港町・ポールマーク
山の近くまでは数日で順調に移動できたが、山から吹く風が強く、歩くのがつらくなってきた。
平地は草が枯れているので随分と走りやすくなっていたが、その分遮蔽がなく気温の低さに風の強さが追加されて、ものすごく寒い。
時々吹く突風でマントがバタバタとはためく。
忍は必死でマントを押さえて影を作った。
「千影!」
『忍様、申し訳ありません。なにかありませんか。』
こんな時もほとんど千影は声の調子が変わらない。
忍は指輪から空樽を取り出した。
「入れるか?!白雷、そっち押さえてくれ!」
「プオォ!」
『ありがとうございます。なんとかなりそうです。』
空樽の蓋の隙間から、千影はシュルシュルと中に入っていった。
蓋を固定して、ロープを巻こうとしたその時、再びの突風が吹く。
「樽が!」
「プォ!?」
ごろんごろんと千影を入れた樽が転がっていく。
素早く反応した白雷が追いついて、事なきを得た。
『忍様、白雷、申し訳ありません。千影はお荷物です。』
千影がへこみはじめてしまった。
「大丈夫だ!ちょっと待ってろ、ロープ巻くから!」
風に悩まされつつ、忍たちの行軍は続く。
やっとついた山の麓は広葉樹の森だったらしく、葉の落ちた木がまばらに並んでいた。
たまに針葉樹があるがその数は少なく、風は和らいで歩きやすい雰囲気だった。
ズボッ。
やっと楽になったと意気揚々と歩いていると忍は腰近くまで落ち葉に沈み込んでいた。
「まさか自分が落とし穴にハマるとは。」
「プオオォォォ!」
『白雷、もう少しです、がんばってください。』
白雷に引っ張り出してもらって、ここは一日で順調に通り過ぎることができた。
山中に入り数日、千影の烏に上空から案内してもらっていることもあり、魔物との遭遇もなく進んできていた。
『レッサーフェンリルの群れがいます。今夜は食事を抜いたほうがいいかと。』
「つらい。街についたら買うものに火を通さず食べれる保存食も追加だ。」
「プオォォ……。」
『迂回、する。』
「時間が掛かるがしかたないな。まあ、雪道にいかないでいいだけマシか。」
道なき道を行く状態なので雪道もなにもないのだが、千影の選択するルートには雪はなかった。
「ルートも気遣ってくれてありがとうな、千影。」
『忍様のお役に立つことができて光栄です。』
山の夜は気温が低い、テントを立てるよりもちょっとした斜面のへこみを見つけて焚き火をするほうが暖かかった。
まあ、一番暖かかったのは白雷だったのだが。
白雷に少し大きくなってもらい、抱きまくらにして寝るのが忍のお気に入りになった。
小さな村がいくつか点在していたが、寄らずに先を急ぎ、平地を越え、山を越え、森を越え、二週間ほどの旅になったが、ついに忍たちは、人の生活する国にたどり着いたのであった。
「この距離が二日って白雷はヤバイな。」
忍が乗った時、白雷は普通に動き出したが、早すぎて一分とたたずに振り落とされてしまったのだった。
その時点でも最高速にはまだまだだったようだが、どれだけスピードが出るのだろうか。
「早く買い物済ませて迎えに行ってやらないと。」
忍はカーゴパンツの足についたポケットに金貨二枚と銀貨十枚をを小分けにして入れた。
ついでに金貨を一枚づつ、靴の中に隠す。
「コミケを思い出すな。」
貨幣価値や物価がいまいちよくわからないが、宿の平均金額は一晩に銀貨一枚とあったのでこれだけあれば細かい買い物なら終わらせられるだろう。
銅貨もあるらしいし、十枚づつで次の硬貨になるとして、五万円くらいの感覚でいこう。
底なしの指輪はドムドムが驚いていたくらいなのだから見られたくない。
こうした慎重さが、オタクの命を救うのだ。
「あの関所みたいなところに並べばいいのか?」
ズラリと並んだ人と荷車を見つけて忍は小走りにかけていくのであった。
「通行料は銅貨二十枚。手形と一週間の滞在許可つきっと。」
