第二十九話
続きです。
長くなってしまいましたがよろしくお願いします。
稜線をオレンジ色に染めながら太陽が山の向こうに沈んで行く。西の空はまだ薄ら明るいけどもうすぐ日が暮れる。外気は随分と肌寒くなった。そして私は少し前からもう何度となく吐いていた息をもう一つ吐く。
「ふぃぃ」
勘の鋭い人なら私が脱力するように息を吐いていることからもうピンと来たと思う。
そう。私は今、素っ裸で頭に笠を乗っけているという、ちょっと変わった格好をしているところ。笠を乗っけているのはご自由にどうぞ的にそこに笠が何個もぶら下がっていたからで特に笑いを意識したわけじゃない。日は落ちてきたし雨も降っていないから使う意味はないのかもだけど、何となく、あるならせっかくだし使っちゃおうかなって思っただけ。
「はぁぁ」
ということで、私は温泉、だだっ広い露天風呂に浸かって気持ちよーくほったらかしにされているところ。
今みんなは半分内湯のような施設で体を洗っている。私は途中で体を洗う派だからそれをスルーして、汚れ落としの掛け湯だけしてひとりで先に温泉に浸かったから。あっちの湯とこっちの湯とあって、平日の夕方であまり人がいないからかなり眺めのいい場所を確保できたと思う。
湯船に触れないようヘアゴムとヘアバンドで髪を上げた頭に笠をちょこんと乗せて湯船の縁に腕枕を作り、その上に顎を乗せる格好で夕暮れ時のぽつぽつと明かりが灯り始めた眼下に広がる街を眺めている。見たところ四方を山に囲まれた、地形的には盆地っぽいからこの街は甲府なんだろうなって思ったりもしているところ。
「ふぅ」
いつまでも同じ姿勢ではいられない。せっかく解しに来たのに凝り固まってしまうから、私は顎を腕に乗せていた頭を起し、体の向きをぐるりと変えて縁に背を預けた。
何の気なしに薄暗い空を見上げてみると、なんだろう、視界を遮る笠が邪魔……いやそうじゃない。
こうしてひとりで過ごしていると頭の中に色んな思いが湧いてくる。そして私は広がる景色を見つめながら、その中でも特に、最近あった楽しかったことを思い出していた。
「ふふふ」
三月頭に私と明日香とあまちゃんで学校に顔を出しに行って、三人揃って体育館裏でパンを食べた。当然、私たちのメインは体育館裏でパンを食べることで私の担任への報告はそのついで。今までと同じようにわいわい過ごしてそれでお終い。寒かったけど楽しかったよ。
ただひとつ、変わっていたことがあったけど。
「よっ」
結局枇杷食べなかったなぁなんて思いながら、明日香とあまちゃんの後についてフェンスが剥がれる所を押して学校の敷地内に戻ったところで明日香の声がした。
「お。先客いんじゃん」
声に釣られて明日香が向けた視線を辿るとそこには確かに先客が何人か居た。この時期学校に来る必要がない三年生はあり得ない。サンダルの色が茶色だからおそらくは二年生。ちなみに私たちの代は深緑だよ。
「本当だ。珍しいね」
「へぇ」
私たちじゃない誰がそこでご飯を食べている。その光景が変わっていたこと。
物事や事象の全ては変わっていくんだから、今まで無かったことが有るようになるのも当然のこと。
今回のこれもその一つ。私たちがここに来なくなったあと、あの子たちがここに来るようになっただけのこと。
いくら私たちに取ってこの体育館裏が思い入れのある大切な場所だったとしても、離れてしまえばそこに変わる場所が私たちそれぞれに出来るかも。そうしてここは数ある思い出の一つの場所として、いつか私の奥底に眠る、取り出すことさえしなくなる記憶に変わってしまうかも。この体育館裏だってずっと在るわけじゃない。あと十年もしないうちに、学校なんて跡形もなく無くなって、老人ホームかマンションにでもなっているのかも。少子化だし。
