酔狂のエミリー
焔羅が街の中へ入ろうとしたとき門番はすでにおらず、街の中では衛視や冒険者が狂血病患者と戦っていた。
患者が何人くらいいるのかはわからないが、街全体で明かりが動き回っているのはわかる。
火事も起きているようで住宅街はかなり焦げ臭かった。
焔羅は夜闇に紛れながら進み冒険者ギルドで狂血病の情報を共有した。
外部の冒険者がいたことで治療ができる魔術師がおり、待合室は野戦病院のようだ。
バンバンの店にも立ち寄る、万が一でもあれば忍の頼んだ武器が完成しない。
とっくに店は閉まっている時間だが入口は開いたままだった。
店の奥からは熱気が漂ってきている。
「おっさん、生きてるか?」
入口のドアに中から閂をかけて奥に声をかけてみるが返事はない。
人の気配がある、赫狼牙を抜いて受付の奥の扉を開いた。
中を覗いてみると、真剣な表情で溶鉱炉に向かっているバンバンがいた。
「おい、おっさん。いるなら返事しろよ。」
……まさかの完全無視。
「おいコラおっさんなんかいえやゴラァ!!」
思わず後ろから手が出そうになるもバンバンは微動だにせず、炉の前ということもあり焔羅も自重した。
部屋の隅に寄りかかってバンバンの仕事ぶりを観察するがどうやら本当にこちらの声が聞こえていないようだ。
一心に炉の中の金属を観察しており熱の当たる顔は真っ赤になっている、時々悩む様子を見せながらながら独り言を呟いていた。
そのうち炉の中の火がバンバンの顔を焼きそうなほどに大きくなってきた。
バンバンの眼がギラリと光った気がした、素早く炉の中に入っていた器を取り上げる。
中に入っていた銀色の金属はどろどろに溶けていたが、金属自体が淡い光を放っていた。
素早く、慎重に。
型に流し込んだところで、バンバンは額の汗を拭った。
「綺麗なもんだな。」
「こいつが純ミスリルの輝きってやつよ。何度も魔力炉が暴走してぶっ壊れかけたがこれでやっと……っていつからいやがった?!俺を殺しに来たのか?!」
「なわけねえだろがボケ!殺す気だったらあの世に百回は送ってるわ!」
焔羅は今度こそバンバンの頭を叩いたのだが、その頭は汗でベチョベチョで湯気が立ち上るほど熱かった。
バンバンはそれもそうかと頭が冷えた様子だったので、焔羅は手を拭きながら把握してる限りで外で何が起こっているかを話す。
溶鉱炉に集中しすぎていて外の状況など何一つ気づいてはいなかったようだ。
「悪いがここは大丈夫だ……おい、なんでお前がそれ持ってんだよ。」
「あ?」
「とぼけんじゃねえぇ!なんで赫狼牙を持ってるって聞いてんだぁ!まさか忍を殺ったんじゃねえだろうなああぁぁ!」
唐突な大声に焔羅は耳をふさいだ。
バンバンは肩を怒りで震わせながら金槌を手に取るが、最初から嫌われていることを知っている焔羅は冷静だ。
「言うと思ったぜ。信じられねえかもしれねえがこいつはお頭に預かったもんだ。みんなを守ってくれってな。」
バンバンの目が点になった。
「……いや、そうか、そういうことか。坊っちゃんのやりそうなこった。」
少しの間の後に呟いたバンバンはどこか納得行った様子で赫狼牙をじっと見ていた。
「なんだよ。」
「そいつを貸せ。刃こぼれしたまんま持って帰っただろ、応急処置してやる。」
「……どういう風の吹き回しだ?」
「いいから渡せ。変なことするようなら俺を殺しゃいいだろうが。」
さっきと言ってることが違うが、バンバンは早くしろと手で合図してくる。
焔羅は訝しがりながらも赫狼牙を渡した。
バンバンは慣れた手つきで赫狼牙をいじり、しばらくして処置は完了した。
「これでしばらくは大丈夫なはずだ。忍なら気にならないだろうがお前は気にするだろうよ。」
「……勝手に随分と研いだじゃねえか。」
「忍は切れ味より耐久性が重要だったからな。お前は耐久性より切れ味だろ。」
「おい、こいつはお頭の剣だぜ。」
「今、使うのはお前だろうが。仕事の邪魔だ。とっとと失せろ。こんなとこで油売ってる暇があったら街で戦ってこい。」
店から追い出そうとするバンバンに焔羅も素直に従う。
「忍が帰ってきたら連れてこい。文句言うようならぶっちめてやる。」
「おいおい、おっさんもきちんと閂」
バタン!
