第六章 -8
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奇しくもこの時のローマでは、先代ユリウス・カエサルが暗殺された時と同様のある機運があった。パルティア遠征である。二十二年前、ローマ人はユリウス・カエサルが今夏こそ東の大国パルティアを負かし、クラッスス敗北の雪辱を晴らしてくれるものと期待していた。奪われた軍旗は未だにパルティア人の手中にあり、ローマ人にとってはこのうえもない不名誉な事態だったのだ。
マルクス・ブルートゥスとカッシウス・ロンギヌスが、その年の三月十五日に暗殺を決行したのは、パルティア遠征を妨げるためであったとも考えられる。戦禍を恐れたのではない。先代カエサルであれば必ずやパルティアに勝利すると、敵であった彼らがまずだれより信じた。遠征を成功されてしまっては、いよいよカエサルの終身独裁官の地位は不動となり、国家は王政となる。共和政体は滅ぶ。彼らはその事態を恐れた。
ルキウス・ムレナがいよいよ当代カエサルを殺すしかないと思い立ったこの時宜も、ローマ市民はパルティア遠征への期待を口にし始めたところだった。かつてほど熱烈ではなかっただろう。しかしいつかは必ず雪辱が果たされねばならない。その認識は元老院も一般市民も共有するところだった。
その「いつか」は八年前、アクティウムの海戦が終わった直後に訪れたかもしれなかった。それより六年前には、アントニウスがさらなる敗北をかの国相手に喫していたので、果たさねばならない雪辱はさらに膨れ上がっていたのだ。しかしアクティウムの海戦後のローマに、大国パルティアと事を構えるだけの余力は、現実問題としてなかった。パルティア側も王位継承問題でもめていてそれどころでなかったのは、ローマにとって幸いだった。
それから八年が経ったが、すなわちそれは長い内乱が終わって後の、国内の平穏を享受できた年月だ。そのうえ今は、ヒスパニアも目途がつき、ゲルマニアも静まり、アルプスの山岳民族も平定した。アラビア遠征さえ終わり、エチオピアも降伏させた。ローマは外敵との小競り合いの知らせさえ聞かない、平和な時を過ごしていたのだ。確かに首都は疫病と飢饉に苦しんだ。若きマルケルスを失った。けれども覇者ローマの力は揺らいでいない。むしろ全体として蓄えられ、より強固になり、充実しているところだ。そうではないのか──?
そろそろではないか。いよいよパルティア遠征が始まるのではないか。そのような推測が市民の口の端に上っても、無理はなかった。そして実際、そのパルティア問題を考えていたからこそ、アウグストゥスはアグリッパを東方へ送っていたのだ。パルティアの同盟国アルメニアの使者がローマへ来訪したあの時、事態はすでに動きはじめていた。
だがローマ人すべてがパルティア遠征に賛同しているわけではない。たとえば詩人ホラティウスのように、戦争沙汰など二度と御免だと考えている市民も多い。せっかく多大な犠牲を払って成し得た平和だ。第一人者アウグストゥスの存在を好むにせよ、好まないにせよ、戦争がないことこそ第一だ。なぜわざわざまた殺し合いをするのか。
けれどもルキウス・ムレナは違う。彼はマルクス・ブルートゥスらの思想の後継者にならんとする。パルティア遠征が成功するかはわからない。だがなんらかの成果を上げられる前に、今こそアウグストゥスを亡きものにしておかなければならない。後継者マルケルスも没した。ユルスに話したように、今こそが好機だ。人殺しをしてでも国家の政体を変えようとしていた。彼らにしてみれば、元の正しい道へ戻すということなのだろう。
普段は無口であるわりに、口を開けば周囲がぎょっとするほどあけすけな物言いをする男だ。だがムレナは決して好かれていないわけではなかった。むしろその率直さゆえに、「よくぞ言ってくれた」との痛快の思いを抱いて彼を好む人も多くいた。コルネリウス・ガルスほど陰鬱でなく、難解な言葉も使わないので、理解もされたのだった。
結局アウグストゥスへの絶大な支持を覆すまでには至らず、こうして陰謀を企てるしかなくなったのだが。
ムレナがもう少しおしゃべりであったならば、陰謀は形を成す前に潰されていただろう。一方でもっと無口であったならば、あの三月十五日のように、全員の不意を突くことができたかもしれない。その意味では、カエピオという邪悪なおしゃべりを友人に持ったことは、ムレナの不幸だった。
──殺せ、殺せ、殺せ、殺してしまえ! ユリアも、オクタヴィアも、リヴィアも、そしてティベリウス・ネロも。
あけすけで、清廉で、そして甘かったルキウス・ムレナ。
そもそもカエピオさえいなければ、ムレナはアウグストゥス暗殺の陰謀にまでは走らなかったかもしれない。
だが首をひねらざるを得ない疑問が一つだけある。ムレナとカエピオを含む才気ある学者・芸術家の偉大なる後援者。彼はここに至るまでの事態にまったく気づかなかったのだろうか。ムレナに対しては、テレンティウス・ヴァッロに代わって、すでに義兄弟の間柄であるのだ。
ガイウス・マエケナス。アウグストゥスの左腕。
かつてこの人は、アウグストゥス暗殺の陰謀を未然に防いだことがあった。首謀者はレピドゥスで、かつてアウグストゥス、アントニウスと共に三頭政治を組んでいた人物の息子だった。アウグストゥスのエジプト遠征中に企てられたこの陰謀を、マエケナスは潰し、レピドゥスを処刑した。元老院議員ではなく、アウグストゥスの代理という権限で裁いたのだった。
だからこそアウグストゥスは、マエケナスの招きを疑わないはずだ。アグリッパと並んで、最も信頼している男だ。アグリッパにさえ話せないことを、マエケナスにはたびたび相談していたとされる。だからこの日も、テレンティアの誕生日を祝うそれはそれとして、東方情勢か、ユリアの身の振り方か、とにかくいよいよ方針を明らかにするため、詰めの相談に向かう意思でいた。
ティベリウスは継父をもう止め難いと思った。それならばもうマエケナス邸に急ぐまでだ。ネロ家でコルネリアを厳重に保護し、自身はグラディウスと短剣を携え、マントをかぶり、あとはエスクィリーノの丘まで全力で走った。
宴の開始にはまだ早い。なにしろ真夏だ。裕福な家ならば、たくさんの灯火で照らせるので、暑さの和らぐ日没を待ってからの宴を好む。テレンティアも汗だくの姿で客の前に現れたいとは思わないだろう。
解放奴隷の家には行かなかった。陰謀屋どももその家は突き止めていないはずだ。だからエスクィリーノの坂道、マエケナス邸の真ん前で、ティベリウスは継父を待つ。そして状況を明らかにし、引き返させる。継父も涼むために解放奴隷の家に行ったのだから、暑さで道が揺らめくうちはエスクィリーノの丘を登ろうとは思わないだろう。
ところが、汗だくで、今にも渇きに耐えられなくなりそうなティベリウスが見たのは、揺らめく坂道の上、奴隷四人に日除けを掲げさせて、のんびりとマエケナス邸の門をくぐっていくアウグストゥスの姿だった。