と、そんなことを考え始めたら長い人生、どんなに愛したって結局みんな消えちゃうんだと世を儚んで怖い怖いと怯えて過ごす羽目になりそうだから私はこれ以上は浸らない。私はもう、失うことを恐れて怖い思いを十分にしたし、終わりは必ずやって来ることも世の中に常は無いことも知った。それを悲しんで泣いてもいいけど変わることを恐れず怖がらず、それより先を今よりもっと良いものになるようにしなくっちゃって思えるようにもなった。笑う門には福来る、的な。違うかもしれないけど取り敢えず私は笑う。
「わはは」
「いきなりなんだよ。どうした椎名?」
「え? なにが?」
「怖」
「あまちゃん。そうやって怖がってちゃだめだよ。未来を見据えて笑っていかないと。明日香もね」
「怖っ」
「私もかよ」
「わはははは」
「やべぇな」
「やばい」
なぜか明日香とあまちゃんが笑う私と距離を取った。あれあれ? 伝わらなかったよ。わはは。
「なぁ。やけに見られてねぇか?」
「ね。なんでだろう」
「お。椎名が戻って来たな」
「どうでもいいでしょ」
「気にもならないってか?」
「さすがあまちゃん」
「「かっけー」」
「あ?」
「あぶなっ」
「あふねっ」
変わったのならここはもう私たちだけの場所じゃない。だから、邪魔なんだけど。ウチらの場所だから退いてくんない? なんて彼女たちを蹴散らすつもりも全くない。
「ここでいいよね」
「おう」
「うん」
私たちは十個以上の視線を感じつつ、空いていた、階段のようになっている一つに仲良く並んで腰を下ろした。
「あ、そうだ明日香。最後にフェンスよじ登ってくれば?」
「なんでだよ。やだよ」
「残念。すごーくかっこよかったのに。もう一回見たかったなぁ」
「そうかぁ。んー。じゃあ一丁やって……いや、やらねぇからな」
「ちぇっ。引っかからなかったかぁ。じゃあさ、やってくれたらこの塩バターあんパンあげるけど?」
「まじかっ……いや、やらねぇ。やんなくても椎名はくれるからな」
「バレてるね。はい。これあげる」
「サンキュー」
「くくく」
なんて話をしながらそれぞれにパンを食べ始めた。
「なぁ。なんかさっきより近づいて来てねぇか?」
「ね。なんでだろう」
「どうでもいいでしょ」
「いたっ。ちょっとあまちゃんっ。私まだ何も言ってないじゃんっ」
「くくくくく」
「あはは。お前らおもしれーなー」
「もぉ」
「「あっ、あのっ」」」
「ん? どうしたの?」
「あ?」
「……なに?」
安定の三口だね、あと牛乳とか、うるさいよなんて、周りを気にせずパンを食べていると、ついに声をかけて来たのは私と同じ系統の女の子二人組。私は普通だったけど明日香とあまちゃんの声色が低かったり冷たかったりで申し訳なく思ったよ。
「ごめんね。怖かったよね。けどふたりとも実は全然怖くないんだよ。そりゃあ明日香はパッと見威圧感あるし、あまちゃんなんて視線だけで人をヤりそうな冷酷な感じはするけどこれがふたりのデフォだからね、いたっ」
それを切っ掛けに、それからお昼休みが終わるまでの十五分くらいの間、私はというか私たちは、この高校に来てから初めて後輩たちとまともな交流をした。二週間もすればもう卒業だというのに。
とは言え私たちは部活はもちろんのこと、委員会やボランティア活動みたいなヤツも一度もやらなかったし、私とあまちゃんに限って言えば、体育祭や文化祭も屋上に引き篭もっていたから、後輩たちと触れ合う機会もその気も無かったんだけど。
声を掛けて来た理由は、なんとびっくり普段過ごす私たちがやたらと自由人ぽく見えて、綺麗だし可愛いしかっこいいし頭も良いしでずっと憧れてくれていましたと言ってくれた。何度か話しかけようとしたけど、明日香とあまちゃんが怖くてできなかったとか、怖かったけどこれが最後かも知れないって思って眼張って声をかけてみましたとも教えてくれた。
「ほらぁ。怖いって言ってるじゃん。わたし間違ってなかったじゃん。叩かれ損じゃん」
「ほらぁ、じゃねえよ」
「心外」
