妖精の薬湯亭と色好み
ボボンガルに入る前に変身できればと考えていたのだが、千影は姿が決まらず、白雷は仮面や洋服を嫌がったので、結局三人で門をくぐることとなった。
村に近づくにつれあの独特の匂いが強くなってくる。
ついに念願である温泉とマッサージの名所に忍は足を踏み入れた。
「おあー、湯気と硫化水素の匂い!」
「くさい。」
「プオッ!」
まあ、たしかにこの卵の腐ったような匂いは慣れないとヤバいかも。
ニカと白雷は反応しているが山吹は大丈夫そうだ。
卵、こっちの世界に来てから全く食べていない、というか見かけてもいない。
忍としてはお腹の空いてしまう匂いでもあった。
「しばらくこの街で過ごせば匂いにも慣れる。少しの辛抱だ。」
『千影は大丈夫です。皆さん大袈裟ですね。』
匂いと湯気は村の中心を流れる川が原因だった。
もうもうと熱気が立つ湯の川だ。
村の中心を流れているのに、かなり温度が高そうで、色は薄く緑がかっている気がする。
町並みは二階建ての家屋が多く、大きな建物も多い。
レストランや雑貨屋よりも宿の方が多い印象だ。
美しく着飾った女性が道を歩いている、マッサージが受けられるということで花街としての側面もあるのだろう。
なにはともあれ、まずは紹介された宿にいかなければならない。
仕事があるということだったが、どんな仕事だろうか。
「薬湯の妖精亭っと、ここか。」
紹介された宿は敷地内に大きな庭がある平屋の宿だった。
庭にはところどころに孤立した小さな建物があり、真ん中の大きな建物の他に五棟ほど小さな離れがあるようだった。各建物から湯気が出ている。
中央の大きな建物を訪ねてもだれもいない。
いまは昼過ぎなのだが、受付らしき所にも人がいなかった。
「すみません!湖池庵から紹介されてきました!」
反応なし、仕方なく忍は平屋の中を歩き回る。
いくつかの部屋から声が聞こえたのだが、お茶の間にお届けできないお取り込み中の声のようだ。
「マジですか、支配人さん。」
間違いない、もう少し遅い時間にならないと受付に人が居ないタイプの宿屋だ。
夜に出直すか悩んでいると千影がなにかに気づいた。
「忍様、精霊がいます。近づいてきているようですがよくわかりません。お気をつけを。」
昼間の千影は力が大幅に削がれている。
集中してみると廊下の先に魔力を感じ取った、精霊としては千影よりかなり弱い。
警戒しているとそこから現れたのは浴衣を着た女性だった。
体から湯気を立ち上らせている、風呂上がりなのだろうか。
「あら、リルが騒ぐからなにかと思ったけど、お客様かしら?」
「あ、店の人ですか。はじめまして、湖池庵から紹介されてきたんですが、お取次ぎをお願いできますか?」
忍は手紙を取り出して女性に渡した。
「昨日知らせが届いたばかりよ。ずいぶん早いのね。一人かしら、従魔がいるって話を聞いているのだけれど。」
「表にいます。人数は三人で従魔車も引いているので、停めるところを教えていただけると嬉しいです。」
「わかったわ。従魔車のところで待っていて。」
女性はウィンクをして奥の方に引っ込んでいく。
「美魔女って感じかな。」
真っ黒な髪で浴衣もよく似合っていた。すごく日本人っぽい。
従魔車に戻ってしばらく経つと、先程の女性が青いマーメイドドレスを着て登場した。
「あらためまして、薬湯の妖精亭支配人、マダム・シュルルンですわ。マダムとお呼びください。」
口調が接客用のものになっている。
美人やイケメンでしっかりと喋れる人には独特の圧がある、忍もそのオーラとも言うべきものに少し押されていた。