お釣りが小銀貨九枚と大銅貨八枚ときた、硬貨には大小があるらしく、忍が持っていた銀貨は大きい方、つまり小銀貨十枚分であった。普通は銅貨、銀貨、金貨というと小さい方のことを指すらしい。
「大小はわからないけど、金貨一枚って大金なのでは…?」
さらに、この金貨とは別にネレウスの金貨もある。
今の忍は宝くじが当たるのよりも金を持っているのではないだろうか。
絶対に悟られてはいけない。
変なところで冷や汗が止まらなくなる忍であった。
門を入ると石畳の下り坂になっており、棚田のような階段状の町並みが広がっていた。
坂には上は家屋から段々と商店、倉庫と並んでいき大体のエリアが分かれていた。
海には大小の帆船が出入りしている。
港町・ポールマーク、アサリンド共和国の玄関口に忍は立っていた。
深呼吸をすると砂浜と同じ潮の匂いがした。
ドムドムの弟、バンバンが経営する武器屋は倉庫街の奥まった場所にひっそりと建っていた。
「……バンバンさんって日本人じゃないよな。」
薄暗い裏路地で武器屋・バンバン・ババババ・ババババンは営業をしているようだった。
ギィィィ…。
「こんにちはー。」
気味の悪い音を立てて、建付けの悪い扉が開く。
店内は薄暗く、武器や防具は無造作においてあった、錆びたりはしていないものの、埃を被っているものも多い。
奥に続く扉はある誰も出ては来ない。声をかけたものの忍は拍子抜けしてしまっていた。
「開店の表示も出てる、扉が開いてるってことは、人が居ないってわけないしなぁ。すみませーん!」
奥の扉に向かって忍は声を張り上げた。
「うるっせぇんじゃゴラアァァァ!!!!!」
店が揺れた。
ドカドカとした足音、奥から赤ら顔の土の民が出てきた。
懐かしい怒鳴り声。
忍は不意に涙を流していた。
「あぁん?!怒鳴られたぐらいで泣くならとっととけぇれ!!」
「すみません、あの、バンバンさんでよろしいですか?ドムドムの弟の。」
「あぁん?」
忍は涙をこらえながらドムドムの訃報をバンバンに伝えようとしたが泣き崩れてしまった。
バンバンが椅子をすすめてくれて、少し時間を貰って落ち着いたところでこれまでの経緯を伝えた。
砂浜に流れ着いてから工芸や剣の相手をしてもらったこと、一緒に家を建てたこと。
ここで忍の頭の中にピロン、という電子音のような音が響いた。
ドムドムと忍が戦った相手は国王である。
これをそのまま伝えてしまえばドムドムも忍もガスト王国に狙われる身になってしまう。
ドムドムの最後のことは、漂流してきた奴隷船の海賊と勇敢に戦ってやられたと伝えた。
いまのが、【第六感】なのかもしれない。効果音ついてたし。
「わかった。とりあえずもう泣くな、話はそれだけか?」
「あ、はい。あとは、武器をいくつか見せてもらおうと思っていたのですが。」
素人の忍から見てもバンバンの武器屋は良い品物が揃っているとは思えなかった。
埃を被った武器、歪んだ籠手、へこみのある鎧、アサリンドでも指折りの武器屋だと聞いていたが、これは流石に酷い。
しかし、ドムドムが身内びいきするとも思えない、どういうことだろうか。
「なるほど。オメェいい度胸してんな。ドムドムからはなんて聞いてる?」
がっかりが顔に出ていたのだろうか、バンバンがそんなことを聞いてくる。
「アサリンドでも指折りの武器屋と聞いています。なにか事情でもあるんですか?」
「事情、か。なんでそう思った?」
「ドムドムが身内贔屓するとも思えないので。」
忍がそう言うと、バンバンは店の奥に引っ込み、ほどなくして三本の剣を持ってきた。
「オメェ、もし買うならどの剣を買う?」
唐突に質問される。
剣はすべて同じ作りだが、右の剣は持ち手と剣身がかっちり合っていないようで少し振るとカチャカチャと音がした。
真ん中の剣は光に当てると刃の反射がおかしい、反射の変わるところの刃が潰れているのかもしれない。
左のものはよく見ると剣の刃から中心にかけての山が歪んでいた。