途中で扉が閉められてしまった。
焔羅は扉に閂がかけてあるかどうかだけ確認して頭をポリポリとかいた。
「ま、こんなもんか。」
もしも感染していたら仕事なんてできないだろうし、明日には鬼謀がある程度の薬を確保してくれるだろう。
焔羅は赫狼牙をもう一度鞘から抜いて確かめる。
研ぎ直された剣身はなにか細工をされているわけではない、これのどこが応急処置なのかという見事な仕上がりだ。
「さて、今夜は明るすぎる。遠目でもわかっちまうぜ。」
路地の片隅で患者が冒険者の亡骸を貪っていた。
焔羅は音もなく駆け出すと、食事に夢中で無防備なその首に赫狼牙を振り下ろす。
首は抵抗なく切り落とされ、命が一つ終わる。
焔羅はそのまま速度を緩めずに夜の街を駆け抜けるのだった。
ネイルと山吹が避難キャンプに着いた時、すでに大きな被害が出ていた。
動き回っている患者は五人ほどだったが、戦えるものがおらずしっかりした家でもない場所は捕食者にとって格好の餌場と化していた。
ネイルは勢いそのまま近くの男の首を飛ばし、二人目も食事に夢中になっているところで頭を潰した。
三人目に躍りかかろうとした時、その男と目が合う。
「ジェー…さん。」
ネイルも炊き出しを手伝っているので調理係のジェーとは面識がある。
血まみれの男、知り合いの変わり果てた姿にネイルの動きが止まる。
「があああぁぁぁ!!!」
ネイルに気がついたジェーが躍りかかろうとした刹那、その首が宙を舞う。
「止まるな馬鹿者!」
追いついた山吹の【ウィンドカッター】であった。
山吹はものすごい足音を立てているにも関わらずその速さは狂血病患者に引けを取らない。
手に持った赤い杖を振り回すと残りの二人が爆発四散した。
「ネイルよ、戦場で迷っていては命がいくつあっても足りないゆえ。」
「す、すみませんコン。」
「……警戒はしておく、祈ってやれ。」
「ありがとうございますコン。」
ネイルはその場に跪くと祈りを唱える。
祭壇なしの簡単な祈りではあるが、時間を作ってくれた山吹に感謝した。
「運命の女神、フォールンの名のもとに、哀れな魂に安らぎと導きを。」
覚えた一節は旅の中で何度も唱えてきたものだったが、一人で唱えるのははじめてだったからかもしれない、ネイルはジェーのために一生懸命に祈った。
そこに無遠慮に近づいてくる気配に山吹は声を掛ける。
「祈りが終わるまで待つという考えはなかったか?」
「神に祈ったって助けてなんてくれないよ。」
「なるほど、主殿が慎みというものに拘る理由がわかった。」
振り返ったネイルが息を呑む、いつの間にかメアリーが近くまで歩いてきていた。
その後ろには二人の豊満な美女が付き従っている。
同じような露出の激しい衣装だが虚ろな目をして幽霊のような青白い肌をしていた。
「ネイルよ、後ろで見ておけ。」
「で、でも三人いますコン!」
「違う、三人しかいないゆえ。我らを倒せる自信があるのだろう。もしくは、三人しか残っていないか。」
それにこのエミリーという女の気配と魔力は独特だ。
すでに何かを仕掛けてきているか、よほど特殊な力を持っているかだろう。
「へえ、魔物の胸なしのくせに頭がいいわね。それなら二人で戦ったほうがよくない?」
「ここまで近づかれて気づけないようでは少々荷が重いゆえ、それに戦いはネイルの仕事ではない。そこらに転がっている生き残りもいるかもしれないであろう。」
「辛口ねー。」
ネイルは山吹の言葉にハッとして後ろに下がった。
けが人の介抱はメイドの仕事の一つだ、それなりに鋭敏な耳も鼻もある。
白雷や鬼謀には及ばないものの使えないというほどでもない、ネイルは後ろに飛び退ると神経を集中する。
「あらら、振られちゃった。ま、それならそれで。」
「狙いはネイルか?」
「違うわよ、その子はついで。牛の子がほしいの。狂血病ってバレちゃったみたいだし時間切れだから直接きちゃった。」
厄介なことになった。
狂血病は間違いなくエミリーの仕業だとわかったが、ファロとネイルを狙われている上に後ろに控える二人には精神操作のような力が働いている。
エミリーは単独犯ではない、ニカを連れて行った仲間がいるはずなのだ。
精神操作がエミリー以外の力の可能性もある、少しでも情報を得たいところか。
「なぜ急ぐ?時間切れとはなんのことだ?」
エミリーは少し考えて合点がいったというように手を叩いた。
山吹の迷いをこの状況に対する怯えと勘違いしたのだ。
時間稼ぎも二つ名持ちの冒険者に対する反応としてはごく一般的なもの、嗜虐心を刺激されたエミリーは気分良くペラペラと喋りはじめる。
