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第八話

続きです。


よろしくお願いします。

 


 私がモノを抱えていても私が過ごす小さな世界が特筆することもなく穏やかにゴールデンウィークを迎えた五月の初め、普段は忙しく働く私の両親も仕事が無ければお休みする。



「美月。お皿出して」


「そこに置いたよ」


「さすが美月。気が効くね」


「鍛えられたからねー」


 朝、早い時間からキッチンにいて楽しげに腕を振るっていた母は久しぶりに家族のために食事を用意出来ることが嬉しいのだろう、見るからにご機嫌で料理をしながらリズムの取りずらい鼻唄を奏でている。それに合わせて乗ってしまうと途中でズレてしまう。


「っと」


「どしたの?」


「なんでもないよ」


「そう? じゃ、これお願い」


「はいはい」


 今フライパンごと渡されたのはポークチャップ。バンバーグから始まって、タレに塗れた焼肉に豚の生姜焼き。照り焼きチキンに唐揚げに煮魚や煮物。さらにこのあとミートソースとホワイトシチューを作るつもりらしい。


「作り過ぎじゃない?」


「いいの。冷凍しておけば宇宙と美月で食べられるでしょう?」


「そうだった」



 私が生まれてから小学校を卒業するまで母は毎日家にいた。私にとってはそれが普通だった。私が物心がついた時から母がずっと家にいてくれたことを覚えている。


 私の記憶の始まりは幼稚園の頃で、買ってもらった新しい靴が嬉しくて走り回っていたら転んで泣いたこと。それを映像付きで鮮明に覚えている。それが私の一番古い記憶。それ以前のことも頭のどこかにあるのだろうけど全く思い出せない。


 だから、たまに両親が懐かしく話す、私がソファから落ちたと思ったら舌を噛んで口の周りが血だらけになって焦って病院に行ったとか、ちょっと目を離したらテレビの裏に嵌まっていたとか、姿が見えず探していたら近所のおじさんが偶然会った私の手を引いて家まで連れて来てくれたとか、二歳までは食べ物を口に運ぶと嫌がらずになんでも食べていたから丸々としていて重かったとかそういうエピソードは記憶にない。重かったなんて知らない。


 けど、そうやって今の今まで私のことで悲喜交々、無償で私の世話をしてくれたからこそ、毎日家を空けていることが普通になった母のことを私はちゃんと好きだと言えるし母親として認めていている。それはきっと、母が親として色々としてくれた記憶がなくても心がちゃんと覚えているからだと思う。


「ねぇ。これ分けるの? それとも全部?」


「うーん。ま、全部でいいよね?」


「わかった」



 母は兄が高二、私が中学生になってすぐ外に出た。母は私たちの世話をしながらも通信教育で真面目にコツコツ勉強して法律関係の資格を取ったから。合格証が郵送されて来た時の、うぉーと喜んでいた母は凄くコミカルだった。

 優しい母しか知らない私にはとても意外だったけど、母はとても優秀だったんだと今ならわかる。

 ちなみに、これはまだ親に伝えてないけど、私も将来そっちの道に進むもうかと考えている。そう思って母が使っていた古いテキストを引っ張り出して開いてみたことがある。


 えーと、なになに。成年後見人は成年被後見人のしたー………む? むむむ?



「美月。ジップでロックするやつどこー」


「そこの引き出し。二番目だよ」


「あった。ありがとう」


 そして迎えたその日、これこれこう言うわけだからと、母が申し訳なさそうに成長した兄とまだ幼い私がわかるよう噛み砕いて話してくれたけど、今まで愛情いっぱいいつも傍にいてくれたから私も兄も特に気にすることもなく、お母さん仕事頑張ってねと笑顔で伝えた、筈。


「だったよね?」


「うん。嬉しかったなぁ」


 つまり、母は遊びの延長として私と兄が幼い頃から子供用の包丁を持たせて一緒に料理をしたり毎回洗濯機の使い方を見せたり、掃除をしたりしていたのは全てその日のためだったというわけ。その甲斐あってその時にはもうこの家の家事全般を私も兄もひと通りこなすことが出来るようになっていた。それでも現在、家事の大半を兄がしている理由は単に私が甘やかされているだけ。


