治癒魔法と影分身の霊獣
忍は幼い頃から太っていた。
学校でも地域でもあだ名を付けられてお腹を触られて、周りの人々は笑顔だった。
忍は角が立たないように笑顔を作り、ずっと嫌だといっていたが、誰一人としてやめてはくれなかった。
あるとき、一人のクラスメイトが忍をいつものようにからかった。忍の大きな体を笑いながらバチンと叩いてきた。
その時の忍は先に手を出された喧嘩だと考えた。
お互いに声を荒げると、そのうち誰かが先生を呼んできた、忍は先に叩かれたと自分の主張をしたがそのクラスメイトは黙っていた。
「わかった、スッキリするまで続きをやっていいぞ。」
先生はそう言った。
忍は情けなく声を上げてクラスメイトを一発殴った。
クラスメイトはただ黙っていた。
忍は二発目を繰り出せなかった。
スッキリなんてしなかったが、先生は忍とクラスメイトを無理やり握手させて解散を告げた。
次の日から、しばらく忍はハレモノだった。
周りの見ている忍がやったことは、勇気を出した反撃ではなく、癇癪を起こしての暴力だった。
家にかかってきた電話で母が謝っていた。その後、母は忍に言ってくれた。
「体が大きいんだから反撃しちゃえばいいのよ!怪我させちゃったら母ちゃんがいくらでも一緒に謝ってあげるから。」
普通なら心強い言葉なのだろう、しかし忍はこう考えた。
本気で反撃したら、何も悪くない母が頭を下げなくちゃいけなくなる、と。
振り絞ったなけなしの勇気は、自分の評価を下げ、母に迷惑をかけただけで、一ヶ月もすればまた元通り、忍は不名誉なあだ名を付けられてお腹を触られていた。
忍は考える、自分はどうすればうまくできたのかと。
答えは出ないだろう、ずっとこんなことの繰り返しなのだから。
『……様………忍様……忍様!忍様!』
「……や、ば、ッ!!!」
左の肩から先が全部ビリビリしている。
喋ろうとしたら電気が走り、体に力を入れたら一気に痛みが襲ってきた。
呼吸を整えて【グランドリジェネレーション】と念じる。
いたい、やばい、いたい、いろいろやばい。やばい。とにかくやばい。
忍の頭の中はやばいといたいでいっぱいになっていた。
さらに喋れないので千影とも意思疎通ができない。
ずっと賢明に呼びかけてくれているのだが、答えてられないのだ。
『忍様!意識が戻ったのですね!ああ、おいたわしや、千影には呼びかけることくらいしか……。』
仰向けに倒れているらしい、空には月が見える。
まだ夜明けまではしばらくありそうだが、動けるようになるだろうか?
「あ゛っっッ!!!」
風が吹いただけで痛い。
しかし、なんとか魔法は発動しているようだ。
くそ、なんか他にできること。
ダメ元だ、【ウォーターリジェネレーション】。
……重ねがけできてるかわからん!
