第一章 -7
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「ティベリウス」書棚に本を戻していると、グネウスが声をかけてきた。「あいつはロングスというのか?」
「ああ、そうだ。どうかしたのか?」
「ルキリウス・ロングス」
グネウスはむっつりと考え込むような顔でくり返した。
「聞いたことのある名前だ、父上から。その人の息子だろうか?」
「ぼくも聞いたことがあるぞ」だしぬけに、マルクス・メッサラが陽気な顔を割り込ませてきた。「だからぼくん家に一度連れてこいって言ってるのに、ティベりん」
「そのうちな」
ドルーススとグネウスの弟を加え、五人で神殿の階段を下りた。これからいったん家に戻って着替え、肉体鍛錬に向かう予定だ。フラミニア競技場に集まる予定だが、ルキリウスは来ないかもしれない。
少し前を、マルケルスたちが歩いていた。妹のアントニアが、ようやく姉たちを押しのけてやったらしく、誇らしげに兄とつないだ手をぶんぶん振っていた。ドルーススは衝撃を受けたように止まった。それからなにくそと気持ちを奮い立たせて突進していった。けれどもぶつかる寸前で立ち止まり、もう一度いかに攻めるべきか、拳を握りしめ、両足を開いて静止し、考え込んでしまう様子だった。後ろのティベリウスたちは思わず吹き出した。
「兄上、ドルーススは勇敢です」弟ルキウスがグネウスに言った。「でも相手が強い」
「ここは我ら歴戦の勇士の出番だな」そう応じたのはマルクスで、助っ人の準備万端とばかりに右肩をぐるぐるまわした。
「お前のマルケッラやアントニアに対するめげなさは称賛に価するがな」グネウスは、普段のコッケイウス・ネルヴァみたいなことを言った。マルクスは片目を閉じてみせた。
「気づいていたかい? ぼくは妹のアントニアだけは一度も誘っていない」
三人が先に歩いていった。ティベリウスはふとだれかの声を聞いた気がして、足を止めていた。まだだれか家の者が残っているのだろうか?
神殿の側面まで引き返したのは、それが泣き声のように聞こえたからだった。ティベリウスたちが世界地図を足下にしゃべっていた場所の反対側だ。
「いつまで泣いている気だ? もう帰るぞ」
ユルスの声だった。何事かと思って角を曲がると、彼が苛立たし気に地面を踏みつけるのが見えた。彼の前で、神殿の壁を背に、膝を抱えて丸くなっている人影がいた。
ユリアだ。
ティベリウスは思わず動きを止めた。
「ユリア、立てよ」
ユルスは両腕を振り上げて身振りしていた。しかしユリアは自分の腕と膝に顔を埋めたまま、ただかすかに震えているだけだった。かろうじて目元だけ覗かせているようだが、たぶん涙をいっぱいに溜めているのだろう。しゃくり上げるたび、肩を引きつらせていた。
「なんで泣くんだよ?」ユルスの態度は、どの弟妹にもこんなに手を焼くことはないのに、と言いたげだった。「ここに来てからずっと見ていたけどな、お前はだれかに意地悪されたか? 怒られたか? 笑われたか? だれもなにもしていないだろうが、お前に! それなのに、どうしていつまでもそうめそめそしてるんだよ?」
「でもみんな……あたしを馬鹿みたいって目で見てる……」ユリアは歪んだ声で言った。「あたしがなにをやってもダメだから……詩を読んでも……マルケッラがなんてのろまなのって目で見てくる……。大きいアントニアがため息をつくし……小さいアントニアとドルーススは、あたしたちのほうが上手だねって、こっそり笑い合ってる……。ティベリウスは無視してさっさとほかの勉強をしてる……。いつまでも覚えられないから、ネストル先生も呆れてる……」
「それはお前の考えすぎだ」ユルスは強い口調で言った。「そうじゃないとしても、そいつらはお前に害は与えていないはずだ。そうだよな?」
