八百長と奴隷契約
朝になり、クレアにガシャットの死を伝えると意外とあっさりと受け入れられた。
どうやら死期を悟ったガシャットはクレアに相談をしていたようだ。
昨日のことを心配したノブも合流し、忍は二人に昨夜の顛末を伝えた。
葬儀などはクレアがやってくれるらしい、といってもガシャットに親族はおらず、墓に埋葬するだけの簡単なもののようだった。
忍は商店ギルドにいかなければならなくなった、ガシャットが遺言書にやることを書いておいてくれて助かった。
幸いスキップに遭遇することもなく、クレアの後押しもあって手続きはスムーズに進み、あっという間にうつわのガシャットは忍の店になってしまった。
手続きを終えて帰ってくると店の外で白雷が忍をじとっと見ていた。
頭には千影の烏も乗っている、なんだか嫌な視線だった。
『忍様、千影に用事を申し付け、白雷が店に入れないのをいいことに、魔物を手籠めにするというのは如何なものかと。』
「白雷からどんな話聞いたんだよ?!」
「プオッ!」
白雷が忍のほっぺたを角でつつく。
『忍、強い。従魔、増える、当然。こそこそ、だめ!』
「そこ?!こっそり増やしたの怒られてるの?!隠してたわけじゃないんだけど?!」
『薄々感じていましたが、忍様はそういう対象として子供がお好きなのですか?』
「ちーがーうー!!」
ニカが声に気がついて外に出てくるまで、忍は二人にあらぬ疑いをかけられ続けるのであった。
「というわけで、私の従魔となりましたニカちゃんです。白い鯨が先輩の白雷、黒い烏が闇の精霊の千影ね。」
「ニカです。ちかげさん、はくらいさん、よろしくおねがいします。」
「プオォ!」
『はい、よろしくおねがいします。忍様の従者同士、呼び捨てで構いませんよ、ニカ。』
「わかりました。しのぶさんもニカってよんでください。」
「はい、よろしくね、ニカ。」
困ったときの神々の耳飾り。
ニカは基礎魔物図鑑で調べた所、一致する魔物がいなかった。
しかし、植物っぽい魔物でタングルトレントという魔物がいることがわかった。
タングルトレントはツルが絡まって木のように成長する魔物なのだが、生息地域の動物に擬態する個体がいる。
群れなどに紛れて育つことでまだ弱い幼体のときや移動時に外敵から狙われる確率を減らすのだ。
擬態をする個体は総じて魔力が高いレア個体であるらしい。
「まじゅつなんてつかえないし、ぎたいもできないよ。」
『タングルトレントで生まれて十数年ではまだ子供も子供です。仕方がないかと。』
「あ、トレントってやっぱ寿命長いんだ。」
『二百歳くらいでやっと成人というところでしょうか。』
この世界の成人年齢は十五歳、千年は生きそうな計算である。
「しのぶさんのやくにたてるようがんばります。」
「う、うーん。嬉しいけど、あまり気にしないで。」
成り行き上契約はしているが、ニカは人の中で暮らしてきたのだ、できればこれからも普通の子として扱ってあげたい。
忍は店番をニカに頼んで奥の倉庫に白雷と千影を案内した。
倉庫には大きなものから小さなものまで、陶器や磁器が所狭しと積み上げられており、一度見たときから危ないと思っていたのだ。
忍はそれらを片っ端から底なしの指輪に収納していく。
「さて、千影、報告を頼む。」
『はい、ミリオン商会は内輪もめをしています。忍様に配当を支払ったことで一時的に仕入れの金が足りなくなり、様々な支払いが滞ったようですね。商店ギルドや行商人ギルドなどに借金をしたようです。』
貨幣には詳しくないから単純に考えてみる。銀貨一枚が千円だとして大銀貨が一万円、金貨が十万円で大金貨が百万円、で大金貨が四百枚。
「あーっと桁を数えよう。一、十、百、千……。」
床のホコリに筆算をして桁を数えてみる。
実際の桁を数えたことで、自体の大きさを認識した。冷や汗が止まらない。
