明日香
続きです。
よろしくお願いします。
「すっずっがーなるー」
学校が冬休みに入って迎えた今日はクリスマスイブ。ここ数日は繰り出す街のどこに行ってもジングルベールジングルベールってうるさくていい加減うんざりする。それはこの商店街も例外ではなく、スピーカーから商店街全体に流されているクリスマスソングに釣られて気付かないうちに口ずさみそうになるのをどうにか堪えたりすることに私はほとほとうんざりさせられているけど、ここを訪れる人たちの間にはどこか浮かされている空気が漂っているように思える。
だからと言ってせっかくのクリスマス商戦に便乗しようにも、どうにもしようがない定食屋には全く関係のない話だから、クリスマスだろうが何だろうが私のすることはいつもと何も変わらない。
「お。いらっしゃいっ」
つまり私は今日もまた、いつもの週末と同じように威勢のいい気が効くよくできた看板娘として忙しいお昼時の手伝いをしている。
「こんにちは明日香ちゃん」
「ここんとこ毎日冷えるねぇ」
「おっちゃんもおっちゃんも、いつも来てくれてあんがとな。いま片付けるからちょっと待っててくれ、あ、ださい」
「明日香ちゃん。無理しなくていいよ」
「そうそう。丁寧にされると逆に気持ち悪りぃよ」
こんなふうに、同じ商店街で商売をしている常連のおっちゃんたちやおばちゃんたちや近所の人たちに可愛がられてひたすらに甘やかされたお陰様で混んだ店内を手際よく捌いていくのももう慣れたもの。その手腕たるや、もはや達人の領域と言ってもいいくらいだと自負している。うはははは。
「そっか。ならちょっと待っててくれな」
私は素早く空いたテーブルまで行って残されていた食器をさっさと片付けて腰にホールドしておいた布巾でテーブルを拭いた。
「おっちゃんたちー。ここ空いたぞー」
「「おう」」
片付ける食器を持ったまま、おっちゃんたちが席に着くのを待って注文を聞く。
「今日は? なんにする?」
「「日替わり」」
「はいよ。日替わり二つね。いま水持ってくるからな」
私は伝票にささっと日替わり×二と書き込んで、厨房の母に伝えるために踵を返す。
「六番さん日替わり二つなー」
「畏まりー」
「さっきからなんなんだよそれ。べつにいいけどよ」
私の呆れた顔とは逆に、母さんは楽しそうに笑った。なんとなく胸に来るものがある。
こうしてバタバタとお昼時を過ごし、徐々に客足が減ってそろそろ営業時間の終わりが近づいた午後三時より少し前、最後の一人だったお客さんが出て行って、私もその後をついて営業中のプレートをひっくり返して支度中に変えて暖簾を下すために外に出た。
「ありがとうございましたー」
「ご馳走さん。美味かったよ」
最後のお客さんにもう一度声をかけてから、今日も商売繁盛で万々歳、このまま行くと二号店とか出せそうだよなーすげーなーって思いながら、んーって唸って大きく伸びをする。
それから店に向き直り、プレートをひっくり返して暖簾に手を伸ばす。私は背が高いから掛けるのも外すのもお茶の子ちゃいちゃいのちゃいってもの。
「よっ」
それを外して両手で持つ。
この時に暖簾を横にして持っちゃ駄目なんだよ。両端が引っかかって、口に咥えた棒が引っかかって扉の先に行けなくて必死こいて通ろうとするわんこのようになっちまうからな、なんてことを考えてひとり忍び笑う。
「くくく。ちょっとやってみっか。おりゃ。あだっ」
「くくく。おもしれー」
「明日香。お前何やってんだよ」
横にした暖簾が扉と壁に引っかかって通れなかったことに満足しつつニヤついて、いい気分で店の中に戻ろうとしたらやけに馴れ馴れしく私を呼ぶ声がした。
「あ?」
私の奇行を見やがったのは一体何処のどいつだよ、なんで見んだよ恥ずかしいだろうが、どっかで喋んじゃねぇぞまったくよぉと、目にものを言わせるつもりで振り返ると見知った顔が微笑んでいた。
「よっ」
私は少しだけ身構える。表情を消して無防備だった心に壁を造る。