忍は明け方近くまでうめき倒し、なんとか体を起こせるようになった。
「ち、かげ、だいじょぶ、なのか?」
『はい、忍様に投げていただいたショーの実のお陰で、相手の動きがかなり鈍りました。炎のダメージも大したことはございません!』
「わ、かった。行くぞ。」
のろのろと戦利品とその他もろもろを回収し、忍はレッサーフェンリルを落とした【トンネル】の穴まで引き返した。
「いない。」
今回の成果は普通のレッサーフェンリル一三匹に大きなレッサーフェンリル五匹、残りの千影が気絶させたやつらはすべて逃げてしまったらしい。
倒れた状態で残党に襲われなくてよかった。
忍は左肩から先が真っ赤に火傷し、ところどころ水ぶくれができていた。
大事に来ていたパーカーも焼けて左ノースリーブになってしまっていたが、宵闇のマントはさすが魔法がかかっているだけあって無傷だった。
『申し訳ございません。千影が遅れを取ったばかりに忍様にこんな大怪我を、どんな罰でも受ける所存でございます。何なりとお申し付けください。』
「まほう、は、よそう、できなッ!」
気を抜くとすぐ痛む。
『そういう個体がいるのは存じておりましたが、一つの群れに何匹もというのは千影も見たことがありません。魔法を使える群れの長の子供ではないかと。』
「運、わるかった、か。」
とりあえず死んではいないがこんなに痛いなら死んでても良かったかもしれない。
……こういう痛い死に方は御免だな。
忍の思考はバラバラに散らかっていたが、本人はいたって真面目であった。
忍は左腕を刺激しないよう静かに水辺から少し離れた野原のような場所を見つけると、直径三〇センチくらいの穴を下斜め方向に数メートル【トンネル】で開けた。
このときはもう朝日が昇り、千影はマントの影に入ってしまっている。
「ちかげ、これ、入れる?」
『仰せのままに。短い間でしたが、お世話になりました。』
まるで今生の別れのようなセリフを千影が淡々と言う。
「ちがう、じゅつ、ためす。」
【トンネル】は影を作るためだった、必要だったかは分からないが忍は必死だった。
魔法陣は空き時間に石に刻んでいた、痛みと疲労で息も絶え絶えなので問題は詠唱だろう。
【グランドウォール】を使って穴の周りに追加で濃い影を作る。
魔物に襲われたら、いまの忍ではひとたまりもないのだ。
できるだけ早くせねばならない。
ショーの実をナイフでごく少量削り、出来るだけ舌に触れないよう気をつけて飲み込む。
麻痺毒は言い換えれば麻酔だ、下手をすれば心臓が止まるような代物を素人が目分量で服用するなど馬鹿もいいところだ。
しかしこの状態で気絶する方がまずい、忍は舌が回っているうちに一気に詠唱をしようと考えた。
石を置き、影の書を開く。
姿を創造し、闇の精霊をその形に成形するイメージ。
「きぎとひとしくゆれるもの、けもののうしろをはしるもの。ひかりのもとでかたをなし、うつしおどれよやみのせい。」
石に描いた魔法陣が光る。発動は成功、問題は内容である。
そんなにそれぞれが長い文ではないはずなのに、一節一節を言い切るのがギリギリだった。
固唾をのんで見守っていると、千影がいるはずの穴の中から何かが這い出てきた。
『忍様、申し訳ございません。これは、動きづらいです。』
穴から出てきたのは真っ黒なアントラビットだった。
姿を作ることには成功したようだ。
「いくつ、つくれた?」
『わかりません、全部外に出します。』
ゆっくりと、生まれ落ちるように、黒いアントラビットが穴から出てくる。
全部で二三匹が【グランドウォール】の濃い影の中にひしめいていた。
「ひかり、ためして。」
『仰せのままに。』
日光との境界線を探るように、一匹の影が歩み出る。
千影の分身である小動物は、意を決したように一気に飛んだ。
『忍様!成功でございます!』
「しゅうい、まもって。わたしあ、ねぇう。」
忍は千影の日の光の克服を見届けると、再び【グランドリジェネレーション】を発動して、静かに体を横たえた。
麻痺毒が効いて呂律が回っていなかったが、痛みが薄くなった分ゆっくり眠れそうだった。
次に目を覚ましたのは、日暮れまでもう少しくらいの時間だった。
「千影、いるか?」
痛みは随分とマシになっていた。