「でも辛いの!」ユリアは叫んだ。それでもか細い声だったが、あふれる涙に負けないほどに感情が込められていた。「みんなあたしなんかいなくていいと思ってる……。お父様の娘じゃなければ……ほんとにどうでもいいって思ってる……」
「あのなぁ……」
「だれもわかってくれない……。だれも気づいてくれない……。あたし、こんなに辛いのに……」震えながら、ユリアは膝を抱え直した。
「甘ったれが」ユルスは吐き捨てるように言った。「ああ、そうだ。お前のことなんてだれも気にしちゃいない。人間ってのは、自分以外は基本どうでもいいと思って生きてるんだからな」
ティベリウスはちくりと胸が痛んだ。自分の無頓着ぶりもまたユリアを傷つけていると知らされた。ユルスは強い口調で続けた。
「でも、それがなんだ? お前だって、自分以外のことなんて考えてもいないだろうが。自分が世界一かわいそうだと思ってるんだろ?」
「なんでそんなひどいこと言うの」
「事実だろ」ユリアへ上体をかがめてから、ユルスは指先を突きつけた。「めそめそしてるだけで、だれかがなんとかしてくれるなんて思うな。文句があるなら自分で言え。怒れ」
「できないよ……」ユリアはとてもしめった声で言った。「あたし、気持ちが弱いんだもの……。泣き虫で、どんくさくて、なにをやってもだめなんだもの……」
「ああ、もうっ」ユルスはぶんと首を振った。
「お父様の娘じゃなきゃ……ここにいなくていいのに……」
「まったく、もうっ」
ユルスは引き抜かんばかりに自分の髪をかき上げた。ひととき悶えて、それからほとんど顔をユリアの目線の高さまで寄せた。
「お前とマルケルスはお似合いだ。甘ったれの泣き虫同士。自分がどれだけ恵まれているかも知らないで、いつもくだらないことを気に病んで、ぐずぐずめそめそしていやがる。そうしてだれかによしよし頭を撫でてもらうのを、待ってるんだもんな。そんなことないよ、大丈夫だよって、必ずだれかがなぐさめてくれるのを、わかってるんだもんな。良い子だから。可愛くて、大事にされてる子だから──」
「……可愛い……?」ユリアの小声が言った。「あたし、可愛い……?」
「そっちかよ……」
ユルスは脱力したようにしゃがみこんだ。ユリアが小首をかしげたように見えた。ユルスはしばらく頭を抱えていた。抱えたまま、なにかぶつぶつと話しているようにも見えた。ユリアよりもさらに小さい声で。
「……ありがと」ユリアの横顔は、少し晴れやかに見えた。「でも、大事にはされてないよ……」
「そんなわけあるか」ユルスはうなった。
「だってあたしを気にしてくれるのは、ユルスだけじゃない……」
「今日はたまたまだ」
「でもユルスだって、あたしのことは妹や弟のついでなんでしょ?」
この言葉に、ユルスは重たげに頭を上げた。
「ついでか……。ついでがそんなに悪いことか?」
ティベリウスはふと思い出した。その言葉を、ずっと昔にユルスから言われたことがあった。
──お前はいつまでもマルケルスのついでだぞ。
──いちばんにはなれないんだよ、お前も。
ユリアは小さく首を振った。それから袖で鼻をこすったように見えた。
わざとのような大きいため息をついて、ユルスは立ち上がった。
「さあ、もう帰るぞ」
「帰りたくないよ」しかしユリアはなおもぐずって、動かなかった。「お母様のところへ行きたいよ……。お母様に会いたいよ……」
「またすぐに会えるだろ」ユルスはぞんざいな調子で言ったが、先程までの苛立ちはないように聞こえた。「今日も家の前に来ているかもしれない。今日でなくても、明日か明後日にはきっといるさ」
「……いなかったら?」
「手紙を書けよ。毎日」ユルスは勧めた。「お前の優しい奴隷たちは、そのくらいいくらでも取り次いでくれるだろ。手紙は悪くないぞ。お前の作文の勉強にもなるしな」