なぜそうするのかと言えばこの男は私としては前と違って最近は会いたくない相手だから。
私がそう思うのは、私が大事にしているものに取って代わろうとする男だと気づいたから。
私がそれに気付いたのは最近。この男にそんな気はさらさら無いとしても、私の気持ちと照らし合わせてみた結果としてその可能性がないとは決して言えないとわかってしまったから。私はそんなことを少しも望んでいないのに。
「なんだ樹さんかよ。今頃昼めし? 悪いけど今日はもう終わりだぞ」
そう言いつつ持っていた暖簾を大袈裟に見せて空いている手でプレートを指した。
「いや。飯じゃないんだ」
じゃあ一体なんの用なんだよと、自然と私の眉がピクって動くと同時に目が細まった。私は警戒レベルを上げるべく、心の壁をもう一段高くしながら出方を窺う。
「じゃあなに? お誘い? 悪いけど今日は予定がある。それに前にも言ったけどさ、私は卒業するまで誰とも付き合う気はないよ」
「わかってるよ。違うから落ち着けって。これを渡そうと思って寄っただけなんだよ」
目の前に突き出された私でさえ知っているブランドの袋。その中には綺麗にラッピングされた幅のない枕くらいの大きさの箱があった。隠すことなく持っていたから見えていたけど私はそれが私への物だとは思っていなかった。
「なんで?」
「なんでって。今日はクリスマスだろ。だから明日香にプレゼントだよ」
「はぁぁ」
嬉しくもないしべつに欲しくもないんだけどと、私はあからさまに小さくないため息を吐く。
「あれ?」
すると樹さんが大抵の女の子はクリスマスとかそういうイベント事が好きな筈だよなってなんかぶつぶつ言い出したけど樹さんは私の恋人でも彼氏でもない。クリスマスに限らずそういったイベントに託けて仲間とわいわいやるのは好きだけど、恋人同士とか彼氏とか、そういう意味でのクリスマスなんて今は要らないし望まない。好きだなんて言われても今はありがた迷惑の邪魔なだけ。私にとっていま大事なものはそれじゃない。私の大事なものは他にあって、私はそれを手にしている。離すのはもう少し先のことで絶対に今じゃない。
「あのさ、樹さん」
「おう」
「悪いんだけど貰う謂れがないし高価なものならなおさら受け取れない。ウチらはただの知り合いで、物を贈ったり贈られたりする関係じゃないんだからさ」
こんな口を聞くと、コイツ何様だよと樹さんに嫌われるかも知れないけど私はそれでも構わない。
早くとも高校を卒業するまでは恋人だの彼氏だのなんてものは私に必要ない。恋なんて、生きてさえいればその相手が誰であれこの先いくらでも出来る筈だし、その時、その相手がいま私の目の前にいる男じゃなくてもべつにいい。たとえ私が微かにでも、この男を男として意識していたとしても邪魔になるなら私は要らない。
「そんな高価なもんじゃない。マフラーだよ。マフラーなんて無難なクリスマスの贈り物の定番だろ。一応明日香に使って欲しいって気持ちは込めてあるけどな」
「そういうこと言わないでくれよ」
「ははは。悪い悪い。ま、とにかく受け取ってくれ。女性用だから貰ってくれないと俺じゃ使い用がないから困っまちまう」
玲にやるのはなんか癪だし母親には別にあるしな、ははは。って笑う樹さんは素気無い私に怒るわけでも不機嫌になるわけでも特に何を思うってわけではなさそうに見える。
「なら行きつけの飲み屋のねーちゃんにでもあげたらいいじゃん」
「馬鹿。マフラーなんかあげたら、ショボっ、マジ要らねー、これだから貧乏人は、ぷーくすくすって笑われちまうだろ」
「そんなの知らねぇよ。けどまぁ、そういうことならありがたく貰っとく」
「おう。そうしてくれ」
私は暖簾を脇に立て掛けて、埃を落とすつもりでパンパンと軽く手を叩いてからそれを受け取った。
「悪いけど私は何も用意してないよ」
「俺が渡したかったから渡しただけだから気にすんな。明日香の言う通り、俺たちはそういう仲じゃないんだからな。今は、な」