どんぶり勘定ではあるが、忍は四億円の配当を受け取って持っているということになるのだ。
認識が甘かったのは忍の方かもしれない、襲われていないのが不思議なくらいだ。
『付け狙う輩はいますが、忍様は金貨を持っているように見えません。在り処を探ってから襲ってくるのではないかと。』
「ありうるな。白雷、ニカを近くで守ってやってくれるか?」
『わかった。店、みはられてる。忍、きをつけて。』
『昨晩遅くから張り付かれていますが、襲ってくる気配はありません。捕まえますか?』
やばい、監視者を意識していなかった。
忍は発言を抑えて思考会議に切り替える。
捕まえるなら一気にやらなければ意味もない、元を断たなければずっと狙われ続けそうだ。
しかも忍はニカを迎え入れてしまった、狙われる理由がすでに二つあることになる。
『ニカが狙われているというのは本当です。商会主のステップは従魔のコレクターで従魔レースの傍ら珍しい従魔を買い集めています。密売もしているので裏社会とのパイプも強いようです。レース場の地下からシジミール郊外の森にトンネルが掘られており、そこから搬入しているようですね。かなり危険な個体もいるようです。』
夜のうちに中核に近い人物の記憶を洗えたのだろう。千影の説明はかなり詳しかった。
従魔の密売はバレた瞬間にミリオン商会が崩壊するレベルのスキャンダルだろう。
『密売もそうですが、従魔レースの八百長も合わせれば確実でしょう。』
書類のような確たる証拠があれば、行商人ギルドや詰め所に訴えられるが、千影が確保できていないということは、屋敷にはそんな隙がないということだ。
手っ取り早く済ますには、犯罪の中核に関わっているものの自白か。
しかし、ミリオン家の者を捕まえるのはリスクが高すぎる。
いや、そんなことをしなくてもいけるか?
昨夜千影が白雷に伝え、白雷が怒っていたのはこの従魔密売の件だった。
忍も白雷やニカを見ていると奴隷売買と大差ない行為に感じてしまう。
合法な範囲なら目も瞑れるところではあったが、違法な上に従魔の誘拐まで起こっているとなれば話は別だ、全力で潰しにかかる。
狙うは、違法従魔の世話をしている奴、アジトにいる奴らだ。
『承知しました。八百長は明日の第八レースに行われます。八枠出走のブラックタイガーを勝たせるようです。』
賭け事には詳しくないが競馬などの場合、胴元は絶対に破産しないようにできていると聞いたことがある。
しかし、現在この街にある硬貨の数は一定のはずだ。
おそらくミリオン商会の借金の理由はここにあるのだろう、資産があっても実際の硬貨が無いのだ。
そしてもし当てたのに払えないなんてことになれば従魔レース、ひいては商会の信用に関わるはず、口が裂けても言えないはずだ。
『仕掛けるのですね。』
忍の口元が歪んだ。
まさか賭け事から縁遠かった自分が、賭博関係の悪巧みをすることになろうとは、ざわざわという擬音が聞こえてきそうだ。どんな物語も読んでおくものである。
どこでどんなことが花咲き、実になるかは誰にも予想なんてつかない。
千影もきちんと動けるように、烏の影分身を出し直して大きく増やした。
『ありがとうございます。今夜中に従魔密売のアジトを探っておきます。それと、招かれざる客のようですね。』
「プオォォ!!」
店の方で瀬戸物が割れる音がして白雷とニカが騒いでいるようだった。
忍は何事かと小走りに店舗に顔を出すのであった。
「プオオォォ!!」
「厄介ね!魔法は打てないの?!」
「お嬢様、ここでは全員吹っ飛びます。」
忍が店舗に入ると、ニカは会計カウンターの中で尻餅をついていた。
狭い個人店の真ん中で白雷が一メートルくらいまで大きくなって出入り口の三人を威嚇している。
