遠足と罰
湖の周りには一週間ほど滞在することになった。
毎日の治癒魔法により、傷は治ってゆき、心配していた跡などもなく完治していた。
「魔法、本当にすごいな。リハビリもいらないのか。」
左腕は怪我をする前とほとんど遜色なく動くようになっていた。
忍は眼鏡の小学生探偵が踊るようなパラパラを踊ってみたが、最後のキメポーズまで問題なく踊りきれた。
『忍様、それはどんな武道の練習でしょうか?』
「いや、なんでもない。気にしないで。」
千影の一言に忍は急に我にかえる。
ついでのようにまた嫌なあだ名を思い出すのであった。誰が踊る肉団子だ。
「……あれ?踊ったのに息切れしてない。」
体型は変わらないが、忍にも少しづつ体力がついてきているようだ。
忍はレッサーフェンリルとの死闘を演じた湖畔から出発し、ずっと音が聞こえていた滝の所まで来ていた。
遠目からでも滝のところが直線になっているのがわかっていたが、滝の上まで来て確信に変わった。
「ダムだ。」
土で汚れ、植物に絡みつかれていたが、いくつかある放水口からたっぷりと水を吐き出している。
詰まってしまっているところもあるようで、ダムの上のところからも水が溢れていた、そのおかげでこの湖の水量は保たれているのかもしれない。
「アーグの遺跡なのか。」
よく見ると魔法がかかっているようだ。
アーグ賢王国の遺跡のようなものは今まで影も形も見当たらなかったので、風化したり埋もれてしまっているものと考えていたのだが、こんなかたちで出会うことになろうとは。
「千影、扉とかは?」
『……中に入れそうなところはございません。それに、かなり埋まってしまっているようです。』
「これで埋まっているのか。」
大きすぎて時間経過で埋まりきらなかったということかもしれない。
「アーグ賢王国って、どのくらい前の国なんだろうな。」
『ここに国があったのは、一昔前かと。そうですね、人の時間では三千年ほどでしょうか。』
「はぁ?!」
ものすごい時間間隔である。
そういえばあったな、エルフにちょっと待っててって言われて五十年待ちぼうけ食らわされたって爺さんが居た小説。
まあ、爺さんになってもずっと冒険している冒険者が出てきた漫画もあったが。
『忍様、下に行けそうなところを見つけました。』
千影は烏を飛ばして周りを調べてくれている、しかも枝や木の実なども集めながらである。
闇の精霊、有能すぎて千影がこんなに恐縮してる意味が最近わからなくなってきた。
「ありがとう。先を急ぐか。」
『仰せのままに。』
目の前の大瀑布に感動しながら、千影の案内で先を急いだ。
出発してから三日、忍は特に何事もなく順調に海に向かっていた。
湖からの直線距離はゆっくり歩いて二日くらいであろうか。
しかし、負傷をした忍を心配した千影は魔物の居ないルートにこだわって案内をした。
湖から海までの間に忍が戦ったのはバンブーグリズリー一匹のみ、その理由も忍が竹を欲しがったからであった。
「おお、潮の香りがする。」
海が近づくにつれ、森というより草原のような地形が増えていった。
昼過ぎ頃、河口が近くなり視界がひらけると、大きく左右に広がる砂浜とヤシの木が見えた。
端の方にはゴツゴツとした岩が見える、まるでリゾート地のような海岸であった。
「おおお、コバルトブルーだ!」
人っ子一人いない南国の楽園のような景色がそこには広がっていた。
『忍様、木片や人の姿はありません。』
「わかった、岩場はどうなっている?」
『岩場の先は崖になっております。その先もしばらくは崖のようでした。河口を挟んで反対側は砂浜の端まで飛べませんでした。先の方で途切れていることは確認しました。』
千影の報告を聞きながら、忍は考えていた。
せっかくだから海の幸といきたいところだが、それ以前の問題でこの砂浜にはヤシと岩くらいしかない。
遮蔽のない砂浜は夜でも明るいだろうし、千影も快適じゃないかもしれない。
つまり、休める拠点のようなものが必要だ。
「川と岩場の中間にテントを作りたい。千影は丈夫なツルを集めてくれ。」
『承知いたしました。優先して集めます。』
ロープは潮風で痛む、魚とりに使っている分以外は貴重なので使いたくなかった。
