内緒話と抗魔相殺
ジョーヒルからボボンガルへは山道になる。
途中には村が点在しているものの、従魔車では一週間ほどかかる道行だった。
山吹のスピードは平地では大幅に道筋を短縮できるが、山道や悪路ではそうはいかない。
街場に寄れないゆっくりとした従魔車旅を忍は堪能していた。
「しのぶさん、あのとり、おっきいね!」
「おー、遠目でも大きいのがわかるな。」
ニカは街育ちのため飽きてしまうかと気にしていたのだが、どうやら景色や生き物が気になっているようで、御者台で楽しそうにキョロキョロしていた。
指さしていた鳥はたしかに大きかった。
上空を旋回してトンビみたいな動きをしている、獲物を探しているのかもしれない。
『ソウラプターですね。危ない鳥です。落としますか?』
「あ、やっぱり危ないのか、襲ってきたら頼む。私は仮眠するから何かあったら起こして。」
『仰せのままに。』
白雷は蜘蛛狩りが楽しかったらしく、忍と白雷で時々狩りに行くことにした。
とはいえ昼間は移動しているので、主に動くのは夜である。
千影はついてくるが、獲物の居場所は教えない約束だ、これは忍の訓練も兼ねている。
毎日食事のついでに【生育】をし、魔法を教え、仲間たちに出来ることはやってきている。それが忍の向上心にも繋がっていた。
ニカの魔法の勉強はいくつかの初級を順調に覚え、現在は光の魔法中級【ミラーイメージ】の練習をしていた。
【ミラーイメージ】は近くにある実物の幻影を作り出す、忍の使う魔術【イリュージョン】の劣化版のような魔法だ。
対象が増えたように見えるのだが、大元の物体と全ての幻影は同じ動きをするので分身の術としては使いづらい。
無機物が増えたように見せるのが主な用途になりそうだ。
山吹はそんなに魔法には興味がないらしい、元々使える魔術のほうが使い慣れているのだという。
しかし、一応ということで風の魔法中級までの一通りの呪文を書いたメモ帳を作って渡した。
ニカの魔法の練習もたまに見てくれているようだ。
夜、眠っていたヒルボアを仕留めて帰ってくると、山吹が起きていた。
フルプレートは着ておらず、尋常ではない雰囲気だ。
何やら真剣な顔で話してくる。
「主殿、二人きりで話したいゆえ、お時間を頂きたいです。」
「……わかった。白雷と千影はニカと待機…でいいんだよな?」
「感謝します。」
白雷に乗って千影の本体もいる、二人から心配な感情が伝わってくるが普段は適当な山吹が真剣なときはなにかがあるときだ。
忍が白雷から降りると山吹はドラゴンの姿に変わった。
頭を下げて乗るように促してくる、忍は角を持って山吹の頭に乗った。
忍を落とさないようにゆっくりと、まるで土の中を泳いでいるように山吹は近くの山の山頂まで連れてきた。
人の姿に変身して山吹は話しはじめる。
「主殿はどう生きていこうとお考えですか?」
どこかで聞かれたような質問だった。
忍は即答する。
「特に考えてないよ。今は目先の欲しい物を追ってる、かな?」
「……忍殿に頂いたメモは十分な攻撃と工作の出来る魔術書です。これが出回れば一国を落とす軍隊も組織できるでしょう。そんな物を対価もなしに我に渡し、忍殿は自分の身を守るための命令も下していません。」
「命令は極力避けたいんだ。」
「角の誓いは我らドラゴンにとっては重要とはいえ口約束ゆえ。ここで忍殿を不意打ちすることもできるのですよ?」
これは心配されているのだろうか。
それとも自由が恋しくなったのだろうか。
黙っている忍に山吹は話を続ける。
「生きていく上でこんな力は過ぎたものです。なのに主殿は未だに力を求めている。しかし、目立つことはするなといい、強い野心があるわけでもない様子です。我には主殿の考えがわかりません。竜も慄くような力を持ちながら、なぜさらなる力を求めるのです?」
流石は魔術師として伝説になったドラゴンだ、質問がトートン様とかぶっている。
「あー、考えなしなとこもあるが、それは簡単だ。山吹と私が本気で戦ったらどっちが勝つ?」
「わかりませんが、主殿に魔力ではかなわないないでしょう。」
「では、もっと単純に、神と山吹が戦ってどっちが勝つ?」
「それは神様ではないかと……一体何の話です?」
「山吹が神の気まぐれで理不尽に殺されそうになった場合、生き残るには山吹が神より強いことが一番良さげな条件だとおもわないか?」
山吹は何を言っているかわからないという表情になった。
今度は忍が話を続ける。
「理不尽を押し付けられるということはどこでもあることだ。王様が国民に命令すれば簡単には逆らえない。雇用主と平社員、いじめっ子といじめられっ子、その関係の理不尽を跳ね返すにはどこかが相手より優れていなきゃいけない。この世界ではその選択肢の一つに単純な武力がある。鍛えておこうというのは自然だとおもわないか?」
山吹が少し悩んだあとに口を開く。
「では、主殿は自分を守るために強くなろうとしているのですか?それなら我に命令を下せば敵がひとり減るはずです。」
「誰にだって理不尽を跳ね返したくなる可能性がある。なら、君らからその可能性を摘み取るのはなんか違うんだ。だから、極力命令をしない。」
それに、命令をすることが当たり前になったなら、忍は魔王になってしまう自信がある。
実態の伴わない噂や自称などではなく、本物の魔王に。
苦痛を与える方法を、すべてを壊す方法を、欲望を満たす方法を何度も何度も考えた。
忍は常にそれらに蓋をして生きている、なにかがあると顔をのぞかせてくるが出てこないようにその都度追い返しながら日々を過ごしている。
街中で千影の過剰な問いかけに頷きそうになる。
殺しますか?