特徴的な赤い衣装とメイド服が二人、スキップとお付きのメイドがそこに立っていた。
「これはこれは、スキップ嬢、この店になにか御用ですか?」
忍は悪役っぽい喋りを意識して三人に話しかけた。
「この店の従魔は客をいきなり襲うようね。野蛮だこと。」
「白雷、こっちへ。」
そう呼ぶとしゅるしゅると縮んだ白雷が忍のもとにくる。
しかし警戒は三人から外していない。
白雷に触って先程の出来事を読み取る、どうやら三人が店に入ってきた時点で白雷が敵認定して威嚇したようだ。
それに対しメイド二人が武器を構え、陶器がいくつか割れてしまったようだった。
この店の陶器は無造作に高く積み上げられすぎているのだ。
「客なら襲いませんよ。ご自分の胸に聞いてみては如何ですか?」
「……そうね、あなたを探すのには苦労しましたわ。内緒話がありますの、お付き合いくださる?」
この物言いを信じるなら、狙いは忍のようだ。
奥の倉庫はいま千影の烏が山のように待機しているから見られたくない、ニカもいる、下手にここで騒ぎたくないな。
「追い出された湖池庵のジュポッタが気に入ってましてね。今夜あたりまた食べたいんですよ。それに内緒話ということは他人に聞かれてはいけないということですよね。」
忍は三人、特に護衛のメイド二人を睨みつけたが、視界の端で追い出されたという単語にスキップの表情がピクリと動いた。
赤い扇子で口元を隠し、少し視線を外す。
護衛なしの一対一でなら応じるという意味で言ったのだが、駆け引きか、それとも何か想定外なのか。
「内緒話ですもの、もちろんですわ。しかし、この街には他にも美味しいお店がありますの。そちらではいかがかしら。」
どこに連れて行かれるかわからんな。
しかし、なんだかズレを感じる、見落としがあるような感じだ。
これまでの流れでなぜスキップはこの話に忍が応じると考えているのか。
「夕刻に使いを出しますわ。ごきげんよう。」
返事に悩んでいる間にスキップは会合をすることに決めてしまったらしい。
言い捨てるとさっさと店を出て行ってしまい、二人のメイドもそれに続いた。
ここらへんがわがままポイントである。
『厄介ですね。殺しますか?』
「やめとけ。」
今回は相手を倒しておしまいになる話ではない。
ミリオン商会が悪辣で忍が嫌われていたとしても、街にとっては必要な側面がある。
外敵を退けるのとは違うのだ。
「ニカ、店を閉めて。ちょっと急いで準備をしよう。割れた物も片付けないとね。」
忍は店の中の商品をすべて指輪にしまい込むと、広くなった空間で細かい準備をすすめるのだった。
夕刻の迎えは高級そうな従魔車だった、御者はショートカットの方のメイドである。
忍は千影の本体だけを連れて従魔車に乗り込んだ、これなら一人きりに見えるだろう。
もちろん遠目に烏が追跡をしている。
ニカと白雷は店の掃除をしつつお留守番をしてもらっていた、忍が返ってくるまでに店をピカピカにすると息巻いていた。
『街の中央に向かっているようです。ミリオン家の屋敷かもしれません。』
千影の予想通り、従魔車は大きな門に入っていく。
屋敷の前についた忍が従魔車を降りると、スキップとロングヘアのメイド、そしてコック帽を被った料理人らしき人物が頭を下げて忍を迎えた。
「本日はお招きに預かり光栄です、と言いたいところなのですが、これは一体どういうことでしょう。」
「少々込み入った事情がありますの。こちらは湖池庵のシェフですわ。お話は晩餐の後にでも。」
不気味過ぎる、最初の印象と今の印象が合致しない。
ほとんど顔を合わせていないのを加味しても先ほど感じたズレが拭えない。
『本邸の中に人の気配はありません。向こうに使用人用の屋敷があるようです。』
さすが大金持ち、スケールが違う。
もう全部ぶちまけてしまおうか、食べ物に毒でも盛られてはかなわない。
