第六章 -11
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最終的に叛徒らは百人を超えていたかもしれない。いくらなんでもクラウディウス兄弟と少数の元財務官隊の手には余る事態だった。だからアウグストゥスの無事が確保され次第、速やかに今度は自分たちの身の安全を図るべきだった。
だがいかなる形であれ、退却の必要はなさそうだ。
「なぜだ!」
早々に腕を負傷し、すでに戦える状態ではないムレナ。だがまだ初志をあきらめる局面ではないと考えていたのだろう。仲間たちを鼓舞し続けていたのだが、ここに来てとうとうその志を打ちのめされることになった。
マエケナス邸の石塀の上。夕陽の赤を背負った六の影がすっくと立った。
「なぜって、ムレナ殿──」ルキウス・ピソが冷たく笑った。「ほうっておけますか? 我らが愛する友が奮戦しているというのに」
「ユルスが知らせてくれなければほうっておいてしまうところだった」パウルス・ファビウスが淡々と言った。
「自分側に加勢に来たと考えないあたり、やつらもやっていることはわかっているみたいだな。国家反逆の大罪だと」グネウス・ピソが侮蔑を込めて言った。
マルクス・メッサラは額に黄色の帯を引き絞った。「さぁて、あとで宴席でのちょっとした喧嘩だったとか言い訳されたらどうする?」
ネルヴァが首を振ると、紫色の帯も翻った。「通らない。護民官への肉体の不可侵条項に違反だ」
「若者たちよ!」ムレナは怒り、嘆いた。「いつの時代もそうだ。常に過激な側へ行くのだ! だが若者たちよ、将来のローマを担う者として、これでよいと思っているのか? アウグストゥス・カエサルの独裁を許すことが!」
「過激なのはどっちだか」最初に剣を抜き放ったのは、コルネリウス・レントゥルスだった。普段の締まりのなさが嘘のように、決然とした冷たい顔をしていた。
だが、次の瞬間には燃え上がった。
「ムレナ殿、あなたがたに言えることは一つだ。ぼくらは二度と友だちを失いたくない。そして、ティベリウス・ネロだけは命をかけて守り抜く!」
二つ言ったぞ、とティベリウスは思った。
六人の友が石塀を飛び下り、剣を振りかざして叛徒の群れに突進した。
八人の若者が叛徒の群れを押し返した。とりわけピソとレントゥルスの剣戟は目覚ましく、たちまちにして二人はティベリウスの両翼についた。その勢いのまま、三人は叛徒の群れの只中を突き抜け、次々に斬り倒し、反対側へ抜けて出た。ストラボたちに代わることとなり、ティベリウスは彼らにマエケナスらの保護を任せることができた。負傷していた者も彼らと一緒に下がるように指示した。
「ティベリウス」ピソはティベリウスの左に立ち、剣を上段に構えていた。「君が指揮官だ。どうしたい?」
「もう一度押す」ティベリウスは即座に言った。「邸内には一人も入れない。ムレナを生け捕る。カエピオは私が片をつける」
「承知」
「ティベリウス……」右に立つレントゥルスはなにか言いたげにひとときティベリウスを横目に見ていた。優しく、そして万感を込めるようなまなざしだ。ティベリウスも横目を返すと、きらめくものをまぶたが覆い隠した。
「いや、なんでもない。さぁ、ぼくが道を開くよ!」
三人は敵の群れに取って返した。一方で門を背にする若者たちも負けていなかった。ますます冴えわたるドルーススの槍の傍らで、ファビウスがいく分ひるみながらも彼を上手く援護していた。攻撃はこのドルースス、そしてグネウスとマルクスの担当だ。グネウスが重く苛烈な一撃を叛徒に見舞えば、マルクスは軽快な身のこなしでまわるように敵勢を削っていく。ネルヴァは彼ら全員が背後を取られないよう、戦場の死角へ目を光らせていた。仕損じ、それに不意打ちを企む者がいれば、大声で仲間に警告しつつ、自らの手でも仕留めにいった。
