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湖と群れ

 「これは、でかいし、深いな。」


 忍が下っていった川の先は湖だった、到着したのは日がもう傾きかけたような時間である。

 湖は広大で、幅のあるところは1キロを超えているように見える。

 いくつかの川が流れ込んでいるようで、遠くを見るとちらほらと河口みたいなものがある。

 水は同じ方向に流れていく、その先からドドドドドド…とダイナミックな音が聞こえてくることから大きな滝があるようだった。


 「魔術を試すのは難しそうだ。」


 この湖は想像の数倍スケールが大きかった。

 どうせならとった獲物で食事をしようと先を急いだので、今日は食事もしていない。


 「捕れたては諦めてキャンプにするか。」


 忍はそうつぶやくと、焚き火をおこしはじめるのだった。


 晩ごはんに捕れたてというのは諦めたが、獲物を取るのを諦めたわけではない。

 屑肉を入れた大量の魚とりを湖に仕掛け、忍は処理した肉を一枚ずつ焼きはじめた。

 これこそが忍の策であった。

 肉や魚を焼くと、匂いにつられて魔物が見に来ることがある。

 渓流に居たときは片っ端から狩ってしまって、二週間もたつ頃には魔物たちは姿を見せなくなっていたのだが、ここはかなり離れているし、獲物が学習していない可能性が高い。

死角を少なくしたいためテントは張っていなかった。


 「とりあえずこれで、千影は日が落ちたらいつものように警戒を頼む。」


 『仰せのままに。』


 さて、待っている間に魔法陣を仕掛けてみよう。

 忍は近くの木の表面を大きく削り、枝の先を焼いた炭で魔法陣を書き込んでいった。

 今回の魔術は何かを捕まえるものなのだが、射程範囲、魔法陣と捕まえる対象の距離、自分と魔法陣の距離などわからないことが多かった。


 「一ページ分でサラッと発動してるし、説明もなにもないんだもんな。当たり前だが。」


 そもそもこんなところから魔術を拾おうなんて発想はオタクの同類からしか出てこないだろう。

 おそらく魔術師の多いアーグ賢王国だからこそウケてたんだろうな、こういう小ネタ。

 一般人に話したら、そこ重要なのって一蹴されるやつ。


 「まさか、他の本にも?」


 可能性は高かった、少なくとも同じ著者の本には本物の魔術が登場すると考えられる。

 つまり、アーガイルは勉強のためにこういう本を買い込んでいたに違いない。

 ならば私も負けていられない、きちんと研究せねば。


 忍はよくわからない理屈で秘蔵コレクションを正当化した。

 前世で娯楽にまみれたインドア派にとって長期の大自然サバイバルは辛すぎるのだ、切実に娯楽成分を補給したい。


 残り時間はずっと湖畔で過ごしたが、獲物は影も形もなかった。

 焼肉を焼きながら魔法陣を木に書いて時間を潰し、じっくり魚の塩焼きを遠火でちょっとずつ香らせてみたが空振り、完全に日が落ちていた。

 久々にお腹がパンパンになるほど食べてしまった。

 そういえば、炭水化物抜きのダイエットなるものがあった気がするが、自分の体型は変わっていない気がする。

 たまに見つかる小さな果実や無害そうな野草をたべてはいるが、ストックできるほどは取れないので栄養の偏りはちょっと心配になってきていた。

 風邪っぽく体調が崩れても水の中位魔法【シェッドシックネス】を使えば治ってしまうのだが、いきなり動けなくなるということもないとは言えない。


 「健康を気遣える余裕ができてるのは、良いことか?」


 お腹が満たされて思考まであさっての方向に飛んでいる気がした。敬遠していた野草系の採取、気にしていこう。


 テントを立てる場所をならしていると千影が声をかけてきた。


 『忍様、少々問題が。』


 「え、どうした?」


 千影が問題を報告してきたことなど今までなかった、自然と声がこわばる。


 『レッサーフェンリルの群れに狙われております。数は五十ほど、千影でも処理できる魔物ですがバラバラの場所で派手に殺してしまうと血の匂いが別の魔物を呼ぶ可能性がございます。』