忍はポリポリと頭をかくと本音を話してみることにした。
「……湖池庵を気に入っているのは本当です。しかし今、このときに至っては毒でも盛られたらかないませんので、お話だけにしていただけますか。」
「残念ですわ。ジュポッタも用意しておりましたのに。」
「お気を悪くなさらず、行商人は疑り深いものなのですよ。それにどこかの店ではなく本邸に通されるなど暗殺されそうな状況じゃないですか。武器も手放せません。」
「まあ恐ろしい。わたくしも気をつけなければなりませんね。しかし今夜は我々しかおりません、ゆっくりとお話させていただきますわ。」
そう言うとロングヘアのメイドがシェフを従魔車に案内し、二人を乗せて屋敷の外に出て行ってしまった。
これで本当に二人っきりになったが、本当に狙いがわからない。
スキップは真っ赤なドレスを揺らしながら本邸の入口を開けて、忍を手招きした。
『精霊や従魔の気配もありません。』
「はぁ、お邪魔しますよ。」
忍は嫌々ながら歩みをすすめるのだった。
通された部屋は来賓用の応接間のようだった、忍はソファーに座ることをうながされ、スキップは紅茶らしきものを淹れていた。
忍の目の前にもティ―カップが置かれたが、手は出さない。
「そう邪険になさらないでください。」
「腹芸は苦手ですので単刀直入に、商会で働けなどと尊大に声をかけてきた後、宿から私を追い出し、ニカを攫おうと狙っていたミリオン商会が、私になんの用ですか。」
そう忍が聞いてみると口をつけた紅茶にむせたのかスキップが口元を抑えて咳き込んだ。
上品な仕草でやっているあたりに育ちの良さは感じるが、ちょっと大げさではないだろうか。
「わたくしも聞きたいことが増えました。まず、行商人ギルドでの非礼はお詫びいたします。しかし、湖池庵の件はわたくしはエベス様に誓って関与しておりません。お店で指摘されはじめて事態を把握し、調べておりました。ニカさんを攫おうとしているという話も初耳です。」
なるほど、行動や言動が合致しないわけだ。
しらを切っている可能性もなくはないが、それにしては反応が自然過ぎる。
騙してきているならかなりのタヌキだ。
「湖池屋の支配人に確認した所、うちのメイドの中に連絡を届けたメイドはおりませんでしたが、わたくしの名前で指示があったと申しております。しかし、誓ってわたくしはそのような指示は出しておりません。」
「信じるための根拠がないですね。失礼を承知で申し上げますが、私はミリオン商会に良い印象を持っておりません。証拠も何もない言い訳だけの会合ならば失礼させていただきます。」
「お待ち下さい!だからこそ、忍様にお願いしたいことがあるのです!」
そう言ってスキップは深くお辞儀をした。
忍はその態度にソファに座り直す。
おそらく彼女から受けた印象は大筋では間違っていない、しかし、そんな彼女がこちらに頭を下げている。
話を聞くだけならただかと言い訳をして、ソファに座り直した。
「だからこそ?」
ぶっきらぼうに続きを促す。
「こちらも単刀直入に申し上げます。わたくしはミリオン商会を潰したい。明日、従魔レースで八百長が行われます。そこで指定する従魔に大金貨十枚を賭けていただきたいのです。」
予想外だ、考えついた方法は一緒でも敵にそんな提案をされるとは考えてもみなかった。 忍は驚きつつ冷静に考えをめぐらす。
たしかにこれは二人きりでないと出来ない話だ。
「貴方と組む上での私の利益はなんでしょうか。それから、理由はお話いただけるので?」
「……なぜ潰れるかはお聞きにならないんですね。利益は莫大な配当金とミリオン商会を潰せることですわ。理由はわたくしの出生に関係することですの。少々長話になりますわ。」
「夜は長い、とりあえず聞きましょう。」