「どうしても買うなら真ん中だと思います。でも、研ぎ直しですね。剣は歪まず真っ直ぐがいいって聞いたので。」
剣は歪まず真っ直ぐがいい、いつだったか、剣の相手をしてくれたドムドムが言っていた。
それを聞いたバンバンは渋い顔をする。
「まー及第点だな。わかってはいるみてぇだし。正解はどれも買うなだ!この剣は量産品だがどれも作りがひでぇ!こんなもん使うやつはすぐ死ぬ、うちでは相手にしねぇのさ。」
なるほど、試されたということだろうか。
ドムドムに出会っていなかったら目利きなんてできなかっただろう。
「俺は特注で武器作っとる。扱えるやつにしか武器は作らん!オメェはギリギリだ!きちんと武器の扱いを覚えろ!」
「わ、わかりました。色々ご指導お願いします。」
「ドムドムが世話になったんだったな!最初の一本はタダにしてやる!どんな武器を使うんだ?!」
「それなんですが、……触らないでくださいね。」
忍は後ろを向き、服の中から出すふりをして指輪からソウルブレイカーを取り出した。
ひと目見た瞬間にバンバンの目の色が変わる。
「……こんな禍々しいもん、触れねぇよ。兄ちゃんなにもんだ?」
「そこはまあ、この刀のことも内密に。同じような形で普段使いできる刀をお願いしたいんです。」
「……たしかにこりゃ刀に近いな。おりゃあ剣は打てるが刀は打てねぇ。同じような寸法の剣なら二週間くれぇでできるぞ。」
おどろいた、バンバンは刀を知っているらしい。
その後、バンバンにどういう使い方をするか、どう戦うかを聞かれた。
忍は覚えた型など簡単に動いて説明をした。
そのうち刀の話も聞いてみたいが、今日は他にも行きたいところがある。
「お願いします。あとは野営道具とかなんですが、そういう物は置いてないんですよね。」
「武器以外はねぇな。仕方ねぇ、乗りかかった船だ。街で信用できる店を教えてやる。買いたいものを教えろ。」
バンバンは口が悪いが面倒見がよかった。
流石はドムドムの弟だと忍はまた少し嬉しく感じたのであった。
「なにか素材は持ってっか?魔石やら珍しい金属やら使えば剣が強くならぁ!」
忍は少し考えて、懐から取り出すふりをしてレッサーフェンリルのリーダーの魔石を取り出した。
「……おめぇ、さっきの刀といいやべぇもんがポンポン出てくんな。なんだこりゃ、火に関係あるか?」
「火を使うレッサーフェンリルの魔石です。」
「……がっはっはっはっは!わかった、男に二言はねぇ!タダで一本作ってやる!こいつは使っていいんだな!!」
「は、はい、お願いします。」
「滅多にお目にかかれねぇ最高の素材だ、腕がなるぜぇ、間違いなく名剣にしてやるよ。」
バンバンの目が座っていた、どうやら何かを刺激してしまったようだ。
忍はそっと信用できる店のリストをいただくと、ブツブツ独り言を言うバンバンの店を後にした。
「大きい肩掛けバッグ、財布代わりの革袋、麻袋、水袋、ロープ、テント、布、寝袋、包丁・・・」
忍はまず宿屋を決めた。
バンバンに教えてもらった宿屋は素泊まりで銅貨四十枚、朝食をつけるならプラス銅貨二十枚という価格だった、予定より随分と安いので助かる。
そして、地図にマーキングをしながら店を回り、買ったものを肩掛けバッグに詰めていく、いっぱいになったら宿屋に帰り、部屋で指輪に収納する。
これを繰り返して忍は大量の物資を指輪に詰めていった。
忍の予想通り金貨はかなりの価格らしく、どのお店でも使われているところを見なかったので忍は大銀貨を崩しながら買い物をした。
それでも店によっては一瞬驚かれていたが、最初は仕方ないので我慢である。
そして忍はついに念願のあれを手に入れた。
「鍋!しかも片手鍋も大鍋もある!ああ、これで食事がまた華やかに……。」
しかし価格は忍には少し謎であった。
高いと踏んでいたテントの価格は銀貨五枚程度、ナタや包丁も同じ価格だった。