 後処理が面倒になりそうってことか。


 『おそらく忍様がご所望の獲物もこの群れから逃げたか狩られてしまったものかと。』


 「なるほど、こちらの罠を利用して獲物を狩って、今度は私達を狩ろうということか。

確かに頭がいい。」


 自分の張った罠を逆に利用されるとは、大自然、侮りがたし。


 「耳飾りさん、レッサーフェンリル、教えて。」


 『レッサーフェンリル、小型の魔物だが、大きいものだと中型クラスに育つ。群れで狩りをし、狡猾で、感覚が鋭く、大規模な群れは百頭以上にもなり一晩で村一つを潰してしまうほどである。個体差があり、ごく少数だが魔術を使えるものもいる。狩人に人気で主従の契約をするために狙い、返り討ちになるものが後をたたない。毛皮は丈夫で高く売れるが肉は筋張っていて食用には適さない。』


 「有能で危ない魔物な上に食用に適さないのか。」


 毛皮は貯めてはいるが加工のやり方がわからないので指輪の肥やしなのだ、たべられる方がありがたいのだが。


 『現在はこちらの様子を伺っている段階ですね。しばらくしたら襲ってくるかと。』


 「ふむ、千影の監視できる範囲ってどれくらい?」


 『千影からこの湖の対岸までの範囲なら全く問題なく監視できます、その倍くらいまでなら範囲を広げられるでしょう。ただ、戦うのであれば集まった状態にならないといけませんので、千影から右に見える細い木ぐらいの範囲になるかと。』


 目算で半径二キロちょいの監視に半径五十メートルの攻撃範囲、しかも魔法なら射程が伸びると、なんだこれ。

 聞けば聞くほど千影に任せてもいい気がしてくるが、せっかくお伺いを立ててくれているのだ、それにはじめての魔物の動きも見ておきたい。


 「まあ、誘い込んで一気に叩く。がいいかな?」


 追い返すだけなら闇の中級魔法【フィアー】なんかを使ってもらう手もあるが、難しいな、戦いに条件が付くというのはこんなにやりづらくなるのか。


 「これも経験か。決めたぞ、自爆作戦だ。」


 忍は千影と作戦会議をする、今夜のメニューは二対多数の条件戦となった。


 狼の狩りは三グループに別れて行うと聞いたことがある。

 追い込むグループ、待ち伏せグループ、司令塔の三つだ。

 レッサーフェンリルがその法則で襲ってくるかはわからないが、見た目が近いということは取る手段が近いという考えは正しいはずだ。

 千影にはグループの場所を報告してもらう手はずになっている。


 『忍様、動きました。滝側と上流、森に少数でございます。』


 忍の目の前には湖、左側が滝、後ろは原生林という状況だった。

 地面は土で河原のようにゴロゴロ石があるわけではなく、多少走りやすそうだった。


 「予想通りに動くなら上流から滝側に押し込むだろう。はじまったら千影は滝側のグループを頼む。」


 『仰せのままに。』


 さて、やることを悟られてはいけない。

 忍はパーカーの両ポケットに入れた石を握りしめて、その時を待った。


 『忍様、レッサーフェンリルが動き出しました。ご武運を。』


 忍はそれを聞くと同時に川上に目を向けた。

 木々の間を小さな影がいくつも走ってくる、音はほとんどしない。

 見事なものだ、【暗視】がなければ教わっても気づけないかもしれない。


 「見えぬ真実、見える嘘、夢と現は裏表。【イリュージョン】」

 

 忍は立ち上がり呪文をつぶやく、そして魔術が完成したと同時に川下に走り出した。



 十三匹のレッサーフェンリルが獲物である忍の姿を補足した。

 相手は一人、まるまる太っている、逃げ出したようだがもう遅い。

 三匹のレッサーフェンリルが勢いそのままに獲物に踊りかかった時、唐突に獲物が四人に増えた。

 狙ったはずの場所には獲物が居ない、森から飛びかかった三匹は勢い余って湖に飛び込んでしまう。


 「ウォン!」


 この獲物、我々ほどではないが足が速い、飛び込んだ奴らは追いつけないかもしれない。

 しかし、どれかが本物なのは間違いないはず、この数なら四人一気に押さえられる!


