第二十話
続きです。
よろしくお願いします。
「じゃあなー。また明日なー」
「バイバイ椎名。また明日」
「うん。また明日」
そう挨拶を交わして、私たちは別の方向へと歩き出した。
「あーあ」
高三になって一月半くらいが経つ中で、週三で予備校に通い出しただけなのに私の生活がかなり変わったように感じている。
私と明日香とあまちゃんで下校する日常は変わらないけど、月水木の放課後は二人と一緒に居られなくなった。予備校に通うくらいちょっとした変化だと思っていたけど案外そうでもなかったみたい。今みたく、駅前での別れ際にまた明日と手を振って、私は改札へ、二人はモールの方へ歩いて行く。振り返って二人並んだ後ろ姿を少しのあいだ見ていると、そこに私の姿がないことに寂しさを覚えてしまうけど、そのうちそれが当たり前になることに、きっと慣れてしまうんだと思う。
「じゃあね。また明日」
「んな? ああそっか。椎名は今日は予備校だっけか」
「うん。だからマクダナルズは二人で行ってね。明日香、お腹減ってるんでしょ? あまちゃん、明日香に付き合ってあげてね」
「わかった。椎名、また明日。明日香、行こう」
「おう。じゃあな椎名」
「バイバイ」
最初の頃はこんな会話をしたけど今はもうしない。思った通り私がその曜日に抜けることに私も二人も慣れてきたから。
この輪から私が抜ける日が出来て、いつか明日香とあまちゃんもそんな日がやって来て、やがて同じ制服に身を包んだ私たち、女子高生三人組の姿をここでは誰も見かけなくなる。その三人組が一緒に歩いた街の景色も変わっていく。
そして今から一年後、楽しげに話しながら歩く、同じ制服を着た女の子のグループを見かけたとしても、それはもはや私たちとは違う別の誰か。見かける人にはその違いがわからなくても私にとっては大違い。私がひとりの女の子に恋をして、みんなと楽しく過ごした二度とは来ない青い春だから、それを想像しただけで私が寂しく思うのは当然のことだと思うけど、来年自分の居場所を探す旅に出る時になって、このままだと抱えていく荷物が多過ぎるようにも思うから、それを置いていく覚悟を残りの時間で育てようと思う今日この頃、さっき二人と別れた私はひとり電車に揺られている。いま吐露した通り、私なりの思いを抱えながらも予備校に行くために。
この時間は残り少なくなってきた二人と一緒に過ごす時間を犠牲にして出来た時間。時間を失って時間を得るとは、私にとってどちらも大事な時間だから、なんとも皮肉が効いているような気がして笑えてくるけど、不本意だろうと本意だろうと、大事な時間を潰してまで得たこの時間をせめて有効活用するために、私は民法のテキストを開いてその条文の一つを頭の中で繰り返している。
「ええと」
454条 保証人は、主債務者と連帯して債務を負担したときは、前2条の権利を有しない
ほぉん……て言うか前2条ってなんだったっけ?
催告の抗弁権と検索の抗弁権。
「あー」
大丈夫。私は大まかに理解している。つまり、もの凄ーく砕いて言えば、私より先に本来の債務者であるアイツに請求してくれよーってやつと、先にアイツに言えよー、アイツお金持ってると思うからさぁってことだったような?
