅしすぎねぇ。」


 ポポンはそう言って忍に近づくと頬にキスをした。


 「丸天屋台はぁ気に入ってるってぇ話しておくわぁ。」


 ポポンは耳元でそうささやくと岩風呂を出ていった。

 普通なら嬉しいところなのだろう、しかし忍は心臓が口から飛び出そうでそれどころではなかった。

 喧嘩や戦闘にならなくて本当によかった、こちらが悪いのに相手を引き潰せるほど忍は恥知らずではないのだ。


 「はぁー……もうやだ、心臓が痛い。手もめっちゃ痛い。」


 「当たり前です、鋼より強固な我の竜鱗を素手で思いっきりはたいたのですよ。」


 『……山吹、忍様に恥をかかせましたね。』


 「ち、千影殿?!我にはなにがなんだかわからないのですが?!」


 「あー、後回しにしたら寝そうだ。仕方ない、シャワーかぶるか。」


 忍は冷水で無理やり目を覚ますと、山吹に事の次第を説明した。

 山吹はやはり帰ってきてすぐ岩風呂に入り、娼婦と間違われてカチンと来たらしい。


 「話はわかりましたが、その場で殴り飛ばすよりは大人の対応をしました。」


 「怒りはわかるが反省はしなさい。ポポンさんやマダムに迷惑をかけるのはダメ。岩風呂は私と一緒に来ること。それなら声をかけてくる者もいなくなるだろうし。そういうとこも含めた話だったのに勝手に入ったのもちゃんと反省して。」