忍は竹を二メートル半ほどに切りそろえ、八本ほど用意した。
砂浜のいい感じの位置に竹を刺して仮置きしていく。
「丸太とか落ちてないかな。」
『探しておきます。』
つぶやくと千影がすぐに動く。
ああ、ダメ人間になりそう。いや、元々ダメ人間なんだけど。
「八本を柱にできるだけ深く刺して、屋根は竹を割って面積稼いで……。」
ぶつぶつと呟きながら忍は二畳ほどの空間を仕切り、竹に体重をかけて深く刺す。
次に千影が持ってきてくれたツルを使い、割った竹を五本ずつ平らに縛って屋根を作っていった。
「海風が抜けるように、まわりは補強を最低限にして、こんなもんかな?」
出入り口以外の三面に三本づつの竹を補強に使って、忍式海の家一号が完成した。
「作ったけど、屋根、飛びそう。」
危機感を覚えた忍は砂浜から少し離れた地面に【グランドウォール】で防風壁を作り、壁の後ろにテントを立てるのであった。
翌日の忍は、魚とりの罠を岩場に仕掛けて砂浜を走っていた。
海には訪れたのでここから先は何かがおこらなければどうにもできない。
その間にボクシング漫画の下半身強化の方法を参考に鍛錬をしてみることにしたのだ。
朝の二往復の後は、短剣と剣の稽古、魔術の訓練をこなし、海で遊んで夕方に追加の二往復というメニューを立てた。
千影は海に潜ることはできなかった、水の中は完全に水の精霊の領域だからである。
よって、海の幸に関しては忍が自分自身で確保しなければならないのだ。
「マンガの半分以下なのに、一往復どころか海の家から岩場までも走りきれないとは、不覚。」
メニューというのは決めたら完遂しないとズルズルとやらなくなってしまうものである。 就職するために体重を半分以下に落としたことのある経験から忍にはわかっていた。
まあそんなことをしてもまともな就職は望めず、体重はニート中に元に戻ってしまったわけだが。
二時間をかけてヘロヘロになりながら砂浜を往復し、一度休んでから剣を振り出して、太陽はそろそろ頭の上を通り過ぎる時刻だった。
この疲れようでは二時位には走り出しておきたい、負けるものか。
一度も成していないやつと一度は成したやつの違いを見せてやるのだ。
果たして誰に見せてやるのかは分からなかったが、忍は燃えていた。
一日目は完遂したが、前途は多難であった。
忍がそんな地獄の特訓をはじめて一週間、砂浜マラソンを一本は走りきれるようになっていた、二往復なので四本のうちの一本だが。
千影は忍がそんなことをしている間、毎日薪や食料を集めてくれていた。
『忍様、この付近には山の中ほど薪や食料がありません。』
「そうか、ご苦労さま。そうすると、特に頼むことがないな。」
食料も薪も在庫に余裕はある、しばらくは大丈夫なのだが、頼むことがないと言うと。
不安そうに毎日聞いてくるのだ。
『忍様、何かありませんか?何なりとお申し付けください。』
本当にないものはないのだが、気持ちもわからん訳では無いし、ここで下手に捨てたりしないなどとといえば、不安や自己嫌悪を煽りかねない。
何か、千影に任せる仕事か、不安を取り除けるような方法はないか。
「……千影、空き時間にやろうとしていた仕事があるが、いま、無茶な鍛錬をしているせいでできそうにない。頼めるか?」
『もちろんでございます。何なりとお申し付けください。』
忍が千影に任せたのは塩作りであった。
鍋に海水を入れ、かき混ぜながら遠火でコトコトと煮詰めて水分を飛ばしていくものだ。
単純作業だが闇の精霊に明るいうちから火の番をさせるなんて正直ないなと考えていた。
「キツい作業だからできなかったら言え。無理はするな。」
『お任せください。ご期待に添えるよう尽力いたします。』
次の日から千影は毎日塩を作った。忍の心配をよそに、千影は楽しそうに仕事を全うしているようだった。
一ヶ月が経ち、忍はマラソンで二往復を走りきれるようになっていた。
次の目標はダッシュで二往復だろうか、砂浜を走る時間も二往復で一時間半まで縮んでいた。途中にある河口の部分の遠浅が砂地と水のコンボで倍くらいキツいのが攻略できない理由じゃなかろうか。
