漆黒の壁
漆黒の壁が喋りかけてきていた。
いや、これは俗に言うテレパスというやつだろうか。
頭の中で声がするという感じだ。
さっきはたしか……女神が祈ると、目の前が眩しい光に包まれて、直後に真っ暗なとこでしわがれた声に話しかけられたんだったな。
この壁が声の主か。
視線も滑らせてみたが、この部屋に他にいきものらしいものはいない。
「……私に話しかけているか?」
忍は質問を返しながら立ち上がり、ゆっくりと自分のポケットを確認する。
パーカーの左、なにもなし。
ズボンはこれまたお気に入りのカーゴパンツだったが、重みは感じなかった。
ポケットの数は合計八つ、これだけ収納するところがあるのだからなにか役立つものが入っていてほしいものだ。
なんにも入ってないので、動きを阻害されそうにないことだけが唯一のメリットかもしれない。
靴はスニーカー、運動しやすそうで何よりだ。
ベルトもあったが、武器になるとは思えなかった。
『そうだ……精神が、無いのか?いや、ノーマルであろう。肥えてはいるが、ノーマルだ。』
余計なお世話である。
とりあえず、喋れる相手らしいことはわかった。
「……精神ってなんだよ。ここはどこで、あんたは誰だ?」
『……ここは、我が主、魔王アーガイル様の居室である。我に、名はない。』
「はい?」
魔王の居室らしい。
魔王倒せって言われて、直後に魔王の居室に飛ばされたってこと?
絶望的なんて言葉じゃ足りなくないか?
あまりにもお粗末な状況だ。運命の女神を呪いたい人たちの気持ちがわかる。
忍は警戒しながらも居住まいを正した。
「失礼いたしました。 お帰りはどちらからでしょうか?」
『扉は、開いていない。帰れない。』
「ですよねー。」
予想外にもおしゃべりに付き合ってくれることで時間は稼げたが、現状を打破する手立てが見つからない。
祭壇、灯籠、レッドカーペット、他になにかあるだろうか?
のっぺりとした壁や天井はまるでコンクリートの打ちっぱなしのようで、扉も窓も何もない。
「……魔王様の居室は、随分と殺風景なのですね。絵画の一つも飾らないなんて。」
何気ない一言だった。
しかし、黒い壁の長い沈黙に、忍は地雷を踏んでしまったことに気づいた。
『……辛かったのだろう。苦しかったのだろう。』
頭を揺さぶるようなしわがれた声。
その声に嫌な感じがした。
直後に、忍はふらつき近くの壁に手をつく。
のっぺりと見える壁の手触りが、デコボコしている。
それに気がついたとき頭の中で何かが弾けた。
部屋の風景が一変する。
壁には一面に絵画や文様、文字が刻まれている。
戦う人々や二足歩行の獣、炎渦巻く翼を持つ鳥、水龍と戦うドラゴン、なんだかよくわからないものも色々描かれていたが、そこからは重厚な歴史が伝わってきた。
レッドカーペットは消えて、床に彫り込まれた道となり、その先の祭壇はおそらく石棺だろう。
棺の上には小さな台座が置かれており、一振りの剣が鎮座していた。
忍は自分のいる場所を理解した、ここは、魔王の墓室なのだ。
『……やはり、効かない。【イリュージョン】も、破られた。死んでもらうぞ。』
背筋に寒いものが走る。忍はとっさに横へと飛んだ。
黒い壁から二本の黒い棘のようなものが飛んできて先程まで自分がいた場所に刺さっていた。
まずい、あの速さでは避けるのにギリギリだ。
『……意外と早い。』
いまの狙いは頭と心臓をピンポイント。
出現した文字を読んでいる余裕はない。
退路も、交渉材料もない。
次が来る。
焦りとは対象的に忍の読みは冴えていた。
一撃目と同じ狙いで放たれた二撃目の棘を、右に体を捻って避ける。
予想通りの軌道で放たれた棘は、鼻先をかすめるにとどまった。
避けると同時に忍は前へと走り出す。
狙いは棺の上に出現した剣である。
『……させぬ。』
石棺まであと三メートルのところで三撃目、壁全体から棘が放たれた。
無数の棘が飛んでくる中、忍はヘッドスライディングの要領で石棺を盾に隠れてしまう。
この壁の攻撃には何故かタイムラグがある、ここをしのげばあとは簡単なはずだ。
忍は次の一撃が来る前に剣を手にして、素早く黒い壁に突き立てた。
黒い壁は剣が突き立てられたところから静かにゆっくりと霧散していき、その後ろから別の壁が現れた。
「ドッジボール部の経験が生かせた。」
赤い彗星のブタの名は伊達ではなかったということである。
初戦闘初勝利に上がりかけたテンションは、不名誉なあだ名を思い出したことで沈下していた。
出現した壁にも壁画と文章が書かれていた。
その文字はなにかの模様のようだったが、何故か忍には意味が理解できた。
今は緊急事態、細かいことはおいておいて、部屋の中に書いてあることを読み進めてみることにした。