 「ウォン!ウォン!」


 しめた、疲れたのか獲物が止まった。

 二匹ずつで全員仕留めて終わりだ!


 飛びかかった瞬間、今度は立ち止まった獲物の足元に大穴が開き八匹の仲間はその穴に吸い込まれていってしまう。

 一体何がおこったというのだ?

 獲物はどこに行った?!


 カキン。


 追跡していた残り二匹は、氷に閉じ込められていた。

 それは、忍の放った水の中級攻撃魔法【アイスコフィン】であった。


 「はぁ、はー、ハマった、なぁ。」


 忍はさらに追いついてきた残りの三匹を【アイスコフィン】で凍らせていた。

 

 さて、一体何がおこったのか。


 まず、忍は【イリュージョン】の分身と同時に宵闇のマントで自分の姿を透明にした。

 自分の幻影の少し前を走り、最初の三匹を躱す。


 しばらく走ったところで幻影を立ち止まらせ、飛びかかってくるのを待つ。

 一気に来たところで【トンネル】を発動、飛びかかってきた八匹を穴に落とした。


 そして残りは姿を消したまま各個撃破したというわけである。


 「はぁ、はぁ、ふー。」


 穴を覗くと落ちた八匹はピンピンしていた、吠えてる吠えてる。

 忍は穴の上に手をかざし、指輪から出現させたショーの実を落とした。

 ペチャっと音がして途端に下は静かになった。


 「自爆、やらずに、はぁ、済んだ。」


 忍は凍りついていた残り五匹をおいて、先を急いだ。


 『忍様、こちらは二十三匹おりました。残らず気絶しております。』


 こんな時でも千影はいつもと変わらない調子で淡々と報告してくる。


 「は-、ひー、よ、ゲホッ、余裕、だな。」


 『当然でございます。』


 こっちはもはや死に体なのだが。

 サラッと言ってのける千影に自分が情けなくなる忍であった。


 「はー、残り、どう、なってる?」


 『……忍様を追跡しているようですね。穴のところで凍っているのが五匹、こちらまで追ってきているのは五匹で、そのうち二匹は大物になります。四匹逃げましたね。』


 大きいのはリーダーだろう、レッサーフェンリルはどうやら最後まで戦うようだ。


 「もう、走るの、つらい、むかえ、うとう。」


 『仰せのままに。』


 「ふー、すぅー。ふぅー。」


 残党が追いついてくる前になんとか息を整えておきたい忍であった。


 『忍様、残りは千影が相手をしましょうか?』


 そういえば千影が戦っているのを忍は見たことがなかった。

 息切れが酷い、この提案は受けるのが得策だった。


 「よし、私は、支援。」


 『おまかせください。犬畜生に目にもの見せてやります。』


 もはやつっこむ元気がなく、忍は指輪からソウルハーヴェストと水筒を取り出して竹茶を飲もうとした。


 ウオオォーーーン!


 『来ました。』


 竹茶を飲みそびれた。

 水筒を置き、刀を構える。インターバルは終わりのようである。



 レッサーフェンリルは怒りに満ちていた。

 たった一匹の獲物に群れのほとんどが潰されてしまったのだ。

 遠吠えにも返答はない。

 あの数がたった一人に?

 日が落ちてから妙な気配が自分たちの群れにまとわりついていたのは知っていた。

 手を出すべきではなかった?

 いや、もうすべてが遅い。

 息子たち、野に下り、群れを作れ。

 我と同じ轍を踏むな。

 群れの皆に報いなければならない。

 あの獲物は、父が刺し違えてでも倒してみせる!