「言ってろ」
「けど、明日香に謝らせてばっかになっちまった。そんなつもりはなかったんだけど、変にプレッシャーかけて俺の方こそ悪かったよ」
「べつにいいよ。たださ、この際だからはっきり言っておくわ。私は今の生活のリズムっての? それが凄く気に入ってんだよ。だから誰にもひっ掻き回されたくないんだ。頼むからほっといてくれよ」
「…わかったよ。そう言われちゃしょうがないな。ははは」
樹さんは一瞬だけ傷ついたような顔を見せて寂しく笑った。
そしてすぐ、会えてよかった、んじゃ、渡せたことだしもう行くわと、それ以上しつこく何かを強請ったり食い下がったりせずに来た方へと戻って行く樹さんは振り返ることなくずんずんと歩いて行ってあっという間に人に紛れて見えなくなった。
「ったく。面倒臭せぇなくそっ」
告られるタイミングさえ違っていればきっと好きになった筈の人を傷付けてしまった。私の初恋になりそうな淡い想いは少しの痛みを残して儚く霧散してしまった。
それ自体については後悔なんてしていないけど私に良くしてくれた樹さんを傷付けたことについては頗る気分が悪い。
胸がチクチク痛むのは、大事なものと引き換えにしたとは言え、好きになりかけていた気持ちを押し込めて、自らその可能性を摘んだことで柄にもなく落ち込んでいるのかも知れないけど本当のところはよくわからない。なんてったってこれは私が初めて経験することだから、これがそうだと知ることは今の私では難しい。
「はぁ」
樹さんに告げたことは確かに本心からのものだったけれど果たして私はそれでよかったのかどうか、告げるにしてももっと上手く出来なかったのかと、自分の胸の内に問いかけていた。
「おっと」
プレゼントの入った袋を持ったまま考え事をしていつまでも店の前に突っ立っているわけにもいかない。私は猫だの狸だのの置き物じゃねえんだから。
私は疲れた気持ちを引き摺って、店に戻ってまだそのままになっていた最後のお客さんの空いた食器を下げ、それを洗うべくシンクに置いたところにテキパキと慣れた手付きで夜の仕込みをしていた母が私に声をかける。
「明日香、これから美月ちゃんの家に行くんでしょ? あとはいいから支度しておいで」
「べつに急いでないしこれだけだから」
「いいから」
ほら交代。そんな感じでシンクの前から私を退かそうと母が体をぶつけてぐいぐい押して来るけど私はビクとも動かない。
それはそうだ。私はとっくに母よりも大きくなっているし、いまだ、自称成長期なわけだから。
「なにやってんだよ。こんなのすぐ終わるからそのまま夜の仕込みでもやってろって」
「こうしてみると明日香も随分大きくなったのねぇ」
「いきなりなんだよ。話聞いてんのかよ。ちょっ、なんだよ頼むからやめてくれよ」
あんなに小さかったのにねぇといきなり母性を発動させて、やけに感慨深げに私の髪を撫で始めた母。お父さんも生きていれば絶対喜んだろうにねとディープな感情まで発動させてしまった。
こうなると撫でる手を払うことは出来ない。それで父を失ってぽっかり空いてしまった心の隙間を埋められるというのなら母が満足するまで付き合わなければ。
「よしよし」
「よしよしとかマジで勘弁してくれよ」
「いいでしょう。いくつになってもあなたはずっと私の子供なんだから」
「いや、そりゃそうだけどよー」
なんだよなんの拷問なんだよこれって思いながらも、私は暫く母に付き合ってやった。
「疲れた」
更に疲れた気持ちを引き摺って部屋に戻って貰ったヤツをベッドの上に放り投げ、のそのそと服を着替えたあと、バッグに泊り道具を詰め込んで、準備万端、最後に机の上に置いておいた、これまたクリスマス仕様に綺麗にラッピングされた箱を手に取った。
一度ベッドの上に視線を遣って、使うつもりのないそれを見ながら首を振りつつ持った荷物を床に置き、ベッドに近づいてそいつを掴んでクローゼットの奥、目のつかない場所にしまい込んだ。これでそのうち忘れてしまうだろう。