日用品で最も高価だったのは大鍋で銀貨七枚、鉄製品だからだろうか。
革袋は小さいものなら銅貨五枚から大きいものは銀貨一枚くらいまで、しかし毛皮などは見当たらなかった。
これを基準にすると香辛料の価格はものすごく高い、銀貨三枚でビン一本分くらいしか買えないのだ。忍は味の分からない物にそこまでのお金は出せなかった。
ショーの実の乾燥皮も同じくらい高いのだろうか、ここには売っていないので値段が分からなかった。
そしてクッキーはなんと一袋で銅貨五枚である。何も考えず十袋買った。
あとでレッサーフェンリルの毛皮を売ったときの利益で判断しよう。甘いもの美味しいなぁ。
そして忍は最後に最もよくわからないお店に出向く。
魔法屋・火の民カジャの店。
ここはすべてが未知数である。
資金は大銀貨数枚と銅貨、そして金貨を一枚ポケットに忍ばせている。
忍はバンバンの紹介を信じて、未知のお店の門をくぐるのであった。
「いらっしゃい。」
扉を開けると真っ赤な髪と白髪の混ざった短髪の老婆が声をかけてきた。
メガネをかけてカウンターに頬杖を付きながら何かを紙に書いているようだ。
「こんにちは、ほしいものが」
「止まりな。」
店に一歩はいると老婆がぎょろりとこっちを見て言った。忍はロボットのようにピタリと止まる。
「底なしの指輪をつけて店に入ってくるなんて、あんた、泥棒かい?」
「め、滅相もない!すみません、初めて入ったものでして。」
忍は指輪を二つとも外してポケットに入れる。
「ほ、他に外さなきゃマズいものってありますかね?」
「……ま、そんなもん持ってる客なんぞ、うちに来たことがないからね。火の民ってのは魔法を使えないと馬鹿どもは吹いているもんさ。」
「な、なるほど?」
「そんな火の民の店に、アーティファクトをつけたお坊ちゃんが何の用かね?」
なんだかものすごく敵意を向けられている気がする。
「バンバンさんに教えてもらいまして、ここの店がいい、と。」
「おや?随分と妙な名前が出てきたもんだ。あの偏屈な土の民と坊っちゃんは知り合いかい?」
「はい、少々縁がありまして。あの、指輪のことは本当に知らなかったんです。申し訳ありません。」
忍はそう言って頭を下げた。
老婆はため息をつくと、忍に対して正面を向いた。
「はぁ、あたしが虐めてるみたいじゃないか。かしこまらなくていい、あたしはカジャ、魔術師だよ。探しものはなんだい?」
カジャは魔術師と名乗った、これはもしかして当たりかもしれない。
アイテム以外にも欲しい物を忍は聞いてみることにした。
「精霊の壺と従魔につける目印と、精神魔術と従魔術を勉強できる本はありますか?」
「あんた、バンバンの客じゃなきゃ蹴り出してるとこだよ?なんだいそりゃ。誘拐犯にでもなるのかい?」
たしかに、ラインナップがなんかやばいやつだ。
「いえ、あのですね、この指輪のことも合わせてワケアリなので、他言無用でお願いしたいんですが。」
「舐めんじゃないよ、これでも少しは名の通った魔術師さ。魔術師なんてのはワケアリじゃないほうが珍しい。秘密は守る、話せる範囲で話してみな。」
忍は白魔である白雷との意思疎通がしたくて精神魔術を習得したいこと、精霊の壺に闇の精霊である千影を入れておけば街に連れてこれるんじゃないかということを話した。
話が進むたびに、カジャの顔が真剣になっていく。
「あんた、それが本当ならあたしがどうこう言えるようなレベルじゃないよ。精霊との直接契約ってのは死ぬやつも多い危険な魔術だ、従魔に至っては白魔なんて伝説の魔物なんだよ。ホラを吹くにしても、もう少しマシにできるもんさね。」
「いや、ホラじゃないんですよ、これが。信じてもらえないですかね?」
カジャは何かを考えるように眉間にシワを寄せ、椅子から立ち上がった。
「来な。」
カジャは奥の扉を開けて忍を部屋に案内した。