左腕は赤みがかっていたところが随分と肌色近くに戻っていたが、直接牙が入っていたところは肉が焼けて真っ白になっている、これは跡が残るかもしれない。
慎重に左手を動かしてみる、死ぬほど痛いが曲がらないとかはなさそうだ。骨は大丈夫だと思いたい。
『忍様、おはようございます。お加減はいかがでしょうか?』
「直接噛まれたところ以外は治りそうだ。そっちはどうだ、動きづらいと言っていたが。」
『はい、それなのですが。』
ぴょんぴょんと黒いアントラビットが集まってくる、しかしその数は妙に少なかった。
「一、二、三……六匹しかいないのか?」
『実は警戒をしようと全部を日の下に出したところ、ほとんどははじけるように消えてしまいました。申し訳ございません。』
数匹残っているということは、おそらく原因は魔術がうまくかけられなかったことなのだろう。
おぼつかない詠唱だったのだから仕方がないか。
「それはいい。千影は大丈夫か?不完全な魔術なんだ、負担になってないか?」
『とんでもございません!千影は初めて陽の光の下を自由に動けているのです。忍様には感謝してもしきれません。』
千影はとても嬉しそうだった。
『しかし、この魔術は千影を細かく分けるというわけではないようです。』
そう前置きすると、千影は忍が寝ている間にわかったことを話しだした。
『おそらくこれは千影と忍様の魔力で作った泡のようなものです。感覚は共有できますし、魔法も放つことができますが、作る時にこめた魔力しか使えないようです。見ていていただけますか。』
一匹が近くの木に【ダークニードル】を放った。
その木は倒れたのだが、魔法を放ったアントラビットは色が薄くなり、少し向こう側が透けて見えている。
『魔物を追い払うのに使ったところ、こんなふうに薄くなって消えてしまいました。さらに、この姿の千影は物に触れます。』
今度は他の一匹が小枝をくわえてきた。
『実際に体がある、衝撃などでも弾けて消えてしまうかもしれません。これが消えても千影はなんともありませんので、試してもよろしいでしょうか?』
「許可する。」
薄くなったやつに枝を咥えたやつが駆けていき、咥えていた枝を突き刺す。
刺された方は風船が割れるようにはじけて、空気に溶けて消えてしまった。
『以上でございます。』
「うん、かわいかった。」
アントラビットの姿をつくったのはとにかく癒やしが欲しかったからであった。
ぴょこぴょこ動き回るうさぎの姿はひととき忍の現状を忘れさせてくれた。
『お褒めに預かり光栄です。……忍様、ご理解いただけましたか?』
「き、聞いてたよ。見えてるものを私に見せられるか?」
『お待ち下さい。……送ってみてはおりますが、見えていなければやはり駄目かと。』
【精神攻撃無効】やっぱり効いているのか。しかし、この魔術は期待以上の効果をもたらす可能性がある。
感覚共有ができないのは残念だが、偵察はもちろん、千影がモノを持てるようになるのは大きい。
「よし、いくつか違う姿にもしてみよう。千影は今夜いろいろ試して、動きやすいのがどれかを選んでくれ。」
こうして千影の影分身の実験と特訓がはじまったのだった。
【影分身の霊獣】は解除するか遠く離れるまで存在し続けられるようだ。
活動は千影が監視できる範囲内らしい。
「木々と等しく揺れるもの、獣の後ろを走るもの。光の下で型を成し、写し踊れよ闇の精。【影分身の霊獣】。」
千影はそもそも肉体を持っていなかったので、忍が作るどの姿も最初は動きづらいらしく、同じような動きをするものを観察して動く練習をしていた。
なかでもびっくりしたのは鳥の形を作ったら飛べたことである。
つまり影分身で創造した動物の基本的な身体能力を千影は使うことができた。
今回はしっかりと呪文が使えたせいか、小さな動物ならかなりの数の分身が出来ることがわかった。ねずみなど数える気にもならないレベルだった。
『忍様、人の形はできないでしょうか?』
「できそうだけど、私が二人いてもな。」
『では、あの本の魔族の女性などいかがでしょう。サキュバ』
「却下!」
千影は淡々とこういうこと言うから困りものである。
前世の動物のイメージが使えるのは助かった。ネズミ、蛇、カエル、コウモリ、鹿、狼、猫、牛、熊、象、この夜、忍は眠くなるまで魔術を使い続けた。