「ったくさぁ。あ、ふたりとも。このパン食べる? ここの美味しいんだよ」
「飴ちゃんかよ」
「椎名。おばちゃんじゃん」
「うるさいなぁ」
なんて騒ぎ始めたら、あまちゃん系統のギャルっぽい子たちと明日香担当、見た目アウトローぽい子たちも近づいて来て、実は私たちもって同じようなことを言ってくれた。
「ほらぁ。やっぱりそうじゃん」
「納得できねぇけどもうそれでいいわ」
「心外」
授業に遅れると慌てて駆けて行く後輩の子たちを見送って、私たちは暫くの静けさを味わった。ふたりはどうあれ私は少し疲れていたから。たった一つ違うだけなのに、溢れ出るパワーに圧倒されてもいたから。けど、私たちくらいの歳なら、精神面も一年で大きく成長する。あの子たちとのたった一年の差が、あの子たちと今の私の精神的な成長の差なのかもと、私は大人になったんだと思うことにした。まぁ単に、相手にする子が多すぎて捌き切れなかっただけかも知れないけど。
「疲れたけどなんか新鮮だった」
「だな」
「悪くなかった。私も疲れたけど」
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「ああ」
「うん」
思いがけない後輩の子たちとの細やかな交流を終えて学校を後にした私たちはそのあとも暗黙の了解的に制服のまま街で過ごした。
「あ、見て。ここお店変わったんだね」
「みたいだな」
「へぇ。初めて見る。ちょっと行きたい」
「アイスうまそー。ちょい食ってこうぜ」
「いいよ。あまちゃんも。ね」
「……わかった」
「ねぇ椎名。ちょいでトリプルっておかしくない?」
「明日香だからね」
「そうだった」
「うまうま」
「ランフランフで小物とか見ておきたいんだけど。椎名はベッドとかどうするの?」
「シーズンだから配達混みそうだから通販で頼んじゃった。親が」
「私も部屋の模様替えでもすっかなー」
「それがいいよ。明日香はもう少し女の子っぽい部屋にしなよ。飾ってある木刀とか特攻服とか片付けようよ。流石にもう要らないでしょ?」
「あ? そんなもんねぇだろが」
「そうだっけ、いたっ」
「くくく」
「おもしろかったね。それじゃマクダナルズ行こう。パンあげちゃったらお腹減ったよ」
「お、いいな。確かに腹減ったもんなー」
「……はぁ」
なんて感じで、今まで過ごして来た記憶をなぞるように、知ったお店や知った場所を、あっちにふらふらこっちにふらふらしながら時間が許す限り街にいて、そのまま明日香の家に上がり込んだ。
「あれ? 特服ないね」
「ねぇよ」
制服でふらふら遊ぶのもこれでお終い。そのあと夜遅くまでいっぱい話して凄く楽しかったよ。
「ふふふふふ。あ」
最近出来た悩ましく思うことが頭に湧いて来てしまった。それは、敢えて考えないようにしていたってわけじゃないけど、今かなぁ後かなぁどうしようかなぁと私が思うこと。
「うーん」
そういう思考は頭の隅に追いやろうとしても暫くは囚われてしまうものだから、私は三日前の、私が悩む切っ掛けにも、この温泉施設に来ることにもなった玲さんと会った日のことを思い返していた。
東京に行く前にちゃんと会っておきたかったから、三人で制服で遊んだ次の日に私は玲さんに連絡を取った。玲さんは、んじゃ明日行くわーって私のお誘いを軽快に受けてくれた。真里さんにご飯を作れるようになりたいという一つのお願いとともに。
「明日香に教わればいいんじゃないですか?」
「美月が行っちまったらそうすっけどな。つーか、私も美月と話したかったから、まぁついでだよついで」
「なるほど」
そして次の日の午後早く、ウチまで迎えに来てくれた玲さんの車で話をしながら、途中、ケーキ屋さんでケーキを、スーパーで肉じゃがと生姜焼きの具材を買って着いた先は真里さんが住むマンションだった。
その前で私を降ろし、ちょっと車止めてくるわーって行ってしまった玲さんを待つこと五分、戻って来た玲さんに私は訊いた。