通された部屋には忍の身長くらいの燭台が二つあるだけだったが、床には円が描かれていて魔法陣の外枠のようであった。
「この部屋は客に魔術を見せるためにつくったんだが、魔術を求めてこの店に来たやつはほとんどいない。使っていない部屋さ。壊しても問題ない。」
「なにか、魔術を?」
「坊っちゃんが使うのさ。精霊と契約してるんだろう、ここに呼び出してみな。」
なるほど、そういえば千影は呼び出せるんだった。
だけどそうするとこの部屋は明るい気がする。
「燭台の火を消してもいいですか?」
カジャが右手を振ると風もないのに燭台の火が消えて部屋が真っ暗になった。
はじめてやってみるが、うまくできるのだろうか。
忍は目を閉じて集中し、自分の精霊の名を呼んだ。
「千影、ここに来い。」
床から少しずつ、千影の気配が濃くなっていく。
はじめて呼び出したときのように、真っ黒い水が染み出してきているような気がした。
しばらくすると、いつもの気配がこの部屋にいる。
『忍様、千影はここに。』
「おぉ、ほんとにできた。すまんな、来てもらって。カジャさんこれでいいですか?」
振り向くとカジャはいつの間にか腰を抜かしていた。
真っ暗な部屋の中で心臓でも止まりそうなほど驚いた顔をしているのが忍にははっきりと見えた。
「千影、マント入って!カジャさん?!カジャさん?!」
忍がいそいで燭台に火をつけると、カジャはすごい顔をして気絶をしていた。
仕方なく忍は底なしの指輪から枕を出して、カジャが起きるまで介抱するのだった。
カジャはしばらくすると目を覚ました。
助かった、お客が来たらどうしようかと思っていたのだ。
「坊っちゃん、今のは夢かい?」
「あーいえ、呼び出しちゃったのでここにいます、ダメそうならちょっと別のとこにいてもらいますけど。」
「現実かい。全くとんだ珍客だね。雑貨屋のネミルがお大尽が来たって知らせに来るもんだからどこのぼんぼんかと侮っちまった。歳かねぇ。」
なるほど、だから坊っちゃんなんて呼ばれているのか。
必要なこととはいえ派手にお金を使いすぎた。
「お金に関してはまあ、それもいろいろありまして。とりあえずこれで信じていただけましたか?」
「信じたよ。いや、信じられないが。あんたのマントから漏れてる気配が証明してるさね。うおぁ!すまなんだ!」
「え?」
唐突にカジャが謝りはじめた。
『忍様を疑うとは、この不届き者はいかがいたしますか。』
「千影、何もしない。っていうか今なにか言ったのか?」
『はい、忍様を疑うなど、万死に値しますので。』
「カジャさん、千影が失礼をしたようですみません!」
千影の声はみんなに聞こえるようにも特定の人物にだけ聞こえるようにもできるのは知っていた。
しかし、千影と喋ってるときの自分はこんな風に見えるのだろうか。予想以上に危ないやつに見える、気をつけよう。
「あー、坊っちゃん名前は?」
「天原忍といいます。忍と呼んでください。」
「忍、すまなかったね。お探しのものは精霊の壺と従魔の証でよかったかい。まあ、その様子では壺はいらんが、持っていないと変に怪しまれることもあるか。精霊の壺は金貨一枚、従魔の証は銀貨三枚、従魔に合わせて着けられるように加工するよ。核の魔石を持っていって従魔を呼んでここまで連れてきな。あと、指輪はつけときな。あんたが襲ってきたらあたしゃ死ぬし、盗まれてもどうにもならんでな。無造作にそんなとこに入れといてなくされたらかなわん。」
「盗みませんよ!でも、それならさっそく行ってきます。」
忍はお金を払い、精霊の壺と魔石を受け取った。
その足で街の外に出て大急ぎで白雷を呼びに行くのであった。
精霊の壺は透明な宝石のついた壺で、千影が入ると宝石の色が黒くなった。
大きさは意外に小さく、二十センチくらいの高さでフラスコのような形状になっており、底の裏側には魔法陣が描いてあった。
蓋を外しておけば千影がいつでも出入りでき、昼間でも壺の中は快適なようだ。