まず、魔王アーガイルが国をおさめていたときに何がおこったかが記されているようだ。
人との戦争、強力な魔物の反乱と制圧、精霊との確執と和解、どれも本にして出版できそうな話ばかりだった。
壁画では人型の生物は十把一絡げにされているらしい。
獣人、エルフ、ドワーフ、リザードマン、マーマンらしき連合軍が絵で確認できた。
相対しているのは角の生えた悪魔らしき集団とドラゴンやら巨大なサザエやら真っ黒いやつやらおそらくモンスターとかクリーチャーと呼ばれる存在らしきものだった。
争いの理由は、増えすぎた人が肥沃な土地を求めて侵攻してきたことらしい。
それぞれの細かい話はさておき、アーガイルという存在がいかに立派だったかという内容がほとんどのようだった。
「王墓の壁画なんて話を盛って当たり前だもんな。アーガイルは闇魔術の名手で、数千のモンスターの影を操ることを得意とした。その際に吸魂の剣を使っていた、と。」
この吸魂の剣というのがこれなのだろう。
ただ、遠目で見たときよりも実物は大きく感じた。
刃渡りは五十センチくらいか、片刃の直剣で剣身は真っ黒。ほとんど光を反射しないようだ。
持ち手の部分には紫の宝石が埋め込まれ、やはり光沢のない黒い金属による装飾が施されていた。
壁画の中のアーガイルを見るとこの剣が果物ナイフみたいに見えるので、この魔王はかなり大きかったんじゃないだろうか。
忍はこの剣身の形状に見覚えがあった。
「剣じゃなくて、忍者刀じゃないのか。持ち手は西洋風だけど。」
自分の名前に同じ漢字が入っていることもあり、忍は忍者が好きだった。
ネットゲームや格闘ゲームでは忍者キャラは必ず触っていたし、小さな頃には忍者の術や武器を自由研究としてまとめ、こっそりと練習していたこともあるのだ。
最終的にできたのは手裏剣にみたてたボールペンをベニヤ板に刺すことくらい、成功率は三回に一回くらいだったのだが。
「練習すれば、なんでもそれなりにはなるんだけどな。それで稼げるわけじゃなし。」
それに前世を思い出すと、嫌なことしか出てこない、やめよう。誰が跳ねるキングスライムだ。
微妙な気分になりながら、祭壇の後ろの壁に移動する。
「内容は、魔王の遺産?」
壁に刻まれている魔王の遺産というのはこの王墓の副葬品のリストらしい。
豪気にも持っていけるものなら持っていけと書いてある。
モンスターやら何やらが存在するなら使えそうなものはいただいていかないと無理だろう。
墓泥棒は気が引けるが、緊急時ということで許してもらおう。
「吸魂の剣、宵闇のマント、底なしの指輪、それから影の書?」
吸魂の剣は名前が分からず、ずっとこの名前で受け継がれてきたようだ。
剣身に彫ってある言語はよくわからないが、その力は本物で恐らくは神やそれに近しいものが作ったものと予想されていた。
実態のないものを切り、切ったものの魔力や魂を封じ込めることもできる。
また、この剣に封じ込められた魔力は所有者が魔術を使うときにも使用できるようだ。
しかしこれらはあくまでこの剣の力の一部らしく、名前が分かればもっと色々な力が使える可能性もあるようだ。
そして、精神的に弱いものは、触っただけで魂が消滅する。
「うわぁい!」
忍は思わず叫び剣を手放してしまった。
床に落ちた剣はカランカランといい音を立てている。
「……知らないうちに命をかけた博打してたわ。ゲームでいうところのマジックポイントを吸収できる剣ってとこかね?」
震える手を感じ、臆病な性根は変わらないと悟る忍であった。
さっきまで持っていたのだから大丈夫なのだろう。……大丈夫であってくれ。
真っ黒な剣身に触ってみるとたしかに溝があるようだ。
光を反射しないのでよく目を凝らさないと彫ってあることさえわからない。
「んー…ソウル……ハーヴェスト…?」
これは剣の名前だ。やはり読めた。忍は薄々感じていたことを実感していた。
壁を読み進めていくうちに書かれた文字が三種類あることに気がついたのだが、そのすべてを忍は認識、理解できた。
これは異世界名物・何故か通じる言語なのではなかろうか。
思えば、漆黒の壁とも普通に喋れていた。
女神は時間を気にしていたから、もしかしたらもっと説明する内容があったのかもしれない。
忍は剣を見つめ、何かを考えた後、呟いた。
「やっぱり忍者刀だ。忍者刀・ソウルハーヴェスト。」
忍は気を取り直して壁を読み進める。
宵闇のマントは優秀な防具で、夜の間だけつかえる特殊能力がある。姿を消せるのだ。
しかも、透明になっている間は物理的な攻撃はいっさい効かなくなる。
ただし、使用している間はどんどん魔力を使うため、一時間も消えていられないらしい。