うん。そうそう。まぁそんな感じだね。よし、と。
いやぁ。何にしても恐るべし連帯保証人。絶対になるもんじゃないね、うん。
と、一人の時はこんなふう。たとえ悩みがあっても寂しくても、モノを抱えていようとも、いずれ自分の足で立って生きていかなくてはいけないんだから、この先取れる選択肢を広げておくに越したことはない。これはそのための時間。
「ええと。判例は…」
と言うことで、耳で鳴っている筈の音は今は全く聴こえていない。そういう時の私は今で言うところのオールコンセントレイションとか言う状態だったと思う。残念ながら観たことがないからよくわからないけど言葉的にはたぶん合っていると思う。間違っていても気にしない。だって観たことないんだから。
全てを集中させていても車内アナウンスには反応する不思議。今日も乗り過ごすことなく予備校がある電車を降りて繁華街を歩くこと約三分で予備校に着いた。用を足してから広い教室に入り、何回か通ううちにどうやら私専用の席になったっぽい、前とも後ろとも言えない絶妙な位置にある三人掛けの端の席に着こうと歩いていくとその一画には既に男の子が席に着いていて、その列の真ん中の席を飛ばした反対側の端の席には他校の女の子、水谷さんが座っていた。さらにその後ろにはもう一人、水谷さんと同じ高校に通う女の子、中川さんが座っていて、そして私がその列の真ん中の席を飛ばして彼女の反対側の端に座るといういつもの配置、私たちを点として、それを結べは四角形が完成する。
今、私が欠けた最後のピースみたいに言ったけどそれは違う。仲良しなのは四角じゃなくて私を除いた三角だから。この面子では私は敢えての異物のつもりでいる。遠目にも楽しく談笑している様子がわかるけど私はそれには自分からは加わらない。
「よっ。来たな」
「おっつー」
「おっつー。椎名っち」
いよいよそこに近づいて行くとみんなが揃って私に挨拶をしてくれた。
「おつ。みんな」
私も軽く手を振りながら笑顔で挨拶を返して席に着いた。
それで満足したらしく、見事な三角形、デルタ地帯を形成している三人はまたお喋りに興じ始めた。
「でさ」
「まじかよ」
「あはは」
それが少しうるさいのはいただけないけど私は音がしているイヤホンで耳に栓しているようなものだし授業が始まれば静かになるから放って置く。
嫌なら移動すればいいんだけど、ご存知私は察しが良くて空気を読める人だからそんなことしない。私はバランサーだからお腹に一物抱えていても余計な波風はなるべく立てないように出来ちゃう人。性格に裏表があるところはそっくりだけど、この程度なら余裕で流せる私はあまちゃんとはやはり違う。
そして驚くなかれ、前の席で女の子二人にチヤホヤされて喜んでいる男の子はなんと同級生の佐藤なの。偶然にも、予備校が一緒になってしまったわけ。
で、私はピンと来ないけど、佐藤はウチの学校で女子からイケメンと言われているから、男避けとしてこの男を使わない手はないわけ。
ここで声を掛けている生徒をちらほら見かけたし、私も声を掛けられたけど佐藤が近くにいるようになってからはそれもなくなった。私がこの状況を許容しているのはそれが理由。逆に週に三回は絡まなくちゃいけないとか面倒臭いなぁと思うけど、知らない男の子たちに絡まれるよりは全然マシだから私としては有り難く男の子避けになってもらっているってわけ。
それについては私はちゃんとお礼を伝えたし、親指まで立てて見せてあげた。
「ねぇ佐藤」
「なんだ?」
「グッジョブ」
「おお? おう。おう?」
こんなふうにね。私はお腹が黒くても義理堅くってちゃんとお礼を言える人だから。
ちなみにだけど、佐藤と楽し気に話している水谷さんと中川さんとはバスケ部の佐藤に巻き込まれる形でなし崩し的に顔見知りになっただけ。女バスなんだって。どおりで二人とも明日香並みに背が高いと思ったよ。
「椎名。お前もこの予備校にしたんだな」
初日、早めに着くようにしたら、やたらと声をかけられた。トイレに篭ってそれを躱したあと、どうにか着いた席で何も聞こえませんという体を装うつもりでイヤホンのボリュームを上げて民法のテキストを読んでいたらまたしても男の子が声を掛けてきたの。
うるさいなぁどっか行けよって思いながら無視していたけどしつこいから思わず舌打ちしちゃって、仕方なく顔を上げたら佐藤だったってわけ。
ああ、そうそう。忘れていると思うから一応伝えておくけど、佐藤はいつぞやの体育館裏で告白された時の善意の仲介者。背中を押されたなんとか君にはきっとそうだっただろうけど私には善意どころかありがた迷惑な仲介者。だから、立場が違えば受け取り方が変わるということを何もわかっていない、告白という迷惑を被った私からすれば佐藤は良くも悪くも男の子、という印象で評価は普通。
