泥の龍
真夜中のこむらがえりののち風呂に入って温まったり焚き火を起こして足をもんだりとなんとか体を騙そうとしていると山吹が拠点に現れる時間になってしまった。
「おはようございます。ご所望の小船を調達してきました。」
「おはよう。朝早くからすまないな。」
「む、随分お疲れの様子、朝方までお楽しみでしたか?」
「おいコラ。」
もはや返す気力もわかない。
すぐにローブ姿のシーラが顔を出した、少しでも寝ておくように言ったがやっぱり起きてたな。
山吹が持ってきた小船は公園の池によくある二人乗りのボートを木製にしたようなものだった。
全員では乗れなそうだが贅沢は言っていられない。
「ニカがかなり骨を折ったようで、帰ったら褒めてやってください。」
「わかった。山吹もよくやってくれた。」
「とんでもない、主殿の命ならいつでも何なりと。」
山吹は何やら喋りながらシーラとともに従魔車にピッカ草を積みあげる。
焔羅や鬼謀とも簡単に挨拶を交わすと親指を立てて爽やかに帰っていった。
従魔車を見送ったシーラが何かを抱えて忍の下へ歩いてくる。
「ご主人様、差し入れだそうですウオ。」
「……なあ、山吹がこういう事するのは私が悪いのか。」
「それは私には……ただ、すぐに仕舞ったほうがいいですウオ。」
山吹が持って来たのは鎖付きの手かせ足かせ首輪の囚人セット、かなりしっかりしていて重い。
即刻指輪に仕舞った。
何に使うのか全く見当がつかない、つかないぞ。うん。
とにかく疲労と痛みとイラつきでものすごく辛かったので探索は昼からにした。
なぜだかわからないが涙が出そうだ、こういうときは寝るに限る。
迅速に対応した忍の努力も虚しく鬼謀の耳により囚人セットの存在は察知されていたのだが、本人は知る由もない。
湿地帯の中央は小さな池のような場所がいくつかあり、やちまなこ、身長より深い落とし穴のような水たまりも存在する。
合間を縫ってピッカ草を収集するのはよっぽど湿原に慣れたベテランだけだ、行方不明者たちがズチャ湿地帯に慣れた者たちであることから本命の場所でもある。
やちまなこ対策に全員にロープと竹竿を配る。
ロープはやちまなこにハマった際に引き上げられるように、竹竿は地面について歩くことで穴を見つけやすくなるようにだ。
この対策が有効かはわからないが、異論は出なかったのでこの作戦で行くことになった。
「割と、ハマるな。」
「いや、お頭が落ちすぎなんだよ。」
場所によっては地面が水の上に浮いているようなところもあり、忍の体重がこんなところで猛威を振るっていた。
歩くと落ちる、穴から這い出たら縁が崩れて落ちる、引っ張り出してもらった直後に別の穴に落ちる、一人だけすでにドロドロだ。
ちなみに鬼謀は最初から焔羅の頭に乗っている、露骨に目を合わせないようにしてくるのでおそらくこの結果を予想していたのだろう。
とにかく早く終わらせて帰りたい、忍はざっと泥を落とし池に船を浮かべた。
「俺は水の上歩けるからよ、お頭とシーラで使ってくれ。」
「いえ、ご主人様と焔羅さんで使ってくださいウオ。シーラは泳ぎますウオ。」
ちなみにすでに鬼謀は乗り込んでいるが兎の状態なので人数には含めていない。
水、水か。
「いや、そっちの船に乗るのは焔羅とシーラだ。ちょっと先に行ってはじめててくれ。」
「ああ?一人で穴に落ちるんじゃねえぞ。」
「ご主人様はどうするんですかウオ。」
「ははは、思いつきがあってね。千影、影分身もちょっと離れてて。」
『仰せのままに。』
忍はシーラたちを送り出すと十分に岸から離れるまで待った。
長い竹を取り出して、右手を池にかざしながらなんとなく魔法を打つ位置を調整する。
「【インクリ】【アイスウォール】、横!」
ダッパーン!