「毎日おもしろいことなんてないのに……」ユリアは恨めしげに言った。「いったいなにを書けばいいの?」
「そういうお前の気持ちを素直に書けよ」ユルスはあっさりと言った。「お母上は心配するだろうが、お前の場合はそれでいいのさ。心配させてやれよ、実の親らしく。……それにしてもお前は、こんなにぎやかな世界の中心都市にいて、おもしろいことの一つも見つけられないのか?」
「なんにもないよ」ユリアはまた鼻をすすった。「あたしは勉強もできないし……運動もできないし……お遊戯をしてもすぐ負けるし……お裁縫も下手で……髪飾りや首飾りを作っても不細工で……」
ユルスはまた長々とため息をついた。
「あの家に居づらいの」ユリアは愚痴を続けるのだった。「お父様はお仕事のことばっかりで……あたしなんかとりあえず生きてさえいればいいと思ってる……。リヴィア様はいつも、なんでこのどんくさい子が継子なのかしらって……冷たい目であたしを見てる」
「だからそれはお前の妄想だ」そうは言ったが、ユルスの声は同情しているように聞こえた。「……そうじゃないとしても、あと少しの辛抱だろ。もう二年もしたら、お前はマルケルスと結婚する。お母さ──オクタヴィア様はお前に優しくしてくれるよ。わかるだろ。セレネたちにも、このぼくにも、あのとおりなんだからな」
ユルスは、継母のことをずっと「お母様」と呼んでいた。オクタヴィアがそう呼び続けることを願ったのだろう。実母を物心つく前に亡くし、実父も遠くへ行ってしまったユルスのために。
「オクタヴィア様は優しいけど、いつも疲れていらっしゃるでしょ」ユリアは彼女なりに未来の義母を見ていた。「みんなのお世話に一生懸命で。あたしなんかにかまってくれないわ」
「じゃあ、ぼくが、お──」力強い調子だったが、ユルスは言い直した。「ぼくが、助ける。オクタヴィア様を。お前のこともついでに気にしてやる。でも忘れるな。お前にはマルケルスがいるんだ」
「マルケルスだって、ずっと妹たちと一緒にいるじゃない」ユリアは婚約者のこともちゃんと見ていた。「あたしのお父様と、オクタヴィア様と、いちばん一緒の時間を過ごしてる。でもマルケルスは、ほんとはティベリウスと一緒にいたいのよ」
「だからお前と同じさ。お似合いなんだよ」ユルスは自分で噛みしめるように言った。「親離れできない子どもなんだ」
そのように言われようと、ユリアはとてもさみしげだった。
「……あたしは……ずっとだれかのいちばんにはなれないのかな?」
「馬鹿言え。スクリボニア様がいるだろ」
「コルネリアお姉様のほうが、美人で賢いのよ」
「ああ、もうっ、ああ、もうっ……」さすがに忍耐の限界とばかりに、ユルスは実際に地団太を踏んだのだった。「これだから女の会話ってやつは! あっちへ行き、こっちへ行き、いつまでも同じところをぐるぐるまわっているだけだ。永遠に解決しないし、する気もないんだ。なあ、おい、いい加減帰るぞって、言ってるだろ。これ以上ぐずぐずしていると、だれか面倒なやつが、きっとお前を探しにくるぞ」
するとユリアは、すっと右手を掲げた。最初、ユルスはその意味がわからなかったようだ。はたと固まった。
「ん!」
手のひらをユルスに向け、ユリアは細い腕をぴんと張った。
「……」
ユルスはとたんに辺りを窺うように首を動かした。ティベリウスは危ういところで神殿の角に体を引っ込めた。
「……すぐそこまでだからな」ユルスの声が低く言った。「だれかが歩いてくるのを見たら離すからな」
「いいよ」
ティベリウスはそっと階段を上がり、柱の陰に入った。ぼんやりと、ユルスとユリアが手をつないで家路につくのを見た。
「なにか楽しいことはないのか?」ユルスが訊いていた。「泣いてばかりじゃだめだ。我慢し続けるのもだめだ。どうしたら楽しくてうれしいのか、ちゃんと考えて、言えよ。お前ほどでなくてもさ、黙っているのにわかってくれるほど、みんな器用じゃないんだ」