ここで忍にも予想外の事態が起きた。薪の在庫がなくなってきていたのである。
原因はもちろん忍が命じたアレであった。
「千影、塩作り、中止で。」
『忍様!千影はまた何か粗相を?!』
いつも通りの反応がコントのようで少しにやけてしまった、いかんいかん。
「いや、薪が足りない。明日は山の方の木のある場所に行く。千影も薪集めを手伝ってくれ。」
『承知いたしました、申し訳ございませんでした。』
「いや、千影は悪くない。」
忍としても塩作りを見てるのは良かったのだ。
何も考えず嘴に木の棒をくわえた烏が鍋をかき混ぜるのを見ているのは癒やしの時間であった。
ちなみに塩は竹に詰めて保存しているのだが、すでに二十本近くになっていた。
次の日から週一で手近な森まで走り、木を二本切るメニューが追加された。
そして海に来て三ヶ月がたった。
影の書はほとんど読み終わり、忍は先月から水の祈りに本格的に着手している。
一日四往復マラソンは成功するようになり、週一回の薪作りの合間に栗が取れるようになったころ。
「千影、明日から一週間ほど山に戻ろう。」
『よろしいのですか?』
「このままここで冬になるのは流石にまずい。」
忍も薄々感づいていたが、この地域には四季がある。
夏はあまり暑くはなかったので冬がどーんと寒いかもしれないのだ。
秋のうちに食料や薪などをかなり溜め込まなければ、マズい事態になる可能性があった。
「秋の味覚、逃せないのだ。」
『……承知いたしました。』
本音も建前もすべてが本音だった、忍は食欲に正直であった。
その晩は千影への魔力供給も目一杯やって、スッキリ眠って次の日の朝になった。
「では、本日より秋の遠足、食料回収行軍を行う!単独の魔物も積極的に狩っていく!」
『仰せのままに。』
かくして、テントを片付け、久々の旅支度を終わらせる。
テンションの上がった忍とあくまで平常の千影、デコボココンビの遠足がはじまったのである。
忍は大体の場所を決めると【トンネル】で掘った穴に千影を入れ、千影の近くで木を切っていくという作戦を考えた。千影が食料、自分が薪という分担である。
獲物がいなくなれば千影を拾って山側に移動、また千影をおいて木を切るというのを繰り返すのである。
ルートは湖を大回りして川の向こうの海岸に戻ってくるという流れだけは決めた。
森からまばらに木を伐採していく。
聞きかじりの知識ではあるが、林業にも間引きのような作業があるらしい。
小学校で種から朝顔を育てる時、数個の種を撒いて複数出た芽を一本になるまで減らしてしまうというのを教わったことがある。
当時この抜いてしまった芽が可愛そうだった覚えがあるが、それをしないと栄養が分散して両方ともだめになってしまうこともあるそうだ。
もちろん忍はプロではないのでどの木を切ればいいかはわからないのだが、そういうことを知っているとなんとなくでも役立てたいと考えてしまう。
育ちの悪いところの木を切りながら、千影の探索終了の合図を待った。
千影は忍が掘った穴の中から影分身に集中していた。
分かりづらいだけで、千影も今回の遠足を楽しみにしていたのだ。
海近くでは千影の役に立てることは少ない、それならばここで少しでも多くの食料や薪を集めようとしていた。
今回は獲物を運ぶ必要もあるので、影分身の姿は狼になっている。
数は百ほど、狩り尽くすなと命じられてはいるが、できるだけ成果を上げたい。
千影は中型以上の獲物に的を絞っていた、レッサーフェンリルは除外、アントラビットより小さい獲物もできれば除外、木の実は見つけたら拾う程度で、そうしてエリアを探索し終えたら忍に声をかけるのである。
『忍様、次へいきましょう。』
「了解、戦果を回収する。」
『忍様、ずっとその調子で行くのですか?』
「千影隊員、やる気と雰囲気は大事である!」
平原というか平地というか、湖に到達するまでの海側三分の一くらいは木が少なく草が多い。たまに雑木林や高台があるくらいで、中型以上の動物が少なかった。
忍はそういうものかと考えていたが、三日目の朝にその理由を知ることになる。
いつものようにテントから起き出し、千影におはようと話しかけ、テントの外に一歩踏み出そうとした、が。