スケートでもできそうな分厚い氷が池に落ち、水面が波立った。
「うーん、浮いてるね。寒いけど何枚か重ねればいけそうか?」
威力も大きさも融通が利かないせいで魔法の応用はほとんどしてこなかったが、これなら出現位置の調整だけでいいのですぐにできる。
慎重に調整して割れないようにもう一枚厚手の【アイスウォール】を重ねた。
恐る恐る上に乗るとなんとか浮いているので、あとは溶け切る前に氷の真下に【アイスウォール】を重ねていけば浮力で上の氷と融合していくという寸法だ。
「船としてはむしろ大きすぎるけど、使えるね。もっと早く思いつきたかった。」
『流石は忍様です。』
「ははは。」
長竹を差し込んで進もうとするがなかなか難しい、一本目は泥に突き刺さって抜けずに池の障害物になった。
二本目を出してシーラたちに追いつくべく氷の塊を動かす、竹はたまに日用品や工芸品を作るのに使っているくらいなので山ほどあるのだ。
忍のやっていることを観察していた焔羅と鬼謀は緊張を解いた。
「……大人しかったな。それでも並の魔法使いじゃできねえけど。」
「すごい魔力でしたウオ。お二人はなぜあんなに警戒していたんですウオ?」
「お頭のことだ、地形とか変わりそうだろ。湿地帯が干上がるとか。」
「ご主人様はいきなりそんなことしませんウオ!」
最後の叫びだけしか聞こえていなかったが、シーラに擁護してもらったことだけはわかった。
「どんな事言われてるんだろ。」
『忍様が地形を変え、湿地帯を干上がらせると考えていたようです。』
「そんなわけ……いや、うん。」
確かにやるかもしれない。
忍はここまでの旅路で何度も大々的にぶっ放したことがあるので自覚しなければと思い直した。
深呼吸だ、暴発だけは阻止しないと、風呂、食事、マッサージ、楽しいことを考えろ。
こういうときはいつもなら白雷を抱いて寝るとよく眠れる、アニマルセラピーは偉大だ。
アニマルセラピー、売ってつけのがいるな。
「……鬼謀、こっちに来て。湿地帯を干上がらせたくない。」
船に追いついた忍の一言にその場が凍りついた。
鬼謀は震えながら忍のもとに歩き、なんだか死んだ目をして抱き上げられるのだった。
「……あの、冗談なんだ。」
「お気遣い痛み入りますウオ。」
『偉大なる王、警戒にかかるものはございません。』
「焔羅も普通に喋って!」
ふと思いついてしまったのだ、本当にやりそうと思われている台詞を言ったらどうなるだろうと。
シーラはやらないと言ってしてくれてたし、焔羅なら軽口の一つも返ってくるだろうかと。
実際はシーラが完全な従者モードに、焔羅などは一言も喋らなくなり念話で忠誠を誓い直された挙げ句に思い直すよう説得された。
空気が重い、重すぎる。
鬼謀はただただおとなしく忍に抱えられている。
撫でてる最中に異変に気付いたが、なんか固まっている。
鬼謀も体力がないから疲れているのだろうと少し揉んでやろうとしたらビクッと反応してじっとこちらを見上げてくるのでたぶん、怖がられている。
緊張感があるのはいいことだけど求めていたのと緊張の方向性が違う。
ちょうどシーラが船に顔を出したところで千影の烏が何かを見つけた。
『右側に行ったところの水中に大きな影がいます。』
「右!水中の影!」
「きゅ!」
忍の言葉にまっさきに鬼謀が反応する。
額の目が怪しく光り影に対して何かをしたようだが、人でも飲み込めそうな巨大な魚が水面から飛び上がった。
そこを逃さずほぼ同時に焔羅とシーラから魔法が放たれる。
闇の棘が目玉から頭を貫き、尖った氷柱が胴体に突き刺さった。
巨大な魚は水面に叩きつけられて白い腹を見せてぷかりと浮かんだ。
「うーわ。」
「岸まで運びますウオ。」