「……お母様」ユリアはまずそれだけ言った。
「わかった。もし手紙のやり取りさえすんなりいかなくなったら、ぼくに言え。なんとかする」
「あと、可愛いって、言われたい……」ユリアはユルスを見上げて言った。「マルケッラやアントニアやセレネが作れるような、綺麗な髪飾りをつけて、歩いてみたい。あたし、なにもできないから……せめて可愛いって、言ってほしい……」
「じゃあ、お前ももっと自分を可愛いと思えよ」ユルスが言った。「だれかに言われるだけじゃ、なにも変わらないんだから。そして、おもしろくない勉強も、下手くそな手仕事も、適当でいいから、もう少しだけ頑張ってみろよ。そうしたらさ、あとで──」
ユルスはユリアになにかをささやいたようだった。
「がんばる」
そんなユリアの声が、風に乗ってティベリウスの耳に届いた。
「盗み聞きですか、高貴なるクラウディウス・ネロ家の家父長殿?」
相手が期待していたほど、たぶんティベリウスは驚かなかった。ちょっと前から、こいつの気配も感じていたからだ。
「時宜を逸しただけだ。ばたばたと足音を立てて逃げればよかったのか?」
それでも顔が熱くなるのを感じながら、ティベリウスはにらみつけた。人のことを決して言えない忌々しい存在とは、やはりルキリウス・ロングスだった。すぐ隣の柱の陰にいたのだ。
「お前はどこに行っていたんだ? 帰ったんじゃなかったのか?」
「……実は、さっきヴェルギリウス殿に本名を話したことを後悔していたんだ。変更できないかな? ガイウス・ガイアヌスとかなんか適当に」
「なにかあったのか?」
見れば、ルキリウスは苦笑していたが、実際に弱っているようにも見えた。
「いや、特に」
それなのに、そう答えた。それから柱の下から地面へ飛んだ。ティベリウスは階段を下りて、ゆっくりとした足取りであとに続いた。
「ユルスは良いやつだね」
アヒルがふざけているように、ルキリウスはくるりくるりととまわりながら進んでいた。機嫌の良いときにする動きだが、今日に限ってはなにかを振り払うか、忘れようとでもしているように見えた。
「ローマのご立派な男らしくとか女らしくとか、そんな規範を抜きにして、きちんと目の前の相手に向き合っている。優しいだけじゃなく、誠実だよ。この方面に関しては、君やマルケルスよりよっぽど優れてるね。きっとくぐってきた人間関係の荒波が違うんだな。ユルスはもっとモテるはずなのに。生い立ちに足を引っ張られても」
口には当面の話題、肉体は自己流の華麗な舞い。もうこれ以上ほかのことの入り込む余地はない。
「ユリアちゃんもさ、なんと言うか、上手いよね。あんなふうに頼られると、燃えちゃうよなぁ、男なら」
空中を二回ほどまわって、ルキリウスはしばらくそこに留まっていた。着地したときはティベリウスのほうを向いて、そのまま後ろ向きに歩き続けた。
「君とはどっちも合わなそうだけどね」
彼はおかしそうに目を細めていた。ティベリウスも先程の二人のことを考えた。
確かにユルスは良い男だった。実父アントニウスは、故国であるローマとの戦争で敗れ、自害したのだ。彼がまだ生きている時も亡くなってからも、ユルスはだれよりも辛い思いをしたに違いないし、実際に辛い目にも遭っていた。アウグストゥスやアグリッパ、ひいてはカエサル家を恨みに思ったことはなかっただろうか。恨みを認めることさえ許されないと考えて生きてきたのではないか。以前に彼はこうも言っていた。
──ぼくがあの家で暮らせているのはお情けなんだ。お母様と、カエサルの。