「真里さんいま居ないんじゃ?」
平日だから仕事ですよねと尋ねると、玲さんはあろうことか、やたらと似合っているMA-1のポケットから自慢げに鍵を取り出した。
「真里は仕事。けどほらこれ、合鍵もらったんだよ」
「えーまじで。いいなぁ。玲さんズルくない?」
よく見るとその鍵にはよくわからないキャラクターのキーホルダーも付いている。たぶんお揃いだよ。けっ。
「はっはっはっ。私は愛されてっからな」
「くそー」
私の思わずのタメ口にも関わらず、玲さんはご機嫌に笑ってオートロックの鍵穴に鍵を突っ込んだ。
「もう少しみりん。あと醤油も」
「おう」
恋人から相変わらずをもらったと言われた嫉妬から、つい厳しくなった私の指導に文句も言わず、玲さんは言われた通りにことを熟していく。
「煮立った? そう。じゃあホイルを落とし蓋にして火を弱火の強に」
「おう。おう? 弱火の強?」
「このくらい」
「おお」
そして午後五時過ぎ、肉じゃががほぼ出来上がり、生姜焼きはタレに漬け込まれ、後は焼くだけという状態で冷蔵庫に眠っている。キャベツも千切られトマトも八つにカットされ、ご飯も炊飯器のスタートボタンを押すだけになった。
「玲さん、料理の才能あるんじゃないですか?」
「な。進む道、間違えたかもな」
「経理でしたっけ?」
「おう。これでも私は昔から数字に強かったからな」
「なんか意外」
「まぁな。つーか、美月。お前さっきから私に厳しくねぇか」
「嫉妬ですよ嫉妬。羨ましくて羨ましくて、もの凄く羨ましくて羨ましいんですよ。羨ましくてが止まらないんですよ」
「大丈夫だって。美月にもいずれ見つかるからな」
「そのいずれっていつですか?」
私は期待を込めて玲さんを見る。この頼りになる美しい女性ならそのぐらいわかるだろうと思って。私は少しおかしくなっている。
「さぁな」
けど期待は裏切られた。私は目を細めて玲さんを見つめた。普段なら怖くてこんなことはしない。私は確実におかしくなっている。主に嫉妬で。
「なーんだ。わからないんですか? じゃあ今のは単なる慰めですか。ふーん、そうですか」
「変なスイッチ入れてんじゃねぇよ。美月ってそんな感じにもなんのかよ。こっちこそ意外だわ」
「ふーん。ふーん」
私の目はしばらく細いままだった。
それから真里さんの帰りを待つ間、美月はもうすぐ誕生日だよなと言った玲さんがケーキを二つ並べてくれて私の嫉妬心は鎮まって、あと餞別と誕プレ兼ねてこれやるよと差し出された袋の中身はジャケットに80'sとあるそれぞれのレーベルごとのCDが三枚と髑髏をモチーフにしたシルバーのリング。燻んだ感じが渋くてかっこよくてゴツいけどなんか可愛い。
「いいんですかっ」
「お、おう。まぁ落ち着けよ。リングは私が昔嵌めてたやつだけどな」
「これ可愛いですよね」
私はリングを摘んだ指をくいくい動かして上下横を眺めながらそう言った。
「可愛いか? ま、気に入ってくれたなら嬉しいわ」
「大事にしますっ。ありがとうございますっ」
私はリングを手で包んで胸の前、さも大事なもののようにそれを抱いた。その様子に、玲さんは頭をぽりぽりと掻いた。照れてたみたい。
「あ、照れてる、いて」
そのあと、卒業旅行とか行くのかよって訊かれたけど、生憎と引っ越しだなんだと忙しく、ディズニーは諦めていたから私はそんなことは忘れていた。
「じゃあ、近場、でもねぇけど、温泉くらいなら連れてってやるよ。日帰りだけどな。車出してやるからよ」
「マジですかっ」
「おう。こっちはなごと私だからあと五人。美月のいつもの面子で丁度いいだろ」
「はい。ありがとうございます」
玲さんがこうして色々気にかけてくれることが嬉しくて、私の細めていた目はぱっちり開き、おかしくなっていたテンションもすっかり駄々上がってしまった。
嫉妬? はあ? なんのことかなぁ?