 「ほんとに、大きいな。」


 すべて一メートル以上の個体、リーダーっぽいのなんか三メートルに届きそうだ。

 グルルと喉を鳴らしながらジリジリと距離を詰めてくる。


 「ウォン!」


 ボスが一声吠えた。

 五匹すべてのレッサーフェンリルから真っ赤な炎が立ち上った。

 同時に五つの炎の塊が忍たちに向けて放たれる。


 「【グランドウォール】!」


 忍はとっさに土の魔法で壁を出したが、前に広がって待ち構えていた千影をカバーしきれなかった。

 爆発音とともに土の壁は弾け飛び、それを合図に二手に分かれたレッサーフェンリルたちは突っ込んできた。


 『あああぁぁ!!』


 千影はダメージを受けたようだ、炎のせいか光のせいかはわからない。

 忍は指輪からショーの実を取り出して千影の方に向かった三匹のほうに投げつけた。


 「千影、ヤバイなら逃げろ!」


 こちらに来たのはでかいのが二匹、しかし突っ込んでこない。

 ショーの実を警戒しているのだろう、やはり頭がいい。

 二匹は一定の距離を保ちながら左右に分かれた。


 「挟まれると、まずい。」


 息も上がっている、千影を助けにはいけないな、どうするか。

 右のやつが大きく口を開いた。

 炎がくる!


 「させるか!」


 忍は【ウォーターガッシュ】を使い炎の塊を放とうとした一匹を押し流した。

 【ウォーターガッシュ】は水を出すだけの魔法なのだが、忍が放つと消防車の放水のような勢いで水が出てくる。

 最初に使ったときは効果とのギャップにびっくりしたが、今はその威力がありがたい。


 「ぐっ!」


 右の炎に気を取られて、左の注意が散漫になった。

 忍は左腕に噛みつかれていた、ものすごく熱い。

 それが炎の熱さか痛みの熱さかは分からなかったが、肉の焼ける匂いにあのバンブーグリズリーが頭をよぎった。


 忍は死にたかった、過去に自分の人生を終わらせようとしたことがあった。

 結果、忍は死にきれず、それ以来死というものに対する恐怖を抱えていた。

 死にたくて死にたくてたまらなかったのに、一度失敗したら今度は怖くてたまらなくなった。

 そんな矛盾をずっと抱えていた。

 最近はたまたまうまくいっていたので、考えることは少なくなっていたが、忍は今、死に片足を突っ込んでいる。

 

 いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。

 いやだ。いやだ!いやだ!!いやだ!!!いやだ!!!!


 トスッ。


 刀が噛み付いたレッサーフェンリルの胸に刺さっていた。

 刃先でなにか硬いものが砕けた感触がした、毛皮の炎が消え力が抜けてさえ、その牙は忍の腕を離さない。

 一撃のもとに絶命した哀れな狼は忍の左腕にだらんと垂れ下がった。


 咆哮が聞こえた。

 放水で流されたもう一匹が再び炎を放つ。

 忍はただ立ったまま、炎に刀を向けた。

 炎は刃先に当たるとぐにゃりと歪み、その漆黒の刀身に吸い込まれた。



 放った炎を盾に躍りかかろうとしたレッサーフェンリルは空中でその光景を見ていた。

 仲間の家族の死に報いるため、刺し違えてでもと挑んだ相手の顔を見ていた。

 その顔には、何もなかった。

 顔はある、目も、鼻も、口もある。

 しかし何一つ読み取れない、何もない、顔。

 挑んではいけなかった、こいつは獲物なんかじゃない。

 こいつは、我を殺すものは、―――バケモノだ。



 喉を一突き、二匹目のレッサーフェンリルも沈黙した。

 刀の先にぶらりと垂れ下がる、力の抜けた死体。

 忍の思考は停止していた。

 ただ、しなければいけないことをした。

 次、襲ってくる狼を殺す。

 次、邪魔な左腕の死体を外す。

 次、千影を、助…け……。


 忍の活動はそこで止まった。

 それは一般的に気絶と言われるものだった。


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