「あ、ありのまま、今起こったことを話すぜ!いつも通り、河原の近くにテントを張って眠り、朝起きてみるとテントの目の前に川があった。」
遊んでいる場合ではない。
昨夜の焚き火は川からは数メートルは離れていたはずだったが、目の前の焚き火跡は水に濡れるほど川に近い。
増水だ、これはまずい。
「千影、川から離れるぞ!」
忍は急いでテントを回収して走りだした。
水はみるみるうちに増えていき、テントのあったところもすぐに川に飲まれてしまう。
『忍様、申し訳ございません!』
「話は後!」
こうして忍は起きぬけにダッシュをする羽目になったのである。
坂を見つけて一気に駆け上がった、砂浜であんなに走っていたのに、いざとなると動悸が止まらない。振り返ると川は先程よりも水位が上がっている。
それなりに高低差があるのでおそらく坂の上まで飲み込まれるということはないだろう。
「ちかげぇ、はぁ、どうしてぇ、こう、なった。」
砂浜であんなにダッシュできるようになったのに、唐突な坂ダッシュに忍の息は上がっていた。
『魔物の警戒に気を取られて、ご指摘を受けるまで全く気づいておりませんでした。』
「はー、ふー。分かった。次からは気をつけてくれ。」
千影はまだ謝り続けていたが、忍は気にせず山の上を確認していた。
黒い雲がかかっている、源流で雨が振り続けているなら川の増水がひどくなる可能性があった。
危機は脱していない、今のうちに少しでも川から離れたいところだ。
「千影、まだ休めないぞ。へこむのは安全になってからだ。周りの状況を見てくれ。」
改めて周りを見るとまばらに木の生えているところはほとんどが高台のようだ。
つまり、これからかなりの平地が川に飲まれるのだろう。
ダムがきちんと機能していれば多少はマシなのだろうが、三千年放置されている施設にそれを求めるのは高望みすぎるか。
忍たちのいる中・下流域では雨が降っていないだけマシではあるが、動物が平地に少ない理由がわかった気がした。
「仕方ない、このまま平地を大回りして海に帰るか。」
たとえ川が元に戻っても下手をすれば地すべりやらに巻き込まれかねない。
行ったことのないところを回ることにはなるが、神託のせいで海に帰らないわけにもいかない。
というか神託のときはいつ来るんだろうか。
仕方ないことなんだろうが、もうちょいなんとかならないのか運命の女神。
「あの海岸で、冬。」
掘っ立て小屋を立てるにしても、木やら竹やらツルやらが山ほどいる。
工具も釘もなにもないのにどう建てるかも考えなければならないかもしれない。
「思考が横にそれてるな。」
『……忍様、高台を移動する道が見つかりました。申し訳ありません、影分身が数体川に飲まれてしまいました。』
「ああ、気が付かなくてすまない、烏の姿がいいか?」
『ありがとうございます。』
狼の影分身は飛ぶことができない、忍は千影の影分身を解除して烏の姿で作り直した。
「よし、大丈夫なら、出発だ。」
『承知いたしました。』
かなり早い方とはいえ、忍のスピードは生き物のレベルだ。
氾濫などで水に追いかけられることになったら逃げ切るのは不可能だろう。
こんな時、千影の分身が運んでくれたらなどと、できないことを考えてしまう。
象の形を作った時、千影の影分身に乗ることを試みたことがある。
しかし、千影の影分身は獣を完璧に再現しているが、触ってみるとツルッとした感じなのである。
そんなもので掴めるところもなく、さらに手を押し込んでみると感触はウォーターベットのようなのだ。冷たいとか温かいとかは一切ないのも不思議だった。
もちろん忍は登るのに非常に苦労し、なんとか上に乗った直後、影が歩いただけで背中から滑り落ちた。
鞍や手綱があったとしても、滑り落ちるのは目に見えているのだ。
ないものねだりをしながら、千影の案内で高台を走る。
『ここまでくれば安心かと、水は忍様が最初に登った坂を超えて来てはおりません。』
「よし、では、薪と食料集めを再開する。今日はよっぽど良い条件じゃないと狩りはなし。」
『……仰せのままに。』
食料調達は順調に進んだ。