「でな」
ケーキを既に食べ終わって、私の前には玲さんが淹れてくれたコーヒー。玲さんがそれを置きながら話を始めた。
「はい」
「なごは私のことを知ったよ。この前全部話したからな」
「え」
いきなりのことで私は驚いて固まった。玲さんはコーヒーを啜りつつ黙って私を待っていた。
私が復活して、なぜ今そんなことをしたのかと訊ねると、なごと私の仲だからな、なごとは引け目なく対等でいたかったんだよ、ウチらの間に隠し事は無しってヤツ。なごには悪かったけど私の都合を押し付けちまったって言った。
「けどなごのやつ言ったんだよ。知ってた、ていうかそんな気してたよって、触れてほしくなさそうだったから私からは触れなかったってな」
「バレバレじゃないですか」
「ははは。な」
「玲さんがなーさんを好きだってこともですか?」
私にはそっちの方が大事な気がした。してきたこと、されたことに全部裏が、下心があったのかと思われてしまうかもだから。
「気づかれてだのは寧ろそっちな。女の子の思春期特有のーだの疑似恋愛がどうしたとか、わかったように言うヤツもいるけど全てがそうじゃねぇし、私は違う。美月も。だろ?」
「はい」
「バレないように気をつけてたつもりだったんだけどなごは気づいてた。だからな、肩組んだり腕組んだり、バイクで後ろから抱きついたりして嫌じゃなかったかよ、同じ女に想われて嫌じゃなかったのかよ、気持ち悪くなかったのかよって訊いたらな、べつにって、玲は誰にでもそうしてたし、大体嫌ならとっくに関係切ってるしってな」
「そうなんですね」
「んで、玲も苦しかったと思うけど、私も玲の気持ちに応えられなくて苦しかったんだからねって笑って言ってくれたよ。これからも夜 露 死 苦ね親友、とも言ってくれたな」
「ぷっ。なんでそこ当て字なんですか」
「さぁな。あんま重くならないように気でも使ってくれたのか、なんも気にしてねぇってことなのか、まぁその辺じゃねぇの」
「なーさん凄い」
「つーことで、私と美月じゃ状況が違うからなんとも言えねぇけど、伝えたいと思ってんなら伝えてみてもいいかもしんねぇぞ。美月の相手は明日香だからな」
「それは、どう……なんでしょうね」
「怖いのはわかる。ま、考えてみな。美月と明日香は私となごぐらいの信頼とか愛情とかがあんだろ。言葉じゃ言えねぇすげー特別な繋がりみてぇなもんがよ」
それはあるかも知れない。私たちが重ねた月日はそう思わせてくれるものがある。どう転ぶかなんてわからないけど少し気が楽になって、私は張っていた気と肩に入っていた力を抜いた。抜いたついでのお約束。
「あの、玲さん」
「ん?」
「玲さんがなごさんをそう思っていること、真里さん知ってます? 愛情とか特別とか」
「いや。好きだったことは知ってるけどそう思っていることはしら……お前な、それぜってー言うなよ。ぜってーだからなっ」
「フリですね? わかってますよ。真里さん早く帰ってこないかな」
「やめろ」
「あはは」
「なんだよちゃんと笑えんじゃん。じゃあ大丈夫だな」
「はい。たぶん、ですけど」
「そんなもんだろ。私だって怖かったんだからな」
「お察しします」
「あ? なんだよそれ」
「「あはは」」
ふたりで声を揃えて笑ったら重い空気は無くなった。けど私はもう一つだけ訊いておきたかった。それを玲さんにぶつけてみる。
「なーさんに拒絶でもされたらどうするつもりだったんですか?」
「べつにどうも。それ受け入れて暫く落ち込んで終わりだろ。ま、そうならなくてよかったけどな。それによ、年がら年中一緒にいて馬鹿やってなごに恋をして、なごは私の青春そのものみてぇなもんだけど、それももう終わるからな。この先は私は私の道を行くってな」
四月から社会人だらなーって玲さんが笑う。
金色から濃い茶色に変わった髪が肩にかかるくらいまで伸びて落ち着いた雰囲気になった玲さんは自分はもう大人なると言う。私が明日香に対して抱いた想いと同じことを言う。