すっと魚のもとに泳いでいってロープを巻き付けるシーラと船を岸に向けた焔羅、また硬直してしまった鬼謀。
『偉大なる王、こちらの船にお乗りください。』
「だからそれやめて。悪かったよ。」
忍がボートに乗り込もうとしたとき、影分身の烏が大きな魚に体当たりをした。
びっくりしたシーラは魚から距離を取る。
大きな水しぶきが上がり、魚は水中から飛び出した柱のようなものに飲み込まれた。
柱はまっすぐに上空に伸びた後、ぐにゃりとうねって今度はシーラを飲み込もうとしていた。
忍は咄嗟に口のついた先端を狙って【ファイアボール】を放ち、当たったところの一部が飛び散った。
爆発の衝撃で狙いがずれたワームはシーラから少し横の水面に突っ込んだ。
大きすぎて一瞬理解が及ばなかった、こいつはファンタジーなどで言うところのワームだ。
「シーラ!早く戻れ!」
『忍様、精霊です!』
「【インクリ】【アイスウォール】!」
シーラを追っている水中の影の鼻先を狙って強化した氷の壁を出すが、ワームがぶつかるとベチャリと砕ける。
その間に焔羅がシーラを船に引っ張り上げることに成功した。
「焔羅たちはそのまま拠点まで急げ!千影、精霊はどこだ!」
『そのうねる泥が精霊です。』
「きゅ!」
鳴き声とともに忍の腕から頭まで駆け上がった鬼謀がさらに何かしたようだが、特にワームに変化はなかった。
忍が知っている精霊とはかけ離れた姿で言葉が通じるかもわからない。
「魔力系の攻撃は効くんだよな?!」
『はい。このうねる泥は上位精霊くらいの力があります。半端な攻撃では止まらないでしょう。』
選択肢は魔法か魔術、【ファイアボール】以上の威力のものとなると本当に地形が変わってしまう。
シーラたちが岸に上がれば忍も逃げられるのだが…。
「【マルチ】【アイスウォール】!」
池の中心近くで暴れているので波が忍の氷を段々と岸に押し流してくれている。
【アイスウォール】を五枚立ててみたが二枚ほどぶつかった後は進行方向を変えて避けたので猪突猛進というわけではないようだ。
胴体はどんどん長くなりのたうちながら加速する姿はさながら掛け軸などに描かれる龍のようだった。
ついにワームはシーラを諦めたのか進行方向を変えて忍の方に頭を向けた。
「岸に着きましたウオ!」
助かった、シーラの声が響いたのを合図に忍は右手に魔力を集めた。
手を波のようにひらひらと揺らし、突き出してから逆さにひねる。
「水を、回す。」
魔術は池の真ん中に大渦を作り出した。
龍の体が少しづつ崩れ、澄んでいた水が泥の色に変わっていく。
『旦那様!氷が渦に引っ張られてるよ!』
「わかってる!鬼謀、命令、私につかまって振り落とされるな!」
鬼謀は忍の長い髪をガッチリと掴んだ、ブチブチとかミリリとか頭皮と髪の毛の悲鳴が聞こえる。
忍は足元の氷が渦に巻き込まれるギリギリまで魔術で龍を足止めし、魔術の解除とともに次の詠唱をした。
「【マルチ】【インクリ】【ウォーターガッシュ】!!」
おなじみのジェット離脱である、岸が遠くて全開にしないと届きそうになかったため両手両足から同じ方向に水を噴射した。
引っ張られる髪の毛の痛みに顔をしかめつつなんとかぬかるんだ地面に着地したが、そのままの格好で少し滑って見事にやちまなこに突っ込んだ。
やらかしたと覚悟したとき、目の前にロープが投げ込まれたので必死で掴む。
一本釣りのように忍が宙を舞い、キャッチした焔羅に担がれてその場から逃げおおせたのだった。
池から離れた忍たちを精霊は追ってこなかった。
気絶していた訳では無いがなんとなく担がれるままに拠点に帰ってきた忍を焔羅は丁寧に下ろす。
『偉大なる王』
「それやめろ。もうめんどくさいし逆に不機嫌になるぞ。シーラもだ、普通に話してくれ。」