「あ、私は忍。フルプレートが山吹、オーバーオールの子がニカ、この従魔は白雷です。あと、精霊は千影といいます。」
「あら、従魔や精霊まで紹介していただけるのですね。わたくしの子は水の精霊、リルですわ。」
マダムの首飾りから水がほとばしり、水の玉になった。
魔力はそんなに感じない。
「では、お部屋にご案内いたします。どうぞこちらへ。」
マダムは従魔車ごと、一番奥にある離れの個室に忍たちを案内した。
外に従魔車を停めると中を案内してくれる。
宿泊用の大きな部屋で、スペースごとに間仕切りや棚で区切られていた。
リビングスペース、ミニバー、寝室スペース、そして部屋付きの露天風呂がある。
ベッドは一つでキングサイズが二つ並んだような大きさだった。これは既視感がある。
「個室は生憎いつも満杯でして。三人でしたらこのお部屋でよろしいですか?」
「え、ええ、大丈夫ですが、部屋のグレードが高くないですか?」
こんな部屋はテレビでしか見たことがない。
一体いくらする部屋なのだろうか。
「湖池庵の支配人はわたくしの師匠筋の方でして、よく存じております。わたくしども、本当に困っておりまして、それに比べたら安いものなのです。仕事をしていただけるなら一番いい部屋でずっと逗留していただきたいくらいでして。」
「え、そんな重要な仕事なのですか?」
難しい仕事なら失敗の可能性だってある、これは他の宿を探さないといけないかもしれない。
「はい、死活問題なのです。忍様は優秀な水魔法使いと紹介状にも書いておりますので、早速お願いしたいのですが、よろしいですか?」
「あ、はい、やってみます。」
とにかく困っているというのは本当らしい、忍は千影を連れてマダムの案内のもと平屋の建物に戻った。
小さな個室が並び、時折声が聞こえてくる。
そんな廊下を通り過ぎ、忍が連れてこられたのは大きな岩風呂だった。
しかし、お湯は張られていない。
そこをさらに通り過ぎドアをくぐると巨大な桶が六つほど並んだ酒蔵のような部屋に通された。
しかし酒の匂いはしない、樽からは木製の管が部屋の外に伸びているようだった。
「ところで、仕事内容を聞いていないんですが、何をすればいいんでしょう。」
「……水を出していただきたいのです。」
マダムはそう言うと、樽の脇についた階段のようなものを登り樽の蓋をずらした。
中身は空っぽだった。
「薬湯はそのままでは大変熱く、効果も強すぎます。水で薄めて使う必要があるのですが、お抱えの魔法使いが夜逃げしてしまってこのような状態になっております。名物である妖精の薬湯も使えず、現在は連れ込み宿として糊口をしのいでおります。」
「あ、本来はそういう宿ってわけじゃないんですね。」
「そういう使い方もできる宿、です。以前は薬湯が目当てのお客様で賑わっていたのですよ。わたくしの精霊が生み出せる水は少なく、各部屋で体を拭く分を生み出すのが精一杯です。この樽一杯とは申しませんので、せめて離れの部屋が使える程度には水がほしいのです。」
「では、あの部屋は……。」
「いえ、ご心配なく。皆さんのために今夜の分の水を入れさせていただきました。いつでも入っていただいて大丈夫です。」
「んー、前の魔法使いに報酬っていくらだしてたんですか?」
「一日で大銀貨三枚です。部屋も貸しておりました。忍様には一日大銀貨五枚をお支払いします。」
逃げられた理由がわからん。
なにか忍の知らない問題があるのだろうか。
「ちなみにこの樽いっぱいで何日持ちますか?」
「三日ほどです。もちろん魔力の量によって貯められる水に限りがあるのも重々承知しております。無理のない量で構いません。」