玲さんは区切りをつけたんだと思う。その上で真里さんと先に進んで行く。軽やかに。
私にも区切りは来る。明日香は私の青春そのもの。つけるべきかまだ続けて行くのか、私もよく考えてみようと思った。
「おい美月」
「はい?」
「真里には絶対言うなよ」
「わかってますって。真里さんまだですかね。ははは」
夜の帳が下りて来て辺りはもう暗くなった。私はいまだひとりでお湯に浸かっている。
「はぁ」
私には私のことを明日香に伝えるつもりがちゃんとあった。けどそれは今じゃなくていつか、だ。明日香ならって、そう思いたいし、明日香ならきっと大丈夫って思えるけど、明日明後日のことじゃないけどいきなりのことで判断はつかない。
「どうなんだろう」
啓示でもないかなぁと、答えを探すように夜空を見上げてみるけど笠が邪魔だし答えはやっぱりそこにはない。
とにかく踏み出すのは私。モノを抱えた私の方。
「椎名」
「あ、明日香」
声の方を向くと、頭に傘を乗せた明日香が大股にペタペタ歩いてこっちに来るところだった。普段のように堂々と。タオルは手に握っている。暗いとはいえ灯りはあるからちょっとは隠しなさいって思う。今まで色々言ったけど、私は明日香に恥じらいというものを教えていなかったかも。
「反省反省」
ざぶざぶ飛沫を上げた明日香がタオルをぽいっと縁に投げ、私の隣に腰を下ろしてふぃーっておっさんみたいな声を出した。
「おおう。気持ちいいいい」
「おっさんみたい」
「細かいことはいいんだよ」
「そうだね」
「おう」
明日香。明日香は何も変わらない。出会った頃よりずっと綺麗に、そして大人になったけど、明日香はやっぱり明日香のまま。
私が明日香を好きなのは私の都合。それで一喜一憂しているのも私の都合。その上さらに私のことを伝えてしまって困惑させてこの関係を変えてしまってもいいものか。それも私の都合なのに。
「ここすげーな」
「ね」
嘘は吐き続けると真実になると誰かが言った。私がすべきことはそれだと思う。
けど、明日香だからなと玲さんは言った。それは明日香を見縊るなよということだと思う。
そしていま私が思うこと、私がしたいことは明日香に伝えたその上で、今までと同ように友だちとしてずっと仲良しでいること。なら。
「よしっ」
私はバシャバシャとお湯で顔を洗った。
「どうしたよ?」
「ん? 気合いを入れたの」
「そうか」
「うん」
私が行くべき道が今決まった、ようなないような。いや、まだ時間はあるしやっぱりもうちょっと悩もうかな。
ヘタレか。ははは。
「なぁ」
「どうしたの?」
「この笠邪魔だな」
「そうなんだよ。結構鬱陶しいんだよねこれ」
「じゃあ取れよ」
「明日香だって」
私の方が正しいと、なんかお互い真顔で暫し見つめ合うような感じになったあと、明日香の顔の表情が崩れていった。当然私の顔も同じ。
「「あはははは」」
私たちは笑う。笑う門には福が来る。どうなるにせよ、最後までこうしていっぱい笑っていようと私は思う。
「どーん」
バシャーン
「「「うわっぷ」」」
飛び込むように湯船に入って来たのはあまちゃん。中々の勢いだったから私と明日香の笠が飛沫と一緒に湯船の向こうに飛んでいって、何かを暗示しているような気になったよ。
「「「ぷっぷっ」」」
けど、先ずは自分にも思い切りお湯がかかったらしく、私たちと一緒になってぷっぷってやっている間抜けとマナーついてお話しないと。確かに私はあまちゃんに温泉のマナーを教えていなかった筈だから。反省反省。
「ねぇ間抜、あまちゃん。他人様に迷惑かけちゃだめでしょう? お話しようね?」
「ひっ」
「ははは。ま、頑張れ水野」
長かったですね。ここまできてくれてありがとうございます。
ウチにヤモリが住み着いていました。薄ら黄色くて黒目で可愛かったですけどどういうこと?
読んでくれてありがとうございます。




