第二十七話
続きです。
よろしくお願いします。
年が明けたよ。
年末年始、明日香と理香と亜衣は帰省、あまちゃんは家族でハワイ旅行、私は勉強ということで、始業式の日に地元で割と有名な神社にみんなで行った初詣も、引いたおみくじを枝に結んで無かったことにしたことも、みんなから学業成就のお守りを貰ったことも、神社に隣接する広い公園の東屋で、出店で買い込んだジャンクフードを食べながらくだらない話と少し真面目な話をしたことも今は昔。なぜなら新年を迎えて願書を出したり何だりしていたら、センター試験を先頭にいつの間にか入試のシーズンが始まって、今はもう二月も半ばを過ぎたから。
その間に、明日香とあまちゃん、理香と亜衣の進路もそれぞれ決まって残すは私だけになった。
そして斯く言う私も今は受験のために東京にいる。ホテルの部屋でひとり、試験に備えて赤い本を開いている時、ふと、地元の冬も寒いけど東京の冬も寒いんだなぁってちょっと思ったよ。
「ふぅ」
今日は二月十五日。私はたった今、試験の終わりを知らせるチャイムと試験官の声に合わせて小さく息を吐きながらペンを置いてもう一度、終わったなぁと大き目に息を吐いた。
「ふーっ」
私の受験は全て一般入試。ということで、やって来たこの二月の十一日の午後、付き添いの宇宙を従えて東京に来て、翌日の入試を皮切りに、続いて一日置いた十四日、更には今日と、受験する大学とコンビニとビジネスホテルをひたすら行ったり来たりした、長いようでも今はあっという間だったなぁと思える五日間を過ごし終えるところ。二月にある私の入試は今日で終わり。
さしづめ今の私の心境は、人事はそれなりに尽くしたからあとはのんびりしながら天命を待つだけ、と言ったところ。残すは三月初めの滑り止めのつもりで受けることにした大学の入試のみだけど、その前に今日受けた大学も含めた全ての合否がわかるから、その内のどこか一つでも受かっていればそれは単なる記念受験ということになる。というかたぶん受けない。受験料を無駄にするのは申し訳ないけど、少なくとも交通費は節約できるから。
試験官が答案をかき集める音を聞きながら私は考えていた。C大とM大とW大と押さえにK大。私が進む大学は果たしてどの大学になるのだろう。いま岐路に立つ私はこの先どうなっていくのだろう、と。
これから広がる私の世界。それは凄く楽しみだけど置いていく人、抱えるモノのことを思うとやっぱり悲しくなるし不安になる。受かっていなければそう思う意味は無くなってしまうけど、実際に受けた試験の手応えや出来の良さから考えてもそれは無い。名前さえ書き忘れていなければ万一にも失敗はない。これで私もみんなと同じ、先に進んで行くことが決まった。
それがこの一年、明日香や私が大事だと思う人たちと過ごす時間を引き換えに、自分の将来を私なりに大事に思って勉強した結果であり私が得るもの。
だからって、私は明日香やみんなとの関係を蔑ろにしたつもりは絶対にない。私は私が出来得る範囲で構い構ってもらっていた筈。
けど、大事だなんだと思いながらも結局は自分のことを優先した結果みたいにも思えるからなんとも言えない複雑な気分になってくる。
「はぁ」
と、大きくため息を吐きたくもなるというもの。
とにかく私の受験はほぼ終わった。私を机に縛り付けていたものが今日でひとまず消えるわけだから、これからあとひと月ちょっとの短い時間でなるべく悔いを残さないよう過ごしておかなくちゃと、目を閉じて腕を組み、あたかも瞑想しているかのような体で私はそんなことも思っている。
そうしているうちに机の上の回答用紙は回収された。受験票と筆記用具も既にバッグの中にある。そわそわしながらみんながその声を待っている。そして短くは無い手持ち無沙汰な時間が過ぎたあと、確認事項を済ませたらしい試験官から退室の許可が出て、途端に周りが騒がしくなった。
私は忘れ物がないかをもう一度確認してからスマホを取り出して電源を入れた。
試験終わった。予定通りに帰るね、夜ご飯は電車の中で駅弁を食べるよと家族のグループにメッセージを入れて、明日香にはメールで、あまちゃんにはメッセージで同じものを送った。それから立ち上がってダウンコートを羽織り、トートバッグを肩に掛けて出口に向かって歩き出し、人の流れに身を任せつつ教室を後にした。
「さてと」
みんなからお疲れ様と返ってきたメッセージに既読を付けてありがとうと入れたあと、ずりぃ、私も駅弁食べたいぞって明日香のメールの一文を読んでふふふとひと笑いしながら買って行くから取りに来てと返したあと、スマホで時間を確認すると今は四時過ぎだった。
