四人の貴族と忍
屋敷から出てきた使用人たちは武器を持っていた。
それでも中型の魔物の群れと対等に渡り合えるほどの猛者はいなかったのだろう。
当然だ、彼らが想定しているのは侵入者などとの対人戦闘や魔法を打たれたときに盾になることなのだ、野生の獣と渡り合うような訓練を積んでいるわけではないのだ。
それでも戦ったというところが彼らが優秀だという証明でもあるのだが、いかんせん今回は犠牲が大きすぎる。
「おかしいですね。人が少なすぎる。」
「なんか、パーティの最中に随伴者がいなくなったみたいよ。食堂でも騒いでいる人がいたわ。」
「ヒラサカの館の尻尾を掴みきれなかったツケが回ってきたということか。はぁっ!」
リベラルがパドルトカゲの首の後ろに剣を突き立てると、パドルトカゲは地に伏せ動かなくなった。
グラの解毒をするために土魔法を使った魔法使いを探していた四人は【ランドレイジ】の棘の周りまでやってきていた。
この周辺には魔物がウロウロしている、どうやら棘の伸びている範囲に沿って歩き回っているようだ。
「なんか、いい匂いしない?」
「火の魔法か?いや、匂いが良すぎる。」
「にお、い。ごほっごほっ!」
グラが指さした匂いの発生源は棘の森の中だ、なんとか合流するために棘に沿って隠れながら移動し道を探す。
不意に飛んでいる人影が現れた、それは串刺しにされた魔物を回収しているようだ。
その姿を視認したリベラルは苦い顔をした、所属不明の手練れ、あれに借りを作っていいものか。
いや、グラは一刻を争う、ここは迷うところではない。
「ポンシャス殿、彼女を呼び止められるか?」
「わかったわ。」
ポンシャスの口についたヒゲのようなタコ足が蠢くと彼女がこちらを向いた、念話で事情を説明するとこちらにゆっくりと降りてくる。
地面に足がついた瞬間、彼女の姿が掻き消えた。
誰ひとり動けなかったその瞬間にパスカルの袖口が切り裂かれていた。
カランと落ちた鉄板のようなものには魔術を発動する文様が描かれている。
「注意するのをお忘れのようですね。」
鉄板を拾いながらリベラルに話しかけた女の気配はこの距離でも希薄だ。
リベラルは背筋を伝う汗を感じていた、袖口を切り裂かれたパスカルも同じようなものだろう。
「ご主人様に話をしてまいります。出会い頭に魔術を放つようなことはご遠慮願います。パスカル様には、その手癖を治すことを強くおすすめいたします。」
そう言って仮面の女は棘の森の奥へ飛んでいってしまった。
「パスカル殿……?」
「……………申し訳ありません。つい。」
完全に彼女が去ってしまってからやっと動きだしたパスカルによれば、手拍子で袖口を触ったところを見咎められたようだ。
パスカルも含めこの場の四人はいずれも当主やそれに近い実力を持ったものだ、その誰もが反応できない相手がいるなど認めたくはない。
認めたくはないが、認めざるを得ない。
リベラルが言った、国としてミスフォーチュンを、忍を、あの使用人を敵に回すのは愚策だと。
スコン、ズズン。スコン、スコン、ズズズン。スコン、ズズン。
四人が隠れているとしばらくして遠くからリズミカルな音が聞こえてきた、どうやら岩の棘を倒しながらこちらに向かってきているようだ。
どうやってやっているのかはわからない、土の魔法の初級に岩を砂に変える魔法があるが魔法は気軽にポンポン打てるものではないし、音がぜんぜん違う。
スコン、ズズン。
「解毒が必要な人はどこですか?!」
随伴者を伴い白銀のショートソードで岩を切って登場した男、忍は挨拶を飛ばしていきなり声を上げた。
岩が倒れる音とその大声で周りの魔物がこちらに気づく、ポンシャスは正直、息を潜めていたのになんてことをしてくれたんだと思った。
忍は走ってくる二匹のパドルトカゲに対して剣を向け叫ぶ。
「【マルチ】【インクリ】【ロックバイト】!」
岩の顎が二匹のトカゲの腹に食いついた、それだけで魔物は沈黙する。
「土の魔法はやっぱり威力がすごいな。発動は遅いけどトカゲなら当てられそう。」
「ブラックタイガーじゃなくてよかったですモー。」
「ほんとだよ、急ぎっていうから……。あ、すみません、誰が毒です?」
ポンシャスはグラを指さした、驚いて思考が追いつかない。
岩を切ってきたこともさることながらパドルトカゲに正確に当てた【ロックバイト】は達人技の領域である。
