第六章 -16
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九月になり、マルケルスのための服喪期間が終わった。カエサル・アウグストゥスの家族は癒えることのない悲しみを抱えたまま、それでも前に進み出した。まず姉のほうのアントニアが、ドミティウス・アヘノバルブスと挙式した。
結婚式はオクタヴィアの家をひとしきり明るくした。祝福の声と花びらが中庭に舞い、たちまちパラティーノの丘全体を満たしていった。
新郎アヘノバルブスとは、かつてマルクス・アントニウスの副官だった同名の父親を持つ。かの人は、アントニウスとともにパルティアに遠征し、最後はアクティウムで病没した。参列者たちは、きっとお父上二人も神々の下で喜んでおいでだろうと微笑み、彼らと共にとばかりに杯を酌み交わすのだった。
オクタヴィアもこの日ばかりは息子のための喪服を脱いでいた。三番目の娘が無事婚家へ抱き上げられていく姿を、少しやつれた様子で見守っていた。
この日はほかにも慶事があった。姉のほうのマルケッラの婚約が発表されたのだった。
アウグストゥスは娘ユリアの伴侶にアグリッパを選んだ。そのためマルケッラは夫との離婚を余儀なくされた。彼女には気の毒なことだった。娘ももうけていて、夫婦仲は睦まじかったはずだ。
しかしマルケッラも次の夫へ嫁ぐことが決まったのだ。相手は、なんとユルス・アントニウスだ。確かに血のつながりこそなかったが、オクタヴィアの養育下、長年兄妹として暮らしてきた二人だ。あんぐり口を開けていた当事者二人だったが、オクタヴィアはこれで納得することにしたようだ。きっとうれしくも思っただろう。ユルスは父アントニウスを失くして以来もう一度、オクタヴィアの義理の息子となる。
二人の挙式は来年になるそうだ。もっと早く執り行うこともできるのだが、アグリッパの帰国を待って区切りとするのだろう。
東方からアグリッパは、引き続き娘の養育をマルケッラに一任したいと、手紙で頼んできたという。夫婦ではなくなるが、愛しい家族としての縁はこれからもずっと続くのだから、と。
ティベリウスはこれらの決定を事前に継父から聞かされていた。ヴィプサーニアは、喜んでいいのかどうかという複雑な顔をして知らせを聞いた。彼女の母親代わりでいてくれたマルケッラを思いやり、また寂しくもあったのだろう。
アグリッパの言うとおり、家族としての縁が、これからも睦まじく続いていくことを願うばかりだ。
そして翌日、もうひと組の縁が約束される。
カエサル家の祭壇の前に、アウグストゥス、オクタヴィア、そしてティベリウスが並んで腰を下ろした。三者がじっと視線を注ぐ長椅子には、ドルーススとアントニアが背筋をぴんと張って座っている。
五人のあいだには、いかにも重々しい沈黙が流れていた。アウグストゥスなどは今にも頭を抱えだしそうな、むつかしい顔をしていた。
「どうだろう、ティベリウス」継父は重い口を開いた。「お前はこれでよいと思うか?」
「恐れながら、そちらこそよろしいのですか?」ティベリウスも努めていかめしい顔で言った。「我が弟のドルーススですよ?」
「いや、そちらこそきちんと考えたのか? このアントニアを家に迎えに入れるのはお前なのだぞ。私は昨夜寝つけなかった。悩みに悩んでな」
それは嘘だ。ぐっすり眠ったに違いない。暑さもひと段落した頃合いだ。
「私も熟考しました」
なにをとは言わず、ティベリウスは知らせた。継父も深くうなずいた。
「無理もないな。なにしろこんな話は未だかつて思ってもみなかったからな。まさに驚天動地、青天の霹靂、寝耳に水とはこのことだ」
大嘘をつきながら、継父は必死で笑いをこらえていたのだが、ドルーススは大真面目な顔で決断を待っていた。一方アントニアはといえば、叔父と母、そしてティベリウスへ目線を移しながら、にんまり口の端を上げていた。わかっていないのか。否、たぶんよくよくわかっているのだろう。
「カエサル」ドルーススの声は、健気なほど緊迫していた。「オクタヴィア様、ぼくはアントニアを必ず幸せにするぞ」
「あら、あたしはずっと幸せにしてたわ」アントニアはすまして言った。ドルーススへ三日月型にした横目を送った。「生まれてからずっと一緒だったもんね」
継父はとうとう深々とため息をついた。万事休すとばかりにうなだれさえした。
「ほかに手はないか……」
この世の終わりのようにつぶやいた。そして次に息を吸い込む際、笑みを満面に輝かせて上げた。
「よかろう。お前たちを婚約とする」
「やったぁーーーーーーっ!」
ドルーススはアントニアを抱き上げて中庭へ飛び出した。二人の歓声が、秋の実りを膨らます草木をゆらした。
「アントニアはぼくのものだ! ぼくは世界一幸せだ!」
笑顔を弾けさせながら、二人はくるりくるりと庭を舞った。ドルーススはアントニアを投げ上げては抱きとめた。
「これからもずっと一緒だぞ!」
「一緒だぞ!」
ドルーススの凱歌に応え、アントニアも両拳を空へ突き上げた。そしてドルーススの首に抱きついた。
「おいおい、まだ婚約だぞ。花嫁を連れ帰るなよ?」
継父は一応諫めるのだが、相好を崩さずにはいられない。それはオクタヴィアもティベリウスも同じだ。生まれたての幸福。生涯無上の瞬間。それを魂の底から享受している二人がいる。だれより愛しい存在だからなおのこと、我が身の上よりうれしい。
娘四人を嫁に出し、オクタヴィアがさみしくもあり、ほっとひと息もつくであろう時は、もう少し先だ。ティベリウスとヴィプサーニアの結婚が待たれるのだった。
ヴィプサーニアはまだ十一歳だ。あの二人を先に挙式させてもよいのだがな、とティベリウスは思う。
けれどもドルーススとアントニアは、今ですでに世界の頂にいるのだ。願わくば、永遠であれ──。