それでもユルスは耐えた。ただオクタヴィアのために耐えた。アントニウスと結婚し、自分たちを実子と分け隔てなく育ててくれた、そんな継母をこれ以上悲しませたくなくて、頑張ったのだ。今この時まで、弟妹たちの世話をだれよりも焼き、その一人一人を愛した。亡き兄アンテュルスの分まで愛するという思いもあっただろう。だが今生きているのはオクタヴィアだ。オクタヴィアの愛がマルケルスに第一にあることを、なにをどうしてもその現実を変えようがないことを、もうあきらめていながら、それでも彼は継母のために生きていた。
それでいてユルスは、ユリアを投げなかった。実父も実母も実兄も亡くした彼には、ユリアは実際に「甘ったれ」に見えたはずだ。しかし彼は、ユリアの「ただ今のこの時が辛い」という思いを受け止めたのだ。
同じことが今、ティベリウスにできるだろうか。往々にして人間とは、自分が気楽な時は、他人の苦しみに無頓着なものだ。一方で自分が辛いときは、他人にかまう余裕がないのだ。それでも心優しく強い人間は、自分の心の余裕も確保しながら、あるいは危険にさらしながら、苦しむ他者に手を差し伸べる。めそめそするな、それしきの苦しみぐらい自分で対処せよなどと、本気で言わない。
けれどもティベリウスがそうであるように、そもそも人に同情するのを控える型の人間がいる。自分が同情されたくないからだ。自分の苦しみは自分だけのものだ。赤の他人に、簡単にわかった気になられたくない。ただほうっておいてほしい。乗り越えるまで。耐え抜くまで──。こういう人間は誇り高く、冷酷で、傲岸不遜なのだろう。
ティベリウスにはユリアがわからない。そして、ユルスの忍耐強さに感服してしまう。ユリアには彼女なりの辛さがある。そうだとしても、彼女には実の両親がいる。同情的で、言うことはなんなりと叶えようとしてくれる奴隷たちがいる。心優しく、将来は国を担うに違いない婚約者もいる。
今が辛いとしても、どうしてもっと先を見据えないのだろう。彼女はアウグストゥスの一人娘だ。長くほうっておかれたのは気の毒だが、その分これからいっぱい愛される余地はあるのだ。そしてできることがあるのだ。自分の立場に、どうしてもっと誇りや責任感を持たないのだろう。女であるから? ならば両親を亡くしてなお懸命に生きるセレネはどうか。幼いヴィプサーニアでさえ、彼女にできることをひたむきに探して、行動している。彼女たちにはある「芯」が、ユリアには見られないのだ。
どうして何事もおもしろくないなどと言えるのだろう。世の中にはまだまだ興味深いこと、知りたい、見てみたいと思うものがいっぱいあるはずだ。今この一瞬「可愛い」と言われることより、もっと大切で価値あることが、どうして見つけられないのだろう。
学問が好きで、肉体鍛錬も得意で、いつもやった分だけ手ごたえを感じられるティベリウスには、ユリアがわからない。性差を置いたとしても理解できない。阿諛追従や媚が大嫌いなので、「可愛い」やほかのちょっとした言葉が、ひとときか、あるいはもっと長いあいだ心を潤してくれる、その価値がわからない。
けれども、そういう人間もいる。自分は自分で、他者は他者。そう考えることはできる。
たぶん自分は他者に厳しいのだろう。そしてそれは、あまり良くないことだから、気をつけなければならない。ティベリウスはそう考えることにする。
継父は自分に厳しく、他者に優しい人だ。冷酷に振舞うこともあるが、それはひとえに自分が担う責務のためだ。
自分もそうあらねばならない。ユルスの良いところを、見習わねばならない。
そうでなければきっと、心から愛する者を守れなくなってしまうのだろう。
「ティベリウス」
遠くで、ルキリウスの声がしたと思った。しかしティベリウスがはたと歩みを止めると、ちょうど後ろ歩きをしていた彼とすれ違うところだった。
「あのさ──」
「どうした?」
ティベリウスは横を向いて、ルキリウスを見つけた。
「いや、なんでもない……」
ルキリウスの笑みは、いつもよりぎこちなかった。