「ふむ」
ここは地下鉄早稲田の駅で新宿は近い。地元に帰る電車は午後七時十五分発だから時間に余裕がある。なら密かに計画していた通り、このままちょろっと寄って、ネットで検索したら出て来た、約二年後にお世話になるつもりの社交場がいくつかある、百合通りとかL通りと呼ばれているらしい通りを歩いてみようと思う。私は私の居場所になるかも知れない筈の場所がちゃんと存在することをこの目で確かめたかったのだ。
ルートは何度も調べたから不慣れな街でもたぶん大丈夫。まだ夜にはならないし通るだけだから怖いことにも好奇心を持った猫みたくヤられることもない筈。
荷物は平気。来る時に兄が私の代わりにゴロゴロ引いてくれたキャリーバッグは昨日の夜、参考書とか服とかを詰め込んで宅急便で自宅に送ってくれるようにホテルに頼んでおいたから今の私は肩に掛けているトートバッグ一つで身軽も身軽。怖いことになったら全力ダッシュで逃げることも可能。現役女子高生の脚力なめんなよって感じで。
ということで、私はこれからそこに向かうことにした。
あ、そうそう。これはちなみになんだけど、宇宙と一緒になーさんも付いて来てくれたんだけどさ、その理由がね、また酷いもんだったんだよ。
「美月。受験の時、東京には俺が一緒に付いて行くことになったから。まぁ、その日ホテルまで送るだけだけどな」
ある日の夜、予備校から帰ってご飯を食べていた私に向かってソファにだらしなく座っていた宇宙がそう伝えてきた。
「べつにいいのに。けどわかった。宇宙はシスコンだからしょうがないね。じゃあよろしく、お兄ちゃんっ」
「べべべつにシスコンじゃねぇし。美月が心配だからとかじゃねえしっ。ふたりに頼まれただけだしっ」
「ツンはキモい。それ、なーさんにはやらない方がいいよ。てかやっちゃダメだよ?」
「ぐは」
私の正論たるツッコミに宇宙は大きくのけ反って見せた。ショックを受けたふうをあからさまに装って。けど今のは実は装ったふうを装っただけ。つまり宇宙はショックを受けている。私にはわかる。私は小さい頃から傍にいた兄を知っているから。その兄とももうすぐ離れることになる。私は決して、絶対に、これっぽっちもブラコンじゃないけどそれを寂しく思わないわけでもない。
「それでな美月。その、なんだ、あれなんだけどな」
「なにかあるの?」
何やら宇宙の口がモゴモゴしている。こうして何かを言いにくそうにするのは、私にエロ本を見つけられた時の言い訳とかなーさんのことを揶揄われた時くらいだけど、私は最近は見つけていないからたぶんなーさんのことだろうけど、私は今日はまだ揶揄っていない。
変だなと思いながら私は先を促してあげたよ。
「どうしたの? どうせ大したことじゃないんでしょ?」
「いやその、なごみんじゃねぇや、なごみも一緒行くことになったから」
「そうなの? べつにいいけどなんで?」
「美月を送ったついでっつーか、その、一緒に来てくれたら次の日ディズニー行こうかってなんとなく口に出したらなごみがすげー喜んじゃって、次の日、二月十一日のパスポート買えたよ、ホテルも予約したよってメッセージが来たんだよ。で、あそこのホテルに一泊して次の日遊んで帰ることになったつーか。な?」
「へぇ。そうですかぁ」
なに言ってんだこの男は? と、私は箸を置いて立ち上がり、モナリザのような笑みを湛えながらもソファで寛ぐ兄の前まで幽鬼のようにゆらゆらと近づいた。
「み、美月?」
「ふぅん。そうですかぁ。お兄ちゃんはディズニー行くんですかぁ。なーさんと」
「お、おう」
「ほおう。それはあれですかぁ。私が試験を受けている最中に、ですかぁ。いい気なもんですなぁ」
「い、いや」
「ちっ。折れちまえ、やっ」
受験生を出汁にしてなんてことを計画してんだこの野郎と、こっちはデートなんてしたことないしそもそも出来ないんだぞ馬鹿野郎と、私は無防備な兄の脛を強めに蹴ってやった。折れてしまえば当然ディズニーどころの話じゃなくなると思ったから。
「いってぇ」
「あれ? 折れてないの? 無駄に丈夫で良かったね?」
「ちょっ、なにその笑顔。な、なぁ? もしかして美月、怒ってる?」
「当たり前でしょう? 可愛い妹を出汁に使ってディズニーなんて。おらぁ。砕けろやー」
「ぐっ。うおお、いってぇ」
「ざまぁ」
残念ながら宇宙の足は折れなかった。べつにいいけどって私は思ったよ。ただちょっと宇宙と戯れたくなっただけだから。これだってもしかするとやり納めかも知れないから。
ってことがあったんだよ。酷くない?
