第六章 -13
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「ルキリウス! ルキリウス!」
力のない肉体へ、ティベリウスは半狂乱で呼びかけていた。右手が流れ出たばかりの温かな血に濡れていく。
「うわ……あ……あああああああああっ!」
短剣を取り落とし、ヴェルギリウスは絶叫した。よろめき、頭を抱えて崩れ落ちる。
「私はなんてことを……なんてことをっ……!」
彼は両眼から涙を噴き出した。
「ルキリウス! あぁあああああっ!」
「ははははははっ! あはははははっ!」
笑うのはカエピオだった。彼はルキリウスを抱え込むティベリウスを、狂ったように踏みつけにした。そして──彼自身のものか、ルキリウスのものだったか──剣を手間取りながら拾い上げ、ティベリウスの首めがけ、振りかぶる。逆転勝利に興奮する凄絶な顔が、沈み際の鮮烈な赤に照らし出される。
「死ねぇっ、ティベリウス!」
その後ろ首に、ぴたりと切っ先が当てられた。カエピオは死んだように固まった。
「死ぬのはお前だな」
四十歳の第一人者だった。突きつけた剣もまたカエピオかルキリウスのどちらかのものだったのだろう。
カエピオは悲鳴を上げて跳ねた。アウグストゥスの剣を退け、一目散に駆け出し、庭園の草葉の奥へと消えた。
ため息をついて、アウグストゥスは剣を下げた。ティベリウスもまた自身の短剣を地面に置いたところだった。そしてルキリウスを固く抱き直した。
「ルキリウス! あああっ、ルキリウス!」
だが奪いにくる者がいた。渡すものか。これはティベリウス・ネロの友だ。あなたの友はすでに死んだのだ、ヴェルギリウス──。
滂沱の涙に濡れながら、ヴェルギリウスはルキリウスにすがりつかんとした。死なないでくれ! どうか目を開けてくれ、ルキリウス! こんなはずじゃなかった! 君を傷つけるつもりはなかったんだ! 本当に、私はなんてことを──。
激しくむせび泣きながら、ヴェルギリウスは両拳で地面を叩きまくった。全身を震わせ、命そのものを吐き出しておのれを責めていた。まもなく心臓まで擦り潰れたとしてもおかしくなかった。
「ヴェルギリウス」
声をかけたのは、アウグストゥスだった。
「そんなに私が憎かったのか? ガルスを死なせた私が」
ヴェルギリウスははたと止まった。血走った目で振り返り、アウグストゥスをまじまじと見上げた。
「……違う……違うんです……!」
彼はまた涙を噴き出した。
「……私はもう……なにを憎んでよいかわからなかった……。 なにも憎まなければよかったのに……私はこの心を……どうにもできなかったのです!」
そう言うや否や、ヴェルギリウスはわたわたと地面をまさぐった。自分が取り落とした短剣を探しているらしかった。
「憎むべきは、この私……。死ぬべきは、この私!」
ついに短剣の柄に彼の手が触れとき、アウグストゥスがヴェルギリウスを抱きしめて座り込んだ。
「なぜですか! 第一人者!」ヴェルギリウスは泣きわめいた。「死なせてください! 殺してください! あなたの卑劣な暗殺者です!」
「……どうだろう、ティベリウス?」
ルキリウスのぼやき声で、全員がぎょっと反り返った。彼はティベリウスへ困り顔を向けていた。
「遠目の君でさえ、あれをカエサルだとは思わなかった。この人は今日カエサルがどんなトーガを着ていたか、知っているはずがないんだ。だから、たぶんあれがだれだか、本当のところはわかっていなかったと思うし……言ったとおり、ここんところ様子がおかしかったから、きっと物事の判断力がついていなかったと──」
「お前──」
ティベリウスはあっけに取られた。ルキリウスは涙目で訴えた。
「左のお尻が痛い。止血してくれるつもりなら、もっと優しく押さえてくれるとありがたいんだけど」