やはり川の氾濫の問題が大きいらしく、水の届いていないところは実りの秋にふさわしい豊作であった。
しかし、忍の気分は晴れなかった。
今夜は千影としっかり話をしなければと決めていたからだ。
今回の遠足は大成功だった。
底なしの指輪は制限なく物を詰め込むことが出来る、入れた物品はいつまでも入れたときのまま。
大食漢でそれなりの味を食べたい忍にとっては旬のものを保存していつでも食べられる夢のアイテムであった。
残り予定四日を残して薪も材木もかなりの量を確保しており、このままいけば冬に追加の塩作りをしても春まではもちそうな量になりそうだった。
まあ、手つかずの大自然なので木に関しては忍がいくら切っても大丈夫そうではあったのだが。
見通しも立ったところで、夜、テントの中にて。
千影は狼の影分身でおすわりをしていた。
忍がそうしろと命じたからである。
「さて、千影さん。」
『はい。』
「ある程度安全になったので、これから真面目な話をします。」
忍が敬語になった、影分身が一瞬ビクッとして姿勢を正す。
口調が変わっただけで空気が変わったことに千影も気がついている。
「千影さんの考える、罰とは、なんですか?」
千影はどんな罰でも受けるという言葉をたびたび口にしていた。
『日光のもとで強制的に奉仕活動をおこなったり、魔法を体に打ち込まれたり、でしょうか?』
「わかりました。千影さんはそう扱ってほしいのですか?」
『滅相もございません!』
そんな訳はない、酷い扱いを望むなど。
「私も千影さんにそんなことをしたいとは考えたことがないですし、やったらおそらく不快になるでしょう。千影さんは私に不快なことをして、傷つけてくださいと言っているんです、わかりますか?」
『申し訳ございません!そのようなつもりは微塵も……』
こうして説明されたとおりならなんてバカなことを求めていたのだろう。
千影は恥ずかしすぎて、今すぐ消えてしまいたい気持ちになった。
しかし、それだけはどうしようもないこともあった。
『忍様、言葉を重ねることをお許しください。それでは…それでは千影は今回の仕損じやこれまでの粗相をどう償えばよろしいのでしょうか。毎日のように強大な魔力をいただき、過分な待遇を受け続けている身でありながら無能を晒した千影を、千影はどうして許せるでしょうか…。』
「……話はわかりました、理解が追いついているかは不安ですが、確認をします。なぜ、千影さんは過分な待遇を受けていると考えたのですか?」
『…千影は、闇の精霊ですので。』
千影は知っている限りの闇の精霊とその扱いについてを説明した。
闇の精霊は夜に使役されるもの、暗殺者や犯罪者の精霊であり、精霊使いでもわざわざ連れ歩くものはいないこと、使い手が悪辣な場合などは罰と称して消滅させられることもあることなど知る限り、正直に話をした。
『闇の精霊は使い手の心一つで、殺されても文句の言えない精霊なのです。』
狼の影分身をさせたのは正解だった、千影の声は淡々としているが、狼の行動で感情がわかるからだ。
ここまでの話を聞いて千影の考えはかなり根深いものだと確信し、忍は慎重に言葉を選びながら話をはじめる。
「わかりました。説明しますね。魔力を与える、千影を大事にするというのは私としては当たり前のことで、過分とは考えていません。千影がきちんと万全の状態で動けることが私の利益にもなるからです。魔力も、すぐに回復するみたいですからね。」
忍はできるだけ、感情的なところを省き懇切丁寧に説明することに務める。
千影は闇の精霊である自分が大切にされているなんて微塵も考えていないからだ。
気づきかけていても信じられない、忍はその苦しさを知っている。
「千影さんが闇の精霊であるということについては私にはわからない常識が多々あります。この世界に来てまだ生きた人に会ったことさえない私が、それらに配慮することはできませんでした、申し訳ありません。そういうことを教えていただくのは助けになります。今後も教えて下さい。」
さて、次が問題だ。
おそらく千影は罰がないのが不安なのだろう。
失敗をしたら苛烈に責められるということが意識に定着してしまっているのだ。
これに関しては、付ける薬がない。