「ええと。この辺りだよね」
わからない。
けど、全く土地勘もなく初めての道で少々迷いながらも辿り着いたらしいL通り。L通りはここと、その名を示す看板があるわけじゃないから確信は持てないけど雰囲気的にそんな気がした。スタートラインに立って、今からこの道を行くぞって感じじゃなくて知らない間にその通りを歩いていたように思う。少し空かされた気分になる。
冬の夕暮れ時だから、早くも薄暗くなった通りをあからさまにキョロキョロしないよう気をつけながら、今度はちゃんと意識してそこを歩いてみた。そしてこの辺りまでかなぁと適当に当たりをつけて、そしてそのまま踵を返し来た道を戻った。
戻った理由はもう一度ここの雰囲気を確かめたかったから、と言いたいところだけど、これ以上土地勘のない場所でスマホ片手に迷いたくなかったっていうのが本音。
そして見事にやり切った私はその通りの端で立ち止まり首を捻る。
「うーん?」
社交場はこの通りにちゃんと存在していた。ネットで見た物と同じお店の名前が入った看板もそこかしこにあった。お店の前とか行き交う人たちの中に、言われてみればそれっぽいのかなと思う人たちが居たような居ないような……結局のところそれも私にはよくわからなかったから駄目駄目だけど、私は何をしに来たんだろうとか思っちゃ駄目。何事も経験。次に活かせばいいだけだから。活かす? 何を? って思っても駄目。
だって私はまだまだひよっこのど素人だから仕方ない。次に来る時は夜の、危なくない早い時間にしてみようかなぁって思ったよ。ははは。
「じゃ、帰ろうかな」
「彼女さん何してるの? まさか迷子?」
撤収しようと思ったら私と同じくらいの身長の、歳の頃ならアラサーの、薄っら化粧を施した綺麗で落ち着いた雰囲気の女性に声をかけられてしまった。
「あれ? 大丈夫?」
咄嗟のことで何も返せずその女性に視線を遣ったままになってしまったけど、何かのキャッチとかだったらどうしようと、私は遅れていえ大丈夫ですと返しながら、いつでも走り出せるように軸足たる右脚に体重をかけた。思っていたように現役女子高生の脚力舐めんなよと。
そんな私の様子に小さくくすくすと笑ってその女性は言った。
「ふふふ。えっとね、丸の内線の駅はあっち。そっちの通りを道なりに行って大通りに出たら右に行くと着くよ」
「えっ。そうなの? なんだよ。あ、そういう意味じゃないです。ごめんなさい」
駅近いんじゃん。戻らなくて良かったんじゃん。迷うとか馬鹿みたいじゃん。そう思って素で答えて気持ちまで口に出してしまったから、歳上相手に、しかも知らない人に対して失礼だったなと思い、警戒してしまったことも含めて私はすぐに謝った。
「いいよ。あ、そうそう」
女性はそれを気にも留めず、バッグをゴソゴソ、そこから名刺入れのようなものを取り出して、そこから出した小さな紙を一枚、私の手に握らせるように差し出した。
「これ。あげる」
私はそれを条件反射的に掴んでいた。差し出されたものを無意識に受け取ってしまう、アレだ。
「じゃあね。またいつか逢いましょうね」
二年後? いや、三年後かな? なんて呟いて、バイバイとひらひら手を振ったあと、その女性は私が一往復した通りを入って行く。
一連の事態を上手く飲み込めず、ただ突っ立って為されるがままでいた私が少しの間その姿を見ていても、その女性は振り返ることなくすぐに薄暗い通りに溶けて見えなくなった。
呆然と見送っていた私が何かを握っていたことに気づき、女性が溶けた通りの先から視線を移して手元を見るとそれはやっぱり名刺だった。
それにはネットには出てこなかったように思う社交場の名前と、おそらくあの女性の名前だと思われる華蓮という文字が印刷されていた。私はぞわぞわと戦慄した。
え? なに? え? 嘘? わかっちゃったの? え? マジで?