ピソがティベリウスの背後を守った。レントゥルスは剣を薙ぎ、斬り返し、恨みたぎらす元農場主らしき男らをティベリウスの前から退けていった。ティベリウスもまたローマ人らしき男を斬り伏せ、右手へ動いた。カエピオを見つけていた。
カエピオは笑みを貼りつけてたたずんでいた。腰に下げた剣を、まだ抜いてもいなかった。
「どうした?」迫りながら、ティベリウスは尋ねた。「私を殺すのではなかったのか?」
カエピオの表情は、そのまま石と化したように変わらなかった。だが夕焼けを浴びているのに血の気がなく見える。
彼はようやく剣を抜いた。側近らしき二人がさらに立ちはだかった。
ティベリウスのグラディウスが、一人を貫き、もう一人を斬り裂いて捨てた。
カエピオの笑みがさらに青白くなった。
「他人に人殺しを勧めておきながら、自分にはその覚悟もなかったか」
グラディウスを振り、ティベリウスは血を払った。目は立ちすくむカエピオのみを見据えていた。
「お前は戦場どころか、人殺しも知らないな。ただ他人事に戯れていただけだ。今頃自分の無責任がわかったのか?」
終わりだ、終わりだ。殺せ、殺せ──。
カエピオがしたことのすべては、赤の他人を、そして世界を呪うことだけだ。未来までわかると豪語しておいて、どうしたらそのようなつまらない生き方ができるのか。
未来までわかるからだとしたら、それはこの男の不幸だ。
その未来でさえ、きっとこの男はこのような生き方しかできなかったのだ。
「来い、カエピオ」ティベリウスは切っ先を突き出した。「痛みぐらい知ってから逝け」
「……愚かなるティベリウス・ネロ!」カエピオは引きつった高笑いを上げた。「なにが痛みか! いずれここで死んでおけばよかったと後悔するのは貴様だぞ!」
振り上げられた剣には、型もなにもなかった。
「殺してやる! 感謝しろ、ティベリウス!」
その一撃を軽くかわし、ティベリウスはカエピオの背中を狙った。
打ち込めなかったのは、自分の背中を狙う影に気づいたからだ。ムレナが見るからに捨て身で突進してきた。利き腕も使えないのに、剣を振りまわし。
「うわぁああああああっ!」
ムレナは絶叫していた。決死の反撃はすさまじく、ティベリウスは一度下がるしかなかった。
「裏切り者! 裏切り者! 裏切り者ぉ!」
彼はティベリウスの首だけを狙ってきた。カエピオは振り返り、茫然していた。
「逃げろ、カエピオ!」ムレナは怒鳴った。「ここで我らの志を絶やしてはならん! 生き延びろ! 生きてローマに正しき道を通せ!」
ティベリウスが下がったのもまた、茫然となったからかもしれない。最後の意地であれ、ムレナは本気だった。自らを捨て石にし、カエピオのような男をかばおうとしていた。
この男にそんな値打ちはない。ティベリウスはムレナにそう言ってやりたかった。お前をそそのかし、他者の運命を弄んだ気になって楽しんでいただけの男だ。共和政体の復興などどうでもよかったに違いない。
それでもムレナにとって、カエピオは同志であり、そして友であるのだ。
ティベリウスは歯を食いしばった。ムレナの突きを退けながら、剣を振り上げた。
こんなことをするべきではなかったのだ、ムレナは。せめて彼の毒舌をただ笑って聞いてくれるだけの友を持てばよかった。一線を越えないように、時に毒を返してたしなめながら。
だがムレナは自分を不幸だとは思っていないだろう。
ティベリウスの振り下ろした剣は、ムレナの左胸から右太腿を斬った。返し上げる刃は、彼の左手の剣を飛ばした。
ムレナは倒れた。だが浅い傷だ。死ぬまでは至らないはずだ。最初の右腕の怪我のほうが深いので、それと合わせればどうなるかわからないが。
カエピオは逃げ出していた。ムレナの意志を汲んだのか、臆病風に吹かれたのかはわからない。
その方向は、アウグストゥスがルキリウスに連れられて退避した先だ。ティベリウスはグラディウスを投げつけたが、カエピオの背中には当たらなかった。