白雷の従魔の証は角につけることになった。
こちらはある程度既製のものがあるらしく、加工もすぐに終わって白雷の角には黄色い水滴型の宝石がかけられた。これも精霊の壺と同じく白雷につけたときに透明から色が変わった。
「忍、壺も証もこの宝石のとこにあんたの魔力を送ってみな。それで加工は完了。主人以外のやつが宝石を触ると宝石の色が赤に変わっちまうのさ。」
カジャが白雷の宝石や壺に触ると色が赤くなった。
なるほど、盗難防止にもなるというわけか。
「残りの話だがね、精神魔術はあたしにゃわからん。しかし、従魔術なら多少心得がある。白雷の頭に手をおいてみな。」
忍はカジャに言われたとおりに手をおいてみた。
いつもの触り心地のいい、白雷の毛並みだ。
「その状態で白雷に口に出さずに命令をしてみな。」
口に出さずに、考えろってことだろうか。
忍は白雷がカジャの頭の上で旋回しているのを想像した。
「プオオオォォォ……。」
白雷は忍の手を離れるとカジャの頭の上をぐるぐる飛び出した。
「おお、通じた!」
「筋が良いね、次は頭に手をおいて、声を聞かせろと命じるのさ。」
忍は言われたとおりに白雷の頭に手を置く。
でも、声を聞かせろってなんか違うな。そうだ。
『話そう、白雷。』
『忍、白雷、話す。』
「?!」
忍の頭の中に低く落ち着いた女性の声が響く。
「も、もういっかい。」
『白雷、何してほしい?』
『ナデナデ。』
「おおおぉぉ!!カジャさんすごい!できた!」
忍は白雷のお腹と背中を撫でてあげた。
「毎日練習していけばある程度離れていても意思の疎通ができるようになるはずさ。どのくらいの距離で喋れるかは魔力と相性次第。これは魔術じゃなくて従魔ならみんなできるようになる、後はコツだけさね。」
「よし、練習しような白雷。」
「プオオォォ!」
「しかし、白雷か。本当に真っ白なんだねぇ。何の白魔なんだい?」
「ストームユニコーンというやつらしいですね。」
「……忍、あれは人が従魔にできるような魔物じゃない。しかも白魔とは。本当に何者だい。」
「ははは。」
ある意味、自分でも何者かわからないとは言えず、忍はカジャに曖昧な笑いで返すのだった。
店を出るともう日が沈みかけていた。
夕食を食べるのにバンバンにすすめられた珊瑚の休日亭に行くと、すすめた張本人がすでに酒盛りをしていた。
「おぉ、おめぇおせぇぞ!やっと来たかぁ!」
「バンバンさん、もう出来上がっちゃってますね。」
バンバンはビールジョッキを持っているのだが、匂いからして中身はウィスキーではないだろうか、しかもストレート。
忍はそのまま席に座らされるとバンバンが勝手に酒を注文した。
「いや、飲めないんですよ。ほんと飲めないんですよ。」
「うるっせぇ!飲んでみりゃ飲めるんだよ!!」
忍は肩をガッチリとホールドされて逃げられない。
そこに手のひらサイズの白雷がマントの下からスルスルと出てきた。
そしてバンバンの頬に自慢の角をプスリとひと刺しした。
「いってぇ!なんだぁこいつぁ!」
「白雷、ありがとう。この子は私の従魔ですよ。バンバンさん強引だから敵と勘違いされたんですよ。」
「おぉん、やるかぁちびすけぇ!」
バンバンがファイティングポーズを取る、白雷もちょっとやる気になっている。まずい。
「白雷、バンバンさんは悪い人じゃないからやらないように。バンバンさんも一杯おごりますから勘弁してあげてください。」
忍は自分のところに運ばれてきた酒をバンバンに押しつけた。
「おーう。そうかぁ。ちびすけ!勝負は預けといてやる!」
そう言うとバンバンは酒を一気に飲み干した。
どうやら誰の酒でも気にしないようだ、酔っていて気がついてないのかもしれないが。
「なんだい、もう出来上がってるじゃないか。」
後ろから声をかけてきたのはさっき別れたカジャであった。
「忍、珊瑚の休日亭はここらの店主がよくあつまる店なのさ。あたしのおすすめはナミバガイの酒蒸しと、今日のおまかせ漁師焼きさね。」