 「……それを言われると弱いですね。申し訳ありません、主殿。」


 カドを立てないでどうにかしようとした結果でもあるようだった。

 色々と問題はあるが、これ以上攻めるのは酷というものだろう。


 「はぁ。相手を侮ると、そのうち足元を掬われるぞ。」


 「敵を生かしてとらえるような主殿には言われたくないです。」


 そう言われると忍も弱い、山吹からすれば敵は殺してしまう方が後腐れがないのだろう。

 なんだか悲しくなってしまう、今夜は温泉とマッサージで最高の夜だったはずなのに。


 「…主殿、怒らないのですか?」


 「あまり選びたくないけど、正しい意見の一つだからね。私の決定に異論があることもあるだろう。……部屋に戻る。」


 ヤバい、心のなかで変なスイッチが入ったかもしれない。

 フラッシュバックというものだろうか、忍には唐突にすべてがどうでも良くなる瞬間がある。

 疲れてきた、眠ってしまいたいがマッサージの先生はまだなのだろうか。

 忍は肩を落として岩風呂を出る、山吹は慌てて後ろを追いかけるのだった。


 部屋に帰ってきた忍はベッドに倒れ込むように横になった。


 「主殿、言い過ぎました。我も気が立っていたゆえ。」


 山吹が焦って必死に話しかけてくるが、意味がわからない。

 そうか、罰が怖いのかもしれない。


 「意見を言って良いんだ、そのくらいで罰を与えたりなんかしない。」


 「いえ、そうではなくてですね。」


 変な空気を察したニカがやはり忍に話しかけてくる。


 「しのぶさん、マッサージどうかな。」


 「今夜は先生が来てくれるみたいだから。」


 ニカもなんか変な顔をしている、明日の準備で何かあったのだろうか。


 「ごめん、疲れたから、足りないものは明日の朝やろう。」


 「う、うん。」


 少し引いたニカと入れかわりに白雷がすり寄ってくる。

 ああ、涙が流れているからかもしれない。


 『忍、大丈夫?痛い?苦しい?』


 「ははは、ははははは。大丈夫、疲れてるだけだよ。」


 うまく笑えない、一日仏頂面だったからか。

 なんだか白雷にすごく心配されている。


 「大丈夫、よくある。なんでかわからないけど、疲れてる。心配ないよ。白雷、危ないから、今夜は別で寝よ。」


 「プオォ……。」


 ごめん、力任せにすり潰してしまいそうだから。

 そうか、ベッドは大きいけど一つしか無い、占領したら邪魔だよね。


 「露天風呂で、寝るか。ベッド、占領して、すまない。」


 そう言って忍はフラフラと立ち上がり露天風呂に入っていった。


 最終的にこの日、忍はマッサージを受けられなかった。

 他の宿で急患が出てしまい、先生が来れなくなったのだ。

 それは結果的に幸運だったかもしれない。



 夜明けの光とともに、忍は目を覚ました。


 『忍様、おはようございます。』


 千影が話しかけてきたのがわかったが、頭がぼうっとしていた。

 挨拶を返さなければいけない。

 「おはよう、千影。」


 声を出して忍が部屋の中にいることに気がついた。

 ベッドの上だ、露天風呂で寝たはずだったが。


 「勝手ながら、お休み中に運ばせていただきました。」


 体を起こすとベッドの横に山吹が控えていた。


 「何してるの?」


 「お目覚めを待っておりました。」


 山吹はそう言って顔をあげない。

 何か飲みたくて竹茶を取り出した、立ち上がりリビングに行くとソファで白雷とニカが寝ていた。

 白雷は起きているようだが、こちらに来ない。

 なんだか妙に腹が減った気がする、腹が鳴るが何かを食べる気分になれなかった。

 忍は恐れていたことをやらかしたと理解した。

 ストレスが許容限界を超えたときに、何かのきっかけで爆発してしまう。

 おそらく山吹の一言だ、主殿に言われたくないと聞いた時、明確に体の力が抜けた。


 「山吹、すまない。これは山吹のせいじゃない。」


 山吹は顔をあげない、千影が代わりに話しはじめた。


 『忍様の意識が時々伝わってくることがあります。入眠の際や風呂場で目を瞑っている際などです。表層的なものが伝わってくるだけですが、昨晩、千影は恐怖を覚えました。』


 「それ、話したのか?」


 『山吹だけに、白雷とニカには説明していません。』


 なんとなく言っていることがわかった。

 近くに来たのが白雷だったから、忍の理性は働いた。

 もしあそこで山吹に声をかけられていたら、忍は山吹を殺してしまっていたかもしれない。

 怒るということは誰にでもあることだ、しかし今の忍は相手を殺せてしまう。

 グラオザームのように従魔に無理やり魔力を流し込めば、風船でも割るかのように弾け飛ぶだろうし、怒りに任せて死ねと命じればあっという間に四つの死体が並ぶことになるだろう。抵抗さえできず、四人は終わる。


 「白雷、悪いが内緒話をしてくる。」


 白雷の頭に触れて謝意を伝えた。


 『白雷、よくわからない。忍、信じる。』


 手を離す、こんなに可愛くて忍を信じてくれている白雷に何をしようとしたか。

 考えるだけで死にたくなった。


 朝方は少し肌寒い、外に出た忍の頭がだんだん覚醒してきた。

 体が痒い、そういえば岩風呂では体を流さずに出てきてしまった、我慢するのが馬鹿らしくて忍はそのまま露天風呂に入った。


 「山吹は、千影からなんて聞いた。」


 「我が主殿の怒りを呼び、全員が死ぬところであったと。」


 「それだけ?」


 『千影はすり潰してしまいそうという考えが伝わってきたに過ぎません。しかし、あの場にいた全員が不安と恐怖を覚えるだけの雰囲気を忍様は纏っておられました。』


 よほど剣呑な雰囲気だったのだろう。

 山吹は風呂の周りでしゃがみ込み、まだ顔を伏せている、まるで王様にでも謁見しているかのような振る舞いだ。


 「山吹は、私がなぜああなったかわかる?」


 「申し訳ありません。」


 「謝らないでいい。私は気分屋で、軽口を返せないときもあるんだ。気をつけてるんだが、どうにもならない時がある。理由もなくああなることだってあるんだ。すまなかった。」


 山吹は言葉を返すが、心なしか声が震えていた。

 どう声をかければいいか忍が悩んでいると、山吹が質問をしてきた。


 「……主殿、後学のためにお怒りの理由を教えて頂けないでしょうか?」


 「……考えすぎたんだ。山吹の正しい理論、敵をとらえないとした場合、私は君と白雷を殺さなきゃいけなかったから。」


 山吹はそこまで考えて発言したわけではないだろう、忍はこれでも敵には容赦なく接してきたつもりだ。

 しかし、山吹の生きてきた世界ではそれでも甘いのだろうし、それがなんの背景もない発言ではないことはわかっていた。


 「ありがとうございます、ご心労をおかけし、申し訳ございません。我の浅はかな一言が原因ゆえ、処分はいかようにも。」


 「今回の件は私の心が狭いからだ。処分なんてしない。」


 それに、【従僕への躾】は見ていてかなり辛そうだしあまり使いたくないのだ。

 そのとき、頭の中でピロンと音がなった。


 「えぇ…?」


 【従僕への躾】罰と褒美は四段階づつある、何も設定しなければ一段目の効果、四段目を使うと何よりも恐ろしい罰と何よりも甘美な褒美が待っている。


 いや、【第六感】よ空気読んでくれ、今じゃない。

 あと、効果ってなんだろう、ただの罰と褒美じゃないのか。


 『忍様?』


 千影が不思議そうに聞いてくるがこのシリアスな空気で変なことを口走れない。

 能力の情報は脇に置き、聞くべきこと、やるべきことをすすめなければ。


 「とりあえず、山吹は顔をあげて楽にして。罰を与える時はこっちが勝手に与えるから。千影、水魔法使いの話ってどうなった?」


 『それが、いまいち要領を得ません。特に不満などもなさそうだったのですが、ある日突然消えてしまったようです。しかし、この街は出自不明のものも多く働いており、突然いなくなることも珍しくはないようで、誰も気にしていません。』


