黒田 明日香 前
続きです。
長くなったので前後に分けました。
よろしくお願いします。
「お。来た来た」
「よっ理香。亜衣も久しぶり」
「そうでもないよね?」
「亜衣。細かいことはいいんだって」
暑くも寒くもない月のとある土曜日の午後四時。私はウチの定食屋の手伝いを終えたあと、原付を飛ばして待ち合わせをしていた中学の時の仲間、理香と亜衣に会った。
ちな、原付は他の場所に止めて羽のように軽い半キャップのメットだけを持っている。椎名はこれを見る度に、駄目だよそれ、死期を早めるヘルメットじゃん、と何処かの看板に書かれていそうな交通安全の標語みたいに言ってくるからそれなりの物に買い替えるかなぁと思っている。
「明日香の髪、結構黒くなったよな。やっと見慣れてきた」
理香が金のとこなんてこれしか無いなと右手の親指と人差し指で三、四センチくらいの幅を作ってみせた。私は中二の二学期くらいからずっと金髪だったから、今は会う度に、黒に戻すのかよ今さら似合わねーだろーなんて言っていた。
「だろ。もう少し伸ばしたらそこだけ切る。そしたら完璧な清楚系黒髪美少女の完成だな」
「清楚はない」
「それは無理でしょ」
「んなことないって。元がいいんだから黙って微笑んでりゃいけるだろ」
「自分で言っちゃってるし」
そう言いながら姿勢を正して薄く微笑みを浮かべ、足をモデル立ちにしてお腹の辺りで甲を前にして手を重ねる。そのままでいること十秒くらい。手にぶら下がる死期を早めるヘルメットがちょいと邪魔だけど絵面としては十分いけていると思う。
「な?」
「いや。無いわ。清楚な微笑みってより薄ら笑って威圧って感じだな」
「ね。微笑んだままそのへなちょこメットで殴りかかって来そう。その薄ら赤いのって血で染まっちゃったんだよね?」
「ピンクだよ。なんだよ薄ら赤って。まぁいいけど。でさ、取り敢えずなんか食べたいんだけど。ビッグマクダナルズバーガーとか」
私は小腹が空いていた。普段なら店の手伝いのあとに母さんが、これ残っちゃったか、明日香、食べる? とおかずを出してくれたりおにぎりを作ってくれるけど、今日は二人に会うために急いで出て来たし、私は凄く育ちがいいからいくら食べても空くものは空く。だから食べる。今も胸が育っているのはよく食べるからだと思う。あとは牛乳。
だからもしも誰かがそうなることを望んでいるなら信じる者は何とかって言うし、騙されたと思ってまずは一年、毎日飲んでみるといいよ。
ま、私は時々くだらない嘘を吐くけどな。
「ははは」
「なにいきなり笑ってんの? 怖いわ」
「あ。悪い悪い。で、マクダナルズ?」
「いやカラオケ行かね? 五時までに入ると部屋代半額になる券があるんだよ。それにそこなら食べもんもあるしさ」
「お。いいなそれ。おし。食ったら久々に気合い入れて歌うか」
「明日香は見学な。お前マイク離さないから。今日は大人しくうちらの歌聴いてなんか食ってろ」
「そうそう。ジャイ香は大人しくしてて」
「んだとこら」
「「ひゃー」」
走って逃げ出す理香と亜衣。私も走り出そうとして二歩で止まる。
「っと」
私はもうこんな場所で走らない。カラオケの店の場所はわかっているから走って二人を追いかけない。今は人の多い時間帯。走れば他の通行人に迷惑をかけるかも知れない。なにより私はもう、なるべくならのできるだけ、赤の他人に迷惑をかけるつもりはない。
自分の勝手な行動が何にどう影響するかわからないってなんか怖いよね、と椎名はそう言っていたっけ。
「明日香遅いぞー」
「大御所感満載だね」
これで居なかったら馬鹿みたいだなと思いながら普通に歩いてカラオケの店へ。そこで待っていた二人と合流して、理香が受付を済ませて部屋に入った。
「理香はなに歌うんだよ?」
「すげーやつ」
「すげーやつってなんだよ」
「バカだねー」
「うるせー」
「っと、注文注文」
中学二年の時、私は荒れた。母とくっ付いたあの男。始めの頃は普通にいい人だと思っていた。母も幸せそうだし嬉しそうだっだから特に何も思わなかった。あの日までは。