「こっちは盛り付けていいの?」


「うん。よろしく」


 現状到底叶いそうになくても私に私が望む生き方があるように、母にも母が望む生き方があって当然だから、平日はもちろんたまに休日も朝から晩まで家に居なくても私と兄は全然平気。


 幼い頃に愛情かけて育ててくれたから私と兄は特に捻くれることなく真っ直ぐ育ったと思う。だから私はそのうちに、まだ少し負い目を感じているように見える母に、お母さんはちゃんと母親出来ているよと伝えるつもり。


 父も大体母と同じ。幼い頃は早く帰って来たしいっぱい遊んでもくれた。イタズラしても私と兄の目線まで降りて来てくれて、怒ることなく一緒になって騒いでくれた。凄く楽しかったことを覚えている。

 そんな父は家族の生活を守るという父親としての最大の使命を昔も今もちゃんと遂行してくれている。凄いなぁと思うし尊敬もしている。

 きっと兄も父親の大きな背中を見て、父のよな大人になるぞっと密かに決意していることだろう。兄の普段の素振りからはそんな気持ちは伝わって来ないけどたぶんそう。


 私はと言えば女の子だから、同性たる母のように、私が望むように生きたいし愛情いっぱい優しい人になりたいと思っているけど、私の望む生き方暮らし方は現状とても無理そうだし、私が家庭を持って愛情たっぷり子供を育てることはあり得ないから、やっぱり私は母のようにはなれないと思う。


 そして私は父と母が、親が子供に対して当たり前のように望むはずの人生を歩めない。それがいずれ私を苛むだろうけど、私の事情が

 どう転んでも決して消えない申し訳なさを抱えて生きていくことを受け入れなければと覚悟している。私が両親を大事に思う分だけ感じる申し訳なさも大きくなるけど私はちゃんと受け入れる。


「これで終わり?」


「そうね。あとはご飯を食べてからにしようかな」


「やっぱり終わってないのかぁ。宇宙と交代しようかな」


「ふふふ。そうしなさい」


 次は宇宙をこき使ってやろう。そう楽しそうに笑う母。私が私の望む生き方をすることで、私はいつかその笑顔を曇らせてしまう。母だけでなく父も。そう思うと堪らなく憂鬱。





「ごーはーんー」


 この母のひと声でこの家の思い思いの場所にいた私たち家族がリビングに集まった。

 時間に追われずみんなが揃うのは久しぶり。


「お。美味そうだな」


「「「いただきます」」」


「はいどうぞ」



 これは美月が作ったのよとか、やっぱ母さんの料理は美味しいなとか、宇宙、野菜も食べなさいなんて、箸だの口を忙しく動かしてみんなでご飯を食べる。


「宇宙それ取って」


「はいよ」


「ありがとう」


 私と兄が成長するにつれ、両親が歳を重ねていくにつれ、家族として当たり前のようで当たり前じゃなくなりつつあるみんなが揃う食事の時間。


「もうちょっとマヨが欲しいかも」


「かけ過ぎちゃ駄目だよ」


「うん」


 今は意識しなくてもそのうちに確実に消えてしまう家族の時間。もしかすると、血の繋がりという意味での家庭、家族を持たないだろう私には、私の人生の中でとても素晴らしい時間だったといつか思うかもしれない家族の時間。