「あんたたち狂血病がどういう病気か知らないんだね。お姉さんが神様に会う前に教えてあげよっか。」
「人を魔物に変える病、ではないのか?」
「残念。狂血病は古の魔王が作り出した人を戦争の駒にする呪病なのよ!感染させた親に子である患者は絶対に逆らえない!意識のない完全な操り人形、死を恐れない駒になるのよ!」
恍惚とした表情で捲し立てるエミリーは月明かりに照らされて妖艶に笑う、その姿は山吹にとって言葉をかわすのも億劫になるほど醜悪で下劣なものにしか見えなかった。
「この子たちみたいに死ぬ前に支配してあげないと大半は変化に耐えられずに死んでいくわ。呪病と相性が良ければ新しい親として魔物になれるけれど、あの子は無理でしょうねー。だから早く連れてきなさい。あの豊満な胸を失うのは世界の損失よ。」
「断る。」
「うわ、即答?所詮は魔物ね。人のことなんてなんにもわかっちゃいない。」
ネイルは生き残りの捜索に集中できないでいた。
わざとらしく上っ面で驚くエミリーの話にずっと精神をかき乱されている。
ファロが死んでしまう、引き渡して生き残ったとしても一生エミリーの駒としていいように使われる。
心が折れそうになったネイルの耳にかすかな音が聞こえた。
ネイルは反射的に顔を上げる。
「なにか見つけたみたいね。じゃ、おしゃべりは終わり。」
エミリーの合図で後ろの二人が駆け出す、ネイルにはそれが見えていたが反応するだけの技量がなかった。
やられるという意識で体がこわばるが、敵から目は離さない。
戦闘の初歩だがそれを実践していたネイルは信じられないものを見た。
バン、と甲高い破裂音が響くと駆け出したはずの二人の女が宙を舞った。
正確には女の体が、だ。
二人は山吹の左右を駆け抜けようとしたが、山吹は片方の頭の前には杖をもう片方の頭の前には尻尾を進路を塞ぐように配置した。
二人は避けもせずに当たった、ただそれだけでほぼ同時に二人の美女は頭を吹き飛ばされたのだ。
山吹は動くどころか少し体を捻っただけである。
「ま、速かったぞ、人としては。」
山吹が問うとエミリーの顔がひきつった。
「【インクリ】【火球】!」
エミリーが特大の【ファイアボール】を放つ、中型の魔物ならば丸焦げで絶命し大型の魔物でも無事ではすまない強力な一撃、しかし山吹は仁王立ちをしたまま避けるどころか動く素振りすら見せない。
ゆったりと立ったままの山吹に【ファイアボール】が直撃した。
大爆発、衝撃でネイルも後ろに吹き飛ばされて転がってしまったが急いで体制を立て直す。
山吹は全く同じ格好で同じ場所に立っていた。
「ふむ、失敗したな。服が燃えてしまった。」
「熱より火となり炎に変われ、触れし全ては灰へと帰る!」
「気でも狂ったか?」
「育て育てよ赤から青に、青き炎はの至高の炎!立ちふさがりし愚かな敵を、塵も残さず冥」
「ふん。」
ゴガッ。
山吹が杖を振りかぶって地面に突き立てると大地が揺れ、エミリーの足元が崩れる。
バランスを崩したエイミーの詠唱は中断されてかろうじて受け身を取ったもののその顔が恐怖にゆがむ。
「長い。上級魔法は敵の目の前で使う技ではない。」
「……なんなのよ。あんたなんなのよ!」
「我は主殿の従魔ゆえ。魔物ではないお主にはわからんか。」
「ふざけるな!【火球】!【火球】!【火球】!【火球】!かきゅうううぅ!!」
状況に混乱したエミリーが両手でがむしゃらに【ファイアボール】を連発し、爆発に紛れてその場を離れようとした。
そんな爆発音をかき消すようにズドンという轟音が響く、山吹が地を蹴った音だ。
一瞬で間合いを詰めた山吹の杖が振り下ろされるとエミリーは原型を失い、あとに残ったのはトマトのように潰れた残骸だけだった。
「ネイル覚えておけ。いくら強化しようとも意識がない木偶は避けることができない、ゆえにああもあっさりと壊れたのだ。これならば操られていないほうが幾分か厄介だった。強き力を持ったとて過信は禁物と心得よ。お主ならばあんなのよりもよっぽど強くなるゆえ。」
「覚えておきますコン。」
山吹の髪留めが壊れてさらりと髪が広がる、それだけで血なまぐさい戦場というのを忘れてしまうような幻想的な光景。
ネイルは山吹のようになりたいと密かに憧れた。
「ああああぁぁ?!主殿にいいぃもらったあああぁ!!髪留めがああああぁぁぁあぁ!!!!腕輪も従魔の証も壊れたああぁぁぁぁ!!!」
突然叫びだす山吹にネイルは現実に引き戻された気がして、生き残りを助けるために動き出した。
湯着を羽織った山吹と救助活動をしている間に空は白み始めていた。