あの男が私の風呂上がりの、薄いシャツと短パン姿を見てから、私に向けられる視線がやけに気持ち悪いものに変わった。その、舐めるようなねっとり絡みつくような視線が本当に気持ち悪くて仕方なかった。いくら私の発育がいいとは言え当時私は十四。ガキに欲情するとかまじいかれてんだろ。
だからあの男がいる日は家に帰らなくなった。つまり私は逃げたわけ。男から。そして逃げなくてもよかった筈の母からも。私は弱い人間だったってこと。
逃げていいじゃん。十四の小娘になにが出来るの? けどなぁ、逃げ込んだ先がちょっとなぁ、いや、みんな人はいいんだけどさぁって椎名は言っていたけどな。ははは。
そうして街を彷徨いて時間を潰しているうちにやんちゃな人たちと知り合ってバカやって、その間に二度補導されて母に迷惑をかけた。
それでもあの頃は迷惑をかけたなんて少しも思わずに、母とあの男のせいだと決めつけて、私と話をしようとする母を無視して毎晩のように街に出た。私はそこに受け入れられていた。そこは同じような仲間がいて凄く居心地が良かった。学校で一度も話したことのなかった同級生の理香と亜衣、先輩のなーさんともそこで仲良くなった。
そしてまた馬鹿やって捕まった三回目。母が泣いた。私が泣かせてしまった。家族のせいで母が泣くのはそれで二度目。一度は私たち家族を置いて死んでしまった父のせい。二度目は私のせい。つまり母はウチの家族全員から泣かされてしまう哀しい経験をしたってこと。
そのことは私を申し訳ない気持ちにさせたけど、それでも敢えて無視をして、私は私の居場所だと思っていた場所に逃げ込んで流されるままそこにいた。
なぜなら母に申し訳なく思う一方で、相変わらず母が笑顔であの男を家に入れるから。その野郎が私に何をしようとしたのか知りもしないくせにそんな顔して迎えやがってと怒っていたから。ダセぇなと今は思う。
怒り続けるって疲れちゃうけど、それって実は楽なんだよね。不満たらたらで、それを相手にぶつけていれば本質から目を逸らせるし辛い思いも悲しい思いも誤魔化せるから。あーあ。偉そうに言ったけどたぶん私もいつかそうしちゃうんだろうなぁ。けど嫌だなぁ、と椎名は言っていた。
最後のぶつぶつ言っていたところはよくわからないけどほんとそれ。私は怒って気を紛らして逃げただけ。私があったこと、思っていたことをちゃんと母に話をせていたなら、私は母をそんな目に遭わせなくて済んだんだから。
「うまうま」
「よく食うなぁ」
「まぁ明日香だしねー」
「割り勘だしな」
「ちげーよ」
「違うし」
「違うのかよ」
私が変わった、と言うか元の私に戻ったのは椎名とコンビニで会えたから。
放って置いても良かった筈なのに、見た目が怖い、話したこともない、なんとなく知っているくらいの私に声をかけてくれて構ってくれて、椎名に事情を話したら迷うことなく家に来いと言って私に手を差し伸べてくれた。
椎名の家に行く道で、静かに怒る椎名の隣を歩いたあの冬の夜はやけに印象的な夜だった。
肌を刺す冷えた空気。貸してくれた手袋とマフラーの暖かさ。椎名の押す自転車が鳴らすチチチチという音。話す椎名の静かな声。久しぶりに見上げた夜空に瞬く星たち。夜空に姿はなかったけど、美しい月が隣を歩いていたことを後で知った。あの頃は毎日のように街で夜を過ごしたけど、私の心に残る夜は椎名と並んで歩いたあの夜。今も鮮明に思い出せる。
椎名の家で椎名とお兄さんのやり取りを見て、聞いているうちに家族ってこんな感じだったことを思い出して気持ちが凄く落ち着いて、電話でとは言え冷静に母と話すことができた。
椎名の部屋で眠る時、椎名に色々と話したけど、椎名は殆ど眠っているようなものだったから聞いていなかったっぽい。けどそれでいい。話した内容を思い出すとかなり恥ずかしいから。