おそらくこの世界に来てはじめて、忍は魔力を使ったことによる疲労を感じていた。まあ、まだ底をついたような感じではなかったのだが。
千影の影分身は最終的に烏に落ち着いた。
それから二日ほど、忍は雑事をしながら腕を治療し、千影は影分身の練習をしながら、忍に頼まれたものを集めていた。
「薪になりそうな木の枝、ショーの実はできるだけほしい。木の実、果実は見つけたら持ってきてくれ、食べられるかわかったら集めてもらう。」
『承知いたしました。山菜やきのこなどはいかがいたしますか?』
「山菜は確実に毒がないやつだけ。きのこは見分けがつかないからなしで。」
『仰せのままに。』
お陰で食事は改善され、豪華になった。
千影の見つけてきたものの中には夏みかんのようなもの、緑のレモンのようなものなどがあり、忍が一番気に入ったのはツルッとした赤い果実だった。
神々の耳飾りによるとアマテラスーボという名前だったが、見た目はまん丸でさくらんぼみたいな表面をしていた。
食べてみると柑橘系とはまた違った独特の爽やかな香りと上品な甘さが口の中に広がる。
「桃だ。」
この世界に来て甘いものを口にしていなかった忍には衝撃であった。
一口で破顔し涙まで流してしまった。
『忍様?大丈夫ですか?』
いきなり泣き出したからだろう、持ってきた千影に心配されてしまった。
「うんめぇ。」
『それは、よかった。この果実は、鳥や動物も好きなようできれいなものはそれしか残っておりませんでした。』
ものすごく美味しかった手前、それは悲報である。
まあ、この味は忍でも放ってはおかない。
「無事でない実はあるんだ。では、種を集めてくれ。」
『承知いたしました。』
真ん中に一粒の大きな種が入っていた、蒔けば木になるかもしれない。
ぜひ増えてほしいので、忍は近くの地面に種を埋めてみるのであった。
【グランドリジェネレーション】【ウォーターリジェネレーション】この二つはともに中級で土の魔法か水の魔法かの違いくらいしかない。
重ねがけもできないのだが、土のあるところでは【グランドリジェネレーション】、水のあるところでは【ウォーターリジェネレーション】というのが一般的らしい。
即効性はないが一度かけると長時間効果を発揮するので、病気療養などに使うそうだ。
それぞれ地面に埋まるか、水に浸かりながら発動すると治癒力が上がるということらしいのだが、この酷い傷で患部になにか当たるのは絶対に嫌だったので試していなかった。
というか、地面に埋まるって何?
そんな状況で地面を掘る時間があるのだろうか、いや、これが使えるなら【トンネル】も使えるのか? 疑問は尽きなかった。
忍は数日ぶりに湖のほとりにいた。左腕の傷は表面的には塞がり、火傷痕も見た目だけになって来ていた。
服を脱いで水に腰まで浸かり、はじめての完全版【ウォーターリジェネレーション】を試しているのだ。
忍の左腕は大怪我だ。
本来このケガがめちゃくちゃ痛いだけで済んでおり、数日で動かせるようになるなどまずありえないことのはずだ。
現状は すぐにどうにか、とはならなくても治癒魔法がその効果を発揮しているという証拠でもあった。
「見た目はすぐ変わらないんだけどな。」
湖は陽気と相まって冷たくて気持ちがいい、水が綺麗すぎて本当に中流域か疑いたくなるレベルだ。
「これで泳げたら、楽しいだろうなぁ。」
そして、水に浸かりながら思い出した。
「あ、魚とり。」
湖についた日に罠を大量に仕掛けていた、数日経ってしまっているが、うまくすれば何かが採れているかもしれない。千影に見てきてもらわねばならない。
『魚はお任せください。』
頭に声が響いた。
そうだ、千影は護衛で普通についてきているんだった。
岸には二匹の狼型の影がおすわりをして忍を警護していた。
千影は一生懸命だ、本当に感謝しているし、相棒として信頼している。
しかし微妙にこう、なんというか、ストーカー気質な雰囲気を感じる瞬間がある。
人と暮らす上での知識が薄いのはわかるのだが、トイレも風呂もずっと一緒というのは忍には慣れないことであった。
ある程度の安全が確保された街のようなところなら、こういうこともないのだろうが。
狼型の影が、岸で尻尾を振っている。
「ほーんと、いいやつなんだが。」
忍は半笑いで、ため息をつくのだった。