スキップの話は貴族や豪商の世界の小説でよくある話だった。
政略結婚のために育てられた子供、父親の顔はほとんど見たこともなく母親は死んだと聞かされ寂しく教育を受ける日々。
しかしスキップは母親の正体を知ってしまった。
そして自分の兄弟や姉妹の存在とおかれた境遇を調べ上げてしまった。
「わたくしは従魔の子、父は従魔に魔人を産ませ、奴隷として売りさばいていたのです。」
最悪の気分だった。
自分でもわかる、聞かなきゃよかったと顔に書いてあるだろう。
「不愉快なお話をしてすみません、しかし、この凶行は誰かが止めねばなりません!」
奴隷売買っぽいどころか本物の奴隷売買の話になってしまったか。
困った、徹底的に潰してしまいたくなってしまう。
「現在、ミリオン商会には現金がありません。わたくしが金を賭けて崩壊させることは不可能なのです。しかしこんなチャンスはもう二度と無い、どうかわたくしに投資をしていただけないでしょうか!」
「……私に利益がない話です。お金は十分ですし、ミリオン商会を潰す上で貴方と組むと不利益のほうが大きい気がしますよ。貴方はすでにその振る舞いから敵に利用されている。湖池屋の件がいい例でしょう。このままでは罪を被せられるかもしれませんよ。」
それに、ここで手を組んでしまえば忍がなにか罪を着せられてもスキップと一蓮托生になってしまう。
忍は従魔の違法売買を暴くために殴り込みをかけに行く気でいたので、場合によってはスキップの父を殺す可能性だってある。
信用できないという点でも忍はどうしてもその手を取ることが出来なかった。
スキップは頭をあげない、そして力強い声でさらなる条件を提示した。
「……もしも、もしも手を組んでいただけるなら、わたくしを差し上げます。」
スキップが顔を上げる、涙を流しながら忍を見据えてくる。
「容姿端麗、博学多才、ミリオン商会の傑作と自負しております。大金貨十枚で、わたくしを買っていただけませんか。」
「私に、犯罪者になれと?」
スキップはハンカチで涙を拭うと後ろに据え付けられた戸棚から一枚の書類を取り出した。
「これは、本物のガスト王国の奴隷同意書です。ガスト王国では奴隷所有は合法なので、この契約書があればアサリンドでも奴隷を所有することが出来ます。」
そう言うとスキップは忍の目の前で書類に署名した。
「ここに署名していただければ、スキップ・ミリオンはあなたに仕える奴隷となります。魔術的な契約はこちらで」
「やめろ、淑女の言うことじゃない。」
スキップが本棚から本を引き抜くと横にズレて地下への階段が姿を表した。
そこはきらびやかな屋敷の中で明らかに異彩を放っている。
「これが、わたくしの出せる最大の提案でございます。これでどうか大金貨十枚を。」
「……覚悟が決まっているんだな。スキップ嬢、一対一とはいえ、吐いたつばは飲めないぞ。」
「いいえ、今夜はわたくしの一世一代の大勝負。もし願いが叶うのであれば、あなたの吐いたつばでも飲んでみせましょう。」
忍は情に脆いが、タダで人助けするほどお人好しでもない。
そんな自分の人間臭さが、今の忍には一番嫌だった。
「はー……商談成立だ。大金貨十枚で君を買う。ただし、奴隷契約を先にしてもらおう。」
「承知いたしました、ありがとうございます。」
地下の部屋は簡素で床にある魔法陣と小さな机、燭台があるくらいだった。
奥の壁には【奴隷の契約】の呪文が書かれている。
「この壁の呪文で魔術が発動いたします。忍様は魔術師と聞いておりますので発動をお願いします。」
「私の奴隷になるなら、隷属を要求するぞ。やめるなら今しかない。」
「覚悟の上です。今回を逃せば二度と機会など回ってきません。フォールン様の前髪を掴むにはこれしか無いのです。」
忍は今日何度目かのため息をつくと、奴隷契約書を確認して署名した。