 突然消えた、失踪ということだろうか。

 ボボンガルの立地を考えると逃げ出したりリタイヤした犯罪者が第二の人生を謳歌しているというのは有り得る話だった。

 番頭が強面のヒットマンだったり、板前が伝説のヤクザだったりするのが温泉地というものだ。


 「マッサージの先生って盲目の大男とかじゃないだろうな……。」


 『老人ですね。かなりの使い手ですが。』


 使い手は使い手なのか、しかも強い。

 いや、マッサージを受けるだけならなにもないはずだ。


 「山吹は、何が気になって山に行ったんだ?」


 顔はあげたものの姿勢を崩さない山吹に聞いてみる。

 

 「主殿にいただいた髪飾りです。紺色の宝石が山の中を動き回っているようでしたので確認してきました。」


 「え、なにそれ。」


 動き回っている宝石とはどんなものだろうか。

 山吹に続きを促してみる。


 「坑道以外に天然の洞窟があるようで、その中に蜘蛛に似た魔物がいます。ハサミを持ち、糸を飛ばして攻撃してきました。主殿の着ている湯着と同じような糸です。宝石はそのうち一体の外殻にびっちりとついていました。」


 「耳飾りさん、ハサミ、蜘蛛、宝石。」


 『ジェムロックラブ、温かい洞窟に住む中型の魔物、カニと蜘蛛の特徴を併せ持ち、外殻は岩に覆われている。洞窟内部に擬態して潜み、糸を飛ばして岩を絡め取り、溶解液で溶かして飲む。外殻の岩には特殊な宝石が生成されることがあり、魔力を帯びる可能性がある。糸は魔力を帯び、火、水、斬撃に強い防具になる。毒。発見、討伐は困難であり危険だが、糸と宝石の価値は高い。』


 耳飾りの検索に引っかかったので姿もよくわかるが、外殻は普通の岩のようだ。

 宝石がびっちりとなると明らかに珍しいパターンだろう。


 「かすかに魔力が宿っていたのが気になったゆえ、工芸店に聞いてみた所、この髪飾りに使われている石は坑道に落ちている小さな欠片だろうということでした。あの蜘蛛は坑道にも出入りしているのでしょう。」


 「なんか、宝石も珍しいものだし、糸が防具になるらしいぞ。」


 『この温泉地の湯着は紫蜘蛛という巨大な蜘蛛の糸で作られたのがはじまりのようです。その布は燃えず、濡れず、切れず、仕方がないので四角く織った布で服が作られたのでこのような形になったと伝わっております。紫の宝石の話が中心の伝説のようで、糸については詳しくはわかりません。』


 これは、伝説の色違いを見つけてしまった可能性があるな。


 「千影、宝石の話というのは?」


 『紫蜘蛛の亡骸は村で管理していました。しかし欲深い村人が、蜘蛛の亡骸の宝石を少しづつ削って売りはじめたのです。噂は街から街へと駆け抜けて蜘蛛を狙った盗賊が村にやってきてしまいました。盗賊は村人を皆殺しにして蜘蛛の亡骸を手に入れましたが亡骸の宝石の不思議な力で同じ宝石に変えられてしまったのです。英雄が村の異変を知って戻った頃にはすでに亡骸も宝石も消えており、村は死の川が流れる不毛の地となってしまっていた。という話です。』


 死の川というのはこの温泉のことだろう、水で薄めないと毒性が強いという話だったし、

水がなくなるというのは村にとって致命的なダメージだ。

 盗賊は実際に来たのだろうが、亡骸の宝石に不思議な力があり、人が宝石に変わるというのはよくわからない。

 なにか魔術的な力が働いたのだろうか。


 「山吹、体に異変とかはないか?ニカのこともある、異変があったらすぐに言ってくれ。」


 「いえ、鎧を着ていなければつけておりませんし、髪飾りの魔力もとても弱いものゆえ。」


 ジェムロックラブは問題が起こっていないなら見なかったことにしておこう。

 今日は丸天屋台の初出店だ、ニカも楽しみに準備していたし、忍がぶち壊すわけにはいかない。


 「二人とも、私はどうだ、元に戻ってる?」


 『はい、忍様。』


 「いつもの主殿です。」


 「よし、ニカも楽しみにしてるから露店の準備をしよう。山吹も護衛を頼む、今日は全員で店をやるぞ。」


 忍は温泉から出ると頭から水を被り、決意を新たに開店準備をするのだった。


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