土の魔法は発動が遅くクセがあって当てづらいことで有名だ、たしかにパドルトカゲはブラックタイガーよりは遅い、しかし、獲物を襲う際のパドルトカゲは比べれば遅いというだけでボア系魔物の突進くらいの速度があるのだ。
仲間と連携して速度を落としてから当てるのが定石の魔法をいとも簡単に当てている。
しかも同時当て、【マルチ】は使用すると命中率が落ちるものだが、そんなことを感じさせない正確な魔法制御は魔術を得意とするポンシャスでも咄嗟にできるものではない。
「はい【リムーブポイズン】。災難でしたね。」
「ああ、助かった。彼女にもかけてやってくれないか。」
「はい。【マルチ】【グランドリジェネレーション】。」
無詠唱、たしかに魔法をかけてもらった感覚がある。
ん、おかしいおかしいおかしい。
「……【ランドレイジ】使ったのは、誰?」
「え、私ですよ。」
ケロッとした調子で答えた忍にポンシャスは頭痛を覚えた。
上級魔法使いのほとんどは上級魔法を一度行使するだけで魔力がほとんど枯渇する。
それが上級魔法の後に中級魔法をポンポンと、それでもまだ動き回って喋れる元気があるというのは、ありうるとすればかなり強い魔人の類だろうか。
むしろこの状況で魔術に詳しいはずのパスカルやリベラルが驚かないことにもすごく違和感があるのだ。
いや、さっきの女性を従えてる人物なら……伝説に歌われるくらいの実力者ということもありうる。
「大丈夫ですか?まだ調子悪かったりしますか?えーっと…?」
黙ってしまったポンシャスに忍は話しかけてみるが、ポンシャスは反応しない。
「ポンシャス・ポルポ様です。驚かれているだけのようですし、放っておいてもよろしいかと。」
焔羅のフォローに忍が困ったようにリベラルに顔を向けるとリベラルも首を縦に振った。
とりあえずその場でポンシャス以外とは自己紹介をして、お互いの情報をすり合わせることになった。
「つまるところ、結界についてや現状を打破する方法はまだよくわからないんですね。」
途中で復活したポンシャスも加えて貴族四人と情報を突き合わせてみたところ、黒幕がガスト王国とヒラサカの館だという見解は一致しているものの、結界がどうすれば解除できるとか、どの程度の戦力が残っているとか、魔物を討伐できそうかどうかなどの現状をどうにかするのに使えそうな情報はお互いに持ってはいなかった。
まだ遠くから戦闘音らしきものも聞こえるので生き残りがまだいるということくらいしか良い情報はない。
「結界はどうにか出来ないこともないかもしれないんですが……やらないほうがいいですよね。」
「そうだな。この数の魔物が市街に出てしまっては被害が拡大する。忍殿、このまま間引きを手伝っていただくことは可能か?」
「あー…」
「ご主人様、交渉はわたくしに任せていただけますか。」
焔羅が忍を制して前に出る。
手伝うのはやぶさかではないが他の貴族と出会った際にトラブルになるのはわかりきっていたので二つ返事というわけにはいかない。
忍が頷いたので焔羅とリベラル、パスカルは少し離れたところで条件の折衝をはじめた。
「忍…だったわね。貴方、何者?魔人かしら?」
「えー…一応、ノーマルのはずですね。」
手持ち無沙汰になったところでポンシャスが声をかけてきた。
タコの感情は体色に現れると聞いたことがあるがこの人にも有効なのだろうか。
兎状態の鬼謀のように表情が読めない、身内じゃないから何を喋ればいいのかわからない。
当然のように沈黙が流れる、気まずい。
「魔法はどこで習ったの?」
「独学…です。」
一問一答から再度の沈黙。
『ご主人様、大丈夫ですかモー?』
『大丈夫。だと思う。』
失礼なことはしてないはず、やらかしてたらファロが気づいてくれる。
忍の心持ちとは裏腹にポンシャスは忍を見つめて微動だにしない、口元のタコ足がウニウニしているくらいだ。
「長命、だったりするのかしら。」
「今年で32、くらい、ですね。」
三度目の沈黙が降りた時、ポンシャスの頭が真っ白になった。
そのまま青くなったり赤くなったり目まぐるしく色が変わる、まるでゲーミングなんちゃらだ。
なにかやらかしたのだろうか、服の背中がファロに引っ張られる。
マイペースなファロも流石にこんな状況ははじめてだろう、忍たちは揃って盛大に顔がひきつる。
「混乱、しているのだ。珍しい。」
忍たちの後ろから声がかかった、【グランドリジェネレーション】をかけたとはいえグラはずいぶん回復が早いようだ。