「じゃあ、両方もらいましょう。」
こうして忍は久々のプロの料理に舌鼓を打ち、大満足で部屋に帰ったのであった。
次の日、忍は朝からカジャの店に訪れていた。
昨夜の食事の際、魔法や魔術関係の情報の交換をしないかと持ちかけられたのだ。
「よく来たね。この店は客なんて来ない、安心して話せるよ。おや、白雷はいないのかい。」
「カジャさんはそういうのわかるんですね。」
白雷は沖に良い雲ができたらしく、朝から食事をしに行っている。
しかし、マントの下に隠れていることも多いのでいないと断じるのは少し違和感があった。
「そうさね、じゃあそこらへん含めて話そうか。闇の精霊の誤解もといとかんと、あたしはソレの相手は御免だからね。」
誘ったのはこっちだからとカジャはそこらへんの話というのをはじめた。
まず、現在の人類の間では個人で精霊を使役するということがかなり珍しいことらしい。
連れていればそれだけで有能な魔法使いとして見られるし、そこで言えば精霊の種類は関係がないというのだ。
闇でも風でも炎でも、精霊を連れているだけでそれなりの畏怖の対象になるという。
「その昔、魔術が一般的に使われていた時代というのがあったらしい、そんな時代ならいざしらず、現在では珍しい魔術を使える事自体がそれだけで食っていける理由になるのさ。」
そして、魔術が廃れていった理由として魔術を発動できるほどの魔力を持った人類が少なくなったというのが挙げられた。
同時に、魔力を見抜く技術などは廃れていき、それなりの魔法使いでなければ自分以外の魔力を感じることは難しくなっているという。
「ただし、冒険者や狩人、騎士などの魔物と戦うことを生活の一部にしている者たちは魔力を見抜けたり、気配を勘で察知することができるやつがいる。あたしは勘のほうさ。」
なるほど、達人が伏兵を見抜いたりする感じだろうか。
時代劇の殿様は背中から斬りかかられても絶対斬られないのを思い出した。
「こんなとこかね。次はおまえさんの番だ。」
「それなんですが、何の話をしたらいいのかちょっと判断がつかなくてですね。知っている魔術を教えるとかでいいんですかね?」
「……忍、なんとなく気がついてたが、あんたバカかい?」
カジャは眉根をしかめて、まるで珍獣を見るような目で忍を見ていた。
「世間知らずのお坊ちゃん。魔術師にとって自分の魔術は財産なうえに切り札さ。そう簡単に他人に教えるもんじゃない。コツとか、使い方とか、伝説とかの話が妥当さね。」
「伝説?」
「魔術師の伝説には魔術を使うヒントが隠されていることがある、中には魔術自体の使い方さえ隠れてることもあるのさ。」
なるほど、あの壁画の話の中にもそういう物があるかもしれないな、考えてみるか。
「では、私の尊敬する魔術師、船幽霊のネレウスの話はどうでしょうか。」
忍はネレウスとアーガイルの伝説を中心に話して聞かせた。
カジャは現在の魔術師、魔法使いの常識や魔法屋の商品のこと、ちょっとした魔法のコツなどを教えてくれた。
「忍、なんでそんな伝説ばかりを知ってるんだい?まさか嘘じゃないだろうね。」
「カジャさんに嘘つけるくらいなら、坊っちゃんなんて呼ばれてませんよ。」
長話になったので途中で竹茶を沸かして振る舞ったのだが、カジャは気に入ったらしく、忍はお礼にと竹の節一本分の茶葉をわたした。
忍が帰る頃にはカジャと忍はかなり打ち解けることができた。
そのまま珊瑚の休日亭で四方山話の延長戦になり、去り際にカジャが教えてくれた。
「忍、吟遊詩人を見つけたら話をよーく聞いときな。あたしが若いときゃ役に立つことが何度もあった、覚えとくことさね。」
カジャの忠告に忍は素直に耳を貸すことにした。
ちなみに白雷は翌朝くらいに帰ってきた、もうちょっと早く帰ってくるように言い聞かせた後、抱きまくらにして二度寝した。