そして壁の呪文を数度目で追って、深呼吸をする。
「覚悟はいいか。」
「お願いします。」
スキップは目をつぶり、両手を組んでしゃがんだ。
修道女の祈りのような完璧なシルエットだった。
忍はそんな様子を見ながら呪文を詠唱する。
「我と歩みを共にするもの、汝に従者の証を授けん!主たる我が名は、忍!汝の名は、スキップ!」
魔法陣が光を放つ、中空に浮き上がった魔法陣は真っ赤なスカートに吸い込まれていった。
忍は、告白をされたことがある。
中学生などというものはは色恋沙汰に憧れるものだ、一週間ほど付き合って、突然別れを告げられた。
特になにかしたわけではなく、デートもしなかった。
唐突に告白され、唐突に着信拒否にされ、しかし付き合いが一瞬だったからか、忍は彼女は罰ゲームでもしていたのだろうと納得した。
一週間付き合ったら五千円という賭けの対象にされていたことは、しばらく後に知った。
自分の価値は五千円、それを知ったあとの方が地獄だった。
スキップは大金貨十枚、一千万で自分を売った。
忍は人に金銭的な価値をつけること自体が出来ないことだと思いたかった。
目の前の覚悟は、忍が自分を曲げるのに値するもののように見えてしまったから。
「さて、これで大丈夫なのかな?」
「はい、ご主人様、約束のお代をいただけますか?」
「抵抗するな。千影、気絶させて記憶を洗え。」
「なっ?!」
それはそれとして、信用するかは別問題である。
忍が言うが早いか、地下の部屋を闇が覆い、同時にスキップの意識も闇に飲まれた。
『忍様、まさかこんなに鬼畜だったとは。』
「うるさい、自分でもわかってるよ。それでスキップ嬢の言ってることは本当だった?」
『本当です。ただ、騙されている可能性もありますが。』
「どういうこと?」
『明日のレース、八百長の内容が違います。メイドからの報告では第七レースの十二枠、パドルトカゲが勝つと。』
千影は第八レース、八枠のブラックタイガーという情報を持ってきたはずだ。
一日二回も八百長をするなんてリスクが高すぎないだろうか。
「千影はどうやって八百長の情報を手に入れたんだ?」
『ゴロツキ共のまとめ役を見つけまして、夜の間に。』
千影の存在は【真の支配者】よりもチート能力なのではないだろうか。
しかし、スキップの言っていることが真実なら、この娘はおそらくスケープゴートにされようとしている。
これまで忍の聞いた噂話も総合するとその情報を持ってきたメイドが怪しい。
「情報を持ってきたメイドの記憶を洗いたいな。よし、上のソファに運んでスキップ嬢を起こそう。」
スキップを担いで上の部屋に戻り、大金貨十枚をいれた小袋を用意する。
「千影、いいぞ。」
『はい、起こしますね。』
「しゃ、車輪?!車輪ですわ?!」
ソファの上で赤いドレスがビクンと跳ねると謎の単語を叫びながらスキップが目を覚ました。
「もう普通にしていいぞ。でも、叫ばないように。っていうか千影さん?」
『起こしただけです。』
スキップは忍の姿を見つけて叫ぼうとするが、口をパクパクさせて声を出せなかった。
「く、踏み倒す気ですわね。わたくしの決意を嘲笑う気ですのね……。」
「叫ぶなって言っただけだ。大金貨十枚だったな。」
忍は小袋から金貨を取り出して一枚一枚スキップの前に並べてみせる。
「ど、どういうつもり?」
「どういうって、支払いだが。」
十枚並べ終えた後でもしばらくスキップは肩透かしを受けたようにぽかんとしていた。
踏み倒される可能性も全く考えていなかったわけではないようだ。
「……いらないのか?」
「お、お預かりしますわ。」
慣れた手付きで金貨を小袋に仕舞い、本棚の空きスペースに置く。
「さて、支払いは済んだが、話はまだ終わっていない。君はその金貨をどの従魔に賭けるつもりだ?」