で、その佐藤が目敏く私を見つけて私の前の席に座って来たわけ。
「ちっ」
「え。舌打ち?」
「あ? いい加減にし、あ、なんだ。鈴、じゃなくて……あっ、佐藤だっ」
「やべぇ。一個一個ツッコミみてぇ」
「やめてよ面倒くさい。ちょっとごっちゃになっただけでちゃんと思い出したんだからそれでいいじゃん。そういうのってよくあるじゃん」
「そういうとこもツッコミてぇんだよなぁ」
全くこの女はって言いたそうにしていたけど私はそのツッコミにいちいち応えるつもりはない。第一、イラってするならどこかに違う席に座ればいいと思う。至極真っ当で簡単な話だから私はそれを提案してみた。
「あの辺とか空いてるよ?」
「くそー。なんか腹立つわー」
ところが佐藤は我慢強い性格なのか、文句を言いながらも私の前の席の机にドサって鞄を置いてそのまま席に座ってしまう始末。体を半身にして横を向きに。仮にも私の陣地である机に偉そうに肘を置いて。
「えー」
「えーって。まじ傷つくわー」
行かないんだぁ、行かないかぁ、そうかぁ、て思ってつい、えーっていう不満ぽい音を口から出しちゃって、そのあと、お前俺に厳しくね? 普通でしょこのくらい、打たれ弱いね、大丈夫? なんて話をしていたら、今度は件の彼女たちが目敏く佐藤を見つけてこっちにやって来たの。
「あ。佐藤くん」
「本当だー。久しぶりー」
「おー。水谷さんと中川さんじゃん。二人もここに通うんだな」
「そうだよ」
「うん」
「なに? 佐藤の知り合い?」
明らかにテンションアゲアケお目目キラキラハートマークになっている背の高いこの二人は何者なのか。盛り上がっているうちに席を移動すればよかったのに好奇心に負けてつい訊ねてしまった。私もまだまだ。あまちゃんようにはバッサリとはいかなかった。ど素人がって言われそう。
「ああ。二人は北高の子。バスケ部関係でな」
「へぇ。佐藤ってバスケ部だったんだ」
「なんだよ。知らなかったのかよ」
「しし、知ってたけど?」
「くっそおおお。ツッコミてぇぇぇ」
「あ。そう言えばウチのバスケ部って、あと二十回くらい勝ち進めばインターハイに出場できたんだっけ? 惜しかったね」
「無視かよっ? しかもそれ全然惜しくねぇじゃねぇか」
「ははは。佐藤は細かいなぁ」
「ぐぐぐっ」
で、こんな話をしていたら好き好きオーラ全開の水谷さんと中川さんが、言っておくけど佐藤くんはバスケすっごく上手いんだからねってツンデレ風味で教えてくれた。
「へー。そうなんだ」
「ふふん」
二人の言葉を聞いた佐藤も鼻をピクピクさせて満更じゃない顔を私に向けていた。水を向けたのは私だけど私は全く持って興味がない。
「佐藤ってドヤ顔とかまじでやっちゃう系なんだね。恥ずかしいからやめた方がいいよ。いや本当に」
「ぬぐぐぉうおおお」
「なっ。佐藤くーん」
「えっ。ちょっと大丈夫っ?」
「さてと。えー、判例は、と」
この面子の出会いはこんな感じ。
それ以来固まって仲良いふうにしているけど私と水谷さんと中川さんに関しては手遅れだろうなぁという気がしている。嫉妬が混じっているし、私にそのつもりがなくても好きな人を馬鹿にされているようで内心穏やかでいられないだろうから仲良くなれないと思う。
だからって私がフォローする気は更々ないし仲良くなるつもりもない。だって私の場合、他人に対してきっちり線を引くことが凄く大事なことだと思っているから。当たらず触らず、なんならあんまり好きじゃないんだよねーって思われるくらいが丁度いいと思っているから。
そんなふうに考える私だから、佐藤は単なる同級生の顔見知りのまま、彼女たちは私を好きじゃない私と関わり合いたくない人のまま決して友達にはならない。上手く隠しているつもりでも思いは言葉や態度の端々に出てしまうものだと私は思うから、彼女たちはそれを敏感に感じ取っていると思う。彼女たちは佐藤がいるからここに居るだけで、居なければ二回目以降一緒に居ることは無かった筈。私がそう仕向けたんだから。
私はそれを残念だとは思わない。私はそうすることで私を守っているつもりだから。私は私と同じ人以外に私が抱えるモノに多少なりとも気づいて欲しくも触れて欲しくもない。
私が残念に思うことは、自分を守ることで、得難い友人を得られるかも知れない機会を失ってしまうことを残念に思わない私のこと。
なんだかなぁって思うけど、私は女の子が好きなんだ、へーそうなんだでも終わらない以上、他に守る術を知らないんだからしょうがない。自分を守りたいのなら、損をしようが嫌われようがその辺りを割り切っていないとやっていられないの。バレるよりマシ。怖いものは怖い。