「……わかったよ、お頭。」
「申し訳ありませんウオ。」
「鬼謀、もう離していいぞ。……あ、命令解除。」
ぽてっと忍の頭から落ちてきた鬼謀は生きてはいるもののかなりつらそうだった。
空に吹っ飛んで泥に突っ込み、釣り上げられたうえに髪の毛に振り回されながら帰ってきたのだから仕方がない。
鬼謀の手に絡まって抜けてしまった大量の黒髪も仕方がない、仕方がないのだ。頭がめっちゃ痛い。
怪我はなさそうだが、か細い鳴き声をあげて息も絶え絶えである。
「こりゃ、命令がなかったら何処かに落としてきたな。お頭に感謝しろよ。」
「焔羅、その手……」
「逃げを打つときに命じたら契約を切られちまったよ。もう呼び出せねえな。」
焔羅の手袋がしぼんで中身がなくなっていた。
精霊は術師に無条件で従っているわけではないということを再認識させられる。
「それだけ強い精霊なんだろ。腕もがれたってことでギルドに値上げ交渉するか。」
「ナチュラルに詐欺しようとするな。不便なことがあったら言ってくれ、手伝うから。」
包帯を巻いて傷口を隠しながら焔羅は冗談を……いや、冗談じゃなかったようだ、不満そうに口を尖らす。
「お頭が心配することじゃねえよ。この状態でも問題ねえ。自分の腕じゃねえから一長一短あったしな。」
「いい義手とかないのか?」
「義手じゃ細かい動きができねえんだ。それに固いからな、お頭のモノを触るときに」
「そこは考慮に入れんでいい!」
鬱憤を晴らすかのように下ネタをぶちこんで来ないでいただきたい。
焔羅いわく、いちいち精霊に命じなければならない、言うことを聞かなかったり使えなくなる可能性があるなど精霊による義手は一長一短あるようだ。
一般的な義手や義足も魔法の世界にしては発達していない、そもそも欠損した状態で生きていけるほどこの世界は甘くないのかもしれない。
「千影、いつもありがとうな。」
『もったいなき御言葉。千影はいつでも忍様の仰せのままに。』
「シーラはすごかったな。いきなりの実戦であれだけ出来るのはすごいよ。魚を仕留めてたし、精霊が出てきたときも慌てず指示に従ってくれたでしょ。」
「水辺だったからうまくいきましたウオ。お役に立てましたウオ?」
ネイルもファロも戦うことになってみると何かしらの問題が起きていたが、シーラはしっかりと対応できていた。
魔法もきちんと当てていたし狩りに連れて行っても活躍できそうな腕前だ。
『忍様、あの精霊は池の周辺に踏み込んでくる者に怒っていたようでした。近づかなければ襲われることもないかと。』
「シーラを食べようとして襲ってきたんじゃないのか。あの池にはもう近づきたくないし、池を迂回するかそのまま帰って報告して終わりにしてしまうかだな。千影がいれば表面的な異変はわかるし、水に潜るのもやめておこう。」
「倒さないのかよ。あれはお頭じゃないと無理だぜ。」
「ピッカ草は湿地全体で取れるんだからあの池を避ければいい話だ。デストもそうだけど避けられる戦いなら避ければいいんじゃないか?それとも地形を変えてみるか?」
手を失っているのにまだ好戦的な焔羅に釘を刺す。
そういえば鬼謀との将棋で深追いして負けている場面もあったな。
「お頭、本当に怒ってないか?」
「怒ってない。事実だしな。困ったら地形を変えると言うことにしただけだ。」
「頼むからやめてくれ。洒落にならない。」
「わかったわかった。とにかく休みたい。」
もう風呂を沸かす気力もわかず、簡単に体を清めてかまくらの中で横になる。
怒ってないとはいいつつ焔羅に頭を下げさせたので少しだけ溜飲が下がった忍だった。
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