「第七レースのパドルトカゲですわ。」
「その話を誰から聞いた?」
「サラ、水色髪のメイドですわ。わたくしの最も信頼する部下の一人ですの。」
「他に信頼している部下は何人いる?」
「他に…そうですわね。ファル、きれいな銀髪のメイドですわね。それからゴラン、執事長と会計を任せていますの。」
『忍様、ゴランというのは千影が記憶を洗いました。密売に加担しています。』
忍は手で顔を覆って考え込んだ。
スキップはワガママお嬢様、ここまでの行動から熱血で猪突猛進タイプだ。
人を信用したらそうそう疑わないだろう、好ましい性格ではあるが腹芸が得意な側近が裏切ってしまえばとたんに傀儡のピエロになってしまう。
ゴランとかいう執事長は黒、早急にメイド二人の腹の中を確かめねばならない。
「メイド二人と話がしたい。呼んでくれ。」
「お待ち下さい、ちょっと説明をいただけませんの?さっきのブワって出てきた黒いのとか忘れてませんわよ。」
「……わかった。しかし、私と仲間の力については他言無用だ。あと、時間がないから手短に行くぞ。」
忍はそう言うと千影に自己紹介をするよう心の中で促した。
スキップはびっくりして立ち上がり叫ぼうとしたが、その行動は止められている。
たぶん頭の中で声だけが響いて無機質に説明をしているんだろう。
口をパクパクとさせて、ストンとソファに腰を下ろした。
『簡潔に記憶を読めることと、裏切り者の可能性を伝えました。』
「詳しくはまた時間があるときにでも。」
スキップは深呼吸をして紅茶を一口含んで心を落ち着けると、神妙な顔をして忍に聞いた。
「もし、裏切り者がいるとして、殺すのですか?」
「意見があるなら聞くが、君に決定権はない。」
忍は契約の際にはっきりとスキップに隷属を要求した。
【真の支配者】の能力のこともあるが、こいつは行動力がありすぎる。
考え方によってはいいところなのだろうが、忍にとって単独の暴走は積み上げた計画を台無しにしてしまうマイナス要因だ。
スキップは言葉に詰まった、本来なら意見さえも言える立場でなくなってしまっているのを理解しているからだろう。
「はっきり言っておく、私は必要なら殺すし、裏切り者に容赦できるほど聖人じゃない。敵ならなおさら。」
「……承知いたしました、呼びますわ。」
スキップは戸棚から小さな紙片を取り出し、ファルとサラの名を書くと灰皿で燃やした。
なんとなく緑色の光が宙を舞った気がする。
「それは?」
「使用人を呼び出すための魔法の紙片ですわ。一人残らず別宅に待機させましたのでベルでは呼べないんですの。」
「随分と便利だな、買ったら高そう。」
「そんな事ありませんわ。十枚綴りで金貨一枚というところですわね。」
やっぱりお嬢様だ、さらりと大銀貨一枚を燃やしおった。
これがセレブの生活か、絶対できる気がしない。
このお茶も調度品も目玉が飛び出る価格なんだろう。
「今更ながら緊張してきたな。」
「本当に今更ですわね、お茶を淹れ直しますわ。」
「ありがたい話だが、気を抜きたくない。」
「わたくしが飲みたいんです。」
忍はその間にポケットに仕込んでいたショーの実に手を添えて確認をしておく。
メイド二人が部屋に入ってきたらショーの実を潰して自爆テロ作戦で無力化させる、完璧だ。
『お二人とも、メイドが屋敷に入りました。しかし、様子がおかしいです。お気をつけください。』
「どうした?」
『この部屋ではない部屋に寄っています。玄関脇の掃除用具などが入っている部屋です。』
「商談内容は伏せておりますが、ここで商談をしていることは二人もわかっているはずですわ。」
『玄関になにか撒いていますね。ボロ切れと、油でしょうか。』
「千影、なんで冷静なんだ!」
「ご主人様、何を焦っているのです?」