しかし、そこで頷くのは忍の理性が許さない。
「山吹、私は感情的だし、頭も本当は悪いんだ。気持ちで物事を決めることも多いから混乱するのかもしれない。これから先のことは本当に考えていないし、山吹もニカも信じてるから魔法を教えた。納得いかないか?」
「納得いきません。それではまるで我ら従者が主殿を……。」
「あるんじゃないか?」
まっすぐに瞳を見据える、山吹はゴクリと喉をならした。
忍は山吹たちにその自由も与える気でいた。
なにか間違った時、それを正すための自由を。
「山吹、答えではないかもしれないが。猜疑心が強いので相手を信用できないんだ。独占欲が強いので、所有物を奪われるのは我慢ならないところもある。仲間なら守るし、所有物なら尚更ね。どちらだと考えていたとしても、私は同じことをする。そしてそれには……」
「強さがまだ足りない、と。」
何となく、言いたいことは伝わっただろうか。
「いくらあっても足りないよ、敵の数も強さもわからないのに。」
山吹の緊張がとけた気がする。
こいつは矛盾を抱えてもがき続けている哀れなおっさんにつきあわされているのだ。
ちょっと申し訳なくも感じる。
「主殿も、素直ではありませんね。」
ため息を付いた山吹は元のどこか軽い雰囲気に戻っていた。
「まったく、いっそのこと国でも構えたらいかがです?」
「いや、それこそ信用できないやつで溢れ返るだろ。」
「では、全員と契約して命令を……」
「それ魔王だから!別の使者に討伐されるから!!」
感触を確かめるように山吹は軽口を叩いてくる。
忍もできるだけ丁寧に、あるいは鋭く言葉を返した。
このやり取りがいつまで続けられるのか忍には分からなかったが、このやり取りが悲しい記憶で塗りつぶされてしまわないように願った。
「主殿、我の知る魔術の中で良さそうなものがあるゆえ、もしよろしければお伝えします。」
「お、ありがとう。」
忍が少しだけ狂気を開示したこの夜、山吹はそんな提案をしてきた。
二人きりでの真剣な質問の裏には魔術を伝えていいかどうかという迷いもあったのだろう。
教わった魔術はまさに切り札といえるものだった。
【抗魔相殺】、魔術を打ち消すための魔術である。
山吹によるとこの魔術を使うには元となった魔力の倍以上の魔力が必要とのことだが魔力量が馬鹿げている忍ならば一人でも問題なく使えるのではないかという提案だった。
本来なら魔術師が数人から数十人集まって使うような魔術で、危険な魔道具を壊すような目的で使用される。
魔法陣のみで魔力を流すと発動するが、一度発動すると魔法陣が壊れてしまうということだった。
「使い回しが出来ないなら、それこそ紙とか木片に書いてストックするのがいいかな。」
「陣が複雑ゆえ、石や木に刻むのは困難です。我は描けますが、練習が必要ですね。」
「じゃあ、山吹は風の魔法、私はこの魔法陣の練習ということで。」
「あ、我は中級まで全て覚えましたゆえ、メモももう燃やしました。」
「えぇ?!」
山吹いわく、敵に渡ってはいけないような資料は即座に覚えて燃やす癖がついているらしい。
変なとこが徹底しているな。
軍人らしいといえばらしいのだろうが、メモは時間をかけた力作だったのだ。悲しい。
「あ、そうそう、これも。」
山吹が尻尾を振ると木が横一文字に切断された。
少しの間をおいてズズンと倒れる。
「無詠唱は調子良く使えそうです。」
「いや、さっき使われてたら私は死んでたよ。」
無詠唱な上に尻尾から出た【ウィンドカッター】、もはや忍よりも使いこなしているのではないだろうか。
「せっかく授かった魔術ゆえ、皆が寝静まった後に練習しました。使いこなせていますか?」
「ああ、すごいな。尻尾から出せるなんてはじめてみた。」
「意識して訓練すればどこからでも出せるのでしょう。ニカは指、主殿は両手から出していたゆえ。」
そこに着目したのか、魔術を使わないので忘れがちだが、山吹は千影が認める優秀な魔術師、想像より数段上の存在のようだ。
「しかし、風の魔法は使い所がある補助魔法も多いから心強い。【ウィスパー】とか色々な場面で使えそうだしな。」
「あ、補助はあまりうまくいかなかったゆえ、使えないです。」
そうだ、こういうやつだった。
「補助魔法、練習しようか。呪文間違ったりしたら罰するからな。」
相変わらず神経の逆なでからの流れるような土下座、やはり山吹だ。
たまには素直に感心させてくれてもいいんじゃないだろうか、しかしこういうところが山吹らしいと納得もするのだった。