「解毒と回復魔法、感謝する。貴重な魔力を使わせてすまない。」
「ああ、大丈夫ですよ。困ったときはお互い様と言いますし。この感じだと肉食の魔物はもうここらにはいないでしょうから、まだ回復しきっていないでしょうからゆっくりしていてください。」
グラ相手にはスルスルと言葉が出てきた、妙な感じがしてふと考える。
そういえば、まともに礼を言われたのはひさびさかも知れない。
それで態度が変わるのは現金というかちょろい気がするが、他の貴族を相手にしたときの緊張感をグラ相手には感じなかった。
「我らの部族とポンシャスの部族は魔物と間違われることも多い。神殿で治療を断られる同胞もいると聞く。」
「なるほど。うちにも魔物だか人だかわからないのがいますし、そこら辺は気にしないんです。ポンシャス様のお顔の色には驚いてしまいましたけど。」
「いや、これは誰でも驚くだろう。」
ポンシャスはまだゲーミング状態で謝っても反応がない、頭が一杯になると周りが見えなくなるようだ。
話してみるとグラは貴族というものにあまりいい印象を持っていないようだった、モグギール家はどちらかといえば部族を守るために国に力を貸しているという印象だ。
ケンタの平原の近くの部族らしくケンタウルスのことにも詳しかった。
「父から聞いた話だが、ケンタウルスは国おこしの戦争の際に自分たちの土地を守るために戦いに参加しなかった。参加していれば我らと同じくこの国の貴族となっていただろう。彼らは優秀な戦士であり、良き隣人だ。それを魔物と断じたこの国には我らとしても思うところがあるのだ。」
話してみると意外と思慮深い人だった、疲れた中年サラリーマンとか考えたことを心のなかで土下座する。
大人には色々と事情がある、忍がどうしても馴染めなかった大人の世界だ。
そこで地位を守り、部族を守り、初対面の平民にもきちんとした対応をしてくれるグラに対して忍はかなり好感をもった。
「グラ様、このあとも戦うおつもりですか?」
「もちろんだ。この街には砂漠近くから避難してきているものもいる、貴族として放って置くわけには行かない。」
「じゃ、これ使えそうなら使ってください。」
ドスンという音とともに忍が出したのは無骨な六角形の金属棒だった。
太さは野球ボールほどで長さはグラの肩程度までありそうだ。
グラが触ってその重さに驚き気合を入れる、片手でも扱えそうだがかなり力を入れているようだ。
棒を振るたびブオンブオンと風を切る音がする、岩の棘に叩きつけると破片がかなり先まで飛んでいった。
「従魔車の車軸なんですけどね、魔法で強化されていますし、そこらの人が持ってる武器じゃ小さすぎるでしょう?」
「借りておこう。感謝する。」
鬼に金棒、金棒の形状はちょっと違うけれど安心感と威圧感が二割増しである。
「ご主人様、例の手紙をリベラル様に見せたいのですが、よろしいですか?」
焔羅に手紙を取り出して渡す、まだ向こうの交渉は続いていた。
空は晴天、こんなカラッとした日に災難に巻き込まれているのが腹立たしさ倍増だ。
なんだかんだ打ち解けてきたものの敵は待ってはくれない、不意に周りの音が増えた。
爆発音、戦闘音、悲鳴、怒号、人が減ってずいぶんと少なくなっていたそれらがいきなり戻ってきた。
外壁にほど近かったせいで忍はいち早くそれに気づいた、拾った石を壁の上に投げてみる、その石は壁の向こう側へ消えていった。
「結界が消えた?」
「ポンシャス!赤キャミーだ!」
後ろで声を上げたグラが金棒を振り回す、追いかけ回しているのは少し大きい赤毛のキャミーだった。
不自然に動きが止まり、そこをグラが叩き潰す。
ゴウッという音とともに潰されたキャミーから火柱が上がった。
「くっ、このままでは街が火の海になるぞ!」
気がつけば庭の至る所に赤い獣がチョロチョロ走っている。
かなりの数が逃げ回っており壁に張り付いたり木に登ったりしているのだ。
市街に出る前に食い止めることは難しいだろう。
『お頭、どうやらもう手遅れらしい。さっさと全員に連絡つけて逃げたほうがいいかもな。』
いつの間にか飛び上がっていた焔羅が壁の上から街を確認していた。
街はいたるところが破壊され、街道を魔物が闊歩している。
この日、シジミールはガストの謀略と従魔レース場で飼っていた多数の魔物によって壊滅したのだ。