「えぇ?!なんでスキップ嬢もピンときてないの?!」
『火を着けました。一気に燃え広がっているようです。細工をされていたのかもしれません。』
千影の無感情な実況が状況を告げる。
程なくして何やら焦げ臭い匂いが辺りを包んでいった。
「千影、メイドを頼む。スキップ、逃げるぞ!」
『お任せください。』
「お待ち下さい、金貨が!」
「ええい、もう!」
忍は部屋の中を思い浮かべて底なしの指輪に仕舞った。
今までやったことはなかったが、指輪は調度品などをすべてを収納し、部屋は一気にもぬけの殻になった。
スキップを担ぎ上げ、廊下に出るとすでに真っ黒な煙が廊下に充満しかかっている。
忍は窓を割ろうと廊下に飾られていた花瓶を投げるが、窓はびくともしなかった。
「なんで?!」
「魔法ガラスですわ!降ろしてください!」
スキップは廊下の窓の鍵を外そうとするが、何やら手間取っているようだ。
「ごほっ、ぐ、なんで、なんで開きませんの?!」
「壊せないのか?!」
「ごほっ、無理ですわ!しゅう、ゴホッ、げきでも、傷ひとつつかない、最高、きゅうゴホッゲホッ…。」
声が大きい分大きく煙を吸ってしまったらしい。
指輪から布を取り出し、引き裂いて水で濡らす。
「口に当てて煙を吸わないように。姿勢は低く、ゆっくり静かに呼吸。」
スキップは布を受け取り口に当てるとコクリと首を縦に振った。
火は廊下を伝って忍たちに迫ってきている。
窓は強化ガラスのようなものか、びくともしない。
出入り口になりそうなのは、玄関と勝手口くらいか。
しかしそんなところは対策されている気もする。
忍は腰の赫狼牙を抜いて廊下の壁に突き立てた。
刺さる、壁紙の向こうは、レンガだ。
『燃えろ。』
赫狼牙に魔力を込める、銀色の剣が燃え上がり、炎は雄々しい狼の怒りをかたどった。
忍がそのまま剣を振ると、煉瓦の壁はバターのように切り裂かれ、外への道が開けた。
もう一度スキップを小脇に抱え、忍は屋敷の裏手に脱出したのであった。
『忍様、申し訳ございません。二人は捕まえましたが問題がおきています。スキップを連れてこの場を離れてください。』
「わかった。」
「プオオォォ!!」
「え?白雷?!」
脱出して走り出したタイミングで千影の報告を受けた忍はそのまま広い庭を突っ切り屋敷の外に出ようとした。
その時、空から聞き慣れた鳴き声がして、ぐったりとしたニカを角に引っ掛けた白雷が忍に向かって飛んできていた。
「ニカ?!」
『忍様、メイド二人は気絶していますが、烏では運べません。ご決断を。』
忍の後ろでは屋敷の炎に気づいた使用人が声を上げていた、このままではこの裏庭も見つかるだろう。
二人のメイド、逃げる算段、ニカと白雷、状況が大きく動きすぎて笑えてきた。
「千影、狼で影分身を作り直す。すぐに戻れ。白雷もニカをそこに寝かせてやってくれ!」
忍は手綱と【影分身の霊獣】の魔法陣を取り出す。
スキップを脇において詠唱の準備に入った。
『戻りました、忍様!』
「木々と等しく揺れるもの、獣の後ろを走るもの!光の下で型を成し、写し踊れよ闇の精!【影分身の霊獣】!」
二十体ほどの大きな狼の影が忍のローブから生まれ落ちる。
「千影はスキップとニカとメイド二人を回収、街の外に運んでくれ!白雷は私を乗せて街の外へ!」
金具を噛ませている暇はない、
忍は手綱をぐるぐると白雷の角に巻きつけて左手を固定し、背中に乗った。
『忍、痛い!』
「ごめん、緊急時だから勘弁してくれ!」
「プオオオォォォ!!!」
白雷の怒りの叫びとともに黒い狼の一団が街を駆ける。
一番最後に出発したはずの白雷は街の外まで一番乗りだった。
空の上でうつわのガシャットの方を向くと、真っ赤な火の手が上がっていた。
クレアのことが心配だったが、今は逃げることが優先であった。