翌朝椎名の両親にちゃんと挨拶をして、椎名家の騒がしい朝の食卓に巻き込まれていくうちに私もこの風景を取り戻したくなった。なら、私は何をすればいい? 答えは簡単。私が変われば私と母はきっと大丈夫。そんな予感がした。
そして実際そうなった。椎名にはありがとうしかない。たまに口うるさくなることもあるけどそれも椎名だからべつにいい。私には言いにくいことを言ってくれる人があまり居ないし。
にしてもあの時貰った肉まんとピザまんはすごく美味かった。今では私の大好物になった。椎名は私が食べるところを見る度に唖然としつつも笑っている。これは椎名の、椎名が私にくれた優しさのせいなんだからなと思っていてもそれは伝えずに、美味いもんは美味からいいんだよ、っていつも言っている。本当に思っていることは伝えない。なんとなくだけど椎名はわかっているような気がするから。
「いやー。歌った歌った」
「ね。喉がらがら」
「いやー。食った食った」
「「おかしくね?」」
カラオケの店を出て言う台詞で私だけ違うのは私がずっと食べていたから。べつにおかしなところはない。
「全然おかしくないだろ。だってお前ら二曲しか歌わせてくんないんだもん。だったらあとはもう、タンバリン叩くかマラカス振るか食い続けるしかないじゃんか」
だから食い続けました。私は腹を摩ってぽんと叩いてみせる。事実は事実。私の腹がそれなりに膨らんでいる。つまりこの場合の私が正しいってこと。
「そうだけどっ」
「そうなんだけどっ」
「お前ら落ち着け。こんなとこで騒ぐなよ。恥ずかしいだろ」
「お前のせいだっ」
「明日香のせいだよっ」
「はいはい悪かった悪かった」
場を選ばすに騒ぐこと。やんちゃな時もその前も、昔は恥ずかしいなんて少しも思わなかった。衝動的で一点集中。それがガキの特権だったし、実際周りのことなんてどうでもよかった。私は私が楽しければ全てよしと、そう思っていた。
今、少しだけ大人に近づいて、少しずつ周りが見えるようになって、椎名の言っていたことがわかるようになった。
それが私にとっていいことなのかよくないことなのかよくわからないけど、椎名に何か言われても心地は悪くないし我慢しているわけでもない。これはこうしろと強制されているわけでもなく椎名はただ、私はこうする、こう思うと言うだけで、それをどうするのかは私が決める。
それに私は椎名のような考え方や物事の受け止め方に共感しているようにも思う。
根っこの所が似ているからそうなのかもねと椎名は言っていた。
椎名は私を変えた、と言うか元に戻してくれた大事な友人。私にいい影響を与える大切な親友であって私の身近にいるお手本。私から見て椎名は大人。少なくとも私よりは。ガキの私が大人に憧れるのは当然かも。
「なぁ亜衣。明日香よりガキってそういなくね?」
「言えてる」
「ほーぉ」
「「あ、やべ」」
「まてやこら」
また私から逃げ出そうとした二人の首に素早く左右の腕をそれぞれ回し、軽くチョークスリーパーをかましてやった。
「やっぱ明日香はおもしれー」
「いや。私は普通にしてるだけだからな」
「いやいや。普通はそんなことしないでしょ」
カラオケ店の前を後にしてくだらないことを話しながら何となくそこを目指して歩いて来た駅前の広場。その中心に聳え立つデカい時計がもうすぐ八時だよと伝えている。
「もう八時か。明日香。このあと集りあんだけど来る?」
「久しぶりに来る?」
「いや。やめとく。そういうのは椎名が悲しむからな」
それはしない。私にはもう、みんなと連んで騒ぐ理由が無い。確かに楽しいかも知れないけど、私の居場所はそこじゃない。
「椎名か。じゃあしゃーないな」
「だねー。椎名には勉強でもお世話になったしねー」
「な。そうじゃなかったらウチら絶対に高校行けなかったよな」
「椎名、まじスパルタだった」
「そう言えばそんなこともあったな」
私はその時のことを懐かしく思い出す。だけどまだ二年も経っていないことに気が付いて、懐かしく思うなんてお年寄りかよと軽く苦笑した。
よろしければ後に進んでくださいませ。
読んでくれてありがとうございます。