魔力が完全になくなればこの世界の生き物は気絶するようなので、これまた使いづらそうである。
底なしの指輪はアイテムボックスのようなものと解釈した。
目標のものにかざして合言葉を言えばそれが収納できる。どんな大きさでもいくらでも収納可能。収納したものは収納した時の状態をキープして保管される。
やはり魔力を使うが、こちらはそんなに消費するわけではないようだ。
これは便利に使えそうだ。
「一通り読んだけど、あとは影の書ということか。」
忍はふぅとため息をつき、石棺を見つめた。
副葬品扱いということは、残りのアイテムはあの中なのだろう。
しかし、あの中にはおそらく魔王の死体も入っている。
こんな感じだからミイラとかかもしれない。
開けたくねぇ。
そこまで考えてハッとした。
この部屋に扉もなにもない時点で、忍に選択肢など無いはずだ。
それでも自分は小さいことを考えて手を止めようとしている。
「逃げグセが付いてるな、気をつけないと。」
そうつぶやくと忍は石棺の蓋に手をかけ、一気に前にずらした。
勢いに任せて開いた棺の中には、シンプルな装飾の黒いマント、水色の宝石の付いた指輪、黄色い宝石の付いた指輪。
そして大判の絵本のような大きさの影の王という分厚い本が入っていた。
「死体は入ってなかったけど、指輪が一個多いな。これ、指二本分くらい余裕で入りそうだ。」
やはり魔王アーガイルは巨体だったのだろう。持ち上げてみた指輪は一口せんべいくらいの大きさだった。
試しに人差し指を入れてみるが、当然スカスカに…。
ひゅっ。
人差し指を入れてみた途端に、バネのように作られていた指輪の金属部が縮み指にジャストフィットした。
形状記憶合金みたいな動きに忍は心臓が口から飛び出るような思いに駆られた。
おそるおそる外そうとすると指輪は外れて元の大きさに戻った。
「し、心臓に悪いぞ。使えるかもしれないからふたつともつけておこう。」
ついでにマントも着てみる。
発動さえしなければ普通の魔法のマントのはずだ。
これも首を通したら自動的にフィットした。
フード付きで体全体をすっぽり覆えるので、多少怪しくはあったがすぐに気に入った。
「これはいいな。 前は服を探すのも一苦労だったからな。」
わざわざ服を買いに遠くのビッグサイズの店に行ったものだ。
そう考えるとこれを手に入れられたことはものすごくラッキーかも知れない。
この世界で自分の着られる服がないかもしれないからだ。
「ははは、さて、取り掛かりますか。」
忍は意を決して最後の一つ、分厚くて大きい本を読みはじめる。タイトルは影の書だ。
内容は魔王アーガイルの日記を兼ねた魔術研究メモのようだった。
びっしりと書かれた内容に集中し、流し読みをしながらなにか使えそうな情報を探す。
神経を使う作業だ。何も見つからなければこの王墓が自分自身の墓になってしまう。
酸欠か餓死かはわからないが、ここで死ぬならどう考えても苦しい死に様だろう。
女の子泣かせて、いやいやながら異世界に召喚されて、直後に苦しんで死ぬ。
そんな想像をしたとき、忍は何故か腹が立っていた。
学校、社会、地域、様々なところで嫌な思いをしてきた自分が神にまでストレスを与えられてひどい目にあっている。
生きて出られたとしても魔王を倒さなきゃならないときた。
ここの歴史を見ればわかる、それはおそらく人殺しだ。
成功しても失敗しても本当に人を殺すことになる。
今までも殺してやりたいやつはいたし、実際に殺す夢を見たこともある、それでもなんとか理性を総動員して実行しなかった。
それをやれというのだ、これからはそういう覚悟で臨まなきゃならない。
ああ、外に出られたら好きなところに行って好きなものを食べよう。
八つ当たりに盗賊から金を巻き上げて、ドラゴンをまたいで通るのだ。
「まあ、どのくらい私が強いかによるか。期待しないでおこう。」
影の書の三分の一くらいまでざっと目を通したころ、忍のお腹が鳴った。
喉も乾いてきた気がするが、ここにはなにもない。
ダイエットをしてみたときの経験で一日二日くらいなら食べないでも活動に支障がないのは知っていたが、水がないのは問題だった。
「……底なしの指輪。」
なにか入っているかもしれない、目をつぶって指輪に意識を集中する。
黄色の指輪の方に集中すると頭の中に指輪の中身が浮かんできた。
囚われの女魔将軍。ご主人様とにゃんだふるライフ。寂しがりのサキュバス……大人な娯楽書籍がかなり入っている。
「……すまない、魔王アーガイル、本当にすまない……!」
覗いてはいけなかった魔王のコレクションをかき分け、水を入手した。
この世界でも男は男であった。
異世界召喚された男性はハードディスクは処理したいらしいですよね。