なんだか千影を見ていると、自分を見ているような錯覚を覚える。
千影は忍が諦めてしまったものを諦めずに行けるのだろうか。
忍はしばらく考えた後、こう切り出した。
「罰に関してですが、信賞必罰は世の常という言葉もあります。なにか考えましょう。命令です、千影さんがちょっと嫌なことを正直に教えて下さい。」
千影が今まで話したのは、おそらく耐えられない罰だ。想像だけでも怖いという類のものだろう。
そして忍は精霊というものを知らない、好き嫌い、生態、どんなものならちょうどいいのかさえよくわからない。
こんなところで命令をするのは不本意ではあったが、千影はなんだかんだで黙って済ましてしまうところがあるので、ここは心を鬼にする。
『忍様に黙ってじっと見つめられると、なにかしたんじゃないかと心苦しくなります。』
「ほかにはありますか?」
『忍様と別行動になると、置いていかれるのではないかと不安になります。』
「ほかにはありますか?」
『忍様に失敗や恥ずかしいところを見られたくないです。』
ああ、薄々感づいていたストーカー気質がここにはっきりと。
「私関連以外にはありますか?」
『………人に、姿を見られたくないです。』
あがらなくなってきたな、このくらいにしよう。
「では、いまの命令を今日の仕損じの罰とします。以上。」
『……忍様、寛大な処罰、ありがとうございました。』
「私は千影を頼りにしてるし、相棒と思ってる。明日からも頼むぞ、千影隊員!」
『忍様の、仰せのままに。』
影分身が嬉しそうに尻尾をブンブン振っていた。
忍は狼の首元をワシャワシャとやろうとしたが、さわり心地はツルツルぽよよんであった。
遠足はその後、滞りなく進み、竹、木材、肉、水、秋の味覚の数々も確保できた。
きのこが収穫できないのは痛かったが、栗が見つかったのはとても嬉しかった、栗はこの世界ではチックの実という名前で存在していた。
他には見た目が柿のようなものもあったのだが熟れているのに渋すぎてヤバかったりもした、干し柿の方法が分かれば食べられるのだろうか。
今回の一番の収穫は千影が取ってきた小さな木の実のようなものだった。
「これ、ムカゴじゃない?」
『カッツギーという植物だったかと。ツルが丈夫なので海に最初についた頃にも集めていました。』
千影の案内でどんなものかを見てみると高台の木などにツルが絡まっていた。
神々の耳飾りによると芋の部分はこぶし大だが、どうやら毒があるらしい。
地面に落ちる前の実の状態であれば食べられるらしく、塩ゆでにしたら実に美味しかった。
何よりもこのチックとカッツギーの味は、忍の追い求めた炭水化物なのである。
ああ、素晴らしきかな炭水化物。
忍は千影にカッツギーの実をツルとともにできるだけ集めるように指示を出したのであった。
六日目には氾濫も落ち着き、忍たちは一日早く砂浜まで戻ってきた。
「さて、海岸はどうなってる?」
砂浜は漂着物がいくつもあったが、見たところ川から流れてきた木々であった。
河口部分にも結構な数が流れ着いており、増水中は川幅が広がっていたことが確認できた。
川の水は相変わらず濁っている、その水が海に流れ出し、海の色は土のような茶色になっていた。
「やはり、忍式海の家一号はダメだったか。」
竹で作った骨組みは強い海風で折れてしまい、屋根はどこかに飛んでいってしまっていた。
またなにか考えなければならない。
【グランドウォール】はまだ残っていたので、忍は同じ位置にテントを立てた。
『忍様、川の向こうを見てきましたが、状況は同じようです。』
「ありがとう千影。ついでだから浜に打ち上げられた木材を集めてくれ。」
『しょ…わかりました、忍様。』
千影とは色々なことを喋るようになったが、プレッシャーを与えて話をしたことで、どうやら無理をして丁寧な言葉づかいをしようとしていることがわかった。
もう少し砕けた喋りでも問題ないと話したら、練習するのだそうだ。
「無理に変えなくてもいいからな。」
『もちろんでご…です。』
逆に変にならないか心配になってきた。
こうして海に帰ってきてから三日たったころ、事態が静かに動き出した。