相当切羽詰まっているのだろう、金額といい貸してくれる部屋といい破格だ、話がうますぎて詐欺に聞こえてくる。
しかし、湖池庵の支配人は嫌いではなかったし、忍を雑に扱うような人とも考えにくい。
「大銀貨五枚が水さえあれば稼げるというのは、すごいですね。お困りのようですし、お受けします。」
忍は樽に右手をかざすと【ウォーターガッシュ】を発動した。
水の勢いはかなりあるはずだがなかなか溜まってこない。
しかしマダムは目をキラキラさせていた。
「んー。【マルチ】【ウォーターガッシュ】。」
左手も追加する。水の量がニ倍になったので、少し貯まるスピードが早くなった気がした。
そのまましばらく時間をかけて桶一つ分に水を波々ためる、忍は魔法を切り上げた。
「とりあえず、このくらいあればいいですか?」
「すばらしいわ!忍さんうちの宿に永久就職しない?!」
「遠慮します。永久就職ってなんですか、永久就職って。」
「どんな料理でもお出しするし、どんな女の子でも用意するわ!水魔法使い数人を雇わないとこんな量の水は確保できないもの!」
困ってそうだったからちょっとサービスしたつもりが、助かったとなるとこうなってしまうわけか。
水をためるのに時間がかかって疲れただけだが、今日はこのくらいにしておこう。
「お困りだということでしたので少し頑張りました。疲れてしまったので、部屋で休ませていただいてもよろしいですか。」
「ああ、申し訳ございません、わたくしとしたことが。もちろんです。何かあれば紐を引っ張って人をお呼びください。」
マダムは岩風呂の出口まで忍を送り出すと、すぐに中に戻っていった。
なんだか温泉の匂いがする、早速岩風呂にお湯を入れているのだろう。
『忍様、水魔法使いの話、いかがいたしましょう。』
「烏で調べてくれ。ただこの宿には精霊がいる、あまり無茶なことはしないように。」
『仰せのままに。』
部屋に戻ってほか三人に宿は大丈夫と説明した。
いそいそとリビングに自分用の布団をセッティングしようとするとニカと山吹が止めてきた。
「えー、でも、一緒のベッドは…」
「従魔車でニカと寝ているのに主殿は今更何を言っているのです?」
「しのぶさん、わたしたちのこと、きらい?」
「いや、世間体ってのがね。」
「一緒に旅をしているのに別々で寝るほうが世間体が悪いでしょう。」
「そうなの?!」
山吹の一言で言い訳がなくなってしまった。
指輪から取り出した布団も飛び乗ったニカに占拠され、仕方なく大きなベッドのはしっこでで寝ようとした時、離れの扉がノックされた。
どうやら担当の従業員が挨拶にきたらしい、さすがスイートルームである。
「忍様ご一行様の部屋を担当いたします、ガーとポポンでございます。ご挨拶とご説明に伺いました。」
「あ、よろしくおねがいします。」
話しかけてきたのは忍と同じくらいの身長のイケメン、短めの金髪に青い瞳でスラッとした体躯、かっちりとワイシャツを着こなし、サスペンダーと蝶ネクタイが似合っている。
後ろに控えているのはメイド服を着た小柄な女性、ウェーブがかったピンクの髪に柔らかそうな布の帽子を被っている。
目が合うとニコリと微笑んでくる、バスケットを下げて白襦袢抱えているようだ。
部屋の中に入ってきた二人は、テキパキとお茶とお菓子の用意をした。
リビングスペースのテーブルの上はたちまち貴族のお茶会のような雰囲気になっている。
「主殿、この部屋には使用人がつくのですか?」
「いや、そこらへん含めて説明してくれるんじゃないか?」
ちょっとグレードの高い旅館というのはこんなものなのだろうか?