「美月は最近どうなんだ。ん?」


「どうって?」


「いやほらあれだよあれ」


「出た。あれあれ星人。あれでわかるわけないじゃん」


「父さんは美月に彼氏がいるのかって訊きたいのよ」


「ふーん。いないけど」


「おっ。そうかそうか」


 年頃の娘を持つ男親なら絶対にしてしまうこの手の会話。される娘の私からすれば面倒臭くさい会話。私じゃなくてもそう思う子はたくさんいると思う。


「私は彼氏の一人や二人居てもいいと思うけどなぁ」


「いや母さん。美月にはまだ早いぞ。美月はまだ十六じゃないか」


「なに言ってるの。私が十六の時はそれはもうね。うふふふふ」


「なっ、そんな話聞いてないぞっ」


「そりぁそうよ。言ってないからね」


「な、なんだと」


 彼氏が居なくて父が喜ぶのはあと何年くらいかな。長くともあと十年。それだけ過ぎれば心配に変わって彼氏は居ないのか、まだ結婚しないのかなんて言われてしまうだろう。

 私にとってそれは言葉の暴力だけど、それが親として子供に対する当然の望みで願い。親からすれば子供の幸せを願ってなにが悪い、と言う話。


 それができない私はその時どうするのだろう。ぶちまけちゃうのか黙っているのか、今はまだわからない。



「宇宙。大学はどうだ?」


「広いよ」


「宇宙。そうじゃないだろ」


「いや。広いから移動が疲れるんだよ」


「なるほどな」


 中身があるようで無いような会話。私たち家族に大きな問題がないからこそそんな会話で終始する。

 もしかすると、私のように父も母も兄も何かを抱えて隠しているのかも知れないけど今のところは大丈夫そう。そうならいいなと私は思う。悩んで苦しい思いをするなんて目に合うのは私ひとりで十分。


「美月? 大丈夫?」


「大丈夫だよ。変なの」


「そう。何かあったらちゃんと言うのよ」


「わかってるよ」


 私は嘘を吐く。話せない。やっぱり凄く嫌な気持ちになる。



「これ美味しい」


「これもでしょ、も」


 とは言えそれはもう少し先のこと。尽きない悩みはいつでも悩める。今しなくてもいい話。

 だから私は嫌な気持ちを脇に置いて、明るく会話に参加する。囚われるのはまた次の時。


「ケーキ食べたいなっ」


「いいわね。誰が買いに行く?」


「ジャンケンしよう」


「「おう」」


 もわいわいがやがや賑やかにご飯の時間が過ぎていく。


「あっははは」

「ふふふふふ」

「ははははは」

「馬鹿じゃないの」


 と、そんななか、さらなる会話の起爆剤を提供してくれた奴がいた。宇宙。成人して大学二回生になった兄だ。


「あ。俺彼女できたから。そのうち連れてくるよ」


「おっ?」

「あら」

「え。前からいたじゃん」


「いや別れた。もう半年以上前だな」


「えーっ。さくらさん可愛かったのに」


「浮気されたんだよ。大学違うしなかなか会えないから、好きな人ができたのごめんねってな。だけど実はその三ヶ月くらい前からバイト先の店長とできてたんだと」


「悲惨」

「あら」

「まぁ。生きていればそう言うこともあるな。うん。俺の場合は逆、あ、いや、なんでもない」


「真さん」


「はい。なんでしょう芽衣子さん」


「ちょっとこちらへ来てください」


「…はい」


 両親がどっか行っちゃってご飯は終わり。休みの間、一家団欒は何度もあると思うからべつに気にすることはない。

 二人を見送ったあと、私と兄はお互いになんとも言えない表情をした顔を見合わせて声も合わせた。


「片付けようか」

「片付けるか」



 そのあと洗い物とかをしながら兄とこんな会話をした。


「父さん何したんだろうね」


「さぁ? あれで昔はモテたらしいからなぁ」


「男はどうしようもないね。あ、けど宇宙はさくらちゃん寝取られちゃったんだよね。かわいそうに」


「べつに。突き詰めちまえば結局別れたってだけの話だからな。それにな、今が幸せならそれでいいんだよ」


「お。いいこと言うね」


「それより美月。お前寝取られなんて言葉どこで覚えてくるんだよ」


「うーん。それはちょっと言いにくいかも」


「いいから言ってみ」


「でもなぁ」


「言えって」


「そお? じゃあ言っちゃうね。実はね、前に英語の辞書を借りようと思って宇宙の部屋に入ったの。そしたら机の上に、同人誌って言うの? なんかそんな感じのえっちぃ絵が書いてある本が置いてあってね、で、そのタイトルが確か、俺の彼女がチャラい友じ」


「あーあーあーあーあーやーめーろーやーめーろーやーめーてーくーれー」


「お兄ちゃん。冗談だよ。おーい。片付けするよー。帰ってこーい」



前話の貯水湖の話。あれは実話です。怖っ。


読んでくれてありがとうございます。

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