「椎名はどう思うよ」
「さぁ? でもいいと思うよ」
「聞いてねぇだろ」
「よくわかったね。天才じゃん」
「ぐっ」
それでも変わら私にずちょっかいを出してくる佐藤は、そういう意味では少し足りないのかも知れない。いつかどこかで大ポカをして大変なことになるんじゃないかと思う。可哀想に。心配はしないけど同級生のよしみで一応の忠告はしておこうと思う。
「佐藤」
「ん?」
「気をつけなね」
「え? なにを?」
「駄目だよ佐藤。そうやってなんでも訊いちゃ。少しは自分で考えないと」
「っ、だぁぁぁ」
「うるさいなぁ。静かにしてよ」
「ぐおおおお」
「「ちっ」」
怖いんだよ。こうやって佐藤で遊ぶとね、女の子たちの雰囲気が悪くなるの。
けど私だって彼女たちの妬きもちなんざ食いたくねぇし。誰にも取られたくないのならウジウジしていないでとっとと好きって伝えればいいし。伝えたくても伝えられない人だっているんだからな。目の前になっ。少数派だけどなっ、って思う。
なにはともあれ鞄からペンケースとテキストとノートを取り出して机に置いて準備万端整えようとしたら私の机に乗っている佐藤の腕が邪魔だから厚めのテキストでえいってやってやった。
「邪魔だよ」
「いっ、ぬああ」
偶然肘のじぃぃんて痺れるツボに当たったみたいであああって言っている。佐藤は割りかし面白い奴なのかも知れない。
「さてと」
あと十分強、授業が始まるまで耳に栓という名のイヤホンの音とともに、私はまたもや民法のテキストを開く。もはや佐藤の肘や周囲の雑音なんて気にもならない。
「ええと。なになに」
変わり始めたここ最近の私はこんな感じで過ごしている。明日香とあまちゃんとの時間が減って鬱屈しているけど一応元気でやっているよ。
「おい椎名。講師来てるぞ」
「え」
佐藤が私に振り向いて、自分の耳を指して教えてくれた。
「あ」
焦って前を向くと心なしか講師が私を睨んでいるようにも見える。
私は慌ててイヤホンを外しながらちょっとだけ佐藤に感謝した。懲りずに絡んでくるようなら無碍にしないでまた遊んであげようって思った。けどやっぱり面倒くさいんだよなぁ。
そしてその帰りの電車の中。イヤホンを耳に突っ込んで、なぜか落ち着くドアの端に立ちながらオールコンセントレイションを発動されているとメッセージの着信音がして、反射的にそれを開いたら超嬉しくなってしまった。私は気持ち悪いくらいにニマニマしていだと思う。
集中力はもはや途切れ、あとひと駅の距離ががやけに長く感じてしまう。
ドアが開くと同時に飛び出して階段を早足で降りて行く。そして改札のその向こう、ロータリーのガードレールにカッコよく座っている制服姿の明日香が見えた。その横には同じく制服を着たあまちゃんの綺麗な立ち姿。改札を抜ける私に気づいて二人が同時に手を上げた。
我慢の限界。私は二人に向かって駆け出した。まるでわんわんのようだけど気にしない。うれションしなければ大丈夫。
「「おつ」」
「どうしたの?」
「カラオケしてたらこんな時間になったからな。そろそろ椎名が帰ってくんじゃねぇって、な?」
「そう。で、メッセージ送ってみた」
「へー。そうなんだ。ふーん。私が勉強している間に二人は楽しく歌っていたんだね。へー」
「拗ねんなよ。でな、もし会えたら今日はこのまま椎名んち泊まっちまおうって水野と話してたんだけど、どうよ?」
「え。まじ?」
「「まじ」」
「明日学校あるよ? 明日香は大丈夫だろうけど、あまちゃんは大丈夫なの?」
「大丈夫。連絡した」
「替えとかは?」
「「買った」」
「そっか。ならおいでよっ」
「おう」
「うん」
「あ、ご飯は? 冷凍したものでよければウチにあるけど」
「食べたけどなんかあんなら食べるぞ。夜中に腹減っちまうからな」
「わかったよ。いっぱいあるから好きなの食べて。よし。じゃあ行こう」
「おう」
「うん」
「椎名。わたしアイス食べたい」
「あるよ。ボーデン」
「「ボーデンっ」」
「え。なんでそんな驚くの? 美味しいじゃんボーデン」
女の子三人、かましくしながら横に並んで夜道を歩く。
別れた私が寂しげに見えたのか、それとも二人が寂しく思ったのか。私を待とうと言い出したのはどっちだろうとふと思ったけどそんなのは些細なこと。どっちにしたって私は今夜のことを忘れない。
見上げれば瞬く星々と綺麗な月。光る月が私たちを見ている。優しげに。
完璧な私たちの世界。
お疲れ様でございました。
今回、一度書き上げたものに納得できず下書きごと全消しして書き直したものがこれです。折角書いたのにって気持ちに後ろ髪を引かれつつも、えいってデリートしてやりましたっ。
読んでくれてありがとうございます。