そのことになんとなく満足して、床の荷物を持ち直し、気分を新たに部屋を出ようと動きを止める。
そう。私は気づいてしまった。私はクリスマス仕様にラッピングされた箱をじっと見つめる。
「これ絶対やべぇだろ」
さっきの今だと用意したこのプレゼントを母に渡したりなんかしたらさっき以上に何をされるかわかったもんじゃねぇぞって思ったから、あっぶねーって口に出しながら、直接渡さず居間のテーブルに置いておくつもりで机に戻ってペンと付箋を手に取った。
「おし」
メリークリスマス、母さんいつもありがとうって、さっさと書いた付箋を用意してあった母へのプレゼントの箱に貼り、それを抱えて今度こそ部屋を出た。
「じゃあ行ってくるわ」
プレゼントをテーブルに置いてから、厨房に顔を出し、そこに居る母に声をかけると、いってらっしゃい、気をつけてねといつもと同じ言葉が返ってきて、私はそれにわかってるよって返しながら足早にそこを後にして、店の入り口とは別にある玄関に向かい、メットと鍵と原付のキーを掴んで家を出た。
にしても。
いってらっしゃい気をつけてね
「か。やべぇな」
小さな頃から出かける時にはいつもそう声をかけ続けてくれた母。荒れていた時も今も同じ。今のところは変わらなくても、父のこともあるし、それがいつまでも続くなんてことはない。いつまでも聞かせてくれるもんじゃない。当たり前だったことはいつか当たり前じゃなくなる。だからこそ大事なものだと言える。
良くも悪くも周りは変わっていくし私も変わって行く。いつまでも同じではいられない。
けど、私にとって今が凄く心地いいから何も増やしたくないし減らしたくない。今の私の世界は完璧に、じゃなくてもそれなりに完成していると思うから。
この先私の人生がどうなっていくのか楽しみだけどあと一年とちょっとの間、私の長い筈の人生の、たった一年とちょっとの間、離れる日まではどうかこのままでいさせてくれと、父が居なくなってしまった時に私のどろどろした恨みや辛みの感情を遠慮なしにぶつけた相手に本気で頼む。
「ふーっ」
メットを被ってエンジンをかけた原付に跨ったまま、大きくひと息吐いて私は気持ちが落ち着くのを待った。
少ししてから乱暴に目を擦る。それから携帯を取り出して、今から行くわとメールを送る。
間を置かず帰って来たメールは気をつけてねと六文字のみ。簡潔ながら伝わる何か。ウチにタコ焼き器あるからさ、その日はタコパーしようよタコパーと騒いでいた椎名が目に浮かぶ。椎名がいて私がいて、そこに水野が絡んでくる私の日常。それが今の私にとって色恋よりももっとずっと大事なもの。今日も楽しくなりそうな予感しかしない。
「ははは」
そう思うだけで気分は笑い声が出るくらい良くなってくる。気分は大分マシになる。この分なら着く頃には気分はすっかり落ち着いてフラットになっている筈。
私は今から今しか傍にいることの出来ない私の大事なものに会いに行く。傍で過ごす時間は今を過ごすこの時間を置いて他にない。それは短い時間だからこそ凄く特別に思うし殊更に大事にしたくなる。他のものになど構ってはいられない。
「だよな。おしっ。んじゃ行きますか」
携帯をしまってバイザーを下ろし、アクセルゆっくり開けて若気の至り、ぶびびびびと大きな音を鳴らして家を後にした。
「ちっ」
その三分後。私はアクセルを開けて原付を軽快に走らせている。
ぶびびびび、ぶびびびび、ぶびびびびびびーん
「……ちっ。んだようるせぇなぁ。マフラー元に戻すかぁ? うーん」
お疲れ様でした。今話は割と短めに纏めることが出来たのではと思う今、皆様いかがお過ごしでしょうか? なんちゃって。
それはさておき、ブクマありがとうございます。書きたいことを好きに書いているとは言え励みになりますです。
読んでくれてまじありがとうございます。