「おおう」
と、変な声が出ちゃった私の胸にいま去来するこの感情はなんだろう? キツネにつままれたような、ショックを受けたような、ちょっと感動のような、感情がごちゃごちゃと入り乱れて訳がわからないけどいずれ私もこの通りに迎え入れてもらえそうな気がして悪い気はしない。なんならもう一度、通りに足を向けたくなってくる。
「あ」
とは言え今の私が戻ったところでどうしようもない。私はまだお子様で、ここは大人の社交場だから。それにいつまでもこの場所に突っ立っていたら朝になってしまう。私には私を気にかけてくれて私の帰りを待つ人たちがいる。
私はとても大事な物を扱うように貰った名刺をバッグに入れた。
私を受け入れてくれる人たちが居て私を待つ人が居る。それがわかっただけでもう十分。
だから私は頭を切り替えて歩き出した。女性が教えてくれた通りを足取り軽く。わかっちゃうんだぁ、玄人って凄いなぁ、私なんてど素人ですらないんだなぁって思いながら。
「えーと。この道をひたすら道なりに行って大通りに出たら右に行く。ん? 左だっけ? あれ? どっちだっけ?」
「ん…」
何事もなく向こうを出て、乗り換えも待つことなくスムーズだった。東京を出て二時間弱。私は今、いつもの路線に乗っている。
少し夢を見ていたみたい。うつらとして閉じていた目を開ける。向かいの車窓に映るは私の顔で、外は暗いから窓の向こうはよく見えない。それでもわかる。もうすぐ私の住む街に着く。そして私を待つ人が改札を抜けた先で、カッコよくガードレールにお尻を預けていることも。
私はスマホを取り出してもう着くよとメールを送った。
電車がホームに滑り込んだ。私は凝った体を小さく伸ばし、止まると同時に座席を立った。
「おつ椎名」
「おつ明日香。待っててくれてありがとう。寒かったよね」
「べつに気にすんなよ。こっちは好きでやってんだからな」
「そっか。で、これお土産の駅弁ね。和牛すき焼き弁当超ど真ん中。それ凄く売れてるみたい。最後のいっこだった。東京バナナーヌも入ってるよ。あとおこしも」
「おおまじで? サンキューな」
明日香がうおおと喜んでいる。私はこの姿が見たくて帰って来たんだなぁって本気で思ったよ。
「どうする? ウチで食べる?」
「おう。そうする。今日は泊まってくかんな」
「そうして。いっぱい話そう」
「おう」
「じゃ、帰ろ」
「だな」
明日香と並んで歩き出しす。中学、高校と、今まで何度繰り返して来ただろう。
「で? 試験どうだったよ?」
「できたと思うよ」
「さすがだな」
「まぁね」
ただ並んで歩いて帰るだけだけどこれがやり納めとも限らないから、私は寒い寒いと言いながらじゃれつくようにぴょんぴょん跳ねて明日香との距離をゼロまで詰めた。
そしたら、んだよしゃあねぇなぁって言いながら、明日香が私の肩を抱いてくれた。
べつにこれが初めてのことってわけじゃない。わけじゃないけどもしかするとこれが明日香にとってのやり納めで、これが最後になるかもって私は思ってしまった。
「どうよ? これで寒くねぇだろ?」
「ゔん。ざむくない」
だから私は泣きそうになったよ。落ちてしまいそうな涙を溜めて、溢さないように必死に堪えたよ。
お疲れ様でございました。ここまでマジありがとうございます。
もうすぐ高校時代が終わります。その後彼女たちはどうなって行くのでしょう?
読んでくれてありがとうございます。