白雷を膝にのせ、全員が席に座るとガーと名乗ったイケメンが話しはじめた。
「薬湯の妖精亭にようこそ。支配人から丁重にもてなすようことづかっております。あらためまして私はガー、こちらはポポン。御用の際は玄関の紐を引いてお呼びください。」
ガーは流暢に施設の説明をしていく、部屋風呂の使い方、掃除の時間、食事などを部屋でとる場合は事前予約が必要などなど、本当に旅館のような感じだ。
「本館にある大岩風呂は混浴となっております、お入りになる際はこちらの湯着をお使いください。特殊な糸で編まれており、透けづらくすぐに乾きます。」
湯着はマダムが最初に着ていたものだった。
全身をカバーできそうな長めの浴衣だ。
裸を見せないというのもあるが、これなら体の魔法陣なども隠せる。
「もしかして、フォールスパイダーの?」
「はい、この湯着はフォールスパイダーの粘糸を加工しております。よくご存知ですね。」
大発生中で山のように倒したとかいいづらい。
「山吹様は既存のサイズでもよろしいかと、ニカ様と忍様は申し訳ありませんが採寸させていただいてもよろしいですか?夜までには仕上がりますので。」
「わかりました、よろしくおねがいします。」
足を伸ばせる広い風呂は体の温まり方が違う、この際混浴なんて知ったことではない。
どうせおじいちゃんやおばあちゃんが入るものなのだ、若い子が入ってくることなんぞほぼ無いものだからな。
「こんよくって、どういうこと?」
「男女が一緒の風呂に入ることです。主殿と一緒に入れますね。」
「おい。」
山吹に釘を差しておく、良からぬことを考えている顔をしているので効果はなさそうだ。
「それと、忍様ご所望のマッサージなのですが、ポポンはボボンガルでも指折りの名手でございます。この部屋にお呼びいただいても構いませんし、本館のほうでもいつでも受けられるようになっております。」
「ご紹介に預かりましたぁポポンですぅ。なんなりとぉお申し付けください。一晩中でもぉかまいませんよぉ。」
なんか口を開いたら甘ったるい喋り方をする人だった。
嫌な予感がして忍は質問してみる。
「あの、どんなマッサージがお得意ですか?」
「ここではぁちょっとぉ……。」
ポポンがちらりと山吹とニカを見る。
ダメだこれ絶対違う方のやつだ。
「えー、私が頼みたいのは湯治のお供というか、骨接ぎさんというか、疲れをとる方のマッサージなんですけど、きちんと伝わってますか?」
忍が本気で嫌そうな表情をしたせいか、ガーとポポンはきょとんとした。
直後にガーが頭を下げてくる。
「申し訳ございません、最近はその、そういうお客様のお相手ばかりだったもので、大変な勘違いをいたしました。すぐに手配をさせていただきます。」
勘違いだったらしい、なんとか意図が伝わってよかった。
安心した忍が背もたれに体を預けると隣の山吹がしなだれかかってきた。
「我とニカが一晩中相手をするゆえ、そちらの方は間に合っております。」
「…あらぁ。でもぉ、気が変わったらぁ呼んでくださいねぇ。」
待って、平和に終わりそうだったのに山吹とポポンの間に火花が散ってるんですけど。
「プオォッ!」
「山吹も冗談はその辺にしてくれ、一晩中相手をしてくれてるのは白雷だものな。今日も暖かくてかわいいな。」
ちょっとした仕返しのつもりで言ったのだが、山吹、ポポン、ニカの三名はなんだか複雑そうな顔でこっちを向いていた。
ガーだけは白雷の毛並みを羨ましそうに眺めていた、動物好きなのかもれない。
「では、そういうことでお願いします。ポポンさんも勘違いでお呼び立てして申し訳ないです。」
「大丈夫ですよぉ。忍様たちのぉお世話係はぁキチンとさせていただきますねぇ。」
「我々どちらかがいつでも駆けつけますので、お気軽にお呼びください。」
ああ、部屋についてくれることはついてくれるのか。
なんか山吹とポポンが威嚇しあっている気がするが放置しとこう。
忍は二人を送り出すと今度こそベッドで横になった。
「あのピンクの、ずいぶんとわざとらしい色目でしたね、主殿。」
「しのぶさん、わたし、マッサージするよ!」
「ありがとう、なんかもう疲れた。」
ニカが妙にやる気で背中や足腰をもんでくれた。
そうだよ、マッサージって、本当にめっちゃ気持ちいいんだよ。
気持ちよすぎて、忍はそのまま深い